1992/12/10 - 1992/12/22
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mimicatさん
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ペトラ → ネボ山 → マダバ → アンマンーモスクワ
やっぱり、ヨルダンでの目玉はぺトラですよね。
バラ色の都市、ぺトラ。
インディジョーンズで脚光を浴びました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
早起きして朝日を見に行く。でも、早すぎた。
山の向こうに朝日が出たようだが結局見えず。
1時間ほど散歩して部屋に戻った。 -
今日は丸1日ペトラ観光。
楽しみー。 -
昨日のベドウィンキャンプのちょっと先に馬が沢山集まっている乗り場があった。ぺトラまでは徒歩か乗馬かだそうで、我がツアーは馬で行くそうです。
乗馬初体験の人もいるし、馬を連れて帰る必要があるので、ちゃんと馬子が1人ずつついて歩いてくれます。
私は一応三重で乗馬合宿体験済みなんで、一人でも歩くくらいなら平気なんだけど、馬子の少年は腕前の程を信用してくれなかったみたい。 -
両側は結構高い崖です。
狭い通路。
元々は水路だったんだろうか?
歩くと、多分小一時間はかかるんじゃない? -
やがて前方に明かりと共に、見えてきましたよー。
-
でぇ〜たぁ〜、インディジョーンズ!
「最後の聖戦」の最後に聖杯を守る騎士が住む神殿として登場してくる。
勿論、中はあんな仕掛けはなくて、それどころか、全く何も無いがらんどうでおまけに狭いのだが、そこはそれ。 -
1919年に発見され、左から2番目の柱は発見時には折れていたので、今のは継ぎ足されたものなので、少し色が違ってる。
ココって最近(2009-10年)の調査で地下に墓のようなものが発見されたそうですね。
この頃(1992年)はまだ何の目的で作られたのは分かってませんでした。
宝物殿とか呼ばれてたし。 -
崖を切りだして作ってあるんですよ。
凄いね。 -
馬子の少年と一時サヨウナラ。
夕方また迎えに来てくれるそうです。
また後でねぇー。 -
では、ぺトラの街の中へ進んでいきますよ。
-
「10歳若く見えるバラ色の街、ぺトラ」とパンフレットに書いてあった。
岩の色がバラ色です。
でも、何で10歳若く見えるのだ?
紅褐色、白、茶、黄、紫、灰、それに黒。
岩が虹色。
この岩石を砕いた砂で作った砂絵のボトルが3ディナール(約¥600)で売られていた。 -
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この細かい彫刻が凄いのよ。
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だんだん、ローマ風になってきた。
レストハウスで昼食。
その後はどんどん山道を登っていきます。 -
ライオンの墓だったかなー。
食後の運動というにはキツイ。
しっかりしたハイクです。 -
ほぼ頂上までやってきました。
ここまで来るツアーって珍しかったんですよ。
これがポイントでこのツアーを選んだとも言える。
この建物の屋上というか、彫刻の上を次から次へとピョンピョン飛び越えてる男性2名がいた。驚き。
だって、1m程度は間隔あいてたし、何より凄い高いんだよ。
3つ目辺りで着ていた赤いジャンパーを脱いで、パッと手を離した。
ジャンパーはクリネックスのCMのように、フワリフワリとゆっくりと宙を舞い降りて、パサリと着地した。憎いねー、注目度バッチリUP。 -
上まで登りました。
これ、中央上の球体の足元です。
結構デカイでしょ。 -
下見るとなかなかスリリング。
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まさにバラ色。
落石までキレイ。 -
少年が待っててくれました。
ありがとよ。 -
ホテルに到着するころには夕焼け空が広がっていました。
今日も食後はプールサイドで星を見た。
凍えるほど寒くても、目が離せない。
プラネタリウムって嘘じゃないんだ、って初めて思った。 -
翌朝。本日はアンマンまで戻って、そこからモスクワへ向けて帰国の途に就きます。
先ず、泊まったぺトラのホテル探検。
というのは、インディジョーンズの撮影の時、スターさんたちもこのホテルに泊まったらしいんですよ。
ちょっと離れになっている高そうなエリア(といっても所詮砂漠の中のホテルですが)に、早起きしてやってきました。
この部屋、007号室はもちろんショーンコネリーが泊まった部屋ですって。 -
バスに乗って最初に着いたのはモーゼの泉。
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水不足で困っている村にやってきたモーセ。
モーセが杖でこの写真の岩をたたくと、とたんに泉がわき出したとさ。 -
で、この泉がそれ。
今も水がわいてきてます。
ぬるい。 -
ネボ山の上に建つ教会へやってきました。
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モーセ臨終の地っていうので、もっとドラマチックな山を想像してたけど、実際のところは何てこと無い小山でした。
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モーゼの杖。医学の象徴らしいです。
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ここからは「約束の地」が見渡せます。
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つまりパレスチナ。
何千年後になっても争いの耐えない場所です。
蜜と乳が流れる土地なんて、とても信じられない。
モーセは神様との約束で、「約束の地」には入りませんでした。
臨終までこの山に留まったそうです。
聖書によると、人々に乱暴な口をきいたので神の怒りに触れたからだそう。 -
犬養道子氏の旧約聖書のモーセの臨終の場面を思い出していた。
「語り、且つ歌い、別れを民に告げてのち、モーセは神に導かれてエリコを見下ろすネボ山の頂に一人登った。シュロの大樹がエリコを取り巻いて繁茂している。ガドやマナセの領地となった、緑深い谷も見える。はるか西には大海の水すら青く目に入った。
万感をこめてモーセは見た、「約束の地」の全貌を。
その日、ネボ山の頂で、何が起こったかは誰も知らない。神の輝きを得て輝く顔を持つようになった選ばれた首長モーセが、地上での最後のときに、神と何を語ったか、誰も知らない。
屍は無かった。
神御自身、モーセの身体を葬り給うたと民は言った。そしてあれほど反逆の限りを尽くしつつ、心の奥では絶対の信頼をよせていた首長モーセをいまさらに懐かしみ、三十日の喪に服した。」 -
その後、教会の中へ。
シナゴーグでも、モスクでもなく教会ですよ。
モーセってユダヤの首長なんだし、ユダヤ教徒の重要人物でしょ?
何で教会?
でも待てよ、そういえばイエスもユダヤ教徒だったよなー。じゃ、教会でも問題ないのか?え、そうなの? -
床には綺麗なモザイク画。
-
建築家の先生によると、この建物は教会建築の非常に初期のものだそうな。大抵、教会は上空から見ると十字になっているそうだけど、ここは何の飾りも無い長方形になっている。超シンプルな建物。
その代わり、床のモザイクがすばらしい。
古代ギリシア語らしき文章がモザイクで綴られていた。(意味は解らん。誰も説明してくれ無かった) -
山をおりてマダバの教会へ。
またまたモザイクを見る。 -
世界地図がモザイクで書かれていました。これがとても有名だそう。
もちろん、正確とは言えないんだけど、この時代に世界を知っていて
それを図面にするっていう、そこが凄いと思う。
真ん中の丸い壁に囲まれたところがエルサレムだそう。
世界の中心はエルサレムなんですな。 -
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-
学校帰りの子供たち。
人懐っこい。でもシャイ。 -
食事の写真が1枚もなかったけど、最後の最後に1枚だけ出てきました。
ショボい見た目だけど、結構美味しかった。
私、アラブ料理って結構好き。ヘルシーですよ。
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