1992/12/10 - 1992/12/22
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mimicatさん
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ダマスカス → ボスラ → 国境超え → ジェラシュ → アンマン
アンマン市内 → 死海で浮く! → ペトラ
陸路で国境超え。
何で今回ツアーに入ったかと言うと、この国境超えがあるから。
陸路で超える場合、今どうかしらないけど、この頃はアラビア語で出入国票を書けと言われる場合があるという噂があったのですよ。
実際、それでツアーに入ったり、空路で移動する人が結構いた。
で、ツアーに入ったのに、国境ではトラブル続きでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
国境で突然バスを下され、タクシーに分乗。
どうも、必要な書類が足りなかったらしく、団体では国境を越えられないらしい。
タクシーがこれまたアヤシイ〜。
確かにボロイ車ではあるが、座席が特別に傷んでる。クッションが全くないペコペコの座席で、座り心地がすこぶる悪い。
それもそのはず、本来スポンジがあるべき所にマルボロがぎっしり詰め込まれてたのを、後で見るチャンスがあった。
国境手前で運転手が交代。それまでの「親方風」から若い使い走りっぽいのに変わった。
で、国境を超えるとすぐ横に止めて、彼ったらいきなりポロシャツを脱ぎ出した。ギョギョ、着替えならもっと別の所でやってよ、と思ったら、彼の上半身には、これまたマルボロがテープでびっしりと貼り付けられていて、いきなりバリバリと剥がしだした。皮膚は真っ赤。全部取って助手席の足元に仕舞うと、またシャツをかぶって(ぶかぶか)ニヤっと笑うと入国審査の事務所まで運転してきた。
えーと、あたしたち、タバコの密輸の隠れ蓑に使われたって事よね?
割と清々堂々とした密輸だったけどね。
入国審査の紙はやっぱりアラビア語。でも、よく探すと英語併記の物もあったので、無事通関。
その後は徒歩ですよ。
まさに陸路の出入国ですねー。 -
ヨルダン側のバスが来るまでずーっと待ちぼうけ。
腹が減ったので、屋台のケバブサンドを食べたら、これが激ウマ。
今でこそ、アチコチの屋台でトルコ風ケバブサンドが売られてますが、この当時は初めて見る代物でした。ピタパンも珍しかったし。
あの時のケバブサンドを超える味のものには未だ巡り合ってないですね。
その後、レバノン料理の店で遅い昼食。
本当は国境を越えてここまではシリアのバスで来るはずだったらしい。
シリアのバスが必要な書類を持ってないので、入国出来なかったんだな。
そしてジェラシュ遺跡へやってきました。 -
こぎれいなパルミラのミニチュア版みたいな場所だった。
国境で無駄な時間を喰ったのですっかり遅くなってしまい、またしても薄暗い中の見学。 -
夜は団体を抜けて、知り合いのお家へ行きました。
東京で研修中のパパからの預かり物、お土産を持ってきましたよ。
ご近所の奥様方総出で御馳走を作って待っていてくれました。
家の中でもママはグレーのスカーフをスッポリかぶり、グレーのコートを着たまんま。かぶり物を取って良いのは夫と自分の父と兄弟の前だけで、義理の兄弟など血の繋がらない男性の前では決して脱がないのだそうだ。
この時はパパの弟達が来てたんでね。 -
彼が帰って、私たちだけになると脱ぎましたよ。
かぶり物の下のママはこんなに艶やか。
ピンポーンとなると、素早くグレーに早変わり。
「不便じゃないの?」と聞くと、「神様をいつも心の中に感じられるから、何にも不自由はないわ」とのこと。
本当に?本当にそう?
夜遅くにホテルまで送っていただき、サヨウナラ。
とっても楽しい時間でした。
宗教って分からない。
けど、尊重しなければいけないものだというのは良く解った。 -
翌日はアンマン市内観光からスタート。
アンマンにはローマと同じく7つの丘があるそうな。
そのうちの1つにある神殿と博物館から観光スタート。 -
神殿はイマヒトツ印象薄いが、博物館には死海文書があった。感動。
死海文書は全部イスラエルにあると思っていたので、思いがけず本物にあえてうれしかった。
死海文書は旧約聖書が書かれた粘土板。
さすが地元。 -
ローマ劇場。
-
-
この青いキレイなモスクは王族専用なので一般人は入れません。
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続いては死海へ向かう途中にあるガラス工場へ寄り道。
青いグラスがどんどん出来上がっていきます。
1つお買い上げ。カードは使えず。 -
上り坂を上ったわけでもないのに、バスはどんどん下がっていきます。
ひたすら下る一方。 -
死海に到着
-
もっと荒れ果てた(「死」というからにはその周辺も)風景を想像していたのだけれど、今までとあんまり変化無く...。
旧約聖書に出てくるソドムの街から逃げ出した家族が振り返ったために塩柱になってしまった、という場所に今も塩柱が立っているらしいのだが、見当たらなかった。 -
イスラエル側は素敵なリゾートとして開発されているらしいけど、ヨルダン川の死海沿岸にはレストハウスのようなものがあっただけ。
ぜひ死海でプカリと浮遊体験したいと、ちゃんとタオルと水着を持って来てた。
「今は冬だから入れません」といわれたけど、昼飯を抜いても、後で風邪引いても絶対に入る!
何とかシャワー室は手配してもらえたが、季節はずれなために、物置で着替える羽目になった。 -
塩分が濃いので15分を限度としてくださいと言われて、いざ!
確かにしょっぱい。しょっぱいが、海よりしょっぱいかと言うと良くわからない。
でも、ここ海じゃないもんね。
で、恐る恐る片足ずつ上げてみました。
浮きましたよ。はい。
ちゃんと。浮くんですわー。
イヤー、面白ーい。
水シャワーで塩分を落として(冷たーい!)、着替えて食事。
ドライヤーは無いので、髪はしばらく結ったまま。
なんかポカポカしてる。やっぱり塩分が濃かったからかなー。
お肌は気のせいかツルツルしてる。
一応冬なんで、気温は低めだけど(でも湿度高めで寒くない)、上着は不要なくらい血行が良くなってました。
お土産にバスソルトを買いましたよ。効果は体験済み。
思えば、2日前は雪道に苦労してたのになー。 -
今度はどんどん上っていきます。
-
ペトラへ向かう砂漠の道へ向かうのじゃ。
-
砂漠にでました。
ここは「アラビアのロレンス」のロケも行われたそう。 -
アカバからリン鉱石を積んだ列車が来ました。
映画の中で、この線路を破壊する工作をロレンスが指揮していたような記憶があるぞ。 -
砂漠に夕日が沈んでいきます。
-
その後、ものすごい残照。
ちょっと言葉に出来ないくらい、きれいな色。
日本の太陽とはモノが違うのだろうか?
こんな赤色、黒色見たことがない。 -
ホテルに到着。
美味しい夕食後、ベドウィンのキャンプで歌と踊りの歓迎があるというので出かけた。
星が大きい!そして凄い数!
こういう状態を「一面の星空」というのだなー。
プールサイドに行くともっとよく見えるというので、キャンプの後寄ってみた。
ものすごい冷え込みだけど(昼間泳いだのがウソのよう)、その分空気が澄んでいるのか、とてもとてもキレイな星空だった。
こんなキレイな星を毎日見られたら、きっとダイヤなんて欲しくなくなるな。いや、独り占めしたくてもっと欲しくなるか?
うーん。
明日も星見よう。
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