2011/04/13 - 2011/04/15
2206位(同エリア4817件中)
極楽人さん
3週間をかけてヨルダン〜シリア〜トルコを周遊した旅の、最後の訪問地はイスタンブールです。ここから帰国便が出ます。
“帰国のため”だけでは勿体ないので、2泊して丸1日を「街歩き」にあてました。大きな街なので、たった1日では旧市街を周るのが精一杯です。そのうえに悪天候とハプニングが重なって、観光としてはいくぶん淡白な内容になってしまいました。今回の旅では“トルコはオマケ”という意識が何処かにあって、そのぶん“気”の入り方が弱かったのかもしれません。
「その代わり」というのも変ですが、それなりに面白いこともいくつかあって、愉快な旅の締めくくりになりました。
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22:40 カイセリ空港からのアナドル・ジェットは、
イスタンブールの南40kmにある『サビハ・ギョクチェン空港』に到着しました。
アジア側の、何もない平原に造られた巨大な新空港です。 -
23:00 預けた荷物を取って外に出ました。
玄関前には到着便にあわせて『ハワシュ』という空港バスが待っています。
出発は30分毎で、11:00 が出た後なので次の11:30発に乗り込みました。
深夜は流れがよく、約50分で都心の『タクシム広場』へ(12TL)。そこからタクシーで宿のある『スルタン・アメフト地区』に向かいました。昼間料金(20TL)の2倍を吹っかけましたが、簡単に30TL(1,800yen)で手打ち。
深夜でもあり、こちらも“根気”がありません。 -
宿に入るとき多少ごたごたしました。持参したバウチャー(予約票)のコピーを見せてようやく部屋をもらい、その日はそのまま眠りに就きました。
写真は翌日の早朝です。宿から少し歩いて、この旅で初めてのヨーロッパを見に行きました。宿はボスポラス海峡に近く、『アヤ・ソフィア』の丘の下あたりに位置しているようです。写真では、先の方がイスタンブールの中心街になります。
7:00の朝食に間に合うよう、宿へ戻ります。 -
予約するときに調べた限りでは、評判の良い宿でした。以前は『コンヤ・ホテル』と称したとか。経営も従業員も変わりましたが、人気は今も高いようです。
「窓から海峡が見えます。」(この程度ではありますが)
「トイレもシャワーもきれいです。」
「ドライヤーもついています。」
でも、「室内は『禁煙』です。」(当然ですね!) -
「おいしい朝食」も自慢だそうで、地元のお母さんが毎朝『通い』で作りに来ています。“安宿の上位クラス”といった感じですが、人気の都市で立地も良いので、?泊35ユーロではこんなものかもしれません。
そんな風に思いながら朝食を摂っていると・・・
オーナーと称する男が来て、「弟の手違いでダブルブッキングだった。部屋を替わって欲しい。」といきなりの平あやまり。よく聞くと、住居ごと別の場所に移るとのことで、移動先は別の弟が経営する「デラックスな旅行者向け貸しマンション」だといいます。 -
10:00 に迎えのタクシーで「新居」へ引越し。10分ほど離れた住宅街に着きました。
私はずっと「怒っているぞ」という顔をしていましたが、内心では「しめしめ」と思っていました。前の宿がちょっと期待はずれだったのです。結果が“凶”と出ても今まで並み、“吉”と出たらそれこそラッキーです。
今度のマンションは、濃い茶色の建物の2階でした。 -
“大吉”でした。広い居間には薄型テレビにブルーレイ・プレイヤーが据え付けられ、キッチンには4ツ口のガス台に電子レンジ、オーブンまで。調理道具も食器も、全て揃っています。
「お詫びのしるし」に、料金は予約時の35ユーロ。さらに、「朝食を出せないので」その分を差し引いて、一泊30ユーロになりました。
思わぬ散財をした“ヨルダンの仇”をトルコで討ったような・・・すぐにでも家族か友達を呼んでパーティーをしたい気分でした。 -
寝室は廊下の突き当たり、途中に大きく清潔な洗面所があります。トイレもシャワーも、設備は前の宿よりずっと上質です。
この日は昼前から本降りの雨になって、部屋で過ごす時間が長くなりました。幸運って、ほんとに何所に転がっているのか分かりません。 -
家のすぐ前に、地元の人が利用する食料品店がありました。野菜、果物、パン、お肉、調味料など、食材は何でも売っています。
これなら朝食でも夕食でも、好きに作れます。
何を隠そう、私の正体は『専業主夫』なのです。
和・洋・中華、煮物・焼き物・炒め物、とくに後片づけはプロ並みです。 -
食料品店には、翌朝までに3度通いました。
ご主人は親切で律儀な人。朝食のパンを手に取ると、「こっちが焼きたてだ」と大きいほうを勧めてくれます。一円単位まで正確にお釣りを返してくれて、こういう人がタクシー運転手になるべきだと思いました。
普段はお土産を買わない主義ですが、トルコ・コーヒーのパック6袋(ありったけ)をここで調達しました。 -
食料品店の前は小さな公園で、その周辺に高校と小学校とがありました。
家庭のような部屋があり、近所に何気ない公園があり…。
“旅行”というより、まるで“暮らしている”ような錯覚に陥ります。 -
公園にはチューリップ。
チューリップは「トルコの花」だそうで、この時期はどこでも見られ、どこでも満開でした。 -
お昼過ぎに一度、雨の中を街歩きに出かけました。旅行用具で最後まで使わなかった傘を、ここで使用しました。
公園の先にある坂道を登ると『ブルーモスク』に出ると教えられました。途中の分かれ道で迷っていると、ビニール傘の束を抱えた少年が「そっち」と教えてくれます。
同じ方向に歩きながら「旅行者に傘を売りに行く」と話してくれました。 -
ブルーソフィアの向こうには、オレンジ色の『アヤソフィア』が雨に濡れています。
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さらに進んで、『トラムヴァイ』という路面電車が走る道に沿って坂を下ってゆきます。
旅行者が集まる界隈なのでしょう、両側には土産物屋やレストラン、両替の店などが軒を連ねます。 -
下りきったあたりが『スィルケジ駅』。ヨーロッパ側の鉄道中央駅で、オリエント急行の終着駅です。現在、アジア側とを海底トンネルでつなぐ計画が進んでいるとのことでした。
ここまで来ると、すぐ海峡にぶつかります。 -
2階建ての『ガラタ橋』。橋の手前側が旧市街、反対側が新市街です。
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アメニモマケズ、釣竿を垂れる人たちが・・・
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渡り切った新市街側から、旧市街を見ます。
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橋の袂には金物市場や、
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魚屋さんが。
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もう少し先へ進んで、古い教会が見えるあたりで引き返すことにしました。
雨の勢いが衰えず、全身ぐっしょり濡れそぼって靴の中まで浸水しています。裸で抱えているカメラも気になります。 -
ガラタ橋を、今度は天井のある下の階に降りて戻ります。ここはレストラン街になっています。
急ぎたいのに、店の人に声をかけられたり、カメラのシャッターを押してと頼まれたりして、なかなか先へ進めません。 -
空は暗く、まだ2時前だというのに明かりを灯した船も見えます。
マンションまでは徒歩40分。途中、アヤソフィアの広場でビニール傘を売っている少年を見かけました。傘の数は減っていないようでした。
暖かいシャワーを浴び、着替えたあと、濡れた靴を新聞紙とドライヤーで乾かしました。 -
午後5時前になって、ようやく晴れ間が見えてきました。
何とか乾いた靴を履き、昨日の宿へ支払いに行きます。「明日の午前中に取りに行く」と言われていましたが、翌日は帰国日なのでフリーにしておきたかったのです。
帰り道、宿の裏の坂を上がるとやはりアヤソフィアがありました。 -
せっかくなので、写真を撮りなおすことにしました。
あらためて、晴れたブルーモスク。 -
アヤソフィアには、実は“見覚え”があります。
ずいぶん昔に、同じ場所で写真を撮ったことがあるのです。 -
「あれから40年・・・」 きみまろも青くなる、若い日の自分がいます。
着替えがなくなって、露天のような店でこのシャツを買ったことを覚えています。この界隈を除けば、当時のイスタンブールは今のシリアよりも埃っぽく雑然とした街だったと記憶しています。
ギリシャの写真でも同じシャツで写っているので、トルコから向かったと思われますが、そのへんの記憶が定かでありません。 -
トプカピ宮殿に入ろうとしましたが、ちょうど閉館時間となりました。
やはり間に合わなかった青年が一人、キプロスから来たと言います。
「今まで誰とも話さなかったから」と矢継ぎ早に話しかけてきます。新市街に行くというので、途中まで付き合うことにしました。 -
再びスィルケジ駅。あまり遠くまで行くと『バザール』へ行けなくなりますが、なかなか放してくれません。
ただ、自分の写真を撮ってもらうには便利でもあります。 -
そんなこんなで、また海峡へ。
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晴れると、“写り”が違います。
やはり、写真は「光」と「影」なんですね。 -
ガラタ橋の途中で、キプロス青年と別れました。一瞬「どうしてここで?」という表情でしたが、気を取り直して橋を歩いてゆきました。
陽が傾いてきました。海峡の向こう岸の『アジア』が光っています。 -
旧市街の岸辺に戻ると、いい匂いがしました。
『サバ・サンド』の出店です。 -
かなり美味で、ボリュームもあって、3TL(180yen)也。
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パンの一部を、こいつと分け合いました。
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声を掛けられて振り向くと、昼間に雨のガラタ橋でシャッターを押してあげたカップルが。笑いながら「また押して欲しい」と言っています。
それは構わないけれど・・・
ダマスカスでは「戦場カメラマン」と言われ、カッパドキアでは「パパラッチ」と間違えられ、ここでは「シャッターおじさん」です。 -
午後6時半、空が暗くなってライトアップが始まりました。
バザールはあきらめて、夜景撮影に切り替えることにしました。 -
アヤソフィア広場の噴水が、安っぽい色を噴き上げます。
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こちらはシンプルなブルーモスク。
夕食は部屋で何か作るつもりでいましたが、サバ・サンドで満腹になったのでワインとナッツを買って帰りました。ラスト・サパーは、原点である「質素」に立ち戻りました。 -
翌朝 9;30、マンション・オーナー(弟)の車でアタチュルク空港へ向かいました。彼はとてもよく気がつく好青年で、的確な対応にも信頼が置けます。
結構走ったあたりに街の外壁が出てきました。中世のイスタンブールが相当大きな街であったことが分かります。 -
地中海沿いの道を、30分も走れば空港。
フライトは12:30発のアエロフロート・ロシア航空です。 -
空港の入口が見えてきました。
この空港も手狭になったそうで、すぐ横に新空港が建設されつつありました。近年のトルコの発展振りを物語っていますね。 -
オーナーとは、トルコ式の“両頬にキスのふりをする”ハグで別れました。
せっかく早く着いたのに、アエロフロートはなんと16:00出発に変更されていました。時間の潰しようがありません。 -
それで、長い長いロビーの反対側の隅っこまで何度も往復することになりました。突き当たりの2階に唯一の喫煙所、繁盛しています。
ここはデッキになっていて、外側の壁と天井は開いています。 -
ようやくチェック・インが始まって、長い列が動き出します。
こういう時はいつも、日本の団体客の後に付くようにしています。いったん動き始めると早く流れるからです。
その中に、なんと勤務していた会社の同僚がいました。休暇旅行だそうで、こういうこともあります。 -
16:00 まずはイスタンブールからモスクワへ飛びます。
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モスクワからは、同じアエロフロートの成田便へと乗り継ぎぐ手順ですが・・・
出発が4時間送れたので、そのままなら乗り継ぎ時間に間に合いません。
しめた、モスクワでサービス宿泊かも、キャビアで一杯かも、などとちょっと期待しましたが、おせっかいな成田便が出発を遅らせて待っていてくれました。 -
それもその筈、成田便にはあちこち空席が目立ちます。団体客が乗らなければもっと悲惨なフライトになっていたでしょう。この時期の日本はすっかり敬遠されているようです。
リタイアしてから、「睡眠不足」というのは基本的にありません。眠くなったら寝るからです。ただひとつの例外が飛行機で、これだけはいつも苦労していました。
それがこの時は、空席で横になるとすぐに意識が無くなりました。 -
眼が覚めると千葉上空、
三週間のアラブの旅も、これで終わりです。
4月16日、成田空港の中庭で“最後の桜”にもなんとか間に合いました。
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