2011/09/22 - 2011/09/24
44位(同エリア241件中)
熱帯魚さん
鴨緑江遊覧船から対岸の新義州を見た後は、
鴨緑江断橋に行きました。
鴨緑江にかかる鴨緑江断橋と中朝友誼橋は
どちらも日本統治時代に建てられたもの。
しかし、鴨緑江断橋は朝鮮戦争の際、
アメリカ軍の爆撃を受けたため、
橋が真ん中までしか残っていません。
生々しい爆撃の爪あとが残る「鴨緑江断橋」を歩き、
北朝鮮へと続く「中朝友誼橋」を眺めました。
○ 鴨緑江断橋
1909年8月より建設が開始され、1911年10月に竣工した橋で、日本駐朝鮮総統府鉄道局によって建てられました。鴨緑江断橋は鉄路橋で、全長944.2m、幅11mで、船の通行のため毎日定時に中央が90度回転する廻旋橋でした。この橋の完成により、安奉(丹東ー瀋陽)線が朝鮮鉄路と繋がり、中国東北地方と朝鮮半島がひとつの運輸ラインで繋がりました。1943年に100m上流に新しい橋(現:中朝友誼橋)が建設されると、鴨緑江断橋は公路橋となり、橋の中央は車道、その両脇は歩道として使われるようになりました。しかしながら、1950年11月、朝鮮戦争中に、アメリカ軍による爆撃を受け、爆破されてしまい、通行不能となりました。
○ 中朝友誼橋
1937年4月に日本が安奉複線鉄路を修建した際、鴨緑江断橋の上流100mの地点に設計され、1943年4月より使用されるようになりました。橋の長さは946mで、列車を上下線をともに運行させることができる橋でした。日本はこの橋を中国資源運搬のメイン通路として利用しました。戦後は、橋は当時のソ連赤軍の管理下におかれましたが、1947年6月ソ連軍が朝鮮から撤退すると、橋は中国両国政府の共同管理となりました。1951年1月、複線鉄路は撤去され、自動車用の道路となり、鉄路、道路の2つの用途に使われるようになりました。
★★ 北朝鮮国境「丹東」旅行記 9/22-24 ★★
北朝鮮国境探訪1★瀋陽から丹東へ
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10608961/
北朝鮮国境探訪2★丹東★対岸の北朝鮮が見渡せる万里の長城最東端「虎山長城」〜虎山景区前半
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10609057/
北朝鮮国境探訪3★丹東★数m先は北朝鮮!「一歩跨」〜虎山景区後半
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10609349/
北朝鮮国境探訪4★北朝鮮領内を遊覧ボートで
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10609670/
北朝鮮国境探訪5★丹東★北朝鮮レストランに行ってみよう〜平壌高麗飯店
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10609905/
北朝鮮国境探訪6★丹東★鴨緑江沿いの夜景
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10609997/
北朝鮮国境探訪7★丹東★鴨緑江遊覧船から見た北朝鮮新義州
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10610355/
北朝鮮国境探訪8★丹東★朝鮮戦争の爪あと「鴨緑江断橋」と北朝鮮へと続く「中朝友誼橋」
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10611509/
北朝鮮国境探訪9★丹東★中国人志願兵たちが通った「河口断橋」
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10611801/
★★ 旅の日程 ★★
9/23 9C8877 上海浦東21:35→瀋陽23:50 (瀋陽泊)
9/24 瀋陽からレンタカーで丹東へ。(丹東泊)
9/25 レンタカーで丹東から瀋陽の空港へ。MU5604 瀋陽20:10→上海浦東22:25
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝ごはんを食べずに遊覧船に乗ったので、遊覧船から降りてカフェで朝食をとることにしました。
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サンドイッチを食べたかったのですが、この時間帯はまだケーキか飲み物しか注文できないということだったので、仕方なくケーキを朝ごはん代わりにすることにしました。
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テラスからは、鴨緑江が見えます。
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イチオシ
Hはチョコレートケーキを、私は抹茶チーズケーキを食べました。
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どこもかしこも、朝鮮製品でいっぱいです。
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この日は吉日だったのか、結婚式の派手派手デコレーションがありました。
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それでは、今は観光地となっている鴨緑江断橋へ。入場料は20元でした。
階段を上っていくと、いきなりこんなものが。朝鮮戦争の際に使用されたもののようです。中国人家族が写真を撮ってました。 -
○ 砲楼
1928年夏、日本によって建てられたもの。地下室を含めた高さ11m、直径6m、5階建て。 -
朝鮮戦争関連モニュメント。
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イチオシ
中国の志願軍です。
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1950年10月19日、中国の志願軍が秘密裏に北朝鮮に進入し、国連軍への攻撃を徐々にスタートさせていきました。
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隣に見えるのは中朝友誼橋。今も中国の丹東と北朝鮮の新義州をつなぐ橋です。
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右が鴨緑江断橋、左が中朝友誼橋です。
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イチオシ
それでは、鴨緑江断橋を歩きます。
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鴨緑江断橋は日本駐朝鮮総督府鉄路局によって建てられた廻旋橋です。鴨緑江には日本統治時代にいくつか橋がかけられましたが、この橋が一番最初にかけられた橋でした。
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隣の中朝友誼橋の方を見たら、線路を歩いている人の姿が見えました。歩いて北朝鮮まで行くのでしょうか。
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廻旋橋として使われていた名残り。
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階段で下におりました。
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イチオシ
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隣の中朝友誼橋は北朝鮮へと続いていますが、
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鴨緑江断橋はこのように爆撃を受けて、通行が不可能になりました。中国側のみ修復され、ここまでは歩いてくることができます。
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鉄がぐにゃっと曲がっています。
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以前の写真とともに鴨緑江断橋の歴史が紹介されていました。
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1905年7月、日本は中国・朝鮮国境を流れる鴨緑江に鉄路橋をかけることを決定しました。翌年9月、日本の植民機構である駐朝鮮総督府鉄路局が橋の設計プランと予算案を提出し、「開閉梁」式の鉄路橋が建てられることが決定しました。
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1909年8月、日本が朝鮮新義州で基礎工事を開始しました。中国側については、清政府と交渉を重ねました。1910年4月、朝鮮側の工事が半分以上終わり、日本からの圧力もあって、清政府は中国側の橋の建設を承諾し、同年5月より安東(当時の丹東)で工事が始まりました。
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1911年10月に橋が開通しました。単線の鉄路橋で、両側は歩行者用の歩道として使われました。
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朝鮮戦争の際には、中国志願軍が橋を渡り朝鮮へと出兵していきました。
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1950年11月8日午前9時、アメリカ軍が100機余りものB-29戦闘機で鴨緑江大橋を砲撃し、橋の一部が河に崩れて行きました。
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1950年11月14日、アメリカ軍による再度の砲撃で、朝鮮側の部分が破壊され、橋としての機能を果たせなくなりました。
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1958年、中国人民志願軍が朝鮮から凱旋しました。写真は鴨緑江大橋のたもとにあった「凱旋門」前で撮られたものです。志願軍が安東(現在の丹東)市民に迎えられています。
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朝鮮戦争休戦後、朝鮮側は橋の残骸を撤去し、中国側はそのまま橋が50年ほど放置されました。この50年の間、橋は市民が近づくことのできない場所だったそうです。
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中朝友誼橋の手前にある中国税関。
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