2011/06/26 - 2011/06/26
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SPIRANさん
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今日は天気が怪しいので近場へお出かけ。
春の桜の時に行ったけど資料館とか史跡とか見てない小浜宿へ行ってみました。
小浜は中国道宝塚インター近くにあり、江戸時代には有馬街道の宿場町として栄えた所です。
阪神淡路大震災で多くの家が被害を受けて建て直され、かつての宿場町の雰囲気はほとんどありません。
そういうのを期待して来るとがっかりするかもしれませんが、古い建物やお寺も少ないとはいえ残っています。
そしてここには霊験あらたかでインパクト大な首地蔵さまがいらっしゃいます。
宝塚歌劇や手塚治虫記念館からも、そんなに遠くないですよ。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
阪神バス小浜バス停です、小浜は「おばま」ではなく「こはま」です。
JR、阪急の宝塚駅からバスで10分くらいです。
車だと小浜宿には駐車場が無いので400mほど南西にある市立スポーツセンターの向かいの駐車場(有料)に停めるといいでしょう。
高架をくぐった信号の所が小浜宿入り口です。 -
小浜宿入り口。
坂道を少し上ります。
宿場町の雰囲気を出すためか普通のアスファルトじゃなくて茶色い舗装がされています。 -
坂道を上がると小浜宿の南門跡、といっても愛宕宮の祠があるだけですけど。
右へ行くと毫摂寺。
少し手前の道を左へ行くと首地蔵。 -
南門跡の愛宕宮の祠。
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小浜宿案内図。
あちこちに案内図があるし、そう広い所でもないので道に迷うことはないでしょう。 -
毫摂寺(ごうしょうじ)です、またの名を小浜御坊。
小浜は毫摂寺の寺内町として発達した町です。
境内は自由に入れますが普段は本堂の見学はできないようです。 -
戦国時代の小浜は一向宗門徒の拠点で当時は小浜城とも呼ばれたそうです。
豊臣秀次がこのお寺の娘を側室にしたため、秀次が切腹させられた時には、このお寺までもが焼かれてしまったなんていう歴史もあります。 -
毫摂寺の外塀です、下の所の作りが独特ですね。
-
代官所跡。
高札がいっぱい掲げてありますが、それ以外に代官所跡を思わせるようなものは何もないです。 -
北門跡。
ここにも愛宕宮の祠。
東門跡も同じような感じ。 -
北門跡前の道。
橋を渡って行くと旧和田家住宅ですが閉館時間近くだったので今回はパス。
旧和田家住宅は江戸時代中ごろの民家で家の中にも入れるようです。(見学無料)
左の細い道を下りるといわし坂。 -
ここがいわし坂。
ただの坂道ですね〜。
この坂の下に着いた船から、いわしを運んだ道だそうです。
というか昔この坂の下が海だったんですね、それはびっくり、今は海まで10km以上あるのに。
小浜という地名も、ここらが浜だったからだそうです。 -
この坂の所だけちょっとした渓谷の雰囲気になっています。
下に流れるのは大堀川。
ここはずいぶんと他より涼しくて、しばらく休憩。 -
いわし坂より戻って小浜宿資料館へ。
入場無料です。 -
昔の道具や高札など展示されてます。
-
昔の町並みの模型。
ずいぶん良くできてます。 -
資料館のとなりが山中家住宅。
山中家は戦国武将、山中鹿之介の子孫だそうです。
邸内に名水「玉の井」の井戸があるそうですが、見られないみたいです、残念。
この水で千利休が豊臣秀吉に茶をたてたとの話が残っています。 -
山中家の向かいが井川家住宅。
江戸初期の建物だそうです。
かつての造り酒屋「菊仁」です、今も杉玉が下げられています。
当時は玉の井の水で日本酒を造る造酒屋がたくさんあったそうです。 -
資料館から見えるちょっと変わった色の鳥居。
小浜戎こと皇大神社です。
えべっさん(えびす神社のお祭り)の時は賑わいます。
それでは南門跡の方へ戻って首地蔵へ。 -
首地蔵への分岐。
大へん古い道標と書かれた説明板、あちこちに古い道標があって、説明板が立てられています。
でも下の方の右○○左○○と彫られた部分が半分埋まっちゃってますが、なんとかならなかったんでしょうか。 -
坂を下って行く途中に高台があります。
この階段の上が首地蔵さま。
残念ながらバリアフリーじゃありません。
階段を上ると・・・ -
どーん!と
初代首地蔵さま。
昭和50年に火災にあってお顔が少し欠けてしまいました。
それで町の人々が新たに2代目首地蔵さまを作り、初代は一時引退していたそうですが今はまた2代目と一緒に祀られています。
いつごろ作られたとかの由来はよくわかっていません。
夢のお告げで海岸を掘ったら出てきた、武庫川から流れてきた、伊丹のお殿様(名前は不明)が寄進したとかの話が伝わっています。 -
2代目首地蔵さま。
初代より少し背が高く色黒、お顔の高さ約1.2mです。 -
手前には護摩堂が設けられています。
でもお地蔵さまの上には屋根がありません。
大正時代の頃にお堂を建てようとしたところ大工さんが病気になり、代わりの大工さんもまた病気になったので、きっと屋根の下はお嫌いなのだろうということで、そのまま外に置かれているそうです。 -
首から上のすべての病気に霊験あらたかな首地蔵さま、それなら頭も良くなるだろうということで合格祈願に訪れる受験生が増えているそうです。
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なんか怖いイラスト。
伊子志(いそし)の渡しとは大正時代頃まで武庫川にあった渡し舟のことです。
今は渡し跡の碑があるだけです。 -
首地蔵の下にある谷風岩五郎の墓。
江戸時代の小浜出身のお相撲さんです。
強そうな名前です。 -
首地蔵から坂道を下り、お墓の中を抜けると大堀川に出ます。
上流へ行くといわし坂、下流へ行って右側の広い道へ出ると小浜のバス停です。 -
大堀川花の道公園として整備されていて色々な花が植えられています。
春にはおよそ300mのみごとな桜のトンネルとなります。 -
これは今年の春の桜です。
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水はそんなにきれいとは言えませんが鯉や小魚が住んでいます。
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なまず様もいました。
暴れないでくださいね。
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