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JR八王子から中央線で小淵沢、ここから小梅線で終点小諸で下車、小諸城(こもろじょう、長野県小諸市丁)を訪問しました。<br /><br />小諸城の起源は平安時代から鎌倉時代にかけて木曽義仲の部将、小室太郎光兼が現城跡の東側に館として築いたのが始まりとされています。<br /><br />その後大井氏の支配となりますが、天文12年(1543)当地に侵攻した武田信玄により攻撃を受け落城、信玄は関東進出の経路として当地の重要性を深く認識しており、即座に軍師の山本勘助並びに重臣馬場信濃守信幸に命じて築城したそうですが資料的根拠はありません。<br /><br />天正10年(1582)武田氏が滅亡すると織田信長の部将滝川一益、徳川家康の部将松平源十郎康国が城主となりますがいずれも短命でありました。<br /><br />天正18年(1590)いわゆる豊臣秀吉による小田原征伐後に江戸入封した徳川家康の後には秀吉の命を受けて仙石秀久(せんごく・ひでひさ)が5万石で入封し二の丸・黒門・大手門を建て、その子忠政(ただまさ)が三の門・足柄門を建て現在の小諸城の姿を完成させました。<br /><br />徳川家康の時代になると甲府城主に封ぜられた徳川忠長所領の一部となり、以降も徳川譜代大名が引継ぎ、元禄15年(1702)牧野氏が入城し10代を経て大政奉還に至ります。<br /><br />明治13年に神社を祀り懐古園(かいこえん)と称するようになり、現在では史跡公園として小諸市が管理運営しています。<br /><br />地勢的には当城は浅間山麓に位置しておりまして、火山灰・軽石が堆積した台地上に築かれており、雨水により侵食を受けえぐられた深い谷を利用した堀を配置しています。同時に南西部には千曲川が近隣を流れており、丘と谷が巧みに入り込んだ要塞の地に築城されており自分としては極めて見ごたえのある城跡でした。

信濃小諸 千曲川河岸の崖を天然要害とした地に武田信玄の軍師山本勘助が築城したとされる『小諸城』訪問

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2011/07/24 - 2011/07/24

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR八王子から中央線で小淵沢、ここから小梅線で終点小諸で下車、小諸城(こもろじょう、長野県小諸市丁)を訪問しました。

小諸城の起源は平安時代から鎌倉時代にかけて木曽義仲の部将、小室太郎光兼が現城跡の東側に館として築いたのが始まりとされています。

その後大井氏の支配となりますが、天文12年(1543)当地に侵攻した武田信玄により攻撃を受け落城、信玄は関東進出の経路として当地の重要性を深く認識しており、即座に軍師の山本勘助並びに重臣馬場信濃守信幸に命じて築城したそうですが資料的根拠はありません。

天正10年(1582)武田氏が滅亡すると織田信長の部将滝川一益、徳川家康の部将松平源十郎康国が城主となりますがいずれも短命でありました。

天正18年(1590)いわゆる豊臣秀吉による小田原征伐後に江戸入封した徳川家康の後には秀吉の命を受けて仙石秀久(せんごく・ひでひさ)が5万石で入封し二の丸・黒門・大手門を建て、その子忠政(ただまさ)が三の門・足柄門を建て現在の小諸城の姿を完成させました。

徳川家康の時代になると甲府城主に封ぜられた徳川忠長所領の一部となり、以降も徳川譜代大名が引継ぎ、元禄15年(1702)牧野氏が入城し10代を経て大政奉還に至ります。

明治13年に神社を祀り懐古園(かいこえん)と称するようになり、現在では史跡公園として小諸市が管理運営しています。

地勢的には当城は浅間山麓に位置しておりまして、火山灰・軽石が堆積した台地上に築かれており、雨水により侵食を受けえぐられた深い谷を利用した堀を配置しています。同時に南西部には千曲川が近隣を流れており、丘と谷が巧みに入り込んだ要塞の地に築城されており自分としては極めて見ごたえのある城跡でした。

交通手段
JRローカル 徒歩
  • 7:48小淵沢駅発車<br /><br />小梅線にてディーゼル3輌編成での出発です。乗客は早朝でもあり閑散とした状況です。

    7:48小淵沢駅発車

    小梅線にてディーゼル3輌編成での出発です。乗客は早朝でもあり閑散とした状況です。

  • 野辺山駅<br /><br />JR線最高駅標高1345.67mの標柱が車窓から見えます。

    野辺山駅

    JR線最高駅標高1345.67mの標柱が車窓から見えます。

  • 車窓風景<br /><br />のんびりした車中からの遠景です。

    車窓風景

    のんびりした車中からの遠景です。

  • 小諸駅到着<br /><br />9:56小諸駅に到着、反対側ホームには新造のハイブリッド車両が今から小淵沢向けて発車するところです。

    小諸駅到着

    9:56小諸駅に到着、反対側ホームには新造のハイブリッド車両が今から小淵沢向けて発車するところです。

  • 小海線沿線案内板(小海線ホーム)<br /><br />沿線のスポーツ・ミュージアム・温泉を案内しています。

    小海線沿線案内板(小海線ホーム)

    沿線のスポーツ・ミュージアム・温泉を案内しています。

  • 小海線高原列車の旅看板(小海線ホーム)<br /><br />別名「八ヶ岳高原線」と呼ばれています。野辺山のほか清里もこの沿線です。

    小海線高原列車の旅看板(小海線ホーム)

    別名「八ヶ岳高原線」と呼ばれています。野辺山のほか清里もこの沿線です。

  • 小諸駅舎<br /><br />佐久平駅に長野新幹線が通ってから交通量に変化が出ているそうです。

    小諸駅舎

    佐久平駅に長野新幹線が通ってから交通量に変化が出ているそうです。

  • 小諸駅周辺案内図<br /><br />駅のすぐ南側に懐古園(かいこえん)が大きく表示されています。<br />(駅北口側の陸橋通路を渡って行きます)

    小諸駅周辺案内図

    駅のすぐ南側に懐古園(かいこえん)が大きく表示されています。
    (駅北口側の陸橋通路を渡って行きます)

  • 三の門全景<br /><br />国重要文化財です。堂々とした門ですネ。両塀に矢狭間・鉄砲狭間が配置されるなど戦闘的な建物です。

    三の門全景

    国重要文化財です。堂々とした門ですネ。両塀に矢狭間・鉄砲狭間が配置されるなど戦闘的な建物です。

  • 三の門近景<br /><br />正面の「懐古園」の扁額は徳川家達(いえさと)の筆です。小諸市のシンボルとして親しまれているそうです。

    イチオシ

    三の門近景

    正面の「懐古園」の扁額は徳川家達(いえさと)の筆です。小諸市のシンボルとして親しまれているそうです。

  • 三の門案内板<br /><br />

    三の門案内板

  • 二の丸石垣<br /><br />復元された石垣です。<br /><br />

    二の丸石垣

    復元された石垣です。

  • 二の門跡枡形

    二の門跡枡形

  • 二の丸に至る石段<br /><br />素朴な石垣がなんとなく印象的です。

    二の丸に至る石段

    素朴な石垣がなんとなく印象的です。

  • 二の丸跡<br /><br />徳川秀忠が関ケ原合戦に赴く途中当城で逗留したところだそうです。<br />(標柱に記事があります)<br />

    二の丸跡

    徳川秀忠が関ケ原合戦に赴く途中当城で逗留したところだそうです。
    (標柱に記事があります)

  • 樹木と土塁<br /><br />崩れかかった土塁でしょうか。<br /><br />

    樹木と土塁

    崩れかかった土塁でしょうか。

  • 黒門橋<br /><br />左右の空堀(紅葉谷と呼称)に架けられています。

    黒門橋

    左右の空堀(紅葉谷と呼称)に架けられています。

  • 紅葉谷(左側)<br /><br />空堀が確認できます。

    紅葉谷(左側)

    空堀が確認できます。

  • 紅葉谷(右側)<br /><br />深い空堀となってます。

    紅葉谷(右側)

    深い空堀となってます。

  • 堂々とした石垣<br /><br />野面積みと思われる石垣です。

    堂々とした石垣

    野面積みと思われる石垣です。

  • 黒門跡の枡形<br /><br />意識的に道路を曲線にし、進行方向を隠して敵の動きを鈍らせます。<br />

    黒門跡の枡形

    意識的に道路を曲線にし、進行方向を隠して敵の動きを鈍らせます。

  • 懐古神社が建つ本丸跡<br /><br />鳥居の右側に「小諸城址」の石柱が確認されます。

    懐古神社が建つ本丸跡

    鳥居の右側に「小諸城址」の石柱が確認されます。

  • 懐古神社<br /><br />見事な社です。

    懐古神社

    見事な社です。

  • 天守台への石段<br /><br />画面中央部に石柱が確認できます。(足場が不安定で慎重に登りました。スポーツシューズをお勧めします)

    天守台への石段

    画面中央部に石柱が確認できます。(足場が不安定で慎重に登りました。スポーツシューズをお勧めします)

  • 天守閣跡<br /><br />「三層の天守閣がありましたが(落雷)焼失その後再建されなかった」と石柱に記事があります。<br /><br />

    天守閣跡

    「三層の天守閣がありましたが(落雷)焼失その後再建されなかった」と石柱に記事があります。

  • 天守台全景<br /><br />

    天守台全景

  • 天守台からの展望<br /><br />あずまやを見下ろします。石垣の高さは相当あります。落下すると大変危険です。

    天守台からの展望

    あずまやを見下ろします。石垣の高さは相当あります。落下すると大変危険です。

  • 天守台からの展望<br /><br />馬場と桜の木々を見下ろします。春は桜が満開で見事でしょうネ。<br /><br />

    天守台からの展望

    馬場と桜の木々を見下ろします。春は桜が満開で見事でしょうネ。

  • 天守台石垣<br /><br />立派な石垣でよくできてます。

    天守台石垣

    立派な石垣でよくできてます。

  • 南谷<br /><br />天然の侵食によりできた谷ですが人力で登ることは不可能です。

    南谷

    天然の侵食によりできた谷ですが人力で登ることは不可能です。

  • 南谷<br /><br />白鶴橋を渡ると対岸は動物園となっています。

    南谷

    白鶴橋を渡ると対岸は動物園となっています。

  • 風林火山(NHKドラマ)案内<br /><br />小諸城築城から懐古園に至る説明です。尚築城後は武田信繁(信玄弟)の嫡男<br />信豊を城主に指名した由です。

    風林火山(NHKドラマ)案内

    小諸城築城から懐古園に至る説明です。尚築城後は武田信繁(信玄弟)の嫡男
    信豊を城主に指名した由です。

  • 馬場跡<br /><br />「直線コースは鉄砲馬場 別名桜の馬場」と説明。

    馬場跡

    「直線コースは鉄砲馬場 別名桜の馬場」と説明。

  • 土塁<br /><br />幾分崩れていますが立派な土塁です。<br />

    土塁

    幾分崩れていますが立派な土塁です。

  • 藤村詩碑<br /><br />言うまでも無く文豪島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」の書出しで始まる「千曲川旅情のうた」の詩碑です。

    藤村詩碑

    言うまでも無く文豪島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」の書出しで始まる「千曲川旅情のうた」の詩碑です。

  • 「千曲川旅情のうた」詩碑近影<br /><br />な・なんと詩面は藤村自筆のものだそうです。<br />

    「千曲川旅情のうた」詩碑近影

    な・なんと詩面は藤村自筆のものだそうです。

  • 千曲川展望<br /><br />水の手展望台(北西角)から千曲川を眺めます。

    千曲川展望

    水の手展望台(北西角)から千曲川を眺めます。

  • 酔月橋展望<br /><br />水の手展望台から北谷にかかる酔月橋及び地獄谷を眺めます。切り立った谷は正に天然の要塞と言えます。

    酔月橋展望

    水の手展望台から北谷にかかる酔月橋及び地獄谷を眺めます。切り立った谷は正に天然の要塞と言えます。

  • 武器庫<br /><br />1817年、時の城主牧野康長が建てたものを<br />原型に復元したものそうです。<br />

    武器庫

    1817年、時の城主牧野康長が建てたものを
    原型に復元したものそうです。

  • 天守台北側石垣<br /><br />見事な石垣が積まれています。隅角部は石垣の重みが集中しますので石材の長短を交互に組み合わせる算木積み(さんきづみ)が採用されてます。

    天守台北側石垣

    見事な石垣が積まれています。隅角部は石垣の重みが集中しますので石材の長短を交互に組み合わせる算木積み(さんきづみ)が採用されてます。

  • 藤村記念館<br /><br />藤村が小諸滞在中の作品・資料・遺品が展示されています。建物はわが国最高峰建築家「谷口吉郎」氏の設計だそうです。(団体グループが先に入場してゆっくり<br />見学できませんでした)<br />

    藤村記念館

    藤村が小諸滞在中の作品・資料・遺品が展示されています。建物はわが国最高峰建築家「谷口吉郎」氏の設計だそうです。(団体グループが先に入場してゆっくり
    見学できませんでした)

  • 藤村胸像<br /><br />藤村記念館左横に鎮座しています。藤村は明治32年4月小諸義塾の英語、国語の<br />教師として赴任、明治33年4月「旅情」を雑誌「明星」創刊号に発表、明治38年4月29日同義塾を退職6年間に亘る小諸時代に別れを告げ、家族共々上京し、翌年3月に「破戒」を自費出版したとの事です。

    藤村胸像

    藤村記念館左横に鎮座しています。藤村は明治32年4月小諸義塾の英語、国語の
    教師として赴任、明治33年4月「旅情」を雑誌「明星」創刊号に発表、明治38年4月29日同義塾を退職6年間に亘る小諸時代に別れを告げ、家族共々上京し、翌年3月に「破戒」を自費出版したとの事です。

  • 動物園に繋がる道路<br /><br />右は南谷、左は石垣の直線道路です。

    動物園に繋がる道路

    右は南谷、左は石垣の直線道路です。

  • 焼石の石垣<br /><br /><br />この石垣の石は「焼石」といって浅間山噴火の<br />際噴出した自然石との事です。(説明板)<br />

    焼石の石垣


    この石垣の石は「焼石」といって浅間山噴火の
    際噴出した自然石との事です。(説明板)

  • 小諸義塾記念館<br /><br />城跡を出てすぐ右手に藤村が赴任した義塾記念館がひっそりと建ってました。残念ながら時間の関係で入場できませんでした。

    小諸義塾記念館

    城跡を出てすぐ右手に藤村が赴任した義塾記念館がひっそりと建ってました。残念ながら時間の関係で入場できませんでした。

  • 小諸駅構内展望<br /><br />陸橋から上田方面(西方角)を一望します。往時の信越線は交通の大動脈で活況を呈していたでしょうが今では見る影はなく寂しい限りです。<br /><br />

    小諸駅構内展望

    陸橋から上田方面(西方角)を一望します。往時の信越線は交通の大動脈で活況を呈していたでしょうが今では見る影はなく寂しい限りです。

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