2010/12/24 - 2011/01/08
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ちゃおさん
訪問した先の街を手っ取り早く見て回るには、半日乃至1日ツアーに参加するに越したことは無い。当方もサイゴンにはわずかに2泊の滞在。残された1日を有効に使わなければならない。と言うことで、今日の大晦日はホテルの直ぐ近くにあるAgentで、市内の1日ツアーを申し込んでいた。
Agent Office前を9時過ぎに出たツアーバスは約10人程の西洋人を乗せて出発。先ずは戦争記念博物館に向かう。ここはベトナム戦争時の軍備品、戦略、戦争の悲惨さ、写真、メデイア、等を広範に揃えた博物館で、サイゴンを訪れる人の多くが立ち寄る場所になっている。
ベトナム戦争の開始時期ははっきり記憶していないが、終結時は、テレビでも新聞でも大々的に報道され、それは1975年の4月、サイゴンがベトナム共産軍に包囲、解放され、最後に残った米国大使館より、海兵隊に守られた欧米系関係者がヘリコプターで脱出した時だった。同時に、欧米系シンパの軍人、市民の多くも、この国から逃亡し、ボートピープルになったり、近隣諸外国に政治亡命を求めていた。
このベトナムの地に大量のアメリカ人若者を兵士として送り込んだのは、ケネデイー政権を維持していたマクナマラ始めとするハーバード出身のNaughty7の面々で、ケネデイー亡きあと、それを引き継いだLBジョンソンが更に大々的に拡大をした。
元々このベトナムは歴史的に独立の気運の強い民族で、過去1000年の間、隣国の中国との独立・覇権の争いで絶え間なく、歴史的には多くの期間、中国の属国とはならずに、独立を保持してきたものだが、19世紀になり、西欧列強の近代兵器には適うことなく、不本意ながらフランスの植民地になったものだが、第2時世界大戦が終了すると同時にいち早く独立戦争を初め、かの有名なビエンビエンフーで、フランス軍を追い払ったのだったが、国際調停により、ベトナムは南北に分断された状態に置かれた。
これ等独立運動、更には南北の統一を推し進めたのは、ホーチミン主席を中心とする当時のベトナム共産党指導部であったが、その多くはフランス国費の留学組で、ENA出身者も多く含まれていたが、フランス政府は結果的に自国からの独立を図る若者を自国の費用でもって教育していたことになり、後問題を起こすポルポト首脳部についても同様のことが言えたのだった。
英米とフランスの植民地施策に対する考えは、こんな程度のものでは到底比較できないが、この戦争記念博物館に入ると、過去ベトナムが受けた受難の歴史、ベトナム戦争時の悲惨さ、報道のあり方、遺品の数々、等々心に強く打つものが展示されている。
しかしあちこちに見える小中学生のグループ、先生に引率された団体は規律正しく、従順で、多分ベトナム各地から修学旅行等で集まってきているに違いないが、これ等青少年を見ていると、ベトナムの明るい将来が見えてくるようだった。それと又、日本人の一人としては、この記念館にジャーナリストの石川文洋氏がキャパに並んで1コーナーを設けられ、彼の戦争写真集が多く展示されていたのには、この国に対する敬意を表したかった。
- 旅行の満足度
- 4.0
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