2010/12/25 - 2011/01/01
1141位(同エリア1964件中)
ねいちゃさん
デリーからアグラ・カジュラホ・バラナシと北インドを周遊してきた私たちは、ここでもう一度デリーに戻ることになります。デリーの市内観光が今回の旅の最終日、インド最後の一日がまもなく明けようとしています。
ちなみに今日は日本では大晦日・・・なのですねぇー。ま、インドでも大晦日なわけですけど、レコ大や紅白、年越しソバもない大晦日。年越しカリーを機内で頂きましょう、これもまた一興・・・。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 1.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 レンタカー 飛行機
- 航空会社
- エアインディア
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
バラナシ空港
サルナートから一旦ホテルに戻り昼食を済ませた後、13時に出発し空港へ。しかしここでももはや「お約束」の遅れでもって1時間半待機・・・さすがに疲労であまり動けず、ただただぼーっとしておりました。この飛行機に乗ればあとはデリーのみ、いよいよ終盤です。 -
失敗写真?!いえいえ、目をこらしてよぉーーーくごらんください。なんか白ーーーいのが、ぼやぁーと見えませんか?
バラナシからデリーへ向かう右手の方角・・・運がよければ見えるかも・・・と言われるヒマラヤ山脈です。今回の旅は霧に祟られましたが、飛行機の車窓?からの景色は全て網羅したのかもしれません。運がいいんだか、悪いんだか。
バラナシからデリーへ行かれる際には右手の窓際がいいですよー、自分で選べる機会があれば是非に。 -
デリー到着。初日の霧よりはずいぶんマシになってます。デリーの空港はこうなっていたんだとはっきりとわかりましたから。でもまだぼんやりとしていますが。今晩はこのままホテルにもどり、夕食もホテルでとることになります。
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ホテルは初日泊まったヒルトン・ガーデン・インで、デリーの南の方にあります。初日は確か2階で外が見えなかったのですが、今度は7階で外がよく見えます。このあたりにはショッピングモールがあるようで、イルミネーションがつけられております。まぁムッチャ綺麗!とはしゃぐほどではありませんが・・・。
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夜が明けました、12月31日の朝、インド最終日。外の景色はこんな感じでした。朝靄で少しぼやっとしていますが、12月のインドは全く雨が降らないので、その点では天気には恵まれました。霧さえなければですが。
さぁ朝食をすませ、気合いを入れてデリーを見て参りましょう。 -
クトゥブ・ミナール[Qutb Minar]
インド最古のイスラム遺跡で、ミナールとともに遺跡群があり、コンプレックスを形成しています。この塔はインド最初のイスラム王朝である奴隷王朝の建国者アイバクが戦勝記念として建造したもの。クトゥブは「勝利」でそのまんまの「勝利の塔」、とってもわかりやすいネーミング。
ところで、ムガル3代目のアクバルと奴隷朝の創始者アイバクって、とっても名前似てますよね。受験生時代結構どっちだったかなぁーって迷った記憶があって、どっちとも印象的でした。 -
高さ73m、4つのバルコニーを持つ5階層。基部の直径は14.5mで頂上は2.5m、写真に見える上部2段は大理石製。この2段はトゥグルク朝の時代になってなから作られ当時は100mになっていたが地震によって落下、ムガル朝時代にはチャトリもあったがこれも取り外された。ガイドさんは軍用機がぶつかって上が壊れたと仰っていたが、どうも嘘くさいお話でした。ただインドならあり得ない話ではないのが笑い話たるゆえんかも。
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基部に刻まれたクルアーンのアラビア文字が見事な装飾をなし、円と三角が交互に断面をつくるとても力強さを感じます。上部とは違いこちら3層までは赤砂岩で、後のラールキラーと同じ石材。写真には出入口が見えますが内部の見学はできません。かつては中の階段を使って上部に登ることができたらしいが、見学中の子供が転落死したため以来封鎖されています。
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チャンドラヴァルマンの鉄柱[Iron Pillar]
中庭にある高さ7m・重さ6t余もある鉄柱、なんど鉄の純度は100%で、4世紀のグプタ朝期チャンドラグプタ2世(超日王)を記念して造られたという。今から1700年前の鉄、純度が高いせいか少しの錆もなく、かつては柱を背に手を後ろ向きにして触れれば幸運になると言われたが、今は柵に囲まれてしまっています。 -
イチオシ
コンプレックスの門からクトゥブ・ミナールを臨む。ここが絶景の撮影ポイント、塔の全景が遺跡の間から綺麗に見えます。
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クワット・ウル・イスラーム・マスジッド[Quwwat-ul-Islam-Masjid]
アイバクがデリーを占領した後の1198年に完成したインド最初のモスク。アイバクはヒンドゥー寺院やジャイナ寺院を破壊しその石材を利して造った、その名の意は「イスラムの力」。彼は文字通りそれを実践してみせたことになる。その後イールトゥトミッシュやアラウッディーンにより2度の拡張を経て、現在のコンプレックスを形成した。 -
イチオシ
門にみられるイスラム装飾。現存しているのはアーチ状の門とその壁面であるが、残っている部分の装飾は見事という他はない。往時はさぞ壮麗であったであろうことが偲ばれる。
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下から見上げる鉄柱とミナール。丁度飛行機が飛んでいたので慌てて撮影。やっぱりいくら高いとはいえ、このミナールに軍用機がぶつかったというのはどうも信じがたい高低差がありますよね。
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イールトゥトミッシュの墓[Tomb of Iltutmish]
アイバクの後継者イールトゥトミッシュの墓で、現存するイスラム君主最古のもの、中央に大理石の石棺があり、往時はドーム状天井も当然あったが崩壊している。1235年の建造、日本では東大寺南大門が再建され、金剛力士像が造られ、御成敗式目が制定される鎌倉時代。新古今和歌集や鴨長明の方丈記が創られた頃・・・うーん、余計にわかりにくい。 -
アライ・ミナール[Alai Minar]
ハルジー朝のアラウッディーンがクトゥブ・ミナールの2倍の高さの塔を建てるべく1312年着工。直径が25mでクトゥブより10mも超えており完成すれば間違いなくクトゥブ超えになっただろうが、王は4年後に暗殺、塔もこのまま放置された。
蘊蓄−デリースルタン朝はデリーを首都とした奴隷・ハルジー・トゥグルク・サイイド・ロディの5王朝をさし、ムガル帝国に破れるまで存続し、インドのイスラム化が急速に進められた。 -
インドの大衆車ヒンダスタン・アンバサダー
昔は車といったらこれしか走っていなかったといっても過言ではないアンバサダーも今はすっかり少なくなって、パトカーとなって保存?されています。俗にいう「走るシーラカンス」。太古の昔?には月光仮面も乗っていたという噂のこの車ですが、輸入して外装はそのままにエンジンまわりや内装など総替えしてハイブリッドカーにして乗り回したいというのが夢。実にカッコイイと思います。 -
次のフマユーン廟に向かう前に、お土産として紅茶屋に連れて行ってもらいました。インドといえば紅茶、アッサムにしろダージリンにしろいわゆる原産国ですから、紅茶は高価なものもありペットボトルくらいの大きさで2500円もしました。でも帰国後飲んでみるともうハンパなくうまいです。日本では売ってないんですよねぇー、あれば絶対に買うのに。リプ○ンとかト○イニングの紅茶ってもう飲めないっス。インドへ行かれた際には是非一番茶をお土産に!
あ、写真はフマユーン廟の入口です。 -
フマユーン廟の西門
赤砂岩と白いチャトラが鮮やかです。フマユーンはムガル帝国第2代めの皇帝で、ここには彼の墓が安置されています。ペルシア様式の庭園に囲まれた廟という形式は、後のタージ=マハル廟などのムガル建築に多大な影響を与えました。 -
フマユーン廟[Humayun's Tomb]
廟は一辺47.5mの基壇の上に立ち、中央ドームの四方には方形の角をきれいにカットしたような八角形の建物が取り囲んで建てられている。赤砂岩をベースに白大理石で縁取りされた色調はタージ=マハルとはまた違った趣の美しさを誇っています。 -
チャハール・バーグ[Chahar Bagh]
チャハール・バーグは四分庭園と呼ばれ、4つの区画に分けられた正方形の庭園からなり、各道の中央には写真のように水路が走り、その交点には池や小広場が設けられています。 -
フマユーン墓室
墓室には格子窓によって外光が取り込まれかなり明るくなっている。遺体はこの大理石の石棺に収められているのではなく、その真下にある棺に安置されている。こうした模棺(セノターフ)を置くのもペルシア様式であり、廟内には150名もの人物が埋葬されているのだが、その詳細はよくわかっていないらしい。
ここはまたムガル帝国終焉の地でもある。1857年シパーヒーの反乱の際、最後の皇帝バハードゥル・シャー2世は3人の王子とともにこの廟に避難したが、ウィリアム・ハドソン率いるイギリス軍によって捕らえられ、帝位を剥奪され、英領ビルマのラングーンに追放されてしまう。その彼が捕縛されたのがこの模棺のすぐ傍だったと言われている。 -
基壇を登ると中央ドームはこのように見えなくなり、東西南北のどこから見ても均一の正面(ファサード)を見せてくれ、赤と白のコントラストが美しく象嵌の技法も取り入れられた。その左右の立体面にはアーチ状の天井をもつイーワーンが開かれ、構造物としての奥行きを巧みに表している。
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基壇は高さ7m・一辺95mに及び、その中央に上層建築が一辺48mで置かれている。つまり、基壇と上部はほぼ2対1の比率で庭園構造と軌を一にしており、絶妙なバランスが優雅さを醸し出します。
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イチオシ
チャハール・バークからのぞむフマユーン廟
皇帝の死後、妃ハージ・ベグム[Haji Begum]によって着工され、ペルシア出身の建築家サイイド・ムハンマド・イブン・ミラーク・ギヤートゥッディーンとその父ミラーク・ギヤートゥッディーンの2人の建築家によって9年後の1656年に完成した。このペルシア様式をもつ廟は、3代アクバル廟や4代ジャハンギール廟にはなぜか採用されず、5代シャージャハーン帝によるタージ=マハル廟で再び採用されることとなる。 -
では、フマユーン廟最後のショットはお約束のアーチからのぞむ廟ということで・・・。
続きは、「悠久のガンガーにふれて・・・⑦(最終回)」をお楽しみください。
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