2010/06/10 - 2010/06/11
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タケさん
2010年5月から6月にかけて、以前から訪ねたいと思っていた中国シルクロードの一部を旅してきた。
旅程はつぎのようである。
・ 行程:関空 ⇒ 上海・蘇州 ⇒ 西安 → 嘉峪関…敦煌…吐魯番(トルファン)…敦煌
⇒ 北京 ⇒ 関空 ( ⇒;航空便, →;列車, …;バス)
・ 期間:5月28日(金) ~6月11日(金) *ビザ免除期間いっぱいの15日間
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[敦煌空港ターミナルビル]
6月9日(水)の朝、9:30にYHをチェックアウト。滞在中対応してくれた夫婦は言葉はうまく通じなかったが、一所懸命に行き先を教えてくれたりして家族的な雰囲気で好感が持てた。呼んでもらったタクシーで空港へ向かう 。4年ほど前に新しく営業開始されたという市街地の西10km余りに位置する鉄道の敦煌を通り過ぎて、しばらく進んだ所にある敦煌空港に30分ほどで到着。殺風景なだだっ広い平地にある真新しい感じの空港はそれほど大きくはない。6基ほどしか無くてガランとした受付カウンター前の椅子に座っていると、中国語,英語に続いて日本語の案内アナウンスも流れてくる。ハイシーズンには多くの日本人客が訪れるのであろう。受付カウンターで無事搭乗券を受け取った時には、2度日程の変更を余儀なくされたという因縁の空港でもあるので、「これで何とか帰れそうだ」という思いでホッとした。搭乗口のある待合室にもこじんまりした土産物店とコーヒーショップがそれぞれ一店ずつあるのみ。100mほど先のエプロンに停まっている機体まで歩いて搭乗。機体の向こう側には低い山々が連なっているのが見える。 -
[ターミナルビル内の土産物店]
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[窓外は一面の土漠]
日本人らしき人は見当らなくて、乗客は半分程度。定刻の10分前の11:35に離陸。窓際の席に移って窓外を眺める。左側には所々オアシス混じりの砂漠,右側には雪を被った祁連(キレン)山脈の連なりが見える。やがて黄茶色の砂漠景色に変わりそれが延々と続く(ゴビ灘だろうか?)。中国国土の広大さを改めて実感する。機内食はチキンライス+パン。久し振りのライスはおいしかった。
定刻20分前の14:15に北京首都国際空港着。奇抜なデザインの新しい空港である。
空港快速と地下鉄2号線を乗り継いで(地下鉄の扉が開くと、降客が降りる前に乗客がわれ先にと乗り始める)、和平門駅で下車。辺りは書画等を扱う店の集まる地区のようで少し迷ったが、16時過ぎに小さい通りの角にあるYHを無事探し当てる。 -
[天安門広場にて]
チェックイン後、早速歩いて それほど遠くない天安門方面に出掛ける。北京の街には2連バスと自転車が混交して走っている。物乞いの屯する地下道にはX線に拠る荷物のチェックポイントがあり、階段を上がると天安門広場に出る。内外の多くの観光客で混雑するだだっ広い広場の向こう側には、車の行き来する長安街を挟んで、毛沢東の大きな肖像画の架かった巨大な天安門が見える。広場のあちこちに衛兵が立っていかめしい顔つきで監視している。奥の方には若い衛兵を訓練している光景もあった。その長安街をさらに東に進んで、北京の銀座と呼ばれる繁華街「王府井大街」へ向かう。500mあまりの区間が歩行者天国となっており、両側にはバーゲンセールをしている宝飾店や数多くのレストラン等がネオンをちらつかせている。一歩横町へ入ると、提灯を模した電灯を点けた屋台食堂が何十軒も並んでいる。風があって涼しい。至る所にベンチがあって至便である。地下街で夕食を摂って帰途につく。通りかかった天安門はライトアップされて、前の広場は遅くまで賑わっているようである。 -
[天安門から広場を臨む]
翌朝、「天安門」に登ってみる(入場料約240円;手荷物預け料を含めて)。この天安門は紫禁城の外城壁南端に位置する正門で 上には二層の楼閣があり、1949年10月1日に ここから毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言した 中国にとって象徴的な場所となっている。そこに立って前を見降ろすと、50万人収容可能で世界最大とも言われる天安門広場が一望に見渡せる。文化大革命,1989年の天安門事件 等の舞台となった場所である。広場の背後には人民英雄記念碑や毛主席記念堂が、両横には人民大会堂と中国国家博物館が 厳かに建ち並んでいる。 -
[天安門と広場]
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[観光客で賑わう大和殿前にて]
一時間ほど涼んでから、すぐ北側に位置する「故宮博物院」へ向かう。明から清代の歴代皇帝と皇后が暮らしていた旧紫禁城(最後の皇帝=ラストエンペラー=は宣統帝 溥儀)で、元々は160万点あった貴重な文物の内65万点あまりが台北に運び去られたとされる所である。世界遺産にも登録されている。入場料は約840円で、手荷物は特に預ける必要はなかった。東西に鐘楼と鼓楼を有する巨大な午門(ゴモン)をくぐって、高さ35.5mという極彩色の内部を持ち即位式や婚礼等の国家的儀式や式典が行われた正殿太和殿に至る。その北側に連なる中和殿,保和殿は太和殿に対する控えの間であって、ここまでは公式行事や儀式が行われた「外朝」と呼ばれる区域となっている。その先の乾隆門以北は「内廷」と呼ばれる皇室一家のプライベートな生活の場だった所である。乾清宮(ケンセイキュウ;寝宮),養心殿(居住所),坤寧宮(寝宮他)等数十の宮殿が配置されており、北東側の皇極殿は珍宝館として故宮が保有する種々の珍しい文物を展示している。が、宝物に関しては 台北の方が見ごたえがあったような気がする。中央部北側には、太湖石を積み上げた庭園「乾隆花園」等があり、また紫禁城を囲む城壁の四隅には 天守閣様の角楼が配されている。高さ10mの城壁の外側は幅50mあまりの濠に囲まれている。 -
[故宮内の通り]
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[溥儀と西太后が住んでいた館]
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[天安門広場で訓練に励む衛兵たち]
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[景山公園より眺める故宮]
どこも観光客でいっぱいの広い宮廷内を4時間半ほど散策した後、北端の神武門から外へ出る。休むこと無くその北側にある景山公園に入る。比高43mの山頂にある万春亭から南を見降ろすと、皇室の色とされる黄褐色の屋根を持つ故宮全体の殿閣群が一望に眺められ、それらが正確に南北一直線上にあることが納得出来る。 -
[王府井街近くの屋台食堂街]
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[胡同(フートン)]
そこから今度は西口門を出て、地安門西大街の北側にある湖「前海」に向かう。周辺は中国の伝統的な建物 胡同(フートン) が数多く残されている地区で、今でも瀟洒な売店等の建物の間で昔とあまり変わらない生活を営む人々が多く住んでいる。胡同巡りをする三輪リキシャが観光客を乗せて走り回っている。 -
[胡同通りで出会った母娘?]
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[水で路上に文字を書く風景]
一時間あまり散策してから、帰る途中で人だかりを見つける。大きな筆に水をつけて 路上に文字を書いているのである。
帰り道にあった食堂で夕食を摂って、21時過ぎにYHに帰着。シャワーを浴びて荷物を整理。ウクライナへの入国ヴィザの発給を待っているという中年の男性ポーランド人(南西部のヴロツワフから来たとのこと)2人と同部屋だった。なお、どこのYHにも日本式のコンセント孔があって、念のため持って行った中国型式の電源プラグは使う機会が無かった(電圧は240Vなので変圧器は必要)。
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[太極拳を演じる子供たち]
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[静かな佇まいの瑠璃廟通り]
翌6月11日(金)は朝早い目に起きて、近くにある「瑠璃廟」を散策する。ここは元代から明代にかけて瑠璃瓦を製造していた所で、現在は筆や墨,紙といった書道や絵画の道具を扱う文化街として知られている。学生街のような落ち着いた静かな通りを東に15分ほど歩いて、そこここに見られる狭い胡同(フートン)地区を通り抜けると、南北方向に延びる広い通りに出る。前門大街という歩行者天国で、多くの観光客で賑わっている。北端には市電が2両展示されていて、つい先ごろまでこの通りを走っていたようだ。その先には箭楼と呼ばれる大きな城楼が聳えている。地図で見るとこの通りは天安門から故宮の中心部さらには景山公園の万春亭と南北方向に一直線を成していることが分かる。北京の中心線だったのである。ちょっと横丁に入ると、20世紀初めに北京で最初に建てられたという映画館や古風な薬局,茶葉店等があって、前世紀にタイムスリップしたような雰囲気を感じる。 -
[北京で最初の映画館]
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[小学校での風景]
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[近くの食堂で朝食]
帰途、YH近くの食堂で朝食。夫婦で賄っている小さな店で、作りたてをせいろで蒸した小さな小龍包10ケと卵スープで約85円。熱々でおいしかった。 -
[古風な北京駅]
10時にYHをチェックアウト。地下鉄で北京駅へ見物に立ち寄る。古めかしい駅舎の前広場は人でごった返しているが、思っていたほど大きくはない。何故か地上にある地下鉄切符売り場には長い行列が出来ていて、地下の改札口の前の荷物チェックでナイフが引っ掛かったが、鍵を掛けてあって出す時間が惜しかったので 強引に通過する。 -
[北京空港内の休憩所]
空港快速に乗り継いで 北京首都国際空港第3ターミナルへ。出国検査を経て中に入ったところに3軒ほどあるDuty Free Shopperを初めどの店も閑散としており、長い通路を歩いて搭乗口に向かう。CA161便は15分遅れの16:20に離陸。関空には定刻(20:10)に到着した。予定どおり無事帰着!!
ものの本に拠ると、シルクロードとは19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンが「ザイデン・シュトラーセン」として命名したもので、中国語では「絲綢之路」(いづれも 絹の道 の意)と書く。古くは紀元前100年代の前漢の武帝時代に、遊牧民の匈奴(キョウド)討伐のため派遣された張騫(チョウケン)やかく去病(カクキョヘイ)、また、中国仏教の発展に大きな足跡を残した鳩摩羅什(クマラジュウ)や玄奘三蔵他 シルクロードを舞台として活動した人々が居た。その主要なオアシス都市だった敦煌は'大きく盛んな街'という意味を持ち、シルクロードの十字路と呼ばれる。紀元前から、長安(西安)に発して遠く中央アジアからヨーロッパへと繋がる河西回廊の最西端に位置し、強勢を誇った北方の匈奴からの守りとして玉門関,陽関等を築いて発展した。
かつて周辺に居住していたという「羌(キョウ)」族については、充分とは言えないまでもある程度の情報が得られた。
陝西省の西安,甘粛省の嘉峪関および敦煌 さらには新疆ウイグル自治区のトルファンを含む延べ8,500kmにおよぶ今回の旅程は忙しいもので、中国国土の広さを改めて思い知らされた。
また 中国内シルクロードのほんの一部に過ぎなかったが、西安の長大な城壁や驚くばかりの数の居並ぶ兵馬傭,嘉峪関で忽然と消えゆく長城の西端,敦煌莫高窟の今なお美しく残る彩色壁画や塑像,鳴沙山にうねる雄大な砂丘,トルファンの風雨にさらされて無残に朽ち果てたかつての王城跡,翻って現代の人懐こいウイグル族の人たち 等、思い切って行ってみて、悠久の歴史を持つかの国の往時に思いを馳せる印象深い旅となった。同時に、改革開放後の目覚ましい今の中国の発展振りと、そこここに残る伝統的な胡同(フートン)で生活している人々、それに我々の常識とは異なる彼ら中国人の人となりや考え方,風習,マナー等をかい間見るよい機会でもあった。
懸念していた交通上の不具合や下痢等の健康状態にも何ら問題無く、予定通り帰って来られたのは幸いだった。
以 上
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