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  2010年5月から6月にかけて、以前から訪ねたいと思っていた中国シルクロードの一部を旅してきた。<br />旅程はつぎのようである。<br />・ 行程:関空 ⇒ 上海・蘇州 ⇒ 西安 → 嘉峪関…敦煌…吐魯番(トルファン)…敦煌 <br />            ⇒ 北京 ⇒ 関空 ( ⇒;航空便, →;列車, …;バス)<br />・ 期間:5月28日(金)~6月11日(金)   *ビザ免除期間いっぱいの15日間<br /><br />

「羌」を訪ねて敦煌へ 中国シルクロード紀行4(敦煌)

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2010/06/04 - 2010/06/06

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0

21

タケ

タケさん

2010年5月から6月にかけて、以前から訪ねたいと思っていた中国シルクロードの一部を旅してきた。
旅程はつぎのようである。
・ 行程:関空 ⇒ 上海・蘇州 ⇒ 西安 → 嘉峪関…敦煌…吐魯番(トルファン)…敦煌
⇒ 北京 ⇒ 関空 ( ⇒;航空便, →;列車, …;バス)
・ 期間:5月28日(金)~6月11日(金) *ビザ免除期間いっぱいの15日間

  • [敦煌行きのバス]<br /><br />  バスは定刻の14:30に嘉峪関バスターミナルを、400km先の敦煌へ向けて出発。中型バスで運転手一人,助手一人。座席はほぼ満席で、当方は左側の一番前の寝台席。エアコンは効いているけれども陽が当って暑い。街中の街路樹の間を走っている時には、綿毛のような白いものが空中を飛び交っていた。高速道に入ると左側が土漠,右側がブッシュというような荒地に変わった中を時速80?100kmという猛スピードで飛ばすが、それがどこまでも続くという具合い(ゴビ灘;タン=砂漠)。中国は広い!!途中でペシャンコになった事故車を見掛ける。2時間半ほど走った所でトイレ休憩(トイレはあるが水は出ない)。そこから少し走った所で忽然と大きな池が左手に見えてくる。片端に堤防のようなものが見えていたので人造池なのだろうか? 更に30分ほど走って瓜州(カシュウ=安西)の街中に入るが、小さな街でアッという間に通り抜けてすぐにまた土漠とブッシュの荒地になる。<br />  このゴビ灘を4時間ぐらい走った所で、ようやく前方に緑の木々が見え始めた。看板の文字から判断するとこの辺りは植樹帯となっている模様。まさにオアシスである 。「敦煌……」と表示された工場や広告が目につくようになる。

    [敦煌行きのバス]

    バスは定刻の14:30に嘉峪関バスターミナルを、400km先の敦煌へ向けて出発。中型バスで運転手一人,助手一人。座席はほぼ満席で、当方は左側の一番前の寝台席。エアコンは効いているけれども陽が当って暑い。街中の街路樹の間を走っている時には、綿毛のような白いものが空中を飛び交っていた。高速道に入ると左側が土漠,右側がブッシュというような荒地に変わった中を時速80?100kmという猛スピードで飛ばすが、それがどこまでも続くという具合い(ゴビ灘;タン=砂漠)。中国は広い!!途中でペシャンコになった事故車を見掛ける。2時間半ほど走った所でトイレ休憩(トイレはあるが水は出ない)。そこから少し走った所で忽然と大きな池が左手に見えてくる。片端に堤防のようなものが見えていたので人造池なのだろうか? 更に30分ほど走って瓜州(カシュウ=安西)の街中に入るが、小さな街でアッという間に通り抜けてすぐにまた土漠とブッシュの荒地になる。
    このゴビ灘を4時間ぐらい走った所で、ようやく前方に緑の木々が見え始めた。看板の文字から判断するとこの辺りは植樹帯となっている模様。まさにオアシスである 。「敦煌……」と表示された工場や広告が目につくようになる。

  • [土漠=ゴビ灘=の中での事故車)]<br /> <br /><br />

    [土漠=ゴビ灘=の中での事故車)]


  • [敦煌のユースホステル(胡同形式)] <br /><br />  19時過ぎに街はずれの敦煌バスターミナルに到着。30分遅れである。周りの様子がおかしいので切符売り場の係員に訊いてみると、バスターミナルの場所は4月に街中からここに移ったらしい。言い寄ってくるタクシーの運転手を振り切って歩き始めたが、場所と方角の見当がつかない。途中で歩いていた女性に訊ねたところ、携帯で日本語の話せる中国人に繋いでくれたので話してみると、目的のYH方面へ行く市バスは今日は無い、という。仕方なくタクシーで向かうことにした。鳴沙山(メイサザン)のすぐ近くにあるYHまで5kmほどの距離だった(後から聴いたところによると、市バスは未だあったらしい)。<br />  20時前後にチェックインしたYH(一泊約560円)は、年季の入った古い中国独特の胡同(フートン)形式で四合院(シゴウイン)造りの建物である。右側から「月泉山荘」という大きな看板のかかった跳ね上がった屋根を持つ門(横の壁には「敦煌華僑之家」とも書かれている)を入ると、門の両脇を含めて四方に部屋があり、真ん中は屋根が無くテーブルと椅子が置いてあって旅人たちの交流の場となっている。また中国様式の種々の模様が描かれた欄干からは 干したトウモロコシが吊り下がっていたり、壁には様々な姿勢で琵琶を奏でる天女たちの色鮮やかな絵が貼られていたりする中国の伝統的な家屋様式をそのまま利用しているようだ。

    [敦煌のユースホステル(胡同形式)]

    19時過ぎに街はずれの敦煌バスターミナルに到着。30分遅れである。周りの様子がおかしいので切符売り場の係員に訊いてみると、バスターミナルの場所は4月に街中からここに移ったらしい。言い寄ってくるタクシーの運転手を振り切って歩き始めたが、場所と方角の見当がつかない。途中で歩いていた女性に訊ねたところ、携帯で日本語の話せる中国人に繋いでくれたので話してみると、目的のYH方面へ行く市バスは今日は無い、という。仕方なくタクシーで向かうことにした。鳴沙山(メイサザン)のすぐ近くにあるYHまで5kmほどの距離だった(後から聴いたところによると、市バスは未だあったらしい)。
    20時前後にチェックインしたYH(一泊約560円)は、年季の入った古い中国独特の胡同(フートン)形式で四合院(シゴウイン)造りの建物である。右側から「月泉山荘」という大きな看板のかかった跳ね上がった屋根を持つ門(横の壁には「敦煌華僑之家」とも書かれている)を入ると、門の両脇を含めて四方に部屋があり、真ん中は屋根が無くテーブルと椅子が置いてあって旅人たちの交流の場となっている。また中国様式の種々の模様が描かれた欄干からは 干したトウモロコシが吊り下がっていたり、壁には様々な姿勢で琵琶を奏でる天女たちの色鮮やかな絵が貼られていたりする中国の伝統的な家屋様式をそのまま利用しているようだ。

  • [ユースホステルの中庭(四合院造り)] <br /><br />  中年の夫婦で切盛りしている様子であるが、あいにく英語が話せないため(トルコ人他の外国人も泊っているのに)要領を得ないので筆談に切り替える。取りあえず薦められるままに敦煌ラーメンの夕食を摂る(約140円)。かなりの量があり満腹になる。<br />  果たして無事トルファンまで行けるのだろうか? 不安が募ってくる。

    [ユースホステルの中庭(四合院造り)]

    中年の夫婦で切盛りしている様子であるが、あいにく英語が話せないため(トルコ人他の外国人も泊っているのに)要領を得ないので筆談に切り替える。取りあえず薦められるままに敦煌ラーメンの夕食を摂る(約140円)。かなりの量があり満腹になる。
    果たして無事トルファンまで行けるのだろうか? 不安が募ってくる。

  • [莫高窟入口]<br /><br />  翌朝市バスで街中に出掛け、目に入ったツアー旅行社で車をチャーターしてお目当ての莫高窟へ向かう。土漠の中を30分ほど走って到着。莫高窟は鳴沙山東端の断崖に1,600mに亘って開削された石窟群で、4世紀半ばに楽そん(ラクソン)という僧侶によって造営が始められた と言う。以来、幾多の民族によって支配された時代にもほぼ1,000年間に亘って造営は続けられ、またこれらの石窟はすべて東を向いて開かれており、朝陽を真正面に受けて輝くように配置されている とのこと。荘重な牌楼の門をくぐると前方に石窟群が見えてくる。<br />  入場券(約2,500円)を買って荷物をすべて預けて(内部は撮影禁止)、入口で日本語ガイドを待つ。15分ほど待ってやって来た中国人の研究員というガイドと共に廻る。同行者は、熊本で輸入代理店等を経営しているという実年の男性とその中国人ガイドの女性だった。 <br /><br /><br />

    [莫高窟入口]

    翌朝市バスで街中に出掛け、目に入ったツアー旅行社で車をチャーターしてお目当ての莫高窟へ向かう。土漠の中を30分ほど走って到着。莫高窟は鳴沙山東端の断崖に1,600mに亘って開削された石窟群で、4世紀半ばに楽そん(ラクソン)という僧侶によって造営が始められた と言う。以来、幾多の民族によって支配された時代にもほぼ1,000年間に亘って造営は続けられ、またこれらの石窟はすべて東を向いて開かれており、朝陽を真正面に受けて輝くように配置されている とのこと。荘重な牌楼の門をくぐると前方に石窟群が見えてくる。
    入場券(約2,500円)を買って荷物をすべて預けて(内部は撮影禁止)、入口で日本語ガイドを待つ。15分ほど待ってやって来た中国人の研究員というガイドと共に廻る。同行者は、熊本で輸入代理店等を経営しているという実年の男性とその中国人ガイドの女性だった。


  • [延々と続く莫高窟群] <br /><br />  最初は96窟で、莫高窟群のシンボルともいえる朱色の9層楼(北大仏殿)。ヒンヤリとした中に入ると、高さ34.5mの初唐の作という弥勒菩薩(中国で5番目に大きいという)を見上げることになる。続いて148窟。 懐中電灯で照らす内部には盛唐期に造られた身長17mにおよぶ涅槃像が安置されている。その後方にある側面には色はほとんど退化しているものの釈迦の弟子たちを含めて多くの壁画が描かれ、往時には僧侶たちが窟内をグルグル廻りながらお経をあげていたと言う。つぎの130窟も盛唐期に完成したもので、顔の長さ7mという穏やかな表情の弥勒大仏が坐している。南北の両壁には莫高窟で最大という高さ15mの巨大な菩薩像と飛天が描かれている。237窟,244窟,251窟には五尊や三尊,チベット様式他の塑像や反弾琵琶を奏でながら舞う天女図,樹下説法図等の壁画が残されている。259窟には &quot;東方のモナリザ&quot; と称される優美な姿の仏像が坐している。

    [延々と続く莫高窟群]

    最初は96窟で、莫高窟群のシンボルともいえる朱色の9層楼(北大仏殿)。ヒンヤリとした中に入ると、高さ34.5mの初唐の作という弥勒菩薩(中国で5番目に大きいという)を見上げることになる。続いて148窟。 懐中電灯で照らす内部には盛唐期に造られた身長17mにおよぶ涅槃像が安置されている。その後方にある側面には色はほとんど退化しているものの釈迦の弟子たちを含めて多くの壁画が描かれ、往時には僧侶たちが窟内をグルグル廻りながらお経をあげていたと言う。つぎの130窟も盛唐期に完成したもので、顔の長さ7mという穏やかな表情の弥勒大仏が坐している。南北の両壁には莫高窟で最大という高さ15mの巨大な菩薩像と飛天が描かれている。237窟,244窟,251窟には五尊や三尊,チベット様式他の塑像や反弾琵琶を奏でながら舞う天女図,樹下説法図等の壁画が残されている。259窟には "東方のモナリザ" と称される優美な姿の仏像が坐している。

  • [九層楼前にて]<br /><br />  最後の16,17窟は晩唐期のもので、16窟の壁画の多くは西夏時代に修復されたが、北壁の入口側には1,900年に多量の敦煌文書が発見されて映画「敦煌」の主要舞台となった「蔵経洞」の17窟がある。これらの文書を西夏の眼から隠そうと入口の壁を塗り込めた、というものである(井上靖の小説「敦煌」が原作)。<br />  階段を登ったり降りたりして 一時間半ほどで参観出来たのはほんの一部だったが(現在確認されている石窟数は全体で734窟で、うち一般に開放されているのが40窟 )、どのデザインも彩色も素晴らしいの一言に尽きる。これらの絵や彫像は往時の地元権力者や僧侶,お金持ち等に雇われたタクラマカン砂漠の要衝地だったホータンやクチャの画工が描き,彫ったとされている。ここまで残されているのは、当地域が極端に乾燥した土地だったからこそであろう。<br />  隣接する莫高窟陳列館には特別窟の幾つかが色彩豊かに復元,展示されており、見るほどに莫高窟の威容感が増すばかりである。

    [九層楼前にて]

    最後の16,17窟は晩唐期のもので、16窟の壁画の多くは西夏時代に修復されたが、北壁の入口側には1,900年に多量の敦煌文書が発見されて映画「敦煌」の主要舞台となった「蔵経洞」の17窟がある。これらの文書を西夏の眼から隠そうと入口の壁を塗り込めた、というものである(井上靖の小説「敦煌」が原作)。
    階段を登ったり降りたりして 一時間半ほどで参観出来たのはほんの一部だったが(現在確認されている石窟数は全体で734窟で、うち一般に開放されているのが40窟 )、どのデザインも彩色も素晴らしいの一言に尽きる。これらの絵や彫像は往時の地元権力者や僧侶,お金持ち等に雇われたタクラマカン砂漠の要衝地だったホータンやクチャの画工が描き,彫ったとされている。ここまで残されているのは、当地域が極端に乾燥した土地だったからこそであろう。
    隣接する莫高窟陳列館には特別窟の幾つかが色彩豊かに復元,展示されており、見るほどに莫高窟の威容感が増すばかりである。

  • [映画「敦煌」のセット倣宋古城の遠景] <br /><br />  葡萄畑が点在する敦煌市内に一旦戻って昼食をとった後、飛砂のためか周辺の風景が煙って見える土漠の中を西南方に向かって走ること20分余り行った先に、ポツンと楼閣らしきものが見えてくる。日中共同製作の映画「敦煌」が撮影された実物大のセット&quot;倣宋古城&quot;である。往時の敦煌城を復元したもので、高さ18mにもおよぶ楼閣下の門をくぐると、内部には仏廟,市場,民家等のセットが一面に設けられており、また当時の武器や軍旗(のぼり)や男女の衣装も飾られている。衣装は試着出来るようになっている。30年ほど前に観た、悲嘆した女性が見上げるばかりの楼閣の上から身を投げる、というかすかに記憶する映画の名場面を想い出しながら見て廻る。

    [映画「敦煌」のセット倣宋古城の遠景]

    葡萄畑が点在する敦煌市内に一旦戻って昼食をとった後、飛砂のためか周辺の風景が煙って見える土漠の中を西南方に向かって走ること20分余り行った先に、ポツンと楼閣らしきものが見えてくる。日中共同製作の映画「敦煌」が撮影された実物大のセット"倣宋古城"である。往時の敦煌城を復元したもので、高さ18mにもおよぶ楼閣下の門をくぐると、内部には仏廟,市場,民家等のセットが一面に設けられており、また当時の武器や軍旗(のぼり)や男女の衣装も飾られている。衣装は試着出来るようになっている。30年ほど前に観た、悲嘆した女性が見上げるばかりの楼閣の上から身を投げる、というかすかに記憶する映画の名場面を想い出しながら見て廻る。

  • [倣宋古城の中1]

    [倣宋古城の中1]

  • [倣宋古城の中2]  <br /><br /><br />

    [倣宋古城の中2]


  • [陽関の烽火台跡]<br /><br />  さらに茫漠たる土漠の中を一時間ほど走って&quot;陽関&quot;に行き着く。古代の関所跡といわれている所で、入口から遠くに見える高台の上に朽ちた姿で残っている烽火台までは場内車で登っていく。唐の詩人王維が「西、陽関を出ずれば故人無からん」と詠んだとおり、高台から先の西方には霞む地平線まで乾いた土漠(彷徨える湖ロプノールや楼蘭遺跡を抱くタクラマカン砂漠)が続くばかりで、ここからのシルクロードはまさに命がけで地の果てに赴くという感を禁じ得ない。<br />  全身砂埃を浴びながら宿舎に帰り着いたのは19時頃だった。中国の日本との時差は一律一時間遅れなので、暑苦しい陽は未だまだ高いところにある  。シャワーを浴びてサッパリする。<br /><br /><br /><br />

    [陽関の烽火台跡]

    さらに茫漠たる土漠の中を一時間ほど走って"陽関"に行き着く。古代の関所跡といわれている所で、入口から遠くに見える高台の上に朽ちた姿で残っている烽火台までは場内車で登っていく。唐の詩人王維が「西、陽関を出ずれば故人無からん」と詠んだとおり、高台から先の西方には霞む地平線まで乾いた土漠(彷徨える湖ロプノールや楼蘭遺跡を抱くタクラマカン砂漠)が続くばかりで、ここからのシルクロードはまさに命がけで地の果てに赴くという感を禁じ得ない。
    全身砂埃を浴びながら宿舎に帰り着いたのは19時頃だった。中国の日本との時差は一律一時間遅れなので、暑苦しい陽は未だまだ高いところにある 。シャワーを浴びてサッパリする。



  • [陽関から先は茫漠たる砂漠]

    [陽関から先は茫漠たる砂漠]

  • [シルクロード跡地]

    [シルクロード跡地]

  • [夜光杯]<br /><br />  翌朝市バスで街中へ出て、少々迷ったが一昨日着いた町はずれにある汽車站(=バスターミナル)を探し出して、トルファン行き夜行バスの切符を購入(約2,100円)。そこから絲路(シルクロード)賓館というホテルを目印に15分ほど歩いて街中に出て、敦煌に行ったら訪れたいと思っていた夜光杯工廠に立ち寄る。「葡萄の名酒 夜光杯 飲まんと欲して琵琶馬上に催す 酔うて沙場に臥すも君笑う莫れ 古来 征戦 幾人か回る」という涼州詞(唐の王翰の詩)で知られる甘粛省名産の夜光杯は、日本語の話せる店員によると、南側に連なる祁連(キレン)山脈のみで産出される墨玉(ボクギョク)という玉石から加工される、とのこと。楽しみにしていた加工過程は、ちょうど工場が拡張工事中ということで見ることはかなわなかったが(現在市内の別の場所で製作しているとのこと)、墨玉の原石,それから削り出したサンプル,薄く研磨する途中のもの,仕上がった杯という実物を並べて見せてもらうことが出来た。製品を光に透かしてみて緑色が多いほど質の良い杯だと言う。また、姿形の小さい杯ほど強い酒を入れて飲むのが通とのこと。手にとってみるとガラスのように透けるほど極薄に削ってあるので、原材料が石とは思えないほど軽い。後日トルファンから帰ってきた日に再び立ち寄って、小さいのを幾つか選んで土産用に買うことにした。

    [夜光杯]

    翌朝市バスで街中へ出て、少々迷ったが一昨日着いた町はずれにある汽車站(=バスターミナル)を探し出して、トルファン行き夜行バスの切符を購入(約2,100円)。そこから絲路(シルクロード)賓館というホテルを目印に15分ほど歩いて街中に出て、敦煌に行ったら訪れたいと思っていた夜光杯工廠に立ち寄る。「葡萄の名酒 夜光杯 飲まんと欲して琵琶馬上に催す 酔うて沙場に臥すも君笑う莫れ 古来 征戦 幾人か回る」という涼州詞(唐の王翰の詩)で知られる甘粛省名産の夜光杯は、日本語の話せる店員によると、南側に連なる祁連(キレン)山脈のみで産出される墨玉(ボクギョク)という玉石から加工される、とのこと。楽しみにしていた加工過程は、ちょうど工場が拡張工事中ということで見ることはかなわなかったが(現在市内の別の場所で製作しているとのこと)、墨玉の原石,それから削り出したサンプル,薄く研磨する途中のもの,仕上がった杯という実物を並べて見せてもらうことが出来た。製品を光に透かしてみて緑色が多いほど質の良い杯だと言う。また、姿形の小さい杯ほど強い酒を入れて飲むのが通とのこと。手にとってみるとガラスのように透けるほど極薄に削ってあるので、原材料が石とは思えないほど軽い。後日トルファンから帰ってきた日に再び立ち寄って、小さいのを幾つか選んで土産用に買うことにした。

  • [沙州市場に立ち並ぶ売店]<br /><br />  古来、沙州(サシュウ)と称される敦煌は広大な砂漠に囲まれた中でのオアシス都市であって、東西の人々が行き交うシルクロードの交差点であった。こじんまりした現在の街中には、羊肉等のウイグル料理を含む様々な料理を楽しむことのできる食堂広場や各種香辛料や瑞々しい果物等を店先一杯に並べた屋台が連なる沙州市場と呼ばれる一角があって、涼しくなる夕方以降になると多くの人々で賑わうという。<br />  広い陽関東路を挟んでその向かい側に、門前にラクダの彫刻のある「敦煌市博物館」が建つ(入場料無料であるがパスポートの提示が必要)。シルクロードや玄奘三蔵法師の行跡を記した模型とか、紀元前からの絹織物の半切れ(時代が新しくなるにつれて色彩や図柄が美しくなってくる)等が展示されている。入口に日本語の話せる係員が居たので、予め用意していた質問をぶつけてみる。「紀元前2?1世紀の漢の武帝の時代に羌(キョウ)族という遊牧を営む民族が存在し(羌とは牧羊する人の意)、一時は今の敦煌周辺にも進出していたという。その後4世紀から5世紀にかけての五胡十六国時代の五胡の中に羌(チャン)という国家が出現した。隋,唐を経て北宋代にはその一部が北東に移住して西夏を建国したと言われている。現在は四川省西北部の主にチベット族・チャン族自治州周辺に少数民族として居住している、とのこと。それで、敦煌周辺に今でも羌族の人たちは居るのだろうか?」。その返答は「羌族の子孫は近辺にまだ残っているだろうけど、漢族やウイグル族と同化してしまって今では見分けがつかないのでは……」ということだった。近くに居るのであればちょっと会ってみたいなと思っていたが、これ以上は無理なようなので諦める。

    [沙州市場に立ち並ぶ売店]

    古来、沙州(サシュウ)と称される敦煌は広大な砂漠に囲まれた中でのオアシス都市であって、東西の人々が行き交うシルクロードの交差点であった。こじんまりした現在の街中には、羊肉等のウイグル料理を含む様々な料理を楽しむことのできる食堂広場や各種香辛料や瑞々しい果物等を店先一杯に並べた屋台が連なる沙州市場と呼ばれる一角があって、涼しくなる夕方以降になると多くの人々で賑わうという。
    広い陽関東路を挟んでその向かい側に、門前にラクダの彫刻のある「敦煌市博物館」が建つ(入場料無料であるがパスポートの提示が必要)。シルクロードや玄奘三蔵法師の行跡を記した模型とか、紀元前からの絹織物の半切れ(時代が新しくなるにつれて色彩や図柄が美しくなってくる)等が展示されている。入口に日本語の話せる係員が居たので、予め用意していた質問をぶつけてみる。「紀元前2?1世紀の漢の武帝の時代に羌(キョウ)族という遊牧を営む民族が存在し(羌とは牧羊する人の意)、一時は今の敦煌周辺にも進出していたという。その後4世紀から5世紀にかけての五胡十六国時代の五胡の中に羌(チャン)という国家が出現した。隋,唐を経て北宋代にはその一部が北東に移住して西夏を建国したと言われている。現在は四川省西北部の主にチベット族・チャン族自治州周辺に少数民族として居住している、とのこと。それで、敦煌周辺に今でも羌族の人たちは居るのだろうか?」。その返答は「羌族の子孫は近辺にまだ残っているだろうけど、漢族やウイグル族と同化してしまって今では見分けがつかないのでは……」ということだった。近くに居るのであればちょっと会ってみたいなと思っていたが、これ以上は無理なようなので諦める。

  • [街中心部に建つ反弾琵琶像]  <br /><br /><br />

    [街中心部に建つ反弾琵琶像]


  • [朽ちた沙州故城(旧敦煌城遺跡)] <br /><br />  沙州市場の中の屋台でピリッ辛い麺の遅い昼食を摂って(約50円)、少し離れた所にあった中国銀行で両替を済ませる(日曜日だったが、以外にも両替の窓口は開いていた)。<br />  夕刻までには未だ時間があるので、市街の西にあるという&quot;敦煌故城&quot;を探しに出掛ける。党河を渡って20分ほど歩いた街はずれの左側に、高さ10mほどの茶褐色をした岩山が見えてきた。沙州故城とも呼ばれる旧敦煌城遺跡である。往時は敦煌郡の中心としてかなりの規模を誇っていたようであるが、今は崩れかかった岩壁の所々に窓だったような穴があいているのが見られるのみで面影は全く無く、寂しい限りである。敦煌は18世紀初めに今の場所に移されたという。30分ほどで引き返す。

    [朽ちた沙州故城(旧敦煌城遺跡)]

    沙州市場の中の屋台でピリッ辛い麺の遅い昼食を摂って(約50円)、少し離れた所にあった中国銀行で両替を済ませる(日曜日だったが、以外にも両替の窓口は開いていた)。
    夕刻までには未だ時間があるので、市街の西にあるという"敦煌故城"を探しに出掛ける。党河を渡って20分ほど歩いた街はずれの左側に、高さ10mほどの茶褐色をした岩山が見えてきた。沙州故城とも呼ばれる旧敦煌城遺跡である。往時は敦煌郡の中心としてかなりの規模を誇っていたようであるが、今は崩れかかった岩壁の所々に窓だったような穴があいているのが見られるのみで面影は全く無く、寂しい限りである。敦煌は18世紀初めに今の場所に移されたという。30分ほどで引き返す。

  • [党河から眺める鳴沙山]<br /><br />  それにしても暑い(気温は32℃余り)。党河に差し掛かると川風があって涼しい。河畔に中国風の屋根を持つ幾つかの小さなあずまや風の建物があったので、そのひとつで一休み。ふと開けた川上(南側)に眼をやると、陽に照らされた巨大な砂丘の連なり 鳴沙山(メイサザン) が見える。<br />  一時間ほど涼んでから中心街に戻る。この時初めて気づいたのであるが、通りの歩道にはシルクロードやラクダ,兵馬,漢詩などを彫り込んだ大きな石板が点々と嵌め込まれている。どれも見ごたえがあって素晴らしいパフォーマンスで 見飽きることが無い。次々と写真を撮り続けていて気がついたら、行き先とは違う方向に向かっていた(夢中になって知らないうちに角を曲がっていたらしい)。またこの歩道にはごく短い間隔でベンチが置いてあって、歩き疲れてちょっと休むのにとても重宝する。

    [党河から眺める鳴沙山]

    それにしても暑い(気温は32℃余り)。党河に差し掛かると川風があって涼しい。河畔に中国風の屋根を持つ幾つかの小さなあずまや風の建物があったので、そのひとつで一休み。ふと開けた川上(南側)に眼をやると、陽に照らされた巨大な砂丘の連なり 鳴沙山(メイサザン) が見える。
    一時間ほど涼んでから中心街に戻る。この時初めて気づいたのであるが、通りの歩道にはシルクロードやラクダ,兵馬,漢詩などを彫り込んだ大きな石板が点々と嵌め込まれている。どれも見ごたえがあって素晴らしいパフォーマンスで 見飽きることが無い。次々と写真を撮り続けていて気がついたら、行き先とは違う方向に向かっていた(夢中になって知らないうちに角を曲がっていたらしい)。またこの歩道にはごく短い間隔でベンチが置いてあって、歩き疲れてちょっと休むのにとても重宝する。

  • [橋桁に貼られている石板]

    [橋桁に貼られている石板]

  • [歩道に嵌め込まれた石板の一つ]<br /><br />

    [歩道に嵌め込まれた石板の一つ]

  • [街中で見掛けたたシルクロード往来の壁絵]<br /><br />  ほどなくバスターミナルに到着。右足のふくらはぎが痛くなってきた。ベンチに座ってバスの発車を待つこと一時間余り。街中のスーパーで買ってきたビスケットや水,ジュース等を持って 18:30定刻発のバスに乗車。

    [街中で見掛けたたシルクロード往来の壁絵]

    ほどなくバスターミナルに到着。右足のふくらはぎが痛くなってきた。ベンチに座ってバスの発車を待つこと一時間余り。街中のスーパーで買ってきたビスケットや水,ジュース等を持って 18:30定刻発のバスに乗車。

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