2008/03/22 - 2008/03/23
39位(同エリア195件中)
SUR SHANGHAIさん
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- 旅行記919冊
- クチコミ6835件
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ひさびさに西安を訪れてみることにしたSUR SHANGHAI。
往きと帰りは旦那と一緒でも、西安では別行動にして、これまで行った事の無い乾陵(けんりょう)まで遠出してみようと思います。
気になるお天気も、この日は春の薄曇で大きく崩れそうも無いから、あちこち歩くには好都合。
さあ、この日は何が見られるだろう。
表紙の画像は、乾陵(けんりょう)付近に数多い、窰洞(ヤオトン)の一つを見下ろした様子。
中庭で洗濯作業をする様子が見られました。
●窰洞(ヤオトン)というのは、中国中央部の黄土高原でよく見られる形態の洞窟住居。
建材となる樹木が少ないこの地域では、夏は涼しく冬は暖かい省資源住居として今も活用されています。
窰洞(ヤオトン)には、崖に直接横穴を掘って造る山懸け式と、地面を四角く掘り下げて中庭とし、その壁面に横穴を掘る下沈式の2種類があるようです。
この画像の窰洞(ヤオトン)は下沈式のようです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 上海航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
久しぶりに西安を訪れることになったSUR SHANGHAI。
この日の空の便は上海航空。
翼の先の赤い色が青い空に映えて印象的。
上海→西安は2時間ちょっとなので、お昼過ぎの便でも箱入り機内食が出されました。
開けてみると、サンプル食品詰め合わせ風っていうのが今ひとつ…。
その組み合わせも、ロールパン、カップケーキ、豆腐干(豆腐の加工食品)、山核桃というナッツ、それにチョコボール風のお菓子、というのがすごい。(^^ゞ
う〜ん…(−−〆)。
でも、一昔前、別の航空会社でリンゴが丸ごとゴロリと一個だけ渡された頃と比べると、ずいぶん良くなったと思います。(^◇^)
西安が近づくと、畑地と工場が入り混じって広がる黄土の大地。
ああ、西安にもまた戻って来た、という実感。
備忘録: カメラの日時の設定をし忘れたので、この旅行記の画像記録には2008年3月9日〜10日と出ていますが、実際には3月22日〜23日です。 -
西安の咸陽空港到着。
これまでに何度か訪れていた西安。
最後に西安に来たのは、2000年頃だったんじゃないかな。
前は、歴史遺跡のあれこれが有名な以外は、だだっ広くて埃っぽい街だと思ったけど、どう変わっているのか見るのが楽しみのような怖いような…。(^^ゞ
で、空港からタクシーで市内へ行くべく乗り込むと、空港の出口には≪猫来了。(『キャッツ』が来た。)≫のどでかい看板が。
え! (◎o◎)! これってミュージカルの『キャッツ』の宣伝看板だけど、西安でもこんなイベントが開かれるようになったの〜?
前はせいぜい、観光客相手の唐代ダンス・ショーくらいしかなかったのに。
この看板を見ただけでも、西安の移り変わりが想像できる。 -
西安でのお宿は、これまでにも2度ほど泊まった西安喜来登大酒店(SHERATON XIAN HOTEL)。
西安咸陽国際空港からタクシーだと、道の混み具合とルートによって45〜60分くらい。この08年の3月下旬には、高速道路料金込みで料金は150元前後でした。
スターウッドのポイントでスイートに泊まってみました。
コンシェルジェのスタッフがフレンドリーで好印象。
インテリア類はデザインが古い感じですが、リヴィング部分は結構広さがあってくつろげました。ワイヤレスで自分のPCにネット接続可。
フルーツのほか、ちょっとしたお菓子が日替わりで出たのも○。
寝室もスペースがあって、荷物の整理が楽でした。
ベッドは寝心地のいい、程よい硬さでぐっすり。
浴室はちょっと狭かったですが、あまり気になりませんでした。
地図を見ると、城壁に囲まれた西安城内への西の入り口(安定門)まで2ブロックしかないように見えても、実際には2kmはあります。
その他の西安中心部の見所からも離れていて、観光にはあまり便利ではない立地なのが惜しいと思います。
所在地: [さんずいヘンに豊]鍋東路262号 (西安城内への西の入り口の安定門から直進2kmほど)
http://www.starwoodhotels.com/sheraton/property/overview/index.html?propertyID=475 日本語版 -
西安喜来登大酒店(SHERATON XIAN HOTEL)の朝食ブッフェは、08年の3月下旬現在では、外国からのお客さんを考慮に入れてもう少し洋食を増やした方がいいのでは、と言う感じ。
品数は多いように見えましたが、食欲をそそられると言う内容ではなかったのが残念。
これは、お粥に入れる塩卵。
黄身が双子になっている塩卵は初めて見た。(^◇^)
でも、殻付きのまま半分に切ってあるその切り方も、もう少しきれいにしてくれないかなあ…。殻のかけらが口の中でジャリジャリ。 -
これまで数回の訪問で、西安市内や近郊の見所は一通り見ていたSUR SHANGHAIなので、今回はこれまで行った事のない法門寺や乾陵(けんりょう)方面へ行ってみます。
SUR SHANGHAIは西安市街地から1日タクシーを雇って行ってみました。
ちなみに、この08年3月下旬時点では、西安→法門寺→乾陵→乾陵懿徳太子墓→永泰公主墓→西安と回ってもらい、高速道路料金込みで600元。
一人だと割高ですが、時間をかけて見たい所ではゆっくりでき、途中の道筋でも停まってもらいたい所があれば停めてくれるのがよし。
で、さっそく出発した西安の街。
街の中心からそんなに遠くない場所の道の脇に発電所があるのでびっくり。
ちょっと前までの中国の街って、住宅地も工場も入り乱れていたから、これもその名残? -
この日、最初に行ってもらったのは、西安市街から西に約120kmあまりの扶風県法門鎮にある法門寺。
今では快適な高速道路も出来ているので、片道2時間足らずで行けますよ。
西安と宝鶏間の高速道路は西宝高速公路。
咸陽と宝鶏の分岐点ではおじさんがポツリと立っている。
中国の高速道路では、よく見る分岐点での光景。
これは何かと言うと、トラックの道案内をする商売のおじさんの事が多いようです。
う〜ん、道案内が欲しいと思っても、こんな所で停まる車はいないと思うんだけど…。(^^ゞ
そのほか、分岐点では、「おっと〜、道を間違えた〜!」とバックで戻って来る車もいるのでドキドキ物ですが、この日はそういう車は見かけませんでした。(~_~;)
このあたりの道もずいぶん整備されたなあ〜、とキョロキョロしているうちに、もう法門寺の出口。
画像の右端を歩いているおじさんも、どこからやって来たのやら。
そうそう、出先のトイレには紙は無い物と思って、ペーパーやウェットティッシュを持って行くのがいいですよ。
飲み物やちょっとしたスナックも仕入れていくと、お店の無い道筋でも困りません。 -
上の画像の法門寺の出口から高速道路を下りると、法門寺までは10kmほど。
法門寺もすぐそこになったその道筋では、おばあさんがお孫さんらしき子を背負ってテクテク。
そのお孫さんが穿いているのは、中国名物の股割れズボン。中国語では開襠[衣庫]と言います。今も各地で見かけますよ。
どこでもしゃがめばすぐに用足しが出来て便利らしいんだけど、こんなふうに背負っていたり抱っこしている時にお漏らしされたら大変じゃないの?
それに、股割れズボンを穿いて地面にべったり座っている子を見ると、衛生面も気になるし…。
部外者はそう思ってしまうけど、これが中国の子育ての伝統。 -
さて、今日の最初の見所、法門寺到着。
上でも言ったように、西安市街から西に約120kmあまりの扶風県法門鎮にあります。
これは、食堂やお店が並ぶ駐車場から見た山門と境内にある真身宝塔。
チケットは山門右手の窓口で売られていました。28元也。
法門寺の歴史はすでに1800年。
1981年には、この画像で見えている真身宝塔が大雨で崩れ、その修復が始まった1987年には、地下室部分や指の仏舎利などの宝物が発見されて、伝説とされていた話が実話であったのが証明されたのだそう。 -
タクシーの運転手さんは駐車場で待っていてもらうことにして、SUR SHANGHAIは、法門寺の境内を見て回ります。
1800年の歴史を持つという法門寺は、これまでの変遷がめまぐるしいお寺さん。
これまでの歴史は、次のウィキペディアのページか、法門寺のサイトで見てみるといいと思います。
ウィキペディアのページ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%96%80%E5%AF%BA
法門寺のサイト http://www.famensi.com/ (中国語簡体字版)
法門寺の紹介やその時々の行事、ここで発見された指の仏舎利の画像や説明も載っています。
法門寺は、これまでに何度も建て替えや補修がされているので、現在見られる建物は新しく再建されたものばかり。
ちょっと見た目の趣に欠けるような…。
ここは、西安近郊の見所を見終わって、さらに興味とお時間がある方向けの場所のような気がします。 -
左の画像は、1981年の大雨で崩れてしまった法門寺の真身宝塔。
縦半分が崩れるなんて、不思議な壊れ方。
もしその大雨で崩れることが無かったら、その地下室部分や指の仏舎利は今も発見されなかったんだろうな、と思う。
右の画像は、修復が済んで、現在見られる姿の真身宝塔。
補修の際に発見された地下室部分(地宮)は、見学可能でしたが、撮影は不可。よって画像はありません。
ここまで来たら、行ってみるといいですよ。
その地下室で発見された何重もの箱に納められた指の仏舎利は、境内とは別の場所にある法門寺の博物館にありました。
山門を背にすると右手にその博物館への入り口とチケット売り場があります。こちらのチケットは45元。
一番奥の宝物館は、小さいながら設備や展示方法は新しい感じで、仏舎利を納めていたという何重にもなった小さい宝箱も展示されていました。
展示物の撮影は不可。 -
法門寺博物館の宝物館に展示されている指の仏舎利やそれを納めていた小箱を含む十二の宝物は撮影禁止なので、看板に出ていた画像でご紹介します。
画像をクリックして元画像で見てみても文字が見えない場合は、一旦コピーで保存してから、拡大してみると見えるようになると思います。
2枚撮った写真を繋ぎ合わせた画像なので、文字部分がずれていますが、お許しを。
指の仏舎利は一つだけではなく、第1枚〜第4枚と四つあり、それぞれ何重にもなった小箱に納められていたんだそう。
法門寺のギフト・ショップには、法門寺を紹介する『法門寺簡介』、『法門寺珍宝』の冊子がそれぞれ8元で売られていて、指の仏舎利と小箱の画像、それに説明も付いています。どちらも中国語版ですが、興味のある方はどうぞ。 -
法門寺博物館の敷地に咲いていたこの木の花は、桃の花だよね。
今日のうす青い空をバックに、暖かい春の色が視界いっぱいに広がる。
ああ、きれいだね〜。(*^。^*)
そんな春景色の中に咲いていたのは桃の花ばかりではなく…、 -
…地元の乙女たちの青春の花も真っ盛り。(^。^)
取っているポーズが、一昔前の女学生って感じだね。
彼女たちは、これからどんな人生を送るんだろう。 -
法門寺の次に訪れる乾陵(けんりょう)は、唐の第3皇帝の高宗と則天武后を合葬した陵墓で、西安市街地から90kmほど北西の乾県にあります。
法門寺からだと乾陵(けんりょう)までは50km足らず。
その沿道は、街路樹になっている柳が、3月下旬にはみずみずしい新緑。
いい色だ〜!ヽ(^o^)丿
埃っぽい空気まで、しっとりと湿り気を帯びて見える。
この沿道に彩を添えていたのは柳の木だけではなく…、 -
イチオシ
…周辺の梨園も、あたりが真っ白くなるくらいの花盛り。
運転手さんも、「どうだ、きれいだろう!」と、我が梨園のごとくにニコニコ顔。
SUR SHANGHAIがお願いするより先に、「車を停めようか。」と言ってくれたので、遠慮なくあたりの散策。
まだちょっと寒いのに、思わぬ所でお花見が出来てホッコリ気分。(*^。^*)
運転手さん、ありがとう。 -
車道に伸びて来た柳の枝を払っていたのかな?
リヤカーに、切り取った枝が積んであった。
中国では、柳に限らず、街路樹の幹の下の方を白く塗ってあるのをよく見かける。ここでもそう。
これって何でだろ?
誰に聞いてみても「そういえばそうだねえ。考えたこと無かった。」
SUR SHANGHAIがこれまで見てきた限りでは、街灯が無い田舎の道に多いようだから、夜間、車から見えやすいように塗ってあるような気がするんだけど…。どうだろ。 -
あ、乾陵(けんりょう)の標識の向こうに、乾陵(けんりょう)の三つの山が見えてきた!
話には聞いていたけど、この地形をそのまま利用した陵墓は、遥けき彼方から見ても、豪壮な規模だったのが見て取れる。
この画像で一番奥に見えている山が、唐の第3皇帝の高宗とその皇后だった則天武后を合葬した北峰(1047.9m)。
則天武后は高宗の死後には中国唯一の女帝にもなったので、その二人が一緒に葬られたこの乾陵は、夫婦が共に葬られた陵墓としても唯一無二、二人の皇帝が共に葬られた陵墓としても唯一無二の存在なんだそう。
その手前の左右に見えている二つの山は乳峰。それぞれの峰の上に立っているのは近年の復元だそうですが、向かって左手は西乳峰闕楼、向かって右手は東乳峰闕楼と言うんだそうです。
闕楼は、簡単に言うと、物見台として使われる楼閣だそうです。
闕楼のあたりまでまっすぐ続く車道は、かつて御道と呼ばれた乾陵への参道を辿っているみたい。
そこをSUR SHANGHAIも通って乾陵を目指しているのかと思うと、なんだかワクワクドキドキする眺め。(*^。^*) -
さて、乾陵(けんりょう)の御道(参道)下の駐車場に到着。
ツアーで乾陵(けんりょう)に行くと、この画像で見えている西乳峰闕楼向こう側にある上の駐車場から歩き始めるようですが、SUR SHANGHAIはここから全部徒歩で高宗と則天武后を合葬した北峰まで上って行ってみます。(^_^)v
下の駐車場から上の駐車場までのこの階段は全部で500段以上あるので、上の駐車場まで連れて行ってくれるという車の勧誘もあります。有料ですが、歩くのが苦手な方は使ってみてもいいかも。
チケットは、下の駐車場ではなく、上の駐車場そばのブースで買うようになっていました。08年3月下旬は、46元という半端なお値段。
どちらの駐車場にも、簡単な食堂や売店、トイレがありましたよ。 -
イチオシ
まずは、上の駐車場にあるチケット・ブースを目指して、西乳峰闕楼と東乳峰闕楼の間を通る御道(参道)を上り始めたSUR SHANGHAI。
ちなみに下の駐車場から上の駐車場までのこの階段537段、テラスのようになった平台は18、高低差は81mほどあるそうです。
ずいぶんきれいだから、近年になってから造り直されたものに違いない。
来た方向を振り向くと、さっきは車で通ってきた道が一直線に続いていていい眺め。(*^。^*)
この坂の傾斜はうんときつくは無いので、ゆっくり休みながら行けば大丈夫。
ちなみにSUR SHANGHAIは普通の体力の持ち主で、下の駐車場から高宗と則天武后を合葬した北峰まで片道1時間程度でした。 -
西乳峰闕楼と東乳峰闕楼の間を通る御道(参道)の階段途中から見えた景色。
レンガ塀に囲まれたこの建物は学校。山の分校っていう感じだね。
学校の名も生徒たちも見えないけど、まだ授業中の小学校かな。
国旗が軽やかに翻っているのがのどかな眺め。
でも、校門のあたりに書かれた言葉で、教育には力を入れているのがよく分かる。将来、この学校出身の有名人が出るかも。 -
これも、西乳峰闕楼と東乳峰闕楼の間を通る御道(参道)の階段途中から見えた景色。
普通なら乾いて埃っぽい黄土高原の土地も、野菜や麦の緑、梨園の花の色でしっとりとした春の農村風景。
今日は曇り空のせいもあるのかな。
これから他の木々も芽吹いたら、もっと賑やかな眺めになりそう。 -
第一段階の御道(参道)の階段を上りきったSUR SHANGHAI。
上の駐車場のチケット・ブースで、乾陵(けんりょう)のチケット(46元也)を購入後は、今度は司馬道と名を変えた参道をさらに北峰に向かいます。
この司馬道は、石段は無い石畳の広い坂道で、両脇には、高宗と則天武后の死後も仕える馬や人物の石像がずらり。
これは、これまで見てきた中国の大きな陵墓と同じスタイルだあ。
振り向くと、結構高い所に来てしまったかのような眺め。
左下の画像は、さっき通り過ぎてきたばかりの、西乳峰闕楼と東乳峰闕楼の間を通る御道(参道)方向。 -
乾陵(けんりょう)の司馬道から眺めた西乳峰闕楼。
闕楼と言うのは、上の方でも言ったように、物見台として使われた楼閣。
現在見られるこの姿は近年の複製と言うことです。
画像手前には、司馬道に沿った民家が見えています。
この中には中国中央部の黄土高原でよく見られる形態の洞窟住居窰洞(ヤオトン)も混じっているんですが、それはこの旅行記の後半でご紹介しようと思います。 -
司馬道の坂道を上って行くと、石畳の広場のようになった場所に立っているのは二つの碑。
高宗と則天武后を合葬した北峰に向かって左側にあるのは、左の画像の述聖紀碑。高宗を称えるために建てたというこの碑は五つの岩を積み重ねてあるんですが、屋根と礎石を入れると七層になるので七節碑とも呼ばれるんだそう。
北峰に向かって右側にあるのは、右の画像の無字碑。
則天武后が建てたという、高さ7.53m、重量98.8トンの一枚岩で出来たこの碑には、元々はその名の通り文字は一つも入っていなかったんだそう。
これは、自分の功績は文字で表せるものではないからという説と、自分の評価は後世の人間によって行われるからという説があるようです。
現在は文字が彫り込まれていたりしますが、これはここを訪れた人たちが残していったものだそうです。 -
上記の二つの碑の後ろにある大きな闕楼のそばには、六十一蕃臣像が並んでいます。
これは、683年に没した高宗の葬儀に参列した諸国の使者を象ったもの。なぜかどの石像も首が落とされているのが異様な雰囲気。
これは乾陵の謎の一つになっているんだそう。
上の画像の二つの碑のあたりもこの六十一蕃臣像のあたりも、乾陵の復元図を見ると瓦屋根の楼閣が並んでいるんですが、今はそれも失われてガランとした雰囲気。
乾陵は唐代十八陵の内では最も保存状態がいいとは言っても、やはり失われた部分はずいぶん多いようでした。 -
六十一蕃臣像を過ぎると、あとは清代に建てられた≪唐高宗乾陵≫と書かれた碑が道に真ん中に立っていて、その向こうに高宗と則天武后を合葬した北峰がくっきり。
その岩の多い道を上っていく人の姿も写っています。
画像をクリックして元画像で見てみてもはっきりしない時には、一旦コピーで保存してからさらに拡大すると、見えるようになると思います。
この碑があるあたりにはお土産屋さんのほかには売店やトイレもあるので、北峰まで行ってみたい方は準備を整えてからどうぞ。 -
上の画像で≪唐高宗乾陵≫の碑が立っているあたりも、乾陵復元図で見ると色々な建物があるんですが、今はその面影は無し。
SUR SHANGHAIが気付いた限りでは、あとは北峰へと上っていく道があるだけでした。
それまでの石が敷き詰められた司馬道も、北峰に向かうに従ってどんどん細くなっていきます。
てっぺんまで行きたいけど、歩くのはちょっと…という方には、馬引きさんが多数待機しているので問題なし。
往復料金を交渉して連れて行ってもらいましょう。 -
イチオシ
乾陵の北峰のてっぺん目指して、テクテクと上って行ったSUR SHANGHAI。
最後は、こんな岩がゴツゴツとむき出しの道になっていました。
その岩も、これまで多くの人の足に踏まれてツルツル。滑りにくい靴で行くのが正解です。
雨が降ったら、ツルツルにプラスしてドロドロにもなるんだろうなあ。ご用心。
馬が行く道ならもう少し状態がいいんだと思います。
途中で来た方向を振り向くと、右の画像のように、「わ〜! いい景色! (◎o◎)!」なので、気候・天候、体力・体調も考慮に入れて、行ってみては?
上の方の画像で≪唐高宗乾陵≫の碑が出ているあたりから、普通の体力のSUR SHANGHAIだと、ゆっくり行って20数分でした。 -
乾陵の北峰のてっぺんには、唐の第3皇帝の高宗とその皇后だった則天武后を合葬したことを示す何かがあるんだろうとお思いでしょうが、今は何も無し。
乾陵復元図を見ると、昔は上仙観という建物があったようです。
2人の墓所は北峰のてっぺんではなく、中腹にトンネルを掘って造られたようなんですが、いまだに発掘されていません。
発掘されれば、一大ニュースになるんでしょうね。
で、現代の送電施設があるだけだった北峰のてっぺんには、馬引きおじさんが多数たむろ。
え? それだけ? と思うのはまだ早い。 -
乾陵の北峰のてっぺんから見る春景色がこんなにいいんですよ。
画像をクリックして元画像で見てみると拡大されます。
これまで歩いて来た方向の司馬道や御道、闕楼を乗せた二つの乳峰がよく見えました。
この画像だと、北方向から南方向を見る形になっているので、左手が東乳峰闕楼、向かって右手は西乳峰闕楼になります。
周辺の畑地も緑に染まり始めていい眺め。(*^。^*)
歩いてここまで来た甲斐があったと思ったSUR SHANGHAI。 -
イチオシ
乾陵の北峰のてっぺん近くから見た春の始めの景色。
ホッコリとしたお日様の下、街路樹になっている柳の新芽の色が柔らかい。
こんな日に布団を干したら、お日様の匂いと暖かさに包まれそうだね。 -
北峰のてっぺんから下りて来て、≪唐高宗乾陵≫の碑が立っているあたりで乾陵に関する冊子を買ってみたSUR SHANGHAI。
で、このおねえさんは何をしているのかと申しますと、その冊子の余白に記念スタンプを押してくれているんです。
「一つだけでいいよ。」って言ったのに、「ただだから、全部押して行って。」と、九つももらってしまいました。(^^ゞ
乾陵を訪れた日付に、高宗、則天武后、これまでに紹介した碑や像の模様入り。
これを読んだ皆さんも、スタンプ・コレクションをしてみては? -
また戻って来た、乾陵の司馬道のあたり。
司馬道に沿って立つ人物像の一つが上の方に写っています。画像右上奥に写っているのは東乳峰闕楼。
最初に通りかかった時に、司馬道に沿って窰洞(ヤオトン)が並んでいるのに気付いていたので、ちょっと寄り道しています。
窰洞(ヤオトン)は、中国中央部の黄土高原でよく見られる形態の洞窟住居。
これは、司馬道に沿った地面を四角く掘り下げて造ったように見えるから、下沈式の窰洞(ヤオトン)になるのかな。
ただ、一方の壁をレンガ造りにして、新築の家も隣接。
この窰洞(ヤオトン)は、物置代わりになっているようでした。 -
乾陵の司馬道に沿って並んでいた窰洞(ヤオトン)。
窰洞(ヤオトン)自体はこれまでにもあちこちで見ていたけど、乾陵の司馬道脇という場所にもあるとは思わなかった。
これも、地面を四角く掘り下げて中庭にし、その周囲の壁面に横穴を掘って造った下沈式の窰洞(ヤオトン)に見える。
ここはもう誰も住んでいないようで、ガラ〜ン。
窰洞(ヤオトン)暮らしは止めて、新しい家に移って行ったのかな。
ご先祖様から受け継いだ窰洞(ヤオトン)に今も住んでいる人たちは多いけど、新規に窰洞(ヤオトン)を造る人って、どの位いるんだろう。 -
窰洞(ヤオトン)のほかに、新築のレンガ造りの家が並ぶ集落もあった乾陵の司馬道沿い。
その村にも梨の木がたくさん。
日溜りで見つけた春の色。 -
新築のレンガ造りの家が並ぶ集落もあった乾陵の司馬道沿い。
左奥の山は、ついさっきてっぺんまで行ってきた北峰。
自分の足で上ってきたあの山のどこかに、高宗と則天武后の陵墓が未発掘のままあるのかと思うと不思議な気持ち。
北峰手前の小高い場所に石造りの門があるように見えるのは、述聖紀碑と無字碑の後に立つ闕楼。 -
さ、そろそろ下の駐車場へ戻って行こう、と御道の階段を下り始めたSUR SHANGHAI。
上の方でも書いたように、乾陵を訪れる人たちは司馬道に近い上の駐車場から歩き始める人が多いので、司馬道より下の御道を通る人はご覧のようにまばら。
法門寺からやって来た時に通った車道が、まっすぐに延びているのがシュールな光景。
あれ? ずいぶん小さい子を連れた男の人が御道の階段を上ってくる。
この階段は500段以上もあるのに! (◎o◎)!
しばらくしてすれ違ったその二人連れは、おじいさんとそのお孫さん。
お天気がいい日にはこうしていつも運動代わりに2人でこの階段を上り下りしているんだそう。
お孫さんもおじいさんもお元気そうでなによりです。(^◇^) -
乾陵の上の駐車場から下の駐車場へと下りて行く御道。
その傍らには民家も見えて、小さい菜の花畑が満開。
ここから見える民家は普通の家だけど、向こうに見える黄土の崖には、司馬道の脇で見たように窰洞(ヤオトン)が並んでいるんじゃないかな。
ちょっとここでも寄り道をしてみると…、 -
イチオシ
…あ! ありました。
地面を四角く掘り下げて造られた、立派な下沈式の窰洞(ヤオトン)。
この窰洞(ヤオトン)は、今も住民がいる生きた窰洞(ヤオトン)。
中庭では、今日のお天気に誘われて、洗濯作業が進行中。
掘り下げて造られているので、崖の上から見下ろす形になるのはおもしろいけど、なんか他人様の生活を盗み見してしまった気分。(^^ゞ -
上の画像の窰洞(ヤオトン)を、上からぐるりと回って見てみる。
画像左上に木が茂って見えるのは、SUR SHANGHAIが下りて来た御道沿いの木。
この窰洞(ヤオトン)が、御道のすぐ脇に作られているのが分かると思います。
大きな中庭を真ん中で区切っているのは、別々の家族が住んでいるのかな。レンガ造りの建物が二軒あるけど、これはまだ新しいみたい。
こうして全体像を見てみると、四角く掘り下げられた一方の壁が、門もあるレンガ造りになっているから、完璧な下沈式窰洞(ヤオトン)というよりも、山掛け式との中間型になるのかも?
あ、門を入った所には、影壁も造られている。
住民がいる窰洞(ヤオトン)を見る機会はこれまでにそんなに無かったから、まじまじと観察してしまう。 -
上記と同じ窰洞(ヤオトン)を、上からさらに回り込む。
さっきお洗濯風景が見えたお宅は、中庭を仕切っているレンガ壁の向こう側。
手前の窰洞(ヤオトン)の中庭にも洗濯物が干してあるし、ここもまだまだ住居として使われているみたい。
出入り口そばには井戸らしき設備も見えてるな、…と思って眺めていると、ここの住人の一員らしき子が走り出てきた。
あとでこのお宅を見学させてもらいたいけど、どうだろう。 -
上記の窰洞(ヤオトン)以外にも、乾陵の御道沿いには大小さまざまの窰洞(ヤオトン)が並んでいた。
乾陵の西乳峰闕楼を背負った形の位置にあるこの窰洞(ヤオトン)はもう廃墟。
あとは、風化されて崩れるがままになるのかも?
洞穴を掘って住居にすると言うスタイルは、この中国中央部の黄土高原に限ったことではなく、世界のあちこちで見られます。
興味のある方は、下記の旅行記に出て来る洞窟住居もご参照下さい。
★春のチュニジア ? −エル・ジェムからマトマタへ
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10059600/
★南イタリア ? −マテーラ サッソ・カヴェオーソ地区へ
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10065843/ -
さっき、女の子が走り出てきた窰洞(ヤオトン)の中庭が見える門。
出来たら、ちょっとお邪魔したいんだけど…。
…と、そこに現れたのは、ここの住人のおばさん。
SUR SHANGHAIがさっきからこのあたりの窰洞(ヤオトン)を見て回っていたのに気付いていたらしくて、「うちを見て行くかい?」
「お願いします! (^◇^)」 -
お言葉に甘えて、ちょっとお邪魔させていただいたおばさん一家の窰洞(ヤオトン)。
この画像左手にあるのは、案内してくれたおばさんのお祖父さんが造ったと言う窰洞で、今は物置になっていました。
左手角にちょっとだけ見えているのは台所になっている窰洞。
正面向かって左手は、おばさん夫婦の居間兼寝室で、同じく向かって右手に見えているのは息子さんご夫婦の居間兼寝室として使っている窰洞だそうです。 -
左の画像は、自宅になっている窰洞(ヤオトン)を見せてくれたおばさん夫婦の居間兼寝室。
厚い黄土の土地にトンネル状に掘られた窰洞(ヤオトン)の壁はつるつるに磨いてありました。
夏涼しく、冬は暖かい省エネ住居とは言っても、さすがに冬は暖房が無ければ寒いので、ベッドはオンドル仕様。その焚口も写っています。
ちょっと失礼してお宅の調度品に目を向けると、ソファ、足踏みミシン、それになぜか真新しい自転車、とシンプル。
右の二枚の画像は、息子さん夫婦の居間兼寝室。
やはりつるつるに磨いた壁にはずらりと親戚の写真、ポスターやカレンダー、雑誌や新聞の切抜きが貼ってあって、ちょっとしたコラージュ作品。
窰洞って、電気は引かれているの? と思う人もいるでしょうが、今では立派に引かれていて、この二軒のお宅でも、電球、テレビ、それに電気洗濯機がありました。 -
上記二軒の窰洞(ヤオトン)の間には、左の画像のような井戸が掘ってありました。壁に貼ってあるのは、水の神様の龍王の絵。
蓋を開けてもらうと、結構深いらしくて中は見えず。
チェーンの付いたバケツを下ろし、巻き上げ機で汲み上げるスタイルになっています。。
水はどんな感じ? と汲み置きバケツの中を見てみると、予想に反して無色透明。黄色く濁った水を想像していたので、これはちょっとびっくり。
右の画像は、台所専用になった窰洞(ヤオトン)の内部。
出入り口のすぐ脇に竈がしつらえてあるのは、換気を考慮に入れた結果に違いない。その上にかけてある大きなお鍋がピカピカ。
奥は食糧倉庫も兼ねたスペースで、壁には竈の神様らしき絵がやはりお札のように貼られていました。 -
突然やって来たSUR SHANGHAIだけど、こんなに色々見せていただいて、ラッキー!(*^。^*)
おばさん、ありがとうございました〜。
「手工芸品をお土産に買って行って。」と、十二支の動物が縦に連なった自作の壁掛けを取り出して来たおばさん。
窰洞(ヤオトン)を説明付きで見せていただいたし、その色鮮やかな壁掛けもきれいな仕上がり。一つだけだけど、お買い上げ。
これでおばさんもSUR SHANGHAIも気分良し。(*^。^*)
いつの間にやら、お嫁さんも帰って来たので、記念に1枚。
おばさんから見てお孫さんになる子が2人。
農家だと言う一家の最初の子が女の子だったから、下の子も産んだのかな、と想像してみました。 -
運転手さん、おまちどおさま〜。
次の懿徳太子墓、永泰公主墓(乾陵博物館)にお願いしま〜す。
乾陵−懿徳太子墓−永泰公主墓の間は車でそれぞれ10分程度。
懿徳太子墓は高宗と則天武后の孫、永泰公主は同じく高宗と則天武后の孫娘で、その2人の陵墓や出土品が見学できます。
左上の画像が懿徳太子墓への入り口、右上の画像が永泰公主墓(乾陵博物館)への入り口。
どちらも夏は8:00〜18:00、冬は8:30〜17:30オープン。
チケットは懿徳太子墓が30元、永泰公主墓(乾陵博物館)が25元でした。
どちらも地下の墓室に至る参道に壁画が残っています。
左下2枚の画像は懿徳太子墓の壁画の一部、右下の画像が永泰公主墓の壁画の一部です。
ただし、懿徳太子墓の壁画はレプリカということで、永泰公主墓の乾陵博物館にあるのがオリジナルだそうです。
薄暗いトンネルのような参道は結構長いので、一人だとちょっと怖いと思う人がいるかも。
墓室の中には黒い石棺が置いてあって、その浮き彫りと大きさにびっくり。暗すぎてよく見えないのが残念でした。
どちらもそれだけ目指して行くとすぐ見終る規模。
SUR SHANGHAIと同じように、いくつか見所を組み合わせて行ってみるといいと思います。 -
運転手さん、あとは西安のホテルまで安全運転でお願いね。
乾陵の入り口から高速道路に入った後は、乾陵のあたりを歩き回った気だるさで思わず知らずウトウト…。(-_-)zzz
ふと気付くと、高架橋がいくつも架かる真新しい高速道路をひた走っていた。
今日見てきた1800年の歴史を持つ法門寺、広大な規模の乾陵、その周辺に今も多数ある窰洞(ヤオトン)、そして唐代の陵墓の懿徳太子墓や永泰公主墓(乾陵博物館)がある同じ陝西省とは思えぬ眺め。
いきなり現代に引き戻された感覚に襲われて、一瞬目がパッチリ。(◎o◎)
不思議なタイム・トリップ感も、快適なスピード感に吹き飛ばされて、このあとは西安まで夢見心地…。 -
あ、今朝見た発電所がまた見えてきて、今日のタイム・トリップももうすぐ終わり。
無事に西安喜来登大酒店(SHERATON XIAN HOTEL)に着いた後は、運転手さんともお別れ。
お疲れ様でした〜。(*^。^*)
明日・あさってのSUR SHANGHAIは、西安の街の中を歩いてみます。
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