2001/07/02 - 2001/08/07
2175位(同エリア3084件中)
ryoさん
ニュージーランドから戻ってからしばらく、バイト→旅→バイト→旅
になってたけど、さすがにちゃんとしようかなと‥。
で、最後にどぉぉぉんと、行きたいとこに行ってきました。
メイン目的は大好きな絵画に出会う旅。
相変わらずの貧乏旅行のスタート。
オランダでは、レンブラント、フェルメール、ゴッホ。
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前々回、フランクフルトの空港が印象良かったから、今回もドイツ入り→ドイツ出にした。
それとこれ、もう一回見たかったから‥
ケルンの大聖堂。
ほんとにちょっとだけ寄り道して、すぐにアムステルダムへ。 -
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アムステルダム。
ダム広場。
アムステルダムのへそと呼ばれる町の中心広場。
13世紀頃、アムステル川の水をせき止めるダムがこの場所に建設され、それがアムステルダムの由来となった。
西側に新教会や王宮が立つ。
東側に立つ白い塔は1956年に建てられた第2次世界大戦の戦没者慰霊塔。 -
王宮。
1655年に市庁舎として建てられたが、フランス侵略時代の1808年にナポレオンの弟、ルイ・ボナパルトが王宮として接収した。 -
王宮の裏手から伸びるラードハウス通りに沿って、運河を次々越えて歩いて宿に向かう。
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南側には、オランダでは珍しいアール・ヌーヴォー建築のショッピングアーケードがある。
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西教会。
1631年に建てられたプロテスタント教会。
アムステルダムで最も高い85mの塔の上にはこの教会のシンボルでもあり、15世紀末にこの地方を支配していたオーストリア皇帝マキシミリアン1世を記念した王冠が輝く。
また、レンブラントは1669年にこの教会の共同墓地に葬られ、教会の中には「ここにレンブラント眠る」と書かれた盾がある。 -
塔からは、アンネ・フランクも聞いていたであろう鐘の音が鳴り響く。
西教会の裏手、運河沿いを少し行ったところに、アンネ・フランクの家がある。
中を見学したけど、本棚の後ろの階段とか、切り抜きがいっぱい貼ってある女の子らしいアンネの部屋とか、さっきまで使ってたような気持ちになって、悲しさと恐怖が伝わって、早く建物出たかった。
行きの飛行機の中で初めてアンネの日記を読んだので、なおさらリアルに実感できたのかも。 -
イチオシ
アムステルダム国立美術館。
1800年にデン・ハーグの宮殿、ハウステンボス内のギャラリーとしてオープンし、8年後にアムステルダムの王宮内へと移転された。
現在の建物が使われ始めたのは1885年。 -
美術館のみの目的として建てられたヨーロッパで最初の建物。
設計者は、アムステルダム中央駅と同じペトルス・カイパース。 -
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中でもイチバンの見どころは、やはりレンブラントの「夜警」。
作品としても大きさにしても、まったく溜息が出るくらいに素晴らしかった!
他にもレンブラントの肖像画や、フェルメールの「手紙を読む女」「デルフトの小路」‥そして「牛乳を注ぐ女」‥
がぁぁっ、
この「牛乳を注ぐ女」がな、なんと貸し出し中だった!
そんなこともあるんだねぇ‥そりゃ、あるよねぇぇ(泣)。 -
イチオシ
国立ゴッホ美術館。
ゴッホ「画架の前の自画像」
パリを発ってアルルへ行く直前に描いた自画像。
ゴッホの作品の中でも華やかな印象のあるこの作品は、アルルという新しい土地へ出発する前の高揚した希望の中で描かれた。 -
ゴッホ「花盛りの桃の木」
アルルの明るい光と色彩は一気にゴッホの画家としての芽を花開かせることになった。
そんなアルルに着いて間もない頃の作品で、たくさんの桃の木が自由に枝を広げ、生き生きと描かれている。
しかし、そんなアルルの光はゴッホの精神には強烈過ぎて、ゴッホの心は急速に蝕まれていった。 -
ゴッホ「日本趣味・花魁(英泉による)」
19世紀の後半、ロンドンやパリを中心に日本美術が強い関心の対象になった。このジャポニズムにおいて最も重要な役割を果たしたのが浮世絵だった。
オランダ時代に既に浮世絵に親しんでいたゴッホが本当の意味で浮世絵に熱中するのはパリに移ってからで、それはまず広重などの浮世絵の模写に始まり、「タンギー爺さんの肖像」のように画中画として浮世絵を画面背景として使用することで表れた。 -
ゴッホ「靴」
ゴッホ自身の、履き古してくたびれきった靴を描いた作品。
私はこの作品を中学校の美術の教科書で見て以来、なんとなく気になって、切り抜いてアイドルの写真と一緒にクリアケースに入れたりしていた。
ゴッホの作品という認識は全くなかったので、この美術館で運命的な出会いをしたと思った。「ん‥?!この靴!!」って想ったのを強烈に覚えている。
数ある作品の中ではそんなにインパクトのあるものではないらしく、立ち止まる人も少ない中、しばらくこの絵の前から離れたくなかった。 -
ゴッホ「黄色い家」
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ゴッホ「アルルの寝室」
「アルルの寝室」と題された作品は全部で3点あり、この作品が最も早く、1888年10月に描かれたとされる。
ゴッホがアルルに来て半年、ゴーギャンを迎える少し前という時期だった。 -
ゴッホ「花瓶の14本のひまわり」
ゴッホが画家として活動していた頃、画商であった弟のテオの経済的支援を受けていた。1890年7月の彼の死後は、テオが作品のほとんどを所蔵することとなったが、テオもまたゴッホの死のわずか6ヵ月後に後を追うように亡くなった。
現在では値も付けられないほどの作品を生みながら、なんで花開くのが死んだ後だったんだろう‥。本当に本当に悲劇の画家だ。
でも、それと同時にゴッホはデリケート過ぎたからしょーがないんだろうなって‥。やっぱりいつの世もハートが強い人が成功するんだろうな‥って、勝手な意見ですが。 -
アムステルダム市立近代美術館。
19世紀後半から現代までのモダンアートが展示された美術館。 -
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シャガール「7本指の自画像」
1912年の初めに移ったモンパルナスの集合アトリエで描いた作品。パリの町が見える部屋で、当時制作中だった「ロシアとロバとその他のものに」を仕上げている最中。 -
シャガール「バイオリニスト」
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ピカソ「魚の帽子をかぶった女の肖像」
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ピカソ「二つのあたま」
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ミュージアム広場。
大人は日光浴。
子供と犬は水浴び。 -
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アムステルダムは165本の運河と1292の橋をもつ水の都。
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旧教会。
アムステルダム最古の教会で、1566年に完成した。
レンブラントの妻サスキアが葬られている。 -
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内部の装飾は、宗教改革の際にほとんど破壊されてしまったが、ステンドグラスと18世紀のパイプオルガンは有名。
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マヘレの跳ね橋。
数ある跳ね橋の中でも最も有名な橋。
アムステルダムに残る二つの木造の跳ね橋の一つで、現在でも船が通るたびに開閉する。
オリジナルは1670年に建造されたが、その後何度か再建された。 -
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イチオシ
シンゲル運河沿いに並ぶ花のマーケット。
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アムステルダムを去る前に、ちらっと飾り窓周辺に行ってみた。
ホントにちらっと。
プリティ・ウーマンの前半のジュリア・ロバーツみたいなおねえさんたちが、マネキンみたいにショーウインドーに飾られてた。
ヘンなの‥って思ったけど、別になーんにも面白くなかった。 -
デン・ハーグ。
アムステルダムを後にして、フェルメールを観るためにちょっと寄り道。 -
ヘンな彫刻やオブジェが並ぶ、ランゲ・フォールハウト広場。
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ビネンホフの前のホフフェイファ池。
言いづらいっ(笑)。 -
13世紀から17世紀にかけて建てられた由緒ある建物が集まっていて、国会議事堂、総理府、外務省などが入っている。
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マウリッツハイス美術館。
フェルメール「デルフトの眺望」
「デルフトの小路」と同様、窓から眺めたデルフトの風景が描かれている。
フェルメールが洗礼を受けた新教会の塔は陽光の中にひときわ高くそびえ、フェルメールが眠る旧教会の塔は左の赤い屋根の上にかすかに先端をのぞかせている。 -
イチオシ
フェルメール「真珠の耳飾りの少女」
これこれっ。やっぱこれでしょ。名作!
この作品は大阪で行われた展覧会でも一度観たことがあった。
フェルメールの作品には珍しく、視線をはっきりとこちらに向けている作品。その目に吸い込まれる。
人生で二度こんな名画に出会うって、勝手にご縁を感じる一枚。 -
レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」
レンブラントの名前を一躍高めた作品で、テュルプ博士と外科医師たちの集団肖像画。
この種の肖像画はそれぞれの組合の応接間を飾るため、16世紀末からオランダで繰り返し描かれた。
集団肖像画は記念写真的な性格があり、モデルが列を成すというのが一般的だったため、レンブラントの作品は例外的だった。 -
レンブラント「自画像」
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