2011/09/27 - 2011/09/27
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天王寺七坂(てんのうじななさか)は、上町台地の夕陽丘地区にある7つの坂の総称北から真言坂(しんごんざか) 、源聖寺坂(げんしょうじざか)、口縄坂(くちなわざか)、愛染坂(あいぜんざか)、清水坂(きよみずざか) 、天神坂(てんじんざか)、逢坂(おうさか)。
源聖寺坂(げんしょうじざか)は坂の上り口北側に源聖寺があることに由来し、石段を上りきった場所に昭和末期までコンニャク好きの狸を祀る「源九郎稲荷」があったとのこと。
口縄坂(くちなわざか)は、「大阪みどりの百選」に選定されている坂。「口縄」とは大阪言葉で「蛇」のことで起伏が蛇に似ていることから呼ばれるようになったとされており織田作之助の文学碑に『木の都』の一節が刻まれている。
愛染坂(あいぜんざか)は愛染かつらで有名な「勝鬘院愛染堂」が坂を上ったところにあることから名づけられた。「勝鬘院愛染堂」は愛染さんと親しまれる四天王寺の別院の一つで金堂に愛染明王が祀られている。本堂の奥の大阪最古の建物である多宝搭は、593年に聖徳太子の創建で1593年に豊臣秀吉が再建をした。高さ22メートルで三手先造り、本瓦葺き、極彩色。境内には縁結びの霊木として、愛染かつらの木が祀られている。樹齢、数百年といわれ大阪大空襲で表面が焼けたのだが生き残り、それにかずらが絡みつき一体となった姿が男女の寄り添う姿に似ていることから、縁結びの霊木「愛染かつら」として祀られるようになったとのこと。 「愛染かつら」は昭和10年代に田中絹代と上原謙が、昭和20年代には京マチ子と鶴田浩二、昭和30年代には岡田茉莉子と吉田輝男といった美男美女俳優が主演を務めた恋愛映画。
大江神社(おおえじんじゃ)は四天王寺の鎮守である四天王寺七宮のひとつで勝鬘院(愛染さん)に隣接している。かつては夕陽の名所だったことから、境内には「夕陽岡」の碑があり、歌人・藤原家隆が晩年を過ごした「夕陽庵」もこの辺りにあったとされている。
藤原 家隆(ふじわら の いえたか、1158−1237年)は、鎌倉時代初期の歌人で『新古今和歌集』の撰者の一人。
1237年、79歳で出家し摂津国四天王寺に入り、夕陽丘より見える「ちぬの海(大阪湾)」に沈む夕日を好み、その彼方にある極楽へいくことを望んだ。現在の大阪市天王寺区夕陽丘町に家隆塚(伝藤原家隆墓)がある。藤原家隆は和歌を藤原俊成に学び『六百番歌合』『正治百首』などに参加して同時代の藤原定家と並び称される歌人と評価された。
後鳥羽上皇の和歌の師であったといわれ、後鳥羽院が承久の乱で隠岐に流された後も遠所から和歌を送ったりしており、生涯に詠んだ歌は六万首もあったと言われている。天王寺七坂(てんのうじななさか)周辺は夕日の美しさで知られるが、歴史文化遺産が多い場所でもある。
(写真は口縄坂)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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源聖寺坂(げんしょうじざか)の光景。
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源聖寺坂(げんしょうじざか)の説明。坂の上り口北側に源聖寺があることに由来し、石段を上りきった場所に昭和末期までコンニャク好きの狸を祀る「源九郎稲荷」があったとのこと。
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源聖寺坂(げんしょうじざか)前の寺院。
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源聖寺坂(げんしょうじざか)周辺の寺院の光景。
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源聖寺坂(げんしょうじざか)周辺の寺院の光景。
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上町台地の夕陽丘地区にある大阪夕陽丘学園高校。
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上町台地の夕陽丘地区にある大阪夕陽丘学園高校。
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上町台地の夕陽丘地区周辺の案内。
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夕陽丘周辺の街並み。
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口縄坂(くちなわざか)の説明。口縄坂は、「大阪みどりの百選」に選定されている坂。「口縄」とは大阪言葉で「蛇」のことで起伏が蛇に似ていることから呼ばれるようになったとされており織田作之助の文学碑に『木の都』の一節が刻まれている。
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口縄坂(くちなわざか)の光景。
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口縄坂(くちなわざか)周辺の案内。
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口縄坂(くちなわざか)にある織田作之助の文学碑。『木の都』の一節が刻まれている。
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伊達、陸奥家墓所跡の碑周辺。
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伊達、陸奥家墓所跡の説明。
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藤原 家隆(ふじわら の いえたか、1158−1237年)の墓と伝わる塚の案内。
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藤原 家隆(ふじわら の いえたか、1158−1237年)の墓と伝わる塚周辺の光景。
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藤原 家隆(ふじわら の いえたか、1158−1237年)の墓と伝わる塚の説明。
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藤原 家隆(ふじわら の いえたか、1158−1237年)の墓と伝わる塚周辺の光景。
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大阪市天王寺区夕陽丘町にある藤原 家隆(ふじわら の いえたか、1158−1237年)の墓と伝わる塚。藤原 家隆は、鎌倉時代初期の歌人で『新古今和歌集』の撰者の一人。
1237年、79歳で出家し摂津国四天王寺に入り、夕陽丘より見える「ちぬの海(大阪湾)」に沈む夕日を好み、その彼方にある極楽へいくことを望んだ。藤原家隆は和歌を藤原俊成に学び『六百番歌合』『正治百首』などに参加して同時代の藤原定家と並び称される歌人と評価された。
後鳥羽上皇の和歌の師であったといわれ、後鳥羽院が承久の乱で隠岐に流された後も遠所から和歌を送ったりしており、生涯に詠んだ歌は六万首もあったと言われている。 -
藤原 家隆(ふじわら の いえたか、1158−1237年)の墓前にある塚周辺の案内。
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「勝鬘院愛染堂」山門周辺の光景。
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「勝鬘院愛染堂」の金堂。愛染明王が祀られている。
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「勝鬘院愛染堂」山門周辺の光景。
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「勝鬘院愛染堂」境内にあるは縁結びの霊木・愛染かつらの木の説明。
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「勝鬘院愛染堂」境内にあるは縁結びの霊木・愛染かつらの木。樹齢、数百年といわれ大阪大空襲で表面が焼けたのだが生き残り、それにかずらが絡みつき一体となった姿が男女の寄り添う姿に似ていることから、縁結びの霊木「愛染かつら」として祀られるようになったとのこと。 「愛染かつら」は昭和10年代に田中絹代と上原謙が、昭和20年代には京マチ子と鶴田浩二、昭和30年代には岡田茉莉子と吉田輝男といった美男美女俳優が主演を務めた恋愛映画。
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「勝鬘院愛染堂」の多宝搭。593年に聖徳太子の創建で1593年に豊臣秀吉が再建をした。高さ22メートルで三手先造り、本瓦葺き、極彩色。
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本堂の奥の大阪最古の建物である多宝搭の説明。593年に聖徳太子の創建で1593年に豊臣秀吉が再建をした。高さ22メートルで三手先造り、本瓦葺き、極彩色。
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大江神社(おおえじんじゃ)。四天王寺の鎮守である四天王寺七宮のひとつで勝鬘院(愛染さん)に隣接している。かつては夕陽の名所だったことから、境内には「夕陽岡」の碑があり、歌人・藤原家隆が晩年を過ごした「夕陽庵」もこの辺りにあったとされている。
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大江神社(おおえじんじゃ)境内の光景。
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大江神社(おおえじんじゃ)境内の光景。
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愛染坂(あいぜんざか)の説明。愛染かつらで有名な「勝鬘院愛染堂」が坂を上ったところにあることから名づけられた。
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愛染坂(あいぜんざか)の光景。
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大江神社(おおえじんじゃ)境内の光景。
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大江神社(おおえじんじゃ)境内の光景。かつては夕陽の名所だったことから、境内にある「夕陽岡」の碑。歌人・藤原家隆が晩年を過ごした「夕陽庵」もこの辺りにあったとされている。
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大江神社(おおえじんじゃ)境内の光景。
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