2011/06/08 - 2011/06/23
3500位(同エリア4701件中)
雪兎さん
旅行二日目の今日はとにかく近所を歩き回る事にします。
宿泊した部屋の設備は別にしてとにかく立地が抜群で
5分も歩けば観光スポットの教会群が見える所です。
表紙は歩き回った末にたどり着いた魚見坂
表示板で棒グラフに見えるのは皆名前つきの坂
棒グラフの赤い色がこの坂の位置にあたります。
私達の部屋は左側二・三本目位の位置。
だらだら歩くと色んな物が見付かります。
歩数計は13800歩でした。
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函館観光はまず坂から始まります。
多分誰が行ってもそうだと思うのですが
どんと真っ直ぐな坂道が並んでいるのに吃驚。
度々の大火で整備された結果でしょうが
とても近代的な感じを受けました。
どの坂道も臥牛山に向かって一直線。
上で色んな風に交わったり消えたりして
昔の立地が残っててその部分がいい感じでした。
長崎なんか古い町が残っているので
坂道は昔のまんまウネウネと曲りくねってます。 -
まず左端っこに近い
この坂上にある護国神社へ
標識の上にとまってる鳥は作り物ですが
何となく和やかにさせてくれます。 -
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紙ではなくて板に書いたカルタという物があった様です。
作者は 中村北湖 大阪の出身です。 -
新政府軍の墓地です。
護国神社の脇からこちらへ繋がります。
歩いてみると護国神社と一体の敷地に見えますが
各種案内パンフレットでは別の寺社となっています。
此処だけを探しに来ると見付かり難いと思います。
写真右に出ると箱館山への登り道になっていて
車も通りますが人も登れます。
後日そこを通って登山路に入りました。 -
書かれた文字に時代を感じます。
遥々薩摩から戦争しに来た人が居たんですね。
まあ逃げてきた旧幕軍が居たから仕方ないのでしょうが
この後西郷さん迄が賊軍となって死んだ事を思うと
戦争って何なんだろう、しかも内戦なんて不毛だな…
日本国新生の明治維新も色んな無理無駄を経ていますね。 -
元町配水場
あんまり坂を下がらずに道成りに来るとここです。
日本で二番目に出来た水道施設だそうです。
しかし日本人だけでという条件を付けると
此処が日本で初めての、と言ってよさそうです。
此処の水というのが五稜郭の背後にある山から
延々16キロとか(距離はっきりしません)
今は函館の市街地の部分を鉄管で引いて来た
と言う都市計画に則った素晴らしい物です。
土木遺産になるわけです。
勿論一番初めは神奈川県横浜です。
こちらは外国人の設計になるそうです。
そんな貴重な遺構でしたが
日本初めての多い横浜は無頓着で
(これに付いては嘘が多いと言う指摘もあります)
折角の正真正銘の日本初めても
昔はただ水音だけが激しいマンホール
しかありませんでした。
数年前からはは綺麗な水路施設になっていて
誰でも見て日本初めての感傷に
浸ることが出来ます。 -
敷地は大きくて水飲み場もあります。
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管理事務所は保存建物です。
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函館では珍しいアイヌ語の名前の坂です。
チャチャとはアイヌ語でおじいさんの事で
腰を前屈みに坂を登る姿からきているそうです。
道成りに着たのでこの坂上から
下の教会群へ降りる事になります。 -
この辺教会が多いです。
とりあえず今日は外側から見るだけ。 -
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別名ガンガン寺という鐘が有名な教会です。
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演歌の北島三郎この学校の卒業生です。
函館の進学校で彼は毎日4時間かけて往復したそうです。 -
北島三郎さんの通った高校の下には
別名ソフト通り、ソフトアイスの店が並んでます。
此処は貴石の切れ端がおまけに付きます。
メロンソフト美味しかったです。 -
この店では絵ハガキが付きます。
昼間の暑さには吃驚です。
日差しが強くて直ぐ日に焼けます。 -
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境内には水溜り位の池があって
蝦夷ひき蛙の生息池です。
函館では道路標識にカエルがある位
大事にされています。
池の縁には石代わりに砲弾の弾頭ありました。 -
神社の常で小高い所にあります。
長崎のグラバー邸も戦時中に軍に摂取されていた様に
此処の小高い立地は軍事的好条件を満たしていたのでしょう。
明治政府の軍用施設があった様です。
この石標は日露戦争の少し前に設置されてたようです。
日本は開国して早い時期から
ロシアの脅威を感じ取っていたようで
その危惧はその後の北方領土を見ても判る通りです。
明治の男は偉かった…というのは本当ですね。
といっても脅威ばかりでなく片やロシア領事館跡や
今も活発に活動しているロシア関係の学校施設など
平和に共存しているモノもあります。
時代で変化する国家関係の遺物は
残す努力が無ければ何も無かったかの様に
人の記憶から消えてしまいます。
博多で沢山元寇遺跡遺物見た事が役に立ちました。 -
旧函館区公会堂
これは本来下の方にあり現在の場所に移転したものです。
函館の町衆が大事の保存使用して復元公開しています。
今は函館レトロな町並みの中心になっています。
観光関係のボランティアの皆さん
焼けて何にも残っていないという中で
何とか古い函館のレトロな雰囲気を残そうと
とっても頑張っています。
実は北海道には
他にも札幌の豊平館と言う建物があり
似通った施設ですがこちらより古いので
函館の旧公会堂は二番目に古い?
という事になります。
しかしこちらは
全面日本人の大工の手になるそうで
輸入暖炉とのサイズがちぐはぐな腰板の高さや
市松模様の木タイルの床やドアの木口や
函館市民が自らの手で再建し息長く使い続けてきた
という函館自慢が随所に見られます。
レトロなドレスや燕尾服で記念写真もあります。
ボランティアスポットなのでお話伺うと面白いです。
でも今日はパスして次に回ります。 -
旧北海道庁函館支庁庁舎
北海道指定有形文化財
公会堂の下の公園にあります。
中は観光案内所と写真博物館 -
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公会堂の並びです。
この相馬邸は最近公開になったばかり。
函館の豪商の建てた家です。
今日は外見だけでパスしました。
ひたすら歩き回っています。 -
高校の下にはもう一つここがあります。
ロシアと函館の縁は深いものがありますね。
きっとロシア船も沢山蟹積んでくるんでしょうね。 -
街中でロシア人にすれ違うこともありました。
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なかなかいい感じのマンホール。
景観地区らしいですね。 -
結構歩き回って空腹になって
後戻りして五島軒でランチです。
セットメニューでハンバーグですが
此処はカレーが名物です。 -
ビーフシチュー
ご飯とサラダとコーヒーが別OP
洋食だけにシチュー美味しいです。
このときは知りませんでしたが
五島軒には五島さんのプチ博物館があります。
後日行きました。 -
道を違えてさっきまでの観光に戻ると
途中にこういう石碑がありました。 -
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道々こういう家が見られます。
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公会堂前の坂です。
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此処右側にはペリーの像もあります。
外人墓地の方から引越ししてきてますが
観光案内ではまだ訂正できて無い様で
散々探し回る事になりました。 -
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下の方に降りてゆくと蔵がありました。
函館には他にも結構蔵が残ってます。 -
蔵の傍にこんな説明版があります。
新撰組関係の場所は他にも結構あります。
五稜郭のある函館では
新撰組関係の薀蓄に詳しい方が多いです。
「函館なんてソン位しか歴史無いから」
ご謙遜です。 -
江戸時代が終わり明治政府が開国をすると
日本唯一の貿易拠点だった長崎から大勢の華僑が
新開港地にビジネスチャンスを求め移動して行きました。
と、以前長崎のボランティアの方から伺いました。
なるほど横浜などが良い例で華僑は貿易で儲け
今でも日本一のチャイナタウンがあります。
函館も開港地です。
華僑の方が来ていたんですね。 -
しかし現存する日本唯一のと言うのは…
この様式のと言う事であればありえます。 -
この外人墓地と言うのは主に中国人墓地の事です。
西洋人のものもありました。
と書いてよく写真見直したら西洋人の墓地がありました。
他には教会の墓地群です。 -
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寺院が多くなります。
此処は新撰組屯所のあった場所から
移転してきた寺ですね。 -
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これもオリジナルはなくて再建だそうです。
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鯨族供養塔
上のお寺の前の道沿いにあります。
今でこそ捕鯨は悪と言う白人が居ますが、
欧米の白人国にとって鯨油は大事な資源で
鯨はただ油を採るためだけに大量に殺されていました。
ペリー等も本来は捕鯨の便を得る為に
日本寄航を望んで開国を迫っていたのです。
ニコルさんの言うように鯨を食べたり
余す事なく利用しする日本人とは全く違ってました。
そういう事が見て取れる記念碑です。
この日は近くの小学校の父兄が子供達の為に
何かイベントを仕掛けたようです。
紅白幕は後日消えていました。 -
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大火事が多かった函館で
この木は類焼を免れたんでしょうか。
電話ボックスと比べても物凄く太いです。 -
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今は廃墟です。
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地図にあった坂の端っこです。
この坂から左には海だけです。
もっと色々な物があるのだけれど載せ切れません。
坂を上り下りの一日でした。
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