2001/07/02 - 2001/08/07
2420位(同エリア4527件中)
ryoさん
ウィーン観光を一通り終えて、次はどこ行こう‥。
ザルツブルク‥モーツァルト‥う~ん。
クラシックは一切興味ないんだよねぇ~。
じゃあ上に行ってチェコ?
おっ、ミュシャってあんまり観たことないかも。観てみよ~♪
って感じでいつも行き先を決めて移動してましたねぇぇ。
基本ノープラン!
チェコはビールがうまかったなぁ。
私はドイツのビールより好きかも♪
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プラハ旧市庁舎。
現在の建物は第二次世界大戦で破壊された後修復されたものだが、もともと市庁舎として建設されたものではなく、もとからあった建物を増改築したり、隣接する家を買い取って出来たもの。 -
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イチオシ
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天文時計。
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イチオシ
旧市街広場。
11世紀頃、ドイツやフランスなどとの商業的関係の発展に伴って、教会や商人の住居が建てられた。
ゴシック、バロック、ルネサンスなど、時代の異なる建築様式が混在している。 -
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広場に建つ像は、チェコの英雄ヤン・フス。
ヤン・フスは15世紀チェコの宗教改革の先駆者で、本職はカレル大学の総長だったが、プラハのベツレム礼拝堂で説教師も務めていた。しかし敬虔なキリスト教徒だったフスは、ローマ教会の堕落を激しく批判し、教皇と教会の権威を否定したため、異端とされて、1415年に火あぶりの刑に処された。彼の死はチェコの民衆に衝撃を与え、信奉者たちはフス派を名乗って立ち上がり、カトリック教会と激しく戦うことになった。 -
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ティーン教会。
旧市街広場の東側に建つ美しいゴシック様式の教会。
1135年に創建され、現在の姿は1365年に改築されたもの。15世紀前半には、フス派の本拠地として機能していた。 -
聖ミクラーシュ教会。
ティーン教会の対角に建つ白壁のバロック様式のファサードが荘厳な雰囲気を持つ教会。
この教会も長年にわたって何度も建て直しや改修が行われ、現在の姿になったのは18世紀初頭。 -
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カフカの生家。
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火薬塔。
もともとは1475年に建てられた、旧市街を守っていた城壁の門の一つだった。17世紀に火薬倉庫として利用されていたのでこの名で呼ばれるようになった。
18世紀半ばに戦災で大きな被害を受け、19世紀後半に修復されて現在の姿になった。 -
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黒い聖母の家。
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火薬塔の隣にある、豪華な装飾が施された建物。
この場所にはかつて歴代の王の宮廷があったが、17世紀後半の火災で焼失し、1911年に現在の市民会館が完成した。
ヨーロッパの町を歩いていると、何が新しくて何が古いのか分からなくなってくる。1900年代の建物って聞くととても最近のなんだなぁ‥って思ってしまう。100年は経っているのに。 -
イチオシ
アールヌーヴォーの装飾がとても美しい♪
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ユダヤ人地区。
ユダヤ人たちは門などによって他と隔離されたゲットーに密集して住み、キリスト教徒による迫害を受けていたが、18世紀後半にヨゼフ2世によって差別は多少緩和され、19世紀半ばにこの地区は正式にプラハの一部として認められた。それまで迷路のような細い道や抜け道、不衛生な建物で構成されていた町並みは取り壊され、現在のような町並みに整備されたが、ユダヤ人にとって大切なシナゴーグやユダヤ人墓地などはそのままの形で残された。
ユダヤ人といえば苦難の歴史がつきもので、1389年にはプラハでも大きな反ユダヤ人の暴動が起こった。
また、第二次世界大戦中にはナチスドイツに占領された後、占領下の各国からユダヤ人がこの地区に集められ、さらに強制収容所へと送られた。このユダヤ人地区で戦後に生き残ったのはわずか2500人ほどだったという。 -
スペインシナゴーグ。
プラハで最初に建てられたシナゴーグが取り壊された跡地に1868年に建て直されたもの。
スペインのアルハンブラ宮殿に外観が似ていることからこの呼び名がつけられた。 -
旧新シナゴーグ。
1270年頃に建てられたヨーロッパ最古のシナゴーグ。
1389年に起こった暴動で殺されたユダヤ人の血痕を残すため、内部の壁は建設当時のまま塗り替えられたことがないという。
“旧新”てどういう意味かな‥? -
儀式の家。
旧ユダヤ人墓地の近くにある1912年に建てられた建物で、儀式のためにホールであり、死体置き場としても使われていた。 -
ヴァーツラフ広場。
1968年に旧チェコスロヴァキアで起こった政治改革を総称して“プラハの春”という。
1960年に入ってチェコスロヴァキアではそれまでの共産党支配のスターリン型政治経済体制への批判が表面化し、より自由な社会を目指す気運が高まったが、旧ソ連をはじめとする旧東欧諸国はこの改革運動を批判し、1968年8月21日に軍事介入を決行した。旧ソ連軍がヴァーツラフ広場に戦車を乗り入れて占拠し、それに抗議した学生のヤン・パラフは1969年1月にこの広場の聖ヴァーツラフ騎馬像の前で焼身自殺を図った。
その事件から20年後の1989年、100万人にのぼるプラハ市民がこの広場に集まり、無血の民主化を果たした。革命的な大きな事件の舞台となり続けたこの広場には、苦難の歴史を背負ったチェコ人の魂が刻み込まれている。 -
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プラハ城。
9世紀半ばに建築が始まった歴代王の居城。
城壁に囲まれた広大な敷地内には旧王宮、宮殿、教会、修道院などが建ち、建物の一部を利用した博物館や美術館もある。 -
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イチオシ
黄金小路。
1597年にできたもので、城内で仕える召使などが住んでいた場所。やがてその一角に錬金術師たちが住むようになったためこの名前で呼ばれた。
現在はおみやげ屋さんなど、かわいらしいショップが並んでいて楽しい♪ -
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聖イジー教会。
現存する城内最古の教会。 -
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イチオシ
聖ヴィート大聖堂。
930年にロマネスク様式のシンプルな形で建てられ、1344年に現在のようなゴシック様式の建物への大改築工事が着手されたが、なかなか工事は進まず、20世紀に入ってようやく完成した。 -
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イチオシ
中も外もとっても見どころが多い教会!!
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イチオシ
内部のステンドグラスも美しく、ミュシャの作品もある。
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イチオシ
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イチオシ
プラハの町が一望できる♪
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旧王宮。
16世紀まで歴代の王宮として使われていた。
縦62m、横16m、高さ13mのヴラディスラフホールは、完成当時ヨーロッパ最大のホールだった。 -
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ホールの奥には全聖人礼拝堂がある。
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聖ミクラーシュ教会。
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カレル橋。
ヴァルタヴァ川に架かるプラハ最古の石橋。
12世紀の初め、現在よりも少し上流に木造の橋が架けられていたが、12世紀半ばの洪水で流され、新しい石橋が建造された。これはドイツのレーゲンスブルクに続くヨーロッパで二つめの石橋で、ユディタ橋と名付けられ、交通の要衡として利用されていたが、1342年の洪水で流された。その後カレル4世の命によって1357年に新しい橋が着工され、60年近くかけて現在見られるゴシック様式の全長約520m、幅約10mの大きな橋が完成した。 -
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イチオシ
橋の左右の欄干には15体ずつの聖人像が並び、これらは聖書を題材にしたり、歴史的な聖人やチェコの英雄をモデルとしている。
17〜19世紀にかけて加えられたものなので、彫像はバロック様式のものが多い。 -
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1683年に制作された聖ヤン・ネポムツキー像は最も古く、唯一のブロンズ像。
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クレメンティヌム。
カレル橋のたもとにあるクレメンティヌムは、強大化するフス派に恐れをなしたフェルディナント1世が、対抗する宗教勢力としてカトリックのイエズス会をプラハに招き、1556年に修道院を建設したのが始まり。ハプスブルク家の手厚い保護もあって、約2ヘクタールもの敷地に3つの教会、礼拝堂、図書館、天文台などが次々と建設され、プラハ城に次ぐ巨大な複合建築となった。1601年にはプラハで最初のイエズス会の教会である聖サルヴァートル教会が建てられた。 -
サルヴァートル教会。
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カレル通り。
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マリオネット劇場。
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おしゃれなお店が並ぶ通り♪
看板もカワイイ! -
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ミュシャ美術館。
チェコ出身の、アールヌーヴォーを代表する画家、アルフォンス・ミュシャ(1860〜1939)はパリやアメリカで華々しく活躍した後、1910年にチェコに戻ってきてからもポスターなど多くの作品を手掛けた。
1998年に、ミュシャの家族によって保管され、一般公開されていなかった作品を鑑賞することができる美術館が開館された。 -
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