2011/08/09 - 2011/08/09
792位(同エリア1416件中)
滝山氏照さん
千葉県庁北東部の長手状台地に位置する千葉城(ちばじょう、千葉県千葉市中央区亥鼻町)を訪問しました。当該城は別名「亥鼻城」と称する坂東八平氏の一つに数えられる千葉氏は下総の豪族で、南北朝時代の守護大名から戦国大名となった一族です。
本千葉駅から徒歩約15分で到着、歴史の経緯にそぐわない立派な模擬天守がすぐ視野にはいります。道路を登りきり、左折すると県文化会館、右折すると猪鼻公園と別れますが公園の一角に市立郷土博物館があります。
実はこの天守風の建物内部が博物館となっています。入場料大人60円と信じられない料金設定です。内部は下総の雄、千葉氏に関する像・資料・絵巻などが展示されており鎌倉時代を全盛期とする約300年に亘る興亡が描かれています。
千葉氏は桓武天皇の血を引く由緒ある家系で大治元年(1126)、新たに手がけることとなった下総国最大の荘園である千葉荘の掌握と開発を目的として平常重(たいら・つねしげ、1083~1180)の代に上総国大椎城から当地に拠点を移し千葉城を築城し、これを機に千葉姓を名乗ります。
治承4年(1180)伊豆配流の源頼朝が平氏打倒の為挙兵しますが多勢に無勢で石橋山合戦で敗北、安房国に脱出したところを常重の子、常胤(つねたね、1118~1201)がいち早く味方する意向を示し、これを機に頼朝の反撃が始まります。
ついに頼朝による鎌倉幕府が成立しますが、この政権樹立の前後に大きく貢献した常胤は源平合戦や奥州合戦の功績と共に上総広常誅殺後の上総所領を継承、安房を除く房総全域に加えて北九州(佐賀)、奥州など全国に20数カ所といわれる広大な所領を獲得し、鎌倉幕府屈指の大豪族となり全盛期を迎えます。
康正元年(1455)、前年から燻っていた古河公方と堀越公方の対決による争い(享禄の乱)から千葉氏も内紛が勃発、ついに古河公方側に立った庶流の馬加康胤(まくわり・やすたね、1398~1456)らによって攻撃を受け千葉城は落城、当主千葉胤直(たねなお、1419~1455)と胤宣(たねのぶ、1445~1455)父子は自害し千葉氏嫡流は滅亡、続いて宗家を継いだ千葉孝胤(ちば・のりたね、1459?~1521)は本佐倉城へ移転したため千葉城は廃城となります。
当城の周辺は文化会館、中央図書館及び千葉大学など公的施設が配置されその外側も県庁や裁判所等の官公庁が並び市街化が進んでいますが、模擬天守閣の北側には土塁の一部が又東側には急涯も見られ僅かながらも往時の雰囲気が感じられました。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
-
千葉城・模擬天守
鎌倉・南北朝時代にはこのような天守は存在せずあくまでも近世天守を模した建物でなんとなく違和感を抱きます。 -
猪鼻(いのはな)公園入口
右折すると猪鼻公園に入ります。 -
イチオシ
千葉城・模擬天守
往時にそぐわないとは言え5階建ての立派な建物です。展望室に登れなかったのは残念です。 -
郷土博物館への通路
城跡の雰囲気が漂っています。 -
郷土博物館入口
平日なのか見学者は少ないようです。 -
イチオシ
騎馬姿の千葉常胤像
空に向けて矢を放つ千葉常胤の雄姿は見事です。 -
千葉介常胤像
「質実剛健」を唱える坂東武者の典型だったそうです。 -
公園広場
公園化する際往時の土塁や堀が破壊されたようです。 -
土塁の一部
市街化されている中、よくぞ残ってました。(但しいつの時代のものか不定です) -
急涯下の人家
樹木のすぐ下に人家が見えます。 -
猪鼻公園からの石段
幹線道路に繋がり交通利便性は高いです。 -
市街地図
猪鼻公園周辺住所は「猪鼻町」とあります。 -
猪鼻城天守遠望
本千葉駅プラットホームから猪鼻城がしっかり捕らえることができます。
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