ミナミ(難波・天王寺)旅行記(ブログ) 一覧に戻る
円珠庵(えんじゅあん) は大阪市天王寺区空清町にある真言宗御室派の寺院で1681年、百姓太郎左衛門が契沖(けいちゅう、1640−1701年)に帰依して所有地を寄付したのが始まりとのこと。契沖は、大坂今里の妙法寺で学び高野山で阿闍梨の位を得、大坂生玉(いくたま)の曼陀羅院の住持となったが俗務を嫌い畿内を遍歴しながら仏典、漢籍や日本の古典を研究した。1678年に妙法寺住持分となった後、晩年は円珠庵で過ごした。<br />『万葉集』の正しい解釈を研究中、主流だった定家仮名遣の矛盾に気づき、歴史的に正しい仮名遣いの例を『万葉集』、『日本書紀』、『古事記』、『源氏物語』などの古典から拾い分類した『和字正濫抄』を著した。これに準拠した表記法は「契沖仮名遣」と呼ばれ、後世の歴史的仮名遣の成立に大きな影響を与えた。<br />1701年に契沖は円珠庵で亡くなり墓所は境内にあり、毎年1月25日の契沖忌のみ墓参できるとのこと。 <br />鎌八幡(かまはちまん)は元和の大坂攻めの時、真田幸村がこの八幡宮に必勝を祈願したあと、傍らの榎に鎌を打込んで武人の決意を表して以来、祈る者は鎌を打ち込むことが慣例となったそうだ。 <br />近松門左衛門は1653年の生まれで本名は杉森信盛、元禄年間を中心として、貞享〜享保と約40年間にわたり劇作家として活躍し、1724年(享保9年)に72歳で没した。<br />近松は、竹本義太夫や2代目義太夫のために100作を越える浄瑠璃を著し、坂田藤十郎のために20数作の歌舞伎狂言を著している。<br />  「曽根崎心中」「心中天網島」「女殺油地獄」などの世話物に代表される作品に描かれる人間の姿は今日に通ずる所も多く、伝統芸能や演劇、映画などの中で再創造され、たくさんの人に感動を与え続けている。<br />近松門左衛門の墓は、当初近くの法妙寺境内にあったが法妙寺は大東市へ移転し、墓だけ現在地に残っていた。1980年に整備が図られ、国の指定史跡となっている。また、近松門左衛門の墓は兵庫県尼崎市久々地の「広済寺」にもある。<br />(写真は円珠庵)<br />

日本の旅 関西を歩く 大阪市天王寺区の円珠庵(えんじゅあん)周辺

14いいね!

2011/09/27 - 2011/09/27

1623位(同エリア3837件中)

0

29

さすらいおじさん

さすらいおじさんさん

円珠庵(えんじゅあん) は大阪市天王寺区空清町にある真言宗御室派の寺院で1681年、百姓太郎左衛門が契沖(けいちゅう、1640−1701年)に帰依して所有地を寄付したのが始まりとのこと。契沖は、大坂今里の妙法寺で学び高野山で阿闍梨の位を得、大坂生玉(いくたま)の曼陀羅院の住持となったが俗務を嫌い畿内を遍歴しながら仏典、漢籍や日本の古典を研究した。1678年に妙法寺住持分となった後、晩年は円珠庵で過ごした。
『万葉集』の正しい解釈を研究中、主流だった定家仮名遣の矛盾に気づき、歴史的に正しい仮名遣いの例を『万葉集』、『日本書紀』、『古事記』、『源氏物語』などの古典から拾い分類した『和字正濫抄』を著した。これに準拠した表記法は「契沖仮名遣」と呼ばれ、後世の歴史的仮名遣の成立に大きな影響を与えた。
1701年に契沖は円珠庵で亡くなり墓所は境内にあり、毎年1月25日の契沖忌のみ墓参できるとのこと。
鎌八幡(かまはちまん)は元和の大坂攻めの時、真田幸村がこの八幡宮に必勝を祈願したあと、傍らの榎に鎌を打込んで武人の決意を表して以来、祈る者は鎌を打ち込むことが慣例となったそうだ。
近松門左衛門は1653年の生まれで本名は杉森信盛、元禄年間を中心として、貞享〜享保と約40年間にわたり劇作家として活躍し、1724年(享保9年)に72歳で没した。
近松は、竹本義太夫や2代目義太夫のために100作を越える浄瑠璃を著し、坂田藤十郎のために20数作の歌舞伎狂言を著している。
  「曽根崎心中」「心中天網島」「女殺油地獄」などの世話物に代表される作品に描かれる人間の姿は今日に通ずる所も多く、伝統芸能や演劇、映画などの中で再創造され、たくさんの人に感動を与え続けている。
近松門左衛門の墓は、当初近くの法妙寺境内にあったが法妙寺は大東市へ移転し、墓だけ現在地に残っていた。1980年に整備が図られ、国の指定史跡となっている。また、近松門左衛門の墓は兵庫県尼崎市久々地の「広済寺」にもある。
(写真は円珠庵)

交通手段
私鉄 徒歩
  • 円珠庵(えんじゅあん)前の案内碑。

    円珠庵(えんじゅあん)前の案内碑。

  • 円珠庵(えんじゅあん)近くの大阪女学院周辺の光景。

    円珠庵(えんじゅあん)近くの大阪女学院周辺の光景。

  • 円珠庵(えんじゅあん)前の案内碑。

    円珠庵(えんじゅあん)前の案内碑。

  • 円珠庵(えんじゅあん)近くの大阪女学院周辺の街並み。

    円珠庵(えんじゅあん)近くの大阪女学院周辺の街並み。

  • 円珠庵(えんじゅあん)前の光景。

    円珠庵(えんじゅあん)前の光景。

  • 円珠庵(えんじゅあん)近くの大阪女学院周辺の街並み。

    円珠庵(えんじゅあん)近くの大阪女学院周辺の街並み。

  • 円珠庵(えんじゅあん)周辺の案内。

    円珠庵(えんじゅあん)周辺の案内。

  • 円珠庵(えんじゅあん)近くの大阪女学院周辺の街並み。

    円珠庵(えんじゅあん)近くの大阪女学院周辺の街並み。

  • 円珠庵(えんじゅあん)前の光景。

    円珠庵(えんじゅあん)前の光景。

  • 円珠庵(えんじゅあん)近くの大阪女学院周辺の街並み。

    円珠庵(えんじゅあん)近くの大阪女学院周辺の街並み。

  • 円珠庵(えんじゅあん)近くの明星高校周辺の光景。

    円珠庵(えんじゅあん)近くの明星高校周辺の光景。

  • 円珠庵(えんじゅあん)近くの明星高校周辺の光景。

    円珠庵(えんじゅあん)近くの明星高校周辺の光景。

  • 円珠庵(えんじゅあん)近くの明星高校周辺の光景。

    円珠庵(えんじゅあん)近くの明星高校周辺の光景。

  • 円珠庵(えんじゅあん)に近い空清町公園の光景。

    円珠庵(えんじゅあん)に近い空清町公園の光景。

  • 円珠庵(えんじゅあん)に近い空清町公園の光景。

    円珠庵(えんじゅあん)に近い空清町公園の光景。

  • 円珠庵(えんじゅあん)に近い空清町公園の光景。

    円珠庵(えんじゅあん)に近い空清町公園の光景。

  • 円珠庵(えんじゅあん)に近い空清町公園の光景。

    円珠庵(えんじゅあん)に近い空清町公園の光景。

  • 浪華仮病院(なにわかりびょういん)跡の碑。<br /> 明治元年の布告によると、大阪に本格的な医学専門教育学校と病院建設を計画し、学校は舎密(せいみ)局が発足したが、病院は財政難で明治2年ようやく大福寺で仮病院として開業した。院長は緒方惟準(洪庵二男)、主席教授はオランダ人ボードウィンで、医学教育にもあたった。ここにあったのは半年だったが、これが大阪大学医学部へと発展した。<br />

    浪華仮病院(なにわかりびょういん)跡の碑。
     明治元年の布告によると、大阪に本格的な医学専門教育学校と病院建設を計画し、学校は舎密(せいみ)局が発足したが、病院は財政難で明治2年ようやく大福寺で仮病院として開業した。院長は緒方惟準(洪庵二男)、主席教授はオランダ人ボードウィンで、医学教育にもあたった。ここにあったのは半年だったが、これが大阪大学医学部へと発展した。

  • 大福寺内の浪華仮病院(なにわかりびょういん)跡の碑。<br />

    大福寺内の浪華仮病院(なにわかりびょういん)跡の碑。

  • 大福寺内の浪華仮病院(なにわかりびょういん)跡の碑。<br />

    大福寺内の浪華仮病院(なにわかりびょういん)跡の碑。

  • 大福寺内の光景。<br />

    大福寺内の光景。

  • 近松門左衛門の墓の入り口周辺の光景。

    近松門左衛門の墓の入り口周辺の光景。

  • 近松門左衛門の墓の入り口。

    近松門左衛門の墓の入り口。

  • 近松門左衛門の墓。

    近松門左衛門の墓。

  • 近松門左衛門の墓の説明。

    近松門左衛門の墓の説明。

  • 近松門左衛門の墓の入り口周辺の光景。

    近松門左衛門の墓の入り口周辺の光景。

  • 近松門左衛門の墓。近松門左衛門は1653年の生まれで本名は杉森信盛、元禄年間を中心として、貞享〜享保と約40年間にわたり劇作家として活躍し、1724年(享保9年)に72歳で没した。<br />近松は、竹本義太夫や2代目義太夫のために100作を越える浄瑠璃を著し、坂田藤十郎のために20数作の歌舞伎狂言を著している。<br />  「曽根崎心中」「心中天網島」「女殺油地獄」などの世話物に代表される作品に描かれる人間の姿は今日に通ずる所も多く、伝統芸能や演劇、映画などの中で再創造され、たくさんの人に感動を与え続けている。<br />近松門左衛門の墓は、当初近くの法妙寺境内にあったが法妙寺は大東市へ移転し、墓だけ現在地に残っていた。1980年に整備が図られ、国の指定史跡となっている。また、近松門左衛門の墓は兵庫県尼崎市久々地の「広済寺」にもある。<br />

    近松門左衛門の墓。近松門左衛門は1653年の生まれで本名は杉森信盛、元禄年間を中心として、貞享〜享保と約40年間にわたり劇作家として活躍し、1724年(享保9年)に72歳で没した。
    近松は、竹本義太夫や2代目義太夫のために100作を越える浄瑠璃を著し、坂田藤十郎のために20数作の歌舞伎狂言を著している。
      「曽根崎心中」「心中天網島」「女殺油地獄」などの世話物に代表される作品に描かれる人間の姿は今日に通ずる所も多く、伝統芸能や演劇、映画などの中で再創造され、たくさんの人に感動を与え続けている。
    近松門左衛門の墓は、当初近くの法妙寺境内にあったが法妙寺は大東市へ移転し、墓だけ現在地に残っていた。1980年に整備が図られ、国の指定史跡となっている。また、近松門左衛門の墓は兵庫県尼崎市久々地の「広済寺」にもある。

  • 近松門左衛門の墓の説明。

    近松門左衛門の墓の説明。

  • 近松門左衛門の墓近くの光景。

    近松門左衛門の墓近くの光景。

この旅行記のタグ

14いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP