2011/05/21 - 2011/05/22
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yasminさん
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今回の旅の一番の目的はここ、国立オシフィエンチム博物館「アウシュビッツ=ビルケナウ」。
学生時代から世界史が好きで、特に近現代については自分の目や感覚で確かめたいと思う。
その場所に訪れて理解を深めたい。
- 旅行の満足度
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
クラクフ中央駅の真ん前のホテル「アパートホテル ステーション」。
名前の通り、超!駅近。180ヅオチ(5,509円)
前日に泊まったホテルで紹介してもらいました。
オシフィエンチム行きのバスターミナルも目の前でした。
ただ、ホテルはかなりシンプルな内装。
私が泊まった部屋はシャワーとトイレが共同でした。 -
PKSバスに乗って、オシフィエンチムへ。
社内で運賃を支払い、11ヅオチ。 -
いくつか小さな街を経て、
途中、こんな風景も広がってます。 -
2時間弱で国立オシフィエンチム博物館「アウシュビッツ=ビルケナウ」に到着。
-
ミュージアムの入口では、いろんな国の人が入場を待っています。
アウシュビッツは入場無料です。
5月のこの時期、08:00〜10:00と15:00以降(閉館時間は時期により異なる)はフリーに入場できますが、10:00〜15:00は必ずガイドの同行が必要。
(なので、ガイド料が発生します)
時期によって時間帯が変わるらしいので、詳しくはミュージアムのサイトなどご参照ください。
私は唯一の日本人ガイド、中谷剛さんにお願いしました。
ガイド料は250ヅオチ(当時7,659円)。
ミュージアムに払いました。(クレジットカード可)
複数人数の場合はワリカンになるらしい。 -
たいていのツアーが10:00から始まるため、一般的な案内ルートは混み合うので、初めに「ガス室」へ。
この建物はガス室として使われた後は倉庫になっていたとのこと。
初めて見て思ったことは、煙突が低いということ。 -
天井の、この穴から「チクロンB」が投入された。
-
焼却炉(復元)
ナチスドイツは、こんな行為をいつまで続けられると思っていたんだろうか。 -
収容所の初代所長だったルドルフ・フェルディナント・ヘスは、この場所でこの絞首台で、1947年、処刑されました。
さきほどのガス室のすぐ横にあります。
この日、絞首台の後ろに缶コーヒーがお供えのように置いてありました。 -
防空壕、SSの。
-
鉄条網が二重に張り巡らされています。
収容所だった当時は高圧電流が流れていました。 -
収容所の棟が並ぶ。
もともと、ポーランド軍の兵舎だったのをナチス・ドイツが接収し、収容所に。
1階建てだったのを2階建てに改修したそうで、よく見ると、レンガの色が少し違うのがわかります。
背の高いポプラは66年前に収容者の手により植えられたものです。
最近、木が弱ってきて危ないということで、新しいポプラが植えられていました。(写真手前) 逆に、ナチス当時のポプラはこういう感じだったようです。 -
棟のいくつかが展示施設になっていて、ガイドツアーで巡った棟では、歴史や仕組みから、ナチスドイツが置いて行った略奪品や書類など、様々な“証拠”が展示されていました。
これは、チクロンBの空き缶。
チクロンBはもともと殺虫剤として製造されていたものです。
チクロンBを製造してアウシュビッツに卸していた会社は、この大量のチクロンBが本当に殺虫のために使われていると思っていたのでしょうか。 -
囚人服と靴。
靴は木靴だったんですね。
履きにくそうです。
つまり、不自由であり、逃げられないようにしていたのだそう。 -
10号棟と11号棟の間にある「死の壁」。
現在あるのは復元だと聞きました。
でも、場所に変わりはありません。
左の10号棟は実験棟。
窓に木枠がはまっているのは、処刑の様子が見えないように。
右の11号棟には裁判所や牢獄があります。 -
有名なゲート「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」。
数年前に盗難に合って壊されたため、今あるのは複製。 -
このバスで少し離れたところにある第2アウシュビッツ「ビルケナウ」に。
-
第2アウシュビッツ「ビルケナウ」。
アウシュビッツの象徴として、よく目にする線路と建物。
ここはポーランドの地名で「ブジェジンカ村」。
白樺の野という意味らしい。確かに白樺が多い。
ドイツ語の「ビルケナウ」は同じ意味“白樺”を表しているらしい。
では、「オシフィエンチム」をドイツ語で「アウシュビッツ」と呼ばれたのは?
音の感じかな。
撮影した時は気づきませんでしたが、線路の真ん中に膝間づいている方がいらっしゃいます。意味はわかりません。線路に口づけをされているような…。
この場所が「負の世界遺産」だとか、現代的な意味付けだけでは収まらない場所なのですね。 -
焼却炉にガス室を備えた複合施設「クレマトリウム」は、ナチスが撤退する時に破壊されました。
第2クレマトリウムの入口。 -
この辺りは湿地帯なので、少し掘ると水がしみ出てくるらしい。
クレマトリウムのそばにこういう池がいくつかあり、人の灰が捨てられた。
カエルの鳴き声が絶えない。
開高健が「ベトナム戦記」でアウシュビッツについて少し触れています。
訪れた時、沼に灰が浮いていたと。 -
女性収容所に使われていたレンガ作りのバラック。
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暖炉。
こんな小さい暖炉では極寒の冬を過ごすのは厳しい、そんな土地です。 -
かつては煙突ひとつひとつに木造バラックが建っていたようです。
ナチス・ドイツは、もともとこの土地に住んでいた人を強制的に移住させて、「絶滅収容所」を作るために、これだけ広大な土地を確保したそうです。 -
ビルケナウの、引き込み線の左側をほぼ一周して入口に戻って来た。
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ガイドはここまで。
約2時間半。
私は残って、全体を巡ることに。 -
案内書を購入。5ヅオチ。
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引き込み線の右側へ。
木のバラックが一部、当時のまま残っています。 -
木造のバラックはレンガのバラックより広く、暖炉がバラックの真ん中を通っている。
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こういうゲートが区画ごとに設けられている。
監視がそうとう厳重だったことが伺える。 -
「司令部」
現在の敷地の外にある。 -
収容者受入棟「ザウナ」。
収容される人は、ここで荷物を“預ける”という名目で没収され、散髪され、シャワーを浴びた。 -
「ザウナ」内のシャワー室。
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ジプシーの人たちの多くが、この木々の間で暮らした。
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この森の向こうには「野焼き」をしたという場所がありました。
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こういう監視塔が敷地の隅々にある。
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引き込み線の終点。
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犠牲者の国際慰霊碑。
引き込み線の終点、第2と第3のクレマトリウムの間にあります。 -
犠牲者の故郷の国それぞれの碑が並んでいる。
これは、英語の碑。 -
レンガのバラックは結構残っていて、当時のまま並んでいます。
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昼間は窓からの光で明るい。
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バラックの天窓。
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バラックの中から外を見る。
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敷地の内側にある監視塔。
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収容者はこの車輌に乗せられてやって来ました。
実際に使われていたもの。
オシフィエンチムはヨーロッパの交通の要所で、ヨーロッパ各国からやってくるのにちょうど都合が良かったようです。 -
収容所の外から、引き込み線を見る。
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アウシュビッツ・ミュージアムに戻って、遅い昼食。
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もう一度、アウシュビッツに入る。
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11号棟にいる時に夕立が。
1時間ぐらい動けなくなった。 -
11号棟の内側から見た「死の壁」
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11号棟の廊下。
11号棟は、当時の状態に近い形で残っているらしい。
映画「灰の記憶(The Gray Zone)」にこの廊下の光景が出てくる。
廊下の奥に見えるのが、移動絞首台。
「灰の記憶」でガス室で生き残った少女のエピソードは、場所や時期は不明だが、実際の話のようだ。
プリーモ・レヴィの本に記載がある。 -
今日の宿泊は、ミュージアムの入口のすぐ前にあるホテル「オレスキ」。
ホテルに直接予約、180ヅオチ。 -
ホテルの部屋。
明日もう1日、オシフィエンチムに滞在。
アウシュビッツの各国の展示や、
ガイドブックを読み返して、もう一度見ておきたいところをチェック。
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