2009/04/06 - 2009/04/06
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kotetsupatapataさん
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パソコン内の写真がどえらい溜まってしまい、整理しようとした所、随分と前の写真が出てきました(*_*) というか忘れていただけ!
そうだ旅行記に残しとこ!
という訳で何の目新しさも全くありませんが、当方の備忘録で作成いたしました。
今回辿ったのは・・
山科駅→インクライン→南禅寺→青蓮院→円山公園→安井金刀比羅宮→祇園→京都駅 という何ともベタベタなルートです。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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京都の桜の名所は数あれど、今回訪れたのは東山地区。
残念ながら、当日の天気予報は雨?模様・・
でも桜の時期は本当に短いので、気にしない(強がり<(`^´)>)
雨模様なのに、さすがに土曜日とあって東海道線は大混雑でした。
可哀想に大垣から京都までず〜っと立ちっぱなしの人もいましたよ。
山科で下車し、地下鉄で蹴上まで -
まずはインクラインへ
インクラインとは・・ 英語の名詞の「incline」は斜面・勾配の意だが、特に日本語では「傾斜鉄道」と呼ばれる施設を指す。ケーブルカーの一種。
このインクラインは、琵琶湖の水を京都に引き込む疏水工事(明治18〜23年)の一環としてつくられた。インクラインの全長は587m。 -
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★南禅寺★
インクラインかr南禅寺へ。 タクシーでごった返してました
南禅寺とは・・
亀山法皇が造営した離宮の禅林寺殿を、正応4年(1291年)に寺に改め禅林禅寺と名づけた。
開山(初代住職)は無関普門禅師(大明国師)、開基(創立者)は亀山法皇。
室町時代には「五山の上」として、日本の禅宗のなかで最も高い位につき、五山文学の中心地として栄えた。
創建当時の伽藍は応仁の乱で焼失した。
広大な敷地に立つ現在の伽藍は、桃山時代の再建がほとんどである。 -
★南禅寺 三門★
有名な三門です
5間3戸の荘厳な構えの三門は高さ22m。別名「天下龍門」と呼ばれ、日本三大門の一つに数えられる。現在の門は寛永5年(1628年)、大坂夏の陣に倒れた戦没者を弔うため、藤堂高虎が再建したもの。
右側の山廊から五鳳楼といわれる楼上に登ることができる。楼上には宝冠釈迦坐像と十六羅漢が安置されている。天井や柱・梁には狩野派の天人や鳳凰が描かれ、華麗な異空間が広がる。廻り縁からは京都の北西部が見渡せ、すばらしい眺めである。観光で訪れたときは忘れずに一万両の絶景をぜひ見ておこう。なお、石川五右衛門が歌舞伎で「絶景かな」と称した眺めだが、実際には石川五右衛門がいた時代には三門はまだ再建されていなかった。
三門の前に建つ石燈篭も高さ6mを誇り、日本一大きいことで知られている。 -
★南禅寺 三門★
その絶景と称された三門へ上がりました。
天気が悪くて絶景ではありませんでしたが・・ -
★南禅寺 水路閣★
南禅寺の境内に立つエキゾチックなレンガ造りの疎水橋。水路閣は明治21年(1888年)に建設され、美しいアーチを描く全長93mの橋は、琵琶湖疏水の設計者の田辺朔郎が設計。古代ローマの水道橋が手本となっている。水路閣は現在でも水を運ぶ疎水として活躍し、京都の代表的な風景のひとつになっている。 -
★南禅寺 水路閣★
懸命に探しましたが、片平なぎさも船越栄一郎どころか若林豪さえもいませんでした(@_@;) -
★南禅寺★
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★南禅寺★
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☆青蓮院☆
続いて訪れたのは青蓮院
後桜町上皇の仮御所が置かれていた所で、代々入道親王が入寺する天台宗三門跡寺院の一つ。
比叡山東塔南谷にあった、行玄の房青蓮院からこの名が付けられた。 -
☆青蓮院☆
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☆青蓮院 霧島の庭☆
小堀遠州作と伝える庭園内、好文亭裏側山裾斜面から一面に霧島つつじが植えてあり、五月の連休の頃、一面を真っ赤に染める。このことから霧島の庭とも云う。この庭は相阿弥の庭園と比べ平面的であるが、統一と調和を感じさせる庭である。 -
☆青蓮院 本堂☆
境内奥(南側)に西面して建つ方三間、宝形造の小堂。堂内の厨子にはご本尊「熾盛光如来」の曼荼羅を安置(秘仏)。
本堂の東裏には国宝の青不動画像を安置。 -
☆青蓮院 宸殿☆
入母屋造、桟瓦葺きの、寺内で最も大きな建物。徳川家康の孫である東福門院(後水尾天皇女御)の御所を移転。明治26年(1893年)に焼失後復興。
宸殿は門跡寺院特有のもので、主要な法要はここで行う。有縁の天皇及び歴代門主の御尊牌を祀る。宸殿前に右近の橘、左近の桜を配するのは、御歴代尊儀の在ます所の意味である。
親鸞聖人が第三代門主慈圓により得度をした場所でもあり、「お得度の間」ともいう。今、杉苔に覆われた宸殿の前庭は本来白砂を敷いていたものである。宝珠の付いた右のお堂は熾盛光堂といい、当院の本堂で天台宗の四大秘宝の一つである熾盛光法の本尊を祀っている。 -
知恩院は素通り〜(^−^)
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円山公園到着〜
こんな雨の日でもお花見するんだね(;一_一) -
有名すぎる円山公園の枝垂れ桜
でも大分弱っているようにみえます。 -
ねねの道
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イチオシ
雨に濡れた花も一興・・
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石塀小路
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★高台寺★
慶弔1年(1606年)、戦国大名・豊臣秀吉の妻である
北政所(きたのまんどころ)ねねが、夫の菩提を弔うために開創。
寛永元年(1624年)の建仁寺の三江和尚を開山に迎え、高台寺と号した。
正式名は高台寿聖禅寺であるが、通称「ねねの寺」とも呼ばれている。
造営の際には徳川家康からも援助を受け、伽藍は壮麗を極めたと伝えられる。
残念ながら度重なる火災で伽藍の大半を焼失。
現在は難を逃れた霊屋(おたまや)、開山堂、茶室の傘亭・時雨亭、
観月台(かんげつだい)などが残り、当時の面影を伝えている。 -
★高台寺★
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★高台寺★
高台寺庭園と枝垂れ桜 -
★高台寺★
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安井金比羅宮に来ました。境内に鎮座する奇妙?な物体・・
こちらが、縁切り縁結び碑(いし)です。
ここ安井金比羅宮は、金毘羅信仰に加えて、崇徳天皇の御神徳で良縁結びとともに悪縁切りでもご利益で名高い。悪縁は婚姻・恋愛だけでなく、人間関係全般に加えて、病気や不慮の事故、災難、悪運、悪習癖(過度の飲酒・喫煙・ギャンブル・悪癖など)、借金、犯罪なども包含しており、広く悪からの縁切りに霊験があるとして信仰を集めている。
形代と呼ばれるお札に願い事を書き、境内にある「縁切り縁結び碑(いし)」を表から裏へとくぐって悪縁を切り、次に裏から表にくぐって良縁を願う。 -
以前修学旅行の付き添いで京都に来た際、学生(中学生)が事前勉強で、この悪縁切りのお宮を調べてました。
中学生なのに悪縁切りって・・ 一体君にどういう悪縁がまとわりついているというのだ? -
そうこうているうちに祇園へ。
丁度祇園歌舞練場で都おどりやっていて、道路は大混雑していました。 -
やはり最後は祇園白川の桜へ
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