2011/04/18 - 2011/04/20
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世界攻略者さん
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いよいよ旅のハイライト、カラパタール/ベースキャンプに向かって歩き出します。これまでの道と違い、緑も村もありません。あるのは、圧倒的な迫力で迫り来る大自然の景観のみ。真っ青な空、真っ白な山。心地良い高揚を感じながら、さらに奥へと進んでいきます。
**情報は2011年春のもの。1ネパールルピー= 1.2円で計算。
== エベレスト・トレッキングのすすめ シリーズ一覧 ==
① 入門編 (ルート、費用、シーズン、高山病対策)
http://4travel.jp/travelogue/10581163
② 準備編 (TIMS、ガイド、ポーター、装備、ガイドブック)
http://4travel.jp/travelogue/10581170
③ ルクラからナムチェへ - 日本人の残した小さな宝物
http://4travel.jp/travelogue/10597198
④ ナムチェ・バザール 完全ガイド (シャンボチェ、ターメ)
http://4travel.jp/travelogue/10597202
⑤ パノラマ王 チュクン・リへの道 (タンボチェ、ディンボチェ)
http://4travel.jp/travelogue/10597206
⑥ カラパタール vs エベレスト・ベースキャンプ (ゴラクシェプ) <==
http://4travel.jp/travelogue/10597215
⑦ 男の勲章 チョラパス越え (チョラ峠、ゾンラ)
http://4travel.jp/travelogue/10597226
⑧ ゴーキョ街道の歩き方 (ゴーキョ・ピーク、マチェルモ、ポルツェ)
http://4travel.jp/travelogue/10597238
⑨ 雑学編 (節約術、通信事情、自然、シェルパ族、ポーター)
http://4travel.jp/travelogue/10581179
⑩ エベレストの見え方研究 (マウンテン・フライト、カラパタール)
http://4travel.jp/travelogue/10581184
変更:
2014/09/14 写真拡大
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[目次]
ディンボチェからトゥクラへ - 静寂のシーニック・ルート
クライマーの墓場
ロブチェへの道
ゴラクシェプへの道
カラパタール - エベレストの最強展望台
部屋のない生活
エベレスト・ベースキャンプ - 明るいゴーストタウン
エベレスト登山の光と影
まとめ -
[ディンボチェからトゥクラへ - 静寂のシーニック・ルート]
ディンボチェの村を離れ、エベレスト街道の後半部分をスタートします。前半のナムチェ-タンボチェ-ディンボチェのルートでは、正面にローツェとエベレスト、右側にアマダムラムという景色がメインでした。この先、その谷筋を外れ西側に回るため、これまでとは違った景色に出会えます。今日の移動はロブチェまで約7.5キロの道のり。目安の歩行時間は4時間半くらいです。 -
まずは先日同様、隣の丘の上に登ります。チョルテンを過ぎた後は、ペリチェに降りずに高原のような広い場所をそのまま歩いて行きます。後ろのアマダブラム(写真、6828m)があまりに見事なので、途中で何度も振り返ってしまいました。
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歩くにつれ、左側にペリチェの集落が現れ、そして遠ざかって行きます。ディンボチェからのルートは、このように見晴らしがいいのが特徴です。ペリチェ横の白い部分がクンブ・コーラの河原。モンスーン期以外は水量少なめです。
このクンブ・コーラはエベレストから押し出されるクンブ氷河を源流としています。それが、チュクンから来るイムジャ・コーラと合わさり、さらにゴキョー方面から来るドゥードゥコシに合流。ナムチェからルクラ、さらに下流に進み、最後はガンジス川へと流れ込みます。
写真: ペリチェの集落。背後の雪山はカンテガ(6783 左)とタマセルク(6618 右)。 -
このクンブ・コーラの向こう側にあるのが、タボチェ(6495 手前)とチョラツェ(6440 奥)。存在感のある尖った山が並ぶダイナミックな風景です。この高原沿いの道がエベレスト街道で最も美しい区間だと言う人もいます。
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フラットな高原が終わると、手前の山を回りこむようにトレイルが続きます。正面に見えている山がロブチェ・イースト(6100)。この一帯から見える雪山のほとんどが六千メートル台。「見栄えのする山=高い山」とは限らないのが、トレッキングの面白いところです。
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その後、道は少し下り、ペリチェからの道と合流します。クンブ・コーラを渡る小さな橋を越えると、トゥクラ(写真)の茶屋に到着です。ここまで2-2.5時間くらい。なぜここに?という感じで唐突に現れるロッジですが、非常に戦略的な場所に建っているといえます。ディンボチェやペリチェからロブチェに行く場合、茶屋があるのはここ一カ所だけ。このすぐ後に長い登りが始まることもあり、休憩するにはちょうどいいのです。
写真: トゥクラ。背後の山はタボチェ(左)とチョラツェ(右)。 -
トゥクラの標高は4600メートル。ディンボチェ(4360)とロブチェ(4940)が標高差が600メートル近くあるため、高度順応のルールに従えばトゥクラ辺りで一泊するのが正解です。もちろん宿泊施設もあります。ただし、このトゥクラという場所があまりに中途半端なため、ロブチェまで一気に行くのが一般的です。
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[クライマーの墓場]
トゥクラの後、しばらく急な登りが続きます。岩や砂利がゴロゴロした斜面で、これはクンブ氷河の端に積もったモーレンの一部のようです。ひさびさの長い登りにうんざりしながら上まで登りきると、突然チョルテンが並んだ広場のような場所が現れます。地図によれば、この場所の名はチュクピ・ララ(4840)。エベレスト登山で死亡した人の慰霊碑が並ぶ場所として知られています。
景色がいいこともあり、ここはちょっとした休憩スポットになっています。茶屋はありませんが、チョウタラに座ってしばし疲れた足を休めます。
写真: トゥクラからの道。 -
ここにある慰霊碑の中には有名人のものも含まれています。少しチェックしてみましょう。入ってすぐ右にあるのが、バブ・チリ・チェルパのメモリアル(写真)。彼はシェルパ界のヒーローで、ベースキャンプからエベレストへの無酸素での最短登頂(17時間)と、山頂での無酸素滞在(21時間)の世界記録を持っています。普通のクライマーが酸素ボンベの助けを得ながら4−5日かけて登るところをたったの17時間...ちょっと想像できません。人並外れた心肺能力を持つ彼ですが、2001年、35歳の若さで命を落とすことになりました。原因はクレバスへの転落死です。
バブ・チリの少し後方にある真っ白なメモリアルが、スコット・フィッシャーの慰霊碑。あの有名な1996年の遭難事故で隊長を務めた男性です。死体は可能な限りここまで運ばれ火葬されるとの話ですが、彼の死体は未だ8300メートル付近に転がったままです。 -
まわりを見渡すと、少し離れた小丘の上に数十基のチョルテンが並んでいます。これらは主に無名のシェルパ達のもので、いかに多くのシェルパが命を落としているか考えさせられます。顧客である外国人登山者と比べ、より厳しい環境での登山が強いられる彼らの仕事は常に死と隣り合わせ。この場所からエベレストは見えませんが、彼らに馴染み深いアマダブラムやタマセルクに見守られながら、安らかに眠りについています。
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これらの一列に並んだ慰霊碑のさらに奥、広場から少し離れた場所にもポツポツと大きな慰霊碑があります。試しに行ってみると、そのうち2つは日本人登山家のものでした。ひとつはMORI YOSHIKUNIさん。もうひとつはMARUYAMA YOSHIOさん。2つとも慰霊碑のプレートが割られているのは、意図的なのか偶然なのか..。ちょっと残念です。
基本的には、シェルパ族の人達は、日本人に対して好意的な印象を抱いています。ただ、登山隊の事故などに巻き込まれた場合は別。例えば、1970年、三浦雄一郎さんがエベレストのサウスコルからスキー滑降を行った時には、6人のシェルパが命を落としました。彼らのお墓も、この無数に並ぶ石碑のどこかにあるはずです。 -
[ロブチェへの道]
休憩を終え、先に進みます。広場の後、右に曲がると正面に大きな雪山の連なりが現れます。最も印象的なのが左端の尖った山 - プモリ(7138)。その右隣がリントレン(6713)とクンブツェ(6639)。いずれも中国との国境線をつくる山々です。そして、最後に右端のヌプツェ(7879)。ここからゴラクシェプまで、これらの山々がメインの景色になります。
ここからロブチェまでは、ゆるやかな道を北上していきます。となりのクンブ氷河に並行した一本道で、ロブチェ、ゴラクシェプを経て15キロ先のベースキャンプまでつながっています。1時間ほど歩いた後、今日の目的地ロブチェに到着です -
ロブチェ(写真、4940)はこれまで滞在した集落と違い、純粋なロッジ街。定住者もいなければ、田畑もありません。荒涼とした景色の中、6軒のロッジが固まって並びます。
ロッジ街からの景色ですが、すぐ裏の丘の向こう、西側にロブチェ・ピーク。北東側にはローツェが圧倒的な迫力でそびえます。もし時間があれば、裏の丘に登ったり、正面のモーレンからクンブ氷河を覗いたりと、いろいろ散策できそうです。
ロブチェの各宿は比較的部屋数が多いのですが、油断は禁物。ここから先は「もし、部屋がなかったらどうしよう」という不安が常につきまといます。幸い、部屋はすぐに見つかりました。 -
ロッジの中で休んでいると、突然外が騒がしくなってきました。窓の外を男たちが次々と走り抜けていきます。何だ何だ?何か尋常でない雰囲気を感じて後を追ってみると...となりのロッジでボヤが出ていました。これは珍しい。キッチンから火が出たようで、各ロッジのポリタンクを総動員して屋根から火消しに当っています。現場を取り囲む野次馬の輪に入っていくと、そこにはひとり泣き崩れる若い女性の姿が...。彼女が火災の原因を作ったようです。
こういう時、ツアーに帯同するシェルパを含め、多くの人達は部外者なので、ただ消火活動をはたから見守るだけです。その中で意外な活躍を見せるのが西洋人トレッカーのみなさん。男性はキャンプ用の青ダルに水を満載して現場に駆けつけ、女性はいつまでも大声で泣き叫ぶネパール人女性を辛抱強く慰めます。こういう行動力はぜひ見習いたいものです。 -
[ゴラクシェプへの道]
ロブチェに一泊した後、いよいよエベレスト街道の終点であるゴラクシェプに向かいます。4キロ弱の道のりで、目安は2時間-2時間半。昨日の夕方降った雪はまだ積もっていますが、午前中には溶けてしまうでしょう。それでは出発です。
写真: 正面に見える山がヌプツェ。 -
ロブチェから先もクンブ氷河の西側にある道を歩きます。荒涼とした風景と雪山のバランスは、ヒマラヤの高地ならでは。標高はすでに5000メートルを超えています。しばらくすると、高く積もったモーレンのような丘(写真)が出てくるので、それを登ります。
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この丘の上は見晴らしのいい場所で、写真休憩するのに最適です。
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ここから先は、モーレン上の道を進みます。正面に見えるのがプモリ。その手前の茶色い山がカラパタール。ゴラクシェプの集落はその茶色い山の麓にあるはずです。
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比較的アップダウンの少ない道を歩き、ゴラクシェプに到着。ここまで、ロブチェから約2時間。最初に出てくるのが、下に見えている携帯電話用のアンテナと、ポーター用のシェルターです。
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そして、これゴラクシェプのロッジ街(写真、5170)。エベレスト街道最後の家屋になります。ここからエベレストは見えませんが、まわりの丘を少し登れば山頂をチラッと見ることができます。
ゴラクシェプには宿が5つ。入ってすぐ左側に1つ、少し歩いた先に4軒。これがゴラクシェプのすべてです。エベレスト・トレッキングをする人が皆ここを目指すと考えると、このキャパシティの少なさは考えものです。
写真: 右奥に見えている山がチベットの山 - チャンツェ(7543) -
ツアーによっては、標高の低いロブチェに宿をとり、日帰りでゴラクシェプ + カラパタールを訪れるグループもあります。でもそれは主に秋の場合。春だと雲が出やすいため、早朝にロブチェを出発しないと、カラパタールに着いた時には雲が出ている可能性があります。また、春はベースキャンプも見どころのひとつなので、できればもう一泊したいところです。
私の情勢分析が正しいかどうかは知りませんが、ゴラクシェプ一日目はどこも満室。ツアーのように予めブッキングしていない個人が部屋にありつくには、少しでも早く来ること。これに尽きます。幸い、ヒマラヤの慣例として、部屋がなくてもとりあえずダイニングには泊めてもらえるので、路頭に迷うことはありません。
写真: クンブ氷河とゴラクシェプの集落。 -
[カラパタール - エベレストの最強展望台]
荷物を受付に預けた後、すぐ隣にあるカラパタールの丘に登ります。道はわかりやすく、目安は2時間くらい。 -
プモリを見上げながら、ゆっくりと登ります。ゴラクシェプ(5170)から山頂(5545)までの高度差は375メートル。ロブチェ(4940)からの分も合わせると、約600メートル。まだ十分に高度に慣れていないため、上に進むほど足取りが重くなります。
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右に方向転換した後、丘の頂上部分が見えてきました。この後、岩がちの地面を歩いて、一気に頂上を目指します。
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1時間半ほどでカラパタール頂上に到着。手ぶらの割には、思ったよりかかりましたね。この付近にはタルチョの旗が多く飾られ、到着済みの人々は記念撮影に余念がありません。ここの真の頂上は危なっかしい岩(矢印)なのですが、高所恐怖症の私はパス。その少し下から振り返ってエベレスト側をじっくり鑑賞したいと思います。
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これがエベレスト側の眺め。正面にあるヌプツェ(7879)の左横で黒い頭を出しているのがエベレスト(8848)です。強風のせいなのか、エベレストの南西壁には雪がありません。ここから山頂まで約10キロ。山全体が見えるわけではありませんが、タンボチェ(南西25キロ)などからの眺めと比べ、遥かに近く、そしてはっきりと山頂部が拝めます。
エベレスト・トレッキングの最終目的は、この最短の展望台カラパタールからエベレストを見ること。それが達成されて始めて、ここまでの8日間の道のりが意味を持ちます。最短であるがゆえに、山頂とその周辺に雲がなければ確実にエベレストが望める、それがカラパタールの強みです。 -
南東方面のパノラマはこんな感じです(クリックで拡大、さらにクリックで拡大)。クンブ氷河ごしに多くのピークが並びます。すばらしい眺めなのですが、「パノラマ王」チュクン・リと比べると、ヌプツェが目立ちすぎて、ちょっとバランスが悪いかな。
写真: 黄色い点は左からクンブツェ(6639)、チャンツェ(7543)、エベレスト(8848)、ヌプツェ(7879)、アマダブラム(6828)、カンテガ(6783)、タマセルク(6618)、タボチェ(6495)。 -
ここからクンブ氷河の左端をよく見ると、カラフルな粒々があるのに気づきます。これは、エベレスト・ベースキャンプに設置されたテントの集まり。ここへは、翌日行ってみたいと思います。
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カラパタールから見て、エベレスト山頂はほぼ真東に当ります。よって、日の出に合わせてカラパタールに登るトレッカーも少なくありません。エベレストは日が高くなってからの方が見栄えするので、どちらかといえば「ご来光」目的です。
あまり知られていませんが、春と秋では太陽の出る位置が違います。写真は4月中盤の場合で、エベレストの左横から太陽が顔を出します。一方、秋はヌプツェの右から出るようです(写真黄色い点、11月終盤)。 -
[部屋のない生活]
カラパタールから宿に戻ると、部屋のない現実が待っていました。何が大変かと言えば、自分の居場所がないことです。ロブチェやゴラクシェプの宿でありがちなのですが、ダイニングのほとんどのテーブルがツアー・グループにあらかじめリザーブされています。勝手に座っちゃダメ。
座れそうなのは、テーブル1,2卓と中央のストーブ回りのイスだけ。この僅かなスペースをめぐって、他の部屋なし客と大勢のガイド・ポーターが争います。仮に席を確保しても、慢性的に混んでいるため横になることもできません。ただ座り続けることの辛さといったら...。この居心地の悪い状態が就寝時間まで続くのです。 -
夜のダイニングには一定の流れがあります。順番としては、まず客が部屋から出てきて夕食を注文する -> 客が全員食べ終わった後、ガイドやポーターにダルバートが振舞われる -> 客がダイニングからいなくなったのを見計らって、寝袋や布団を引き始める。と、こんな感じです。こういうフローなので、私は心の中で「みんな早く食い終われ!」「みんな、とっとと部屋に戻れ!」、と食後のおしゃべりを楽しむ西洋人グループに念力を送っていました。夕食の時間帯、手持ちぶたさにボーっと座っているポーターをよく見かけますが、こういうことだったのです。彼らの気持ちがやっとわかりました。
いよいよ待ちに待った就寝時間。今日、始めて横になれます。通常、ポーターやガイドはダイニングの長椅子の上で寝るのですが、この日は部屋なし外国人が数人いたため、彼らの一部は床に回されました。今まで気にも留めてませんでしたが、この集団就寝にはちょっとしたルールがあります。それは、「人の頭に足を向けてはいけない」ことです。例えば4人縦に寝れるスペースがあったとすると、自分の足を必ず他の人の足か壁に向きあうように配置します。何はともあれ、先ほどまで部屋を温めていたストーブのお陰で、ぐっすり眠れました。 -
[エベレスト・ベースキャンプ - 明るいゴーストタウン]
翌日、エベレストの日の出を鑑賞した後、ベースキャンプ(5300)を訪問することにしました。E.B.C.は今回最も楽しみにしていた目的地のひとつです。所要時間の目安は片道2.5時間。道は、ロッジ街そばにある運動場のような広い平地をまっすぐ北に進むだけ。ここは昔、湖だった場所です。平地が終わると、道は右上に進み、モーレンの上を歩くトレイルに続きます(写真)。このルートは、トレッカーだけでなく、ベースキャンプに物資を運ぶポーターやゾッキョも頻繁に行き来しているため、迷うことはないでしょう。 -
モーレン上の道を1時間ほど歩いた後、氷河に突入。氷河の上に被った土砂の上を歩きます。道沿いに15分ほど進むと「エベレスト・ベースキャンプ 5364m」と書かれた大きな石があり、ここがある種の記念撮影ポイント。この辺りはすでにベースキャンプの一部ですが、テント密集地帯まではまだ距離があるので、頑張って歩きます。
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30分ほど歩いてテントの多い場所へやってきました。登頂シーズン(4-5月)ということもあり、500を越えるテントが設置されています。エベレスト登頂を目指す登山隊は、ここをベースにしながら、キャンプ1,キャンプ2...とキャンプ地を上に押し上げていきます。ちなみに、ここからエベレスト山頂は見えません。
次のキャンプ地であるキャンプ1があるのは右上に見えるアイスフォールの先。もちろん道などないので、そこまで行けるのは道具とスキルを持った人達だけです。特に最初のアイスフォールが危険で、登山隊に属さない個人が行くのはまず無理。このベースキャンプが、トレッカーと登山家、アマチュアとプロの分岐点と言っていいかもしれません。
写真: 左上の峠(ロー・ラ)の先は、すでに中国の領土。 -
このベースキャンプがどこにあるかというと、中国との国境線のすぐ南。エベレストの西側です。ここから、ヌプツェとエベレストの間にある氷河を進んでいき、サウスコールから稜線沿いに登れば、そこがエベレストの頂上。最後の稜線は、国境線上を歩いていることになります。ベースキャンプに着いてから実際の登頂までは約一ヶ月。その間、上のキャンプ地を何度か行き来して高度に体を慣らした後、天気の条件がいい5月中盤-終盤にアタックするのが一般的です。
写真: 青い線が登頂のノーマルルート -
このベースキャンプは、文字通りテント村で、常設の建物はありません。これだけの人がいるのに、売店や茶屋もなければネットカフェも見当たりません。食料、ソーラーパネル、コンピューター、通信機器など必要なものは各登山隊が自ら持ちこむのです。一方、ゴミの持ち帰りに関しては厳しい規制があり、ちゃんと守らないと、前払いのデポジット(4000ドル)が返ってきません。面白いのはトイレの処理で、水源を汚さないよう汚物はトイレ・テントの下にある樽に貯められ、ゴラクシェプまで運んで地面に埋められます。それ専用のポーターが雇用されているとか。このような努力のおかげで、登山シーズンが終われば、最初から何もなかったかのようにテント村は消え去ります。
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それにしても、ベースキャンプは恐ろしく静かです。ゴーストタウンのようで、まるで生活感が感じられません。みんなテントの中に引き篭っているのか、それとも隊員のほとんどが上のキャンプに行っているのか..。聞こえる音といえば、万国旗のように張り巡らされたタルチョが風にはためく音。そして、残飯狙いに常駐しているカラス(写真中央)が羽ばたく音だけです。
写真: 左にある赤い構造物が祭壇。登山前にエベレストの女神ミヨラサンマに祈りを捧げます。 -
ベースキャンプには無数の登山隊が来ていますが、一体どのテントがどの国のチームなのでしょう。国旗でも掲げられていればわかりやすいのですが、そういうところは少数派です。日の丸はないかなー、と思っていたら1つだけ見つけました。日の丸弁当のような謙虚な日の丸が...(写真右上)。
後になって知ったのですが、この2011年春のシーズンは日本から多くのチームが参加していました。NHK隊、野口健隊など6チームほど。私がベースキャンプに来たのは4月後半。登頂へのアタックが集中する5月後半までまだ一ヶ月ほどある時期です。ひょっとすると行き違いがあったのかもしれません。いずれにせよ、数多くのテントから面識のない相手を探し出し、何の用もないのに談笑する、といった行為はハードルが高そうです。 -
[エベレスト登山の光と影]
E.B.C.訪問にとりあえず満足して、ゴラクシェプに戻ります。途中、私には立ち寄っておきたい場所がありました。それは1996年の遭難事故で命を落としたロブ・ホール隊のメモリアル。場所は、ゴラクシェプから平地を端まで歩いた後、道沿いに歩かずそのまま正面の丘を登った所にあります。
この事故では、悪天候や判断ミスなどが重なり、ロブ・ホールとスコット・フィッシャー率いる2つの登山隊がエベレスト登山中に遭難しました。別ルートのインド隊を含め、同日に8人もの死亡者が出た大惨事で、当時大きく報道され、のちに映画化もされました。日本人登山家の難波康子さんも隊員の一人で、登頂には成功したものの、下山中に力尽きてしまいました。
「アマチュア登山家にもエベレスト登頂の夢を実現させる」「お金さえ払えばエベレスト登山をサポートしてもらえる」これら2つのニーズが重なり、公募隊での商業登山は一定の成功を収めました。と同時にこのような悲劇にもつながりました。 -
その慰霊碑は、エベレスト山頂がかろうじて見える場所に、ひっそりと佇んでいました(写真)。場所がわかりにくいため、ここを訪れる人はほとんどいないでしょう。写真右の白い方が隊長ロブ・ホールの慰霊碑。その隣の小さい方が亡くなった3人の隊員の慰霊碑で、名前入りプレートが一面つづはめこまれています。ちなみに難波さんのプレートは、隊長と同じくエベレストの方角を向いています。
2つの慰霊碑はロープでつながれ、その間には足あとの形をした大きな石のオブジェが置かれています。「エベレストに登りたい」「隊員に登頂させてあげたい」。商業登山への批判とは別の次元で、両者の心は強つながっていたのかもしれません。まだやり残したことがあるのか、2つのメモリアルは強い西日を浴びながら、長い影をエベレストに向かって伸ばし続けるのでした。
写真: 黄色い点がゴラクシェプ。 -
[まとめ]
死亡率10%とも言われるエベレスト登山。人はなぜそんな大きなリスクを取りに行くのか。この春のシーズンだけでも、日本人登山家が二人死亡しています。幸い、私はそこまでの勇気も野心もないので、カラパタールからの眺めで十分です。大きな夢を2ヶ月かけて叶えるよりも、小さな喜びを沢山積み重ねる、その方が自分に合っている気がします。
ここまで9日間のトレッキングで、エベレスト街道をひと通り攻略してきました。帰りの道、ルクラまでは3日もあれば十分でしょう。多くの人は、そのままカトマンズに帰り、一部の人はゴキョー街道へと旅を続けます。私はというと..せっかく来たからにはゴーキョにも行ってみたいと思います。というわけで、まだまだ旅は続きます。
[リンク集]
==ネパール・トレッキング==
最速のアンナプルナ 全8作 (2009年秋)
http://4travel.jp/travelogue/10444950
エベレスト・トレッキングのすすめ 全10作 (2011年春)
http://4travel.jp/travelogue/10581163
ポカラ・ザ・トレック 全4作 (2013年春)
http://4travel.jp/travelogue/10759203
トレッキング装備購入ガイド 全2作
http://4travel.jp/travelogue/10571988
==ネパール旅行記一覧==
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album?dmos=os&level1=1&level2=771&level3=&sort=when
==国内旅行記一覧==
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album?dmos=dm&sort=when
==海外旅行記一覧==
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album?dmos=os&sort=when
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