2010/07/29 - 2010/08/05
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2010年7月29日から8月5日にかけての8日間、夫婦2人でパッケージツアーに参加してモロッコへ行ってきました。
8日間の旅行とは言え、行きも帰りも機中泊なので、実質モロッコに滞在したのは6日間。しかもその間の滞在先は、マラケシュ−ワルザザート−エルフード−フェズ−カサブランカと転々としていたため、移動時間の比率が高い今回の旅行でした。それでも、いろいろな人やモノが行き交うモロッコの独特な雰囲気を感じることができた旅でした。
旅行3日目(モロッコ2日目)の7/31に、マラケシュからオート・アトラス山脈を越えて砂漠の近くに位置する町、ワルザザート(Ouarzazate)に到着した僕等は、翌8/1にワルザザートを出発。オート・アトラスの南を東西に走るカスバ街道を東へ進んで行きました。
今回の旅程の中では、あまり旅行前にイメージが湧かなかった場所を行くこの日の移動。でも、いざ行ってみると、荒涼とした大地の中に現れるオアシスの美しい景色や、大きな岩壁が川の両側に連なるトドラ渓谷など、この日もダイナミックな景色を楽しむことができました。特にトドラ渓谷は、今まで僕がモロッコに対して抱いていたイメージとは異なる景色の場所でした。
今回の旅行記は、ワルザザートからカスバ街道を東へと進み、サハラ砂漠の入口の町、エルフード(Erfoud)へ至るまでの様子を紹介します。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
2010年8月1日、8:35。
ワルザザートのホテル、ラ・パルムレイ(LA PALMERAIE)を出発して約5分。僕等はワルザザートの中心にほど近い場所に位置するタウリルト・カスバ(Kasbah de Taourirt)の前にいた。
タウリルト・カスバは、かつてグラウイ家が所有していたカスバ(城壁で囲まれた要塞)。グラウイ家はキャラバンの護衛や、オアシスの塩やナツメヤシの交易により財をなした一族。 -
1つ前の写真より右側へと目を向けてみると、このカスバがいかに大きいかが分かります。
フランスは20世紀初頭にモロッコを占領する際、モロッコ南部の統治をスムーズに行うために土地の豪族を利用した。その中でもグラウイ家はフランスに進んで土地を提供したため、フランスに重用されたのだけど、このためにモロッコ人からは不人気な一族なのだそうです。
結果、グラウイ家はモロッコがフランスから独立した1956年に亡命。現在のムハンマド6世国王の祖父の代に許しを請いモロッコに戻ってきたそうで、現在もモロッコのどこかで暮らしているのだとか。 -
こちらはタウリルト・カスバの入口付近を撮影したもの。
今回の旅では、僕等は残念ながら中には入らなかったけど、10DHで中を見学することができます。 -
僕等は、道路を挟んだ場所からタウリルト・カスバを見ていた。
僕等の背後には、ワルザザート映画博物館があった。やっぱり、ワルザザートはモロッコの映画の都なんですねえ。
そういえば、タウリルト・カスバも映画『シェルタリング・スカイ』の舞台になったそうです。僕は観たことがないけれど。 -
タウリルト・カスバの入口付近。建物壁面の文様がくっきり残っていて、保存状態が良さそうに見えます。中がどうなっているのか気になるけれども、僕達のツアー一行はこの辺でワルザザートを後に。
-
僕等を乗せてタウリルト・カスバの前を出発したバスは、国道10号線を東へ向けて走り出した。この国道10号線が、ワルザザートとエルラシディア(Er Rachidia)を結ぶカスバ街道だ。
普段、旅行の間はバスでの移動中もできるだけ車窓からの眺めを堪能するのが僕のポリシー。この日は東への移動が全体的に多くなるため、僕達夫婦は直射日光が差し込む時間が短いであろう左側の座席に座り、車窓からの景色を眺めることに。いくらバスの中は空調が効いているとはいえ、日が差し込むとやっぱり暑いからねぇ。 -
ワルザザートを出て20分ほどもすると、車窓の外にはこんな荒涼とした世界を望むことができた。
でも、この街道沿いはこんな景色ばかりではなく、その名の通りカスバも多く残っている。 -
9:13、そうしたカスバの1つ、ベン・モロー・カスバ(Kasbah de Ben Moro)でバスからいったん下車して写真タイム。
こちらは、17世紀頃にスペイン系移民が3代にわたって所有していたカスバ。スペインでのレコンキスタ(国土回復運動)によりイベリア半島の地を追われ、モロッコに流れてきたスペイン系のイスラム教徒により建てられたのだとか。この一族もナツメヤシの実で財をなしたのだそうです。
このベン・モロー・カスバは、現在はレストランやホテルとして利用されている。 -
こちらはベン・モロー・カスバの近くに建っていた普通の家。
別になんという特別な意味もなく撮ってみました。 -
9:50、エル・ケラア・ムグナ(El Kelaa M'Gouna)の村に到着。この村はバラの栽培が有名で、近くにはローズウォーターを蒸留する工場がある。
僕達はカスバ街道沿いのみやげ屋、Cafe Panoramaで休憩を取ることに。
こちらはダマスカスローズの製品を扱う店。シリアのダマスカスが名前の由来で、昔メッカを巡礼したエル・ケラア・ムグナの人が持ち帰って栽培を始めたのが始まりなのだそう。 -
ダマスカスローズはフランス統治時代にフランス人が目を付けて量産が始まった。殺菌作用や冷却効果などがあり、食用やコスメに利用されている。
で、こちらがみやげ屋の店内。中にはローズウォーターやローズオイル、バラの石けんなどのバラ製品のほか、タジン鍋などのモロッコ全般で見られそうな普通のみやげも売っていました。
奥さんはここでおみやげ用にローズオイルを大量購入。ローズオイル14本とローズウォーター3本を600DHで購入。おまけでベルベル人の口紅とローズ石けんを付けてもらった。 -
みやげ屋から望むエル・ケラア・ムグナの村。
バラの花が見頃になるのは5月頃のことだそうです。 -
再びバスに揺られてカスバ街道を東へ。
バスの中では、現地ガイドのラルビさんがダウンロードしたという『カスバの女』という日本の歌謡曲が流れていた。バスの中で流れた歌は音質が悪かったせいで歌詞もよく分からなかったので、帰国後にグーグルで検索したら、結構いろんな人が歌っているんですね、この曲。僕自身は初めて聞きましたさ。
車窓からは何度となくこんな感じのオアシスと町を見ることができました。オアシスの側に川あり・・・だけど、殆ど涸れているように見える。「ワジ」って高校の地理で習ったなあ・・・ -
カスバ街道沿いの町の様子。
エル・ケラア・ムグナを過ぎた辺りからバスはダデス谷に沿って北東方向へと走っていた。 -
11:00、ダデス谷に沿って走っていたバスは、谷底のダデス川を渡ったところでいったん停車。そこはブーマルン・ダデス(Boumalne Dades)という村。バスはそこの見晴らしの良い場所で止まり、僕達はそこで写真タイムを取ることに。
この写真に写っているのがブーマルン・ダデスの街並み。村の更に奥の方へと向かうと、ダデス渓谷という風光明媚な渓谷があるそうな。日本人にとってはこの辺りの土地はあまりなじみはないが、ヨーロッパの人達は結構この辺までドライブで来るそうで、実際道路を走る車の中には、フランスやスペインといったユーロ圏のナンバーを付けた車を多く見かけた。 -
同じくブーマルン・ダデスの街並み。
ん〜〜、見晴らしが素晴らしくて開放的な気分になるなあ。 -
ダデス川を挟んで対岸の丘の斜面には、なにやら白く大きな文字が書かれていた。
なんでも「西サハラは我にあり」と書かれているのだとか。
モロッコの南に位置する西サハラは、アルジェリアの援助を受けてモロッコからの独立を目指しており領土問題となっているんですね。モロッコとしては、この文字の通り西サハラもモロッコの領土という考えなんだろうけど、よくガイドブックなんかに「面積は日本の約1.2倍」と書かれているのは、西サハラを除いた面積での比較。西サハラを入れると日本の約1.9倍になります。 -
バスはブーマルン・ダデスの村を過ぎると、しばらく何もない砂漠地帯を走る。「砂漠」といっても、この辺はどちらかというと砂ではなく礫といった感じ。でも、そんな土地でもヤギの放牧が行われているんですねぇ。
砂漠に生きる人間の生活の営みってたくましいなあ。 -
11:55頃には、バスはティネリール(Tinghir)の町までやってきていた。
ティネリールは、ワルザザートとエルラシディアを結ぶカスバ街道のほぼ中間に位置する人口約15000人の町。 -
イチオシ
12:00、ティネリール(Tinghir)の小高い山の斜面からティネリールの街を望む。今まで乾ききった感じの砂漠の景色が続いていたものだから、トドラ川沿いに広がる美しいオアシスの緑がよく映える!!
なんでも、ティネリールは「宝石のように美しい町」と形容されているそうです。 -
オアシス沿いに植えられているのはナツメヤシ。このナツメヤシをたくさん植えることによってわざと日陰を作り、その下で畑を耕しているのだとか。
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このティネリールから先は、いったんカスバ街道を離れ、トドラ川に沿って上流の渓谷へと向かいます。
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またまたバスに乗ってトドラ渓谷へと向かう。ティネリールからトドラ渓谷までは約15km、20分ほどのドライブだ。
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12:33、トドラ渓谷(Gorges du Todra)に到着。
川の両脇に迫る岩壁がダイナミック! この風景は、モロッコに来るまではあまりイメージしていなかったなあ。 -
イチオシ
川に沿った道を奥の方へと歩いて行きます。それにしても、この渓谷は両側からの岩山が険しいなあ。とても迫力がある景色です。
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川辺では、多くの地元(?)の人々が憩っていました。気温が高いだけに、水に浸かっていると気持ちが良いでしょうね。
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こちらは2枚前の写真や3枚前の写真と反対側の方向を撮影。どちらを見ても素晴らしい眺めなので、自然と何枚も写真を撮ってしまった。
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川に架けられたこのシンプルな渡し板を歩いて川の反対側の岸壁の方へと向かいます。
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ロッククライミングを楽しんでいる人達。
「モロッコ、オート・アトラスにあるトドラ渓谷。
この岩壁もまた、実に登りたくなる岩壁である・・・」
って、僕は登りたいとは思わないけどw -
この日の昼食は、この岸壁に半分埋まっているかのように建てられた「オテル・ヤスミナ」(Hotel Yasmina)で摂ることに。
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「オテル・ヤスミナ」にて。
ここで食べたのはマグレブ料理。「マグレブ」は「日の没する大地」という意味の言葉で、アフリカ北西部のモロッコや、チュニジア、アルジェリアを総称してこう呼ばれている。
モロッコでは定番のように出てくるパンの後には、写真のモロカンサラダが出てきた。盛られた皿は、なぜかどことなく日本風。 -
チキンのクスクスが出てきた。世界最小のパスタとして日本でも知られているクスクス。クスクスの調理は、モロッコでは一般的に蒸した後にバターを加えるのに対し、チュニジアではオリーブオイルを加えるのだとか。
写真だと左の皿にクスクスが盛られているのだけど、クスクスの上に茄子やズッキーニ、にんじん、コーンなどがたっぷり盛られているため、クスクスそのものはわずかしか見えていない。クスクスを食べる前に右のスープをかけて食べるのがモロカン・スタイル。 -
クスクスを食す。細かいクスクスの一粒一粒がベタついたりせず、ふっくらとしていて食感が良い。腹持ちが良さそうだ。
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13:55、昼食を終えた僕達一行は、バスで再びティネリールまで戻り、そこから更にカスバ街道を東へ向かうことに。
写真はオテル・ヤスミナから渓谷の奥の方を撮影したもの。 -
ティネリール近くで車窓から見た風景。ぽつんと一軒の建物がある以外なんにもない・・・
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ティネリールにて。
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15:10、バスがトドラ渓谷を出発してから1時間ちょっとしたところで、僕達は「Cafe Restaurant Itran」で休憩。ここでは、モロッコの絵はがきがたくさん置いてあるということで、添乗員さんから事前に「モロッコから絵はがきを送るならここで絵はがきや切手が買えます」と案内されていたのだ。
奥さんはここで実家へ送る絵はがきと切手を購入。
ここでは、25分休憩。 -
ティネリールからトドラ渓谷までの往復の道以外はずっとカスバ街道を走っていたこの日の移動だけど、Tinejdadという村からはカスバ街道を離れ、この日の宿泊地エルフードへの近道を通っていくことに。
砂漠の土地を走っていると、進行方向の前方にちょっとした竜巻が見えた。一応この写真で写っているんだけど、分かりますか? -
16:30、エルフードへの道を進んでいると、道路の脇に所々土が掘られたような跡が連なっているのが見えた。なんでも、これがかつて灌漑のために掘られたカナートと呼ばれる地下水路の跡なのだとか。
というわけで、バスはここでいったん停車し、僕等はそのカナートを見てみることに。 -
カナートは1世紀頃にペルシアから伝わった灌漑技術。写真のような穴を間隔を開けて連ねて掘った後、これらの穴の底を横に掘ってつなげていくことで地下に水路を築いている。
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こんな感じに穴を掘ってできた山が連なっています。地下水路は最終的にはオアシスにつながっているのだとか。
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17:10、エルフードの化石専門店に到着。この写真の「Manar Marbre」というのが、おそらくこの化石専門店の名前。ここでちょっとした見学と買い物の時間が取られました。
砂漠のすぐ近くの町のせいか、外はめちゃくちゃ暑い!! -
店内にはこの写真のようなアンモナイト(かな?)の化石はざらにある。
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中には、1枚の岩にこんなに多くの貝の化石が見えるものもある。
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!?
これ、本当に1枚の岩を掘って、こんな感じにたくさんの化石が出てきたの?
もはやここまでくると、あまりにも多くの化石が収まりすぎていて、逆に作り物にしか見えてこないw
でも、サハラ砂漠では多くの化石を含む堆積岩が広く分布しているのだそうです。 -
化石専門店で売られていたデザート・ローズ。何でこういう形ができるのか不思議です。
これを見た時、スティングの「Desert Rose」のアラビアンなメロディーが頭の中を流れていました。 -
17:40、ワルザザートから約340kmの行程を経て、この日宿泊するエルフードの「サラーム・エルフード・ホテル」(SALAM ERFOUD HOTEL)に到着。先ほどの「Manar Marbre」へは徒歩2分くらいの近さ。
-
ホテルのロビー付近。僕達はホテルに到着すると、ここで明朝の予定についての連絡を聴いた。明日は早朝4時に4WDに乗ってホテルを出発し、サハラ砂漠のメルズーガ大砂丘へ移動するのだ。
人生初の砂の砂漠。今から期待が高まってくるってもんですよ! -
サラーム・エルフード・ホテルのロビーを抜けるとあるのがこのプール。
僕等の客室は、この写真の奥の建物を抜けたところにある、中庭を囲むように建つ2階建ての棟にあった。中庭には水は出ていなかったが噴水があり、その周りの地面には化石の石が数多く敷き詰められていました。 -
で、こちらが客室。実は、エルフードではあまりホテルは期待できないんじゃないかと勝手に思っていたのだけど、ロビーやプールの雰囲気といい、この客室といい、今までのホテルの中では1番いい宿だ。客室は2人部屋としては十分な広さで、それなりに新しそうな印象を受けました。調度品として置かれている机にも、貝の化石が見られる石が使用されていました。
19時半にホテルの食堂で夕食を摂った後は、僕は砂漠へデジタル一眼レフカメラを持って行くため、砂対策用にカメラを透明のビニル袋で覆う作業を行い、奥さんは今日の午後買った絵はがきに便りを書いていたが、明日は午前3時半起床と早いため、22時過ぎには寝ることに。
そして、翌朝の砂漠の様子は次回の旅行記で・・・
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