2011/06/21 - 2011/06/21
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近鉄バッファローズさん
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6年ぶりに四泊六日ではありますが、ドイツへ行く機会に恵まれました。
以前お世話になった方々のところを訪問することと、
まだ行ったことがないところを行くことが、今回の目的です。
目的地は、ラインラントプファルツ州のMaria Laach(マリア ラーハ)と
Schloss Buerresheim(ビュレスハイム城)、Wuerzburg(ヴュルツブルグ)のResidenz(レジデンツ)、
Nuernberg(ニュルンベルグ)のDoku-zentrum(ドク−ツェントルム)、Burghausen(ブルグハウゼン)です。
6/21は、途中で二箇所に寄りながらミュンヘンを目指します。
つぎは、Wuersburg(ヴュルツブルグ)とそのResidenz(レジデンツ)を観光します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ヴュルツブルグ中央駅に着きました。
荷物をロッカーに預けに行きます。ヴュルツブルグ中央駅のロッカーは、旧市街へ出る出口への通路途中にあります。壁に看板が出ていますが、そこにたくさんのマークがあります。ロッカーのマークは下段の左から二番目、カギとカバンのマークです。 -
大きいロッカーと‥‥
-
小さいロッカーがあります。
-
ロッカーのアップです。
大きいロッカーは4ユーロ、小さいロッカーは2ユーロでした。
大きいロッカーは、入り口が幅30cmほど、高さが60cm程度で
奥行きは100cm程度だったと思います(奥行きは自信ありません)。
小型のロッカーは2ユーロですが、
入り口が幅25cmほど、高さが50cm程度だったと思います。
投入できるコインは、2ユーロ、1ユーロ、50セントの
三種の小銭しか使えません。お気を付け下さい。 -
Bahnhof通りからTheater通りを経てResidenzへと向かいます。
写真はStift Haug(ハウク司教座教会)です。
その歴史は、今はなきローマ時代教会まで遡り、その教会の敷地は今の中央駅あたりまで拡がっていたそうです。ヴュルツブルグ司教ハインリヒ1世は、西暦1000年頃、司教座参事会を設立し、洗者ヨハネと伝道者ヨハネを聖別したそうです。教会が、丘(中高ドイツ語:houc)の上にあったことから、名前が「St. Johannes in Stift Haug(ハウク司教座の聖ヨハネス)」となったそうです。そしてそこの住人は「die Herren vom Berg(山の主人)」と呼ばれたそうです。神聖ローマ皇帝ハインリヒ二世の文書には1002年に新たに設立されたとあるそうです。皇帝ハインリヒ二世は司教ハインリヒに多くの領地を寄進したそうです。ハウク一帯は、ヴュルツブルグ郊外でも一番の栄えた地になったそうです。ただ、郊外にあったため、戦時には何度も破壊の危険に曝されたそうです。その最後は三十年戦争で、スウェーデン軍の兵士に取り壊されたそうです。1637年に教会は再建されたのに、間もなくヴュルツブルグの防衛施設建て直し計画でその建物が邪魔になってしまったそうです。1657年に建物は完全に破壊され。丘も均されたそうです。1670〜1691年に新しいバロック教会が建てられ、今日まで続いているそうです。1803年の教会国有化によりStift Haugはバイエルン王国に接収されたそうです。その後も、司教座教会の地位は変わらなかったそうです。 -
Stift Haugは、1945年3月16日のヴュルツブルグ空襲で火災に遭い、完全に破壊されたそうです。残ったのは教会の記念碑とLukasの像だけだったそうです。その後20年かけて教会は再建され、1965年6月27日に中央祭壇とJ. Tintoretto作の「キリストの磔」図の奉納が行われたそうです。その後も改修が行われ続け、いまも観光客にはヴュルツブルグの大聖堂としてみとめられているそうです。
-
Buergerspital(市民の養老院)です。
現在、Buergerspitalでは、養老院、デイサービス、リハビリテーション、不動産管理、ぶどう園、ワインセラーを運営しています。
Buergerspitalは、ヴュルツブルグの貴族Johannes von Sterenは、1316年に現在Buergerspitalがある場所にあった一つの建物を介護が必要な人々のために提供し、養老院を設立したそうです。その養老院は16世紀からBuergerspitalとよばれるようになったそうです。1319年6月23日付の公文書で、司教兼侯爵Gottfried von Hohenloheが「新養老院」の部分的治外法権と三人の市民による介護の管理を確認しているそうです。街の人口が急速に増えるに従って、それまで教会だけで担っていた社会福祉に市民も参加する必要が出来てきたそうです。養老院設立の教皇による承認が届いた後すぐの1321年1月2日に設立者一族による新養老院の財政上の用意が出来たそうです。設立者一族は養老院の住民に年30マルテルのライ麦を支給することにしたそうです。また、設立者一族は、長期的に安定した収入があるように13のワイン山を担保とする契約を結んだそうです。同時に養老院の運営費用として毎年利子収入があるように手配したそうです。さらにJohannes von Sterenとその妻Mergardisは3つの家屋を提供したそうです。3ヶ所の庭園の土地といわゆる「zu den Rosen」と呼ばれる建物を後に提供することで現在の敷地が全て揃ったそうです。ただ設立者一族の経済力だけでは、養老院の運営に充分な資金が得られなかった。1316年の養老院の設立文書は市民が参加する社会財団の起爆剤となり、1340年頃の「ヴュルツブルグ市民の新養老院の約定」がそこには既に文章化されていたそうです。多くの寄付が寄せられるようになり、新養老院の運営は確かなものとなったそうです。特に女性は設立者の死の二年後には、途切れず続く寄付の伝統を始めたそうです。中でも最も大きな寄付は、1340年のRuedigerとWoelflinのTeufel兄弟によるものと、2000年のRobert und Margret Krick財団によるものだそうです。1320年10月1日、教皇ヨハネ22世はアヴィニヨンでBuergerspitalの設立を承認したそうです。その時の公文書は今も残っており、大判で、丁寧で綺麗な文字で書かれ、章の頭文字が大文字にされ、絹糸と封蝋で封印されたこの公文書は、その文書が教皇による単なる法的、行政的な決定に関するものでないことを示しているそうです。金銭や土地の寄付により、地代、利子、十分の一税、家賃収入の管理が養老院の経済的主柱にすぐになったそうです。1583年の最古の資産台帳に依れば、Buergerspitalは、当時、Laubの領主であり、Unterpleichfeldに四つの荘園を持ち、IngolstadtとErlachにもそれぞれ一つずつの荘園を持っていたそうです。またヴュルツブルグでもBuergerspitalは、当時既に広大なと土地を所有していたそうです。58ヘクタールの畑と10ヘクタールのワイン畑も養老院の入居者に役立っていたそうです。1869年には、Buergerspitalには、300グルデンを負担する資産のない入居者100人(平均年齢70.5歳)、賄い付きの下宿人18人、外部入居者10人が居たそうです。19世紀中にはワイン畑は12ヘクタールから35ヘクタールまで拡大したそうです。1836年に100ヘクタール、1894年に60ヘクタール、1898年に48ヘクタールの土地を買い、総計316ヘクタール以上を所有することになったそうです。1933年には、60人の資産のない入居者、13人の賄い付きの下宿人、外部入居者43人が居たそうです。その時療養所の敷地は1.6ヘクタールとなり、ワイン畑は75ヘクタール、165.7ヘクタールの農場、8.3ヘクタールの土地も所有していたそうです。ワイン畑では131,600Lが収穫され、179,700Lを貯蔵し、175,300Lを販売したそうです。 -
上の写真よりもう少し近づいてみました。
-
Buergerspitalのワイン販売所入り口です。
入り口右の黒板には、日本語の掲示もありました。
「フランケンワインを日本へ発送致します」
ウィンドショッピングだけでしたが、たくさんのワインが並んでいました。 -
Mainfranken Theaterです。
音楽、演劇、ダンスの三分野で使える劇場で、ヴュルツブルグのあるウンターフランケン地方最大の劇場だそうです。1804年創設で、ワーグナーにも縁のある歴史ある劇場だそうです。 -
Roter Bauです。
16世紀にはWilhelm von Grumbach所有の土地であり、のちにイエズス会に寄進されたそうです。領主司教Johann von GreiffenclauはRoter Bau建設の基礎を譲り受け、1706〜08年に建設したそうです。郵便局は、1843年に王立中央郵便局として使うためにこの建物を購入したそうです。郵便局が移転すると、代わりに鉄道・郵便部が利用したそうです。1874年に火災によって建物が焼失すると軍に接収され、軍団司令官の住居として新たに整備されたそうです。その後、建物は市の所有となり、1914年から1918年には衛生局として利用されたそうです。1952年からは州立健康局が入っているそうです。 -
そうこうしている内に、Residenzに着きました。
道路の向こうに見えるのがResidenzです。 -
Residenz前の駐車場は車でいっぱいです。
ここは停めていい場所なのですが、どうも見た目によくないです。 -
フランコニアの噴水(Frankoniabrunnen)です。
1891年3月12日の当時のバイエルン王国摂政Luitpold von Bayernの70歳の誕生日を記念してヴュルツブルグ市民が捧げ、1984年6月4日に除幕されたものだそうです。フランコニアはフランケン地方を具現化したものだそうです。左手にはフランケンの旗を持ち、右手には摂政のシンボルである月桂冠を持っているそうです。フランコニアの像は、大聖堂を向いて建てられたそうです。その足許には、Walther von der Vogelweide、Tilman Riemenschneider とMatthias Gruenewaldの像が添えられているそうです。 -
ここがResidenzの正面玄関です。
中へ入るにはここから入るのですが、まず宮廷教会(Hofkirche)を見に行きます。 -
宮廷教会(Hofkirche)です。
ただ、私が行ったときは、工事中で展示された写真を見るだけでした。 -
では、Residenzへ行きます。私はガイドツアーで回りました。
ただ、中は撮影禁止なので、写真がありません。
ほぼ毎日開いていますが、元日、カーニヴァルの火曜日、12/24、12/25、大晦日は休みです。4月から10月までは9〜18時まで、11月から3月までは10〜16時30分までが開館時間で、閉館時間の30分前にチケット売り場が閉まるそうです。ドイツ語のガイドツアーは20から30分間隔で開始されていて、閉館一時間前が最後になります。英語のガイドツアーは11時と15時(+16時30分(ハイシーズン))に始まります。ガイドツアーなしでも見学できますが、一部の部屋(南側のKaiserzimmerとSpiegelkabinett)は見学できません。 -
絵葉書を買ったので、取り込んでみました。
王の間(Kaisersaal)です。Balthasar Neumannの設計で、赤大理石の高さほぼ9mの柱と楕円形のドームが目に付きます。天井画はGiovanni Battista Tiepoloのもので、赤髭王フリードリヒ1世の頃のヴュルツブルグ司教の政治的歴史が反映されているそうです。 -
王の間の天井画です。
この絵の左下の方に天使が青い布を纏っていますが、この青い布は一部替えで、一部が本物の布になっています。今流行の「3D」ですかね。この手法は、Residenz内の各所に見られました。 -
王の間の天井画です。
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階段の間(Trppenhaus)です。
天井画にはアジア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパを現す女神とそれを取り巻くものが描かれているそうです。ヨーロッパを現す女神の上にはヴュルツブルグ司教が描かれ、司教が世界を支配していることを現しているそうです。 -
鏡の間です。ここはガイドツアーでないと行けません。とても綺麗な部屋で、本当にまぶしかったです。
ロココやバロック様式で建築されたドイツの宮殿や城には「鏡の間」がいくつもありますが、このResidenzの鏡の間はガラス絵と背面に金色を施したガラス細工で飾られているそう独特な鏡の間だそうです。 -
ガイドツアーは一時間弱ほどだったと思います。
ガイドツアーが終わると、南側の皇帝の間(Suedliche Kaiserzimmer)の続きで、白の間(Weisser Saal)の隣にある土産物店へと出ます。絵葉書はここで買いました。
その後、ガイドツアーでは回らない北側の皇帝の間などを見た後、外へ出ました。
外には写真にあるResidenzのミニチュアがありました。 -
庭園へ行ってみました。ここが入り口です。
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Residenz南側の庭園です。よく手入れされています。
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Residenz東側の庭園です。南側とは異なる作りです。
大聖堂方面へ移動します。 -
Hof Neulobdenburgです。
1730年の建てられた建物ですが、1945年の連合国の空襲で破壊されたそうです。戦後に現在の姿に再建されたそうです。 -
大聖堂です。
ロマネスク様式で、神聖ローマ帝国ザリア朝期の素晴らしい建物だそうです。東西に長く、東から見た写真です。西から見るとまた違う形をしています。 -
大聖堂博物館です。
きっとすごいものが展示されているのでしょうが、時間がなく見ることが出来ませんでした。 -
そうこうする内に、Marktplatzです。
正面の建物は、Falkenhausです。
18世紀初めに建てられ、1735年にFranz Thomas Meissnerが買い取ってホテル兼レストランとして使われたそうです。1751年にMeissnerの未亡人がロココ様式の三つのファサードを付け加えたそうです。1939年に市の所有となり、1945年には大空襲で完全に破壊されたそうです。1952年に再建され、ツーリストインフォメーションと市立図書館として使われているそうです。 -
Marienkapelleです。
ゴシック式の教会で、牧師が居ないためカトリックの制度上礼拝堂となるそうです。赤色が映えますね。 -
南側から見ると、全体が見渡せます。より赤く見えますね。
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マイバウム(Maibaum)です。
バイエルン州なんだなぁ、と思わせてくれます。 -
内部に入ってみました。
シックな新ゴシックの内装で、ステンドグラスが素敵です。 -
聖Aquilinの像です。
言い伝えによると、聖Aquilinはヴュルツブルグで生まれ、ミラノで殉教したそうです。ミラノでは中世後期から、ヴュルツブルグでは1665年から祀られているそうです。伝説によると、聖Aquilinは親の遺産を貧しい人々に分け与えたそうです。ミラノで聖Aquilinは敢然と異端のものと対決し、聖体祭の期間に短剣で突き殺されたそうです。その貧者への愛とキリストへの忠誠によって信仰を明らかにしたと人々から尊敬されるようになったそうです。 -
Augustinerkircheです。
ロマネスク教会として建てられ、のちにBalthasar Neumannの作ったバロックのファサードが付け加えられたそうです。元々ここはドミニコ派の修道院でしたが、教会財産の国有化後にアウグスティノ修道会の手に渡ったそうです。そのため未だにここはDominikanerplatzと呼ばれているそうです。定期的にオルガンコンサートやオルガン礼拝が行われているそうです。 -
Juliusspitalです。
Julius Echter von Mespelbrunnが16世紀に創設した病院だそうです。財団が運営しているそうですが、その財団は広大な森林や畑、ワイン畑を所有し、その利益を病院経営などに使っているそうです。Buergerspitalと同様です。 -
Juliusspitalの前に立つJulius Echter von Mespelbrunnの像です。
Julius Echter von Mespelbrunnは16〜17世紀のヴュルツブルグの領主司教だったそうです。反宗教改革の代表者で、プロテスタントを追放したこともあったそうです。一方で、ヴュルツブルグ大学を創設したりもしたそうです。 -
そうこうする内に、中央駅へ戻ってきました。
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聖Kilianの像です。
この像はResidenz前のフランコニアの泉の御礼にバイエルン王国摂政Luitpold von Bayernが建造したものだそうです。
荷物をロッカーから出して、Nuernbergへ向かいます。 -
ICE627に乗ってNuernbergへ向かいます。
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さぁ、ICEが入構してきました。
アベックも乗り込むようです。
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この旅行記へのコメント (3)
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- rimigardenさん 2011/09/17 16:55:05
- 鏡の間というよりも金の間って感じですね。
- 近鉄バッファローズさん
ご無沙汰しています。
今日はヴュルツブルクへお邪魔しました。
豊臣秀吉が喜びそうな部屋ですね。
鏡の間というよりも金の間って感じです。
りみ
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- frau.himmelさん 2011/08/27 22:09:52
- ヴュルガーシュピタール
- 近鉄バッファローズさま こんばんは。
ヴュルツブルク編にお邪魔しました。
ヴュルガー・シュピタールにいらっしゃったのですね。
お写真をみると、ちょうどワイン祭りが開催されている時だったようですね。
そうかー、私があのお祭りでワインを飲んだのは1年前だったのねーと
月日の流れを改めて感じさせられました。
フランケンワインを日本に送ろうと、ヴュルガーシュピタールの売店に寄ったら中庭でちょうどワインフェストをやっていました。1年前です。
あの時の楽しかったことが思い出されます。
ヴュルツブルクの次はいよいよニュルンベルクですね。
ドク・ツェントルム、バッファローズさまはどんな切り口で旅行記にされるかな…、楽しみにしています。
himmel
- 近鉄バッファローズさん からの返信 2011/08/28 00:30:34
- 気付きませんでした(^^;)
- frau.himmelさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
いやぁ、今の今まで気付きませんでした。
確かにビュルガーシュピタールの横断幕を見ると
「HOFSCHOPPENFEST」と書いてありますね。
でも、中にはには全く入らなかったので、全然気付きませんでした。
何せ滞在時間がなかったので、Residenzへまっしぐらでしたから。
いよいよニュルンベルグです。
frau.himmelさんにそれだけ期待されてしまうと、プレッシャーです。
私なりの旅行記をまとめるべく、精進して参ります。
気を長めに持ってお待ち頂ければ幸いです。
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