2008/05/22 - 2008/05/23
93位(同エリア398件中)
ベームさん
5月22日。ハイデルベルクを発ち午前中バート・ヴィムプフェンを見た後ロマンチック街道起点の町ヴュルツブルクに向かいました。22日の午後と23日の午前をヴュルツブルク観光に当てます。
ヴュルツブルクはマイン川の中流にあり人口は13万人ほど。古くからケルト人、続いてフランク族が居住。689年聖キリアンがこの地で殉教、キリアンは後にヴュルツブルクの守護聖人になった。741年には司教座が置かれ、以後市民との抗争を繰り返しながらも1802年まで司教の支配が続く。
12世紀、赤髭王フリードリヒ・バルバロッサの時代には度々帝国会議が開かれている。町は第2次世界大戦でほぼ壊滅した。
フランケンワイン生産の中心地。江戸時代に日本に来た医師シーボルトは当地の生まれ。
写真はノイミュンスター教会。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
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バート・ヴィムプフェン駅。
13:37発。 -
バート・ヴィムプフェンからネッカー川を渡って一駅、バートフリートリヒスハル・ヤクストフェルト駅。
ここで乗り換え。 -
バートフリートリヒスハル・ヤクストフェルト駅。
乗換えたRE。 -
ヴュルツブルク中央駅。
15:22着。 -
ヴュルツブルク中央駅。
バート・ヴィムプフェンからバートフリートリッヒスハル・ヤクストフェルトという長ったらしい名前の駅で乗り換えて約1時間50分。二つの町が合併したのでそのまま町の名をくっ付けたのだろうか。日本みたいに全く新しい名前にして歴史が分からなくなってしまうようなことはしない。ガルミッシュ・パルテンキルヘンしかり。四国に市町村合併により誕生した四国中央市というのがある。味も所縁もない無味乾燥な名前。 -
少し歩くと教会が見えてきた。ハウク教会。
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ヴュルツブルク:駅からホテルアンベルガーに行く途中にあったハウク教会。1691年。
ヴュルツブルクは古都らしく教会の多い町。 -
ハウク教会。
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ちょっと立ち寄る。
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ヴュルツブルク:ハウク教会。
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ヴュルツブルク:レジデンツ正面。
ホテルに荷物を置きまず向かったのが歩いて数分のここ、世界遺産。
正面の広場に建つフランコニアの泉。足元にはヴュルツブルクに縁の深いヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(吟遊詩人)、ティールマン・リーメンシュナイダー(彫刻家)、グリューネヴァルト(画家)の像。 -
ヴュルツブルク:レジデンツ右翼。
ドイツバロック建築の最高傑作。1720年に建設が始まり1744年完成。バルタザール・ノイマンの建築。1719年まで司教はマリーエンベルク要塞を居城として市民と対峙してきたが、世の中が落ち着くとともに高台の要塞から地上の宮殿に移ってきた。 -
ヴュルツブルク:レジデンツ左翼。
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ヴュルツブルク:レジデンツ。
階段の間。内部撮影禁止なので絵葉書です。 -
ヴュルツブルク:レジデンツ。
イタリアの画家ティエポロ作階段の間の天井画。1枚のフレスコ画では世界一大きい。奇跡的に戦争の被害から免れたという。絵葉書。 -
ヴュルツブルク:レジデンツ
皇帝の間。絵葉書。 -
ヴュルツブルク:レジデンツ
鏡の部屋。絵葉書。
何とも豪華なものです。当時の司教領主は神に仕える身でありながらむしろ領民から税を搾り取るのに熱心だった顕れ。 -
ヴュルツブルク:レジデンツの庭園側に回る。
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ヴュルツブルク:レジデンツの庭園。
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ヴュルツブルク:レジデンツの庭園。
さして広くはないが綺麗に手入れされている。 -
ヴュルツブルク:レジデンツ。
庭園の「プロセルピーナの誘拐」。ローマ神話の黄泉の王プルートがプロセルピーナを掠奪するところ。 -
ヴュルツブルク;レジデンツ、庭園側。
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ヴュルツブルク:レジデンツ裏側。
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ヴュルツブルク:レジデンツから聖キリアン大聖堂へ。
起源は1188年の建設だが第2次世界大戦の爆撃で破壊され戦後再建。
聖キリアンは7世紀後半この地方でキリスト教を布教し689年殉教、後にヴュルツブルクの守護聖人となった。 -
ヴュルツブルク:聖キリアン大聖堂。
後陣側。 -
ヴュルツブルク:聖キリアン大聖堂。
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ヴュルツブルク:聖キリアン大聖堂。
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キリアン大聖堂。
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ヴュルツブルク:聖キリアン大聖堂。
代々のヴュルツブルクの司教が眠っている。 -
ヴュルツブルク:聖キリアン大聖堂。
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ヴュルツブルク:大聖堂の前のレストランでパスタとフランケンワインの夕食。10ユーロ。
フランケンワインは何が良いかとウエイトレスに聞くと、私ならこれを飲む、とメニューを指さすのでそれにする。辛口。 -
ヴュルツブルク:マルクト広場の市庁舎。
塔は12世紀。 -
ヴュルツブルク:市庁舎。
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ヴュルツブルク:マルクト広場の市場。
張り切って履きなれない靴を履いてきたため早くも旅行3日目あたりから靴擦れをおこした。ここにきて我慢できなくなり靴を買い換えようと靴屋を探す。日本なら量販店などに安い靴が山積みされているがドイツでは見かけない。ようやく靴屋を見つけたが普通のウオーキングシューズみたいなのが50ユーロ。当時1ユーロ165円ほどだったので高い買い物となった。以降旅行の終わりまでびっこ曳き曳きの旅となる。 -
ヴュルツブルク:マルクト広場の市。
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ヴュルツブルク:マルクト広場の市。
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ヴュルツブルク:マルクト広場。
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ヴュルツブルク:アルター・クラーネン。
マイン河畔の古いクレーン、盛んだった水運の名残り。1770年。 -
アルター・クラーネン。
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ヴュルツブルク:マイン川にかかるアルテ・マイン橋。
橋の着工は1473年、完成は1543年。
橋の両側には聖キリアンやブルクハルト、カール大帝などの石像が並んでいる。 -
ヴュルツブルク:アルテマイン橋の聖キリアン像とマリーエンベルク要塞。
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ヴュルツブルク:アルテマイン橋とマリーエンベルク要塞。
ヴュルツブルク一のヴューポイント。 -
ヴュルツブルク:マリーエンベルク要塞。
1200年頃から建築が始まり、1253年~1719年まで大司教の居城・要塞であった。 -
ヴュルツブルク:マリーエンベルク要塞。
シェーンボルン門。
アルテ・マイン橋から歩いても行けるが足が痛くてとてもじゃないけど歩けない。ちょうど要塞の入口近くまで行くバスがあったので利用した。本数が少ないので帰りのバス便も調べておくと良い。 -
ヴュルツブルク:マリーエンベルク要塞。
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ヴュルツブルク:マリーエンベルク要塞。
シェレンベルク門。1482年。司教シェレンベルクの名に由来する。 -
ヴュルツブルク:マリーエンベルク要塞。
ベルクフリート(主塔)。牢獄にも使われた。彫刻家でヴュルツブルク市長も勤めたリーメンシュナイダーも1525年の農民戦争で農民側に与したため捕らえられ、この塔に閉じ込められたことがあるそうだ。 -
ヴュルツブルク:マリーエンベルク要塞。
馬の水飲み場。 -
要塞内にワイナリーがありフランケンワイン1本お土産に買う。11ユーロくらいだった。写真は飲んだ後の空瓶、独特の形をしている。ボックスボイテルという。
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ヴュルツブルク:マリーエンベルク要塞。
マリア教会。706年。要塞が築かれる前からここに城塞があり、その付属教会だった。 -
ヴュルツブルク:マリーエンベルク要塞。
マリア教会。 -
マリア教会。
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ヴュルツブルク:マリーエンベルク要塞。
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ヴュルツブルク:マリーエンベルク要塞。
領主の庭園。ここからのヴュルツブルク市街の眺めが素晴らしい。 -
ヴュルツブルク:マリーエンベルク要塞。
全景、手前が領主の庭園とマイン川、奥がマイン・フランケン博物館です。絵葉書。 -
ヴュルツブルク:マリーエンベルク要塞より。
マイン川とアルテ・マイン橋。
マイン川はチューリンゲンヴァルトの南端あたりに源を発しドイツ中央部を西に流れヴュルツブルク、フランクフルトを経てマインツでライン川に注いでいる。またバンベルクあたりでマイン・ドナウ運河に入りレーゲンスブルクの近くでドナウ川とも結ばれている。まさに水運の大動脈だ。 -
ヴュルツブルク:マリーエンベルク要塞より。
左方の4本の塔がキリアン大聖堂。 -
ヴュルツブルク:マイン・フランケン博物館。
中世ドイツ最高の彫刻家といわれるティールマン・リーメンシュナイダーの作品が多く所蔵されている。
1460年頃生まれ1531年この地で死去。1520年にはヴュルツブルク市長になっている。1525年の農民戦争ではヴュルツブルク市と共に農民側に付き司教側に破れ獄に入る。彼の作品はローテンブルクの聖ヤコブ教会の「聖血の祭壇」、クレクリンゲンのヘルゴット教会の「聖母マリア昇天の祭壇」などロマンティック街道沿いの町やフランケン地方に多く見られる。 -
ヴュルツブルク:マイン・フランケン博物館。
リーメンシュナイダー作「悲しみのマリア像」。なんという美しさ。 -
ヴュルツブルク:マイン・フランケン博物館。
リーメンシュナイダー作アダムとエヴァ像。奥はキリストを抱くマリア。 -
ヴュルツブルク:マイン・フランケン博物館。
アダム像。マリア礼拝堂にも同じ像があるがそれはレプリカでこれが本物。 -
ヴュルツブルク:マイン・フランケン博物館。
エヴァ像。 -
ヴュルツブルク:マイン・フランケン博物館。
リーメンシュナイダーの作品。 -
昔のぶどう絞り器。
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ヴュルツブルク:バスで街に戻ってアウグスティーナー教会。
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ヴュルツブルク:アウグスティーナー教会。
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ヴュルツブルク:アウグスティーナー教会。
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アウグスティーナー教会。
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ヴュルツブルク:ノイミュンスター教会。
11世紀、聖キリアンの墓の上に建てられた。工事中で入れず。中世の吟遊詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(1230年没)の墓を見たかったのだが。
後日記:この願いは2011年の再訪時に果たすことが出来ました。 -
ノイミュンスター教会。
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ヴュルツブルク:マルクト広場のマリア礼拝堂とファルケンハウス。
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ヴュルツブルク:マリア礼拝堂。
1481年。ホール式教会(ハレンキルヒェ)。
支配者司教の大聖堂に対しこれは市民の教会。 -
ヴュルツブルク:マリア礼拝堂。
常駐の司祭がいないのを礼拝堂というらしい。 -
マリア礼拝堂。
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ヴュルツブルク:マリア礼拝堂。
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ヴュルツブルク:マリア礼拝堂。
明るい堂内。 -
ヴュルツブルク:ファルケンハウス。
18世紀のロココ建築でヴュルツブルクで最も美しいと言われている市民の家。インフォメーションが入っている。 -
ヴュルツブルク:ユリウス・シュピタール。
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ヴュルツブルク:ユリウスシュピタール。
元施療救貧院、現ワインレストランも営んでいる。 -
ヴュルツブルク:ユリウスシュピタール。
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入口のプレート。
「領主司教ユリウス・エヒター・フォン・メスペルブルンにより1576年創設されたユリウス・シュピタール(救貧院)」。 -
ヴュルツブルク:ビュルガーシュピタール。
1319年以来の施療院。フランケンワインレストランが有る。 -
ヴュルツブルク:ビュルガーシュピタール。
23日、12:36発のREでバンベルクに向かう。
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