2008/08/03 - 2008/08/04
77位(同エリア150件中)
ハンクさん
ウラジーミルとスーズダリは「黄金の環」のなかで最も人気の高い観光地のひとつで、世界遺産に登録されている。
ウラジーミルはモスクワの北東約170km、エレクトリーチカで約3時間、スーズダリはウラジーミルからバスで約45分、ゆっくりしている余裕はないが、日帰りでも世界遺産の主要な建築を見て回ることは可能である。
エレクトリーチカではセルギエフ・パサートで述べた人生劇場が繰り返された。この電車の方が長距離であり、より混んでいた。
ウラジーミルの歴史は1108年、キエフ・ルーシ王朝のウラジーミル・モノマフ公がここに要塞を築いたことに始まる。彼の孫、アンドレイ・バガリュ−プスキー公の時代にウラジーミル・スーズダリ公国の首都となった。その後1169年以降ルーシ王朝の首都となり、今に残る白い石灰岩を使った教会が盛んに建設された。
しかし1238年、バトゥ・ハ−ン率いるモンゴル軍によって町は破壊され、町は勢いを失った。その後、支配権は新興のモスクワに移っていった。
ウラジーミルのウスペンスキー大聖堂(写真1−3)は1158年に建設が始められ、14世紀初めまではロシアの大聖堂の最高位にあった歴史的な教会である。丘の上に建ち、 5つの黄金の丸屋根を持つ荘厳な教会。建材にはこの地域の特徴的な白い石灰岩を使い、職人は遠く神聖ローマ帝国からも派遣された。
ウラジーミルのドミトリエフスキー聖堂(写真4−8)は12世紀末にフスィエーヴィラト公の宮殿内に建設された教会。白い石灰岩を使い、外壁にダビデ像、アレクサンダー大王、 ソロモン王、ヘラクレスなどの聖人や歴史的な英雄、動植物などを描いた浮き彫りが施されている。
スーズダリはウラジーミルから北に約35km、バスで約45分揺られて行く。バスの中ではポーランド人とアイルランド人のカップルと親しくなった。バスを乗り継いで、エカテリンブルグからウラジオストク、極東まで行けるところまで行く、と言っていた。今ごろどのあたりにいることだろう。
スーズダリは中世の雰囲気を残したロシアの田舎町の典型である。11世紀にユーリー・ドルゴルーキー公の時代にロストフ・スーズダリ公国の首都となった。15世紀にモスクワ公国の一部となってからは宗教的中心地となり、17、18世紀に今に残る多くの教会が建設された。町の中心にはクレムリンがあり、クレムリン内の聖堂の中には例によって模型(写真12)が展示されており、わかりやすい。
クレムリン内のラジヂェストヴェンスキー聖堂(写真13−16)はスーズダリで現存する最古の建築で、13世紀に建てられた。白い石灰岩を使用し、浮き彫りが見事である。
リザバラジェーンスキー修道院の聖なる門(写真19)は13世紀始めに建設された。鐘楼はナポレオン戦争の勝利を記念して建てられたものだ。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 飛行機
- 航空会社
- エールフランス JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ウラジーミルのウスペンスキー大聖堂
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イチオシ
ウラジーミルのウスペンスキー大聖堂
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ウラジーミルのウスペンスキー大聖堂
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ウラジーミルのドミトリエフスキー聖堂
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ウラジーミルのドミトリエフスキー聖堂
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ウラジーミルのドミトリエフスキー聖堂の近景
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ウラジーミルのドミトリエフスキー聖堂外壁の装飾
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ウラジーミルのドミトリエフスキー聖堂の別アングルの
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ウラジーミルのウスペンスキー大聖堂への坂道
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ウラジーミル駅前の蒸気機関車
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スーズダリの風景
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スーズダリのクレムリンの模型
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スーズダリのラジヂェストヴェンスキー聖堂
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スーズダリのラジヂェストヴェンスキー聖堂
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スーズダリのラジヂェストヴェンスキー聖堂の鐘楼
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スーズダリのラジヂェストヴェンスキー聖堂の鐘楼
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スーズダリのリザバラジェーンスキー修道院
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スーズダリのリザバラジェーンスキー修道院の鐘楼
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