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 1977年、初めて「ひとり旅」に出発。まず、パキスタン航空でタイに渡り、ここで航空チケットを買いネパール〜インド〜スリランカ〜タイと廻るコース。目的地はスリランカ!<br /> 高校時代からアジアで暮らすのが夢だったが、20年経ってやっとその出発点に辿り着いたのだ。<br /> この年から1984年まで、毎年3〜6ヶ月程は旅に出、シンガポール、マレーシア、ビルマ(ミヤンマー)なども含め歩き廻る。<br /> その中でも、タイとスリランカが好きになり、友達も沢山でき、彼らに逢いたくなり「友達が呼んでいる!」なんて言って出かけたものだ。<br /> そなかでもタイは、NGOを作りボランティア活動もしタイ語も覚え、田舎を歩き廻ったり、暮らしたりして好きな国になった。<br /> その後も、タイを基点としてベトナム、カンボジア、ラオスなど周辺国に足を伸ばした。<br /><br />

私の好きな国、タイの足跡(1)

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2009/04/02 - 2009/04/26

473位(同エリア854件中)

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21

ナーム

ナームさん

 1977年、初めて「ひとり旅」に出発。まず、パキスタン航空でタイに渡り、ここで航空チケットを買いネパール〜インド〜スリランカ〜タイと廻るコース。目的地はスリランカ!
 高校時代からアジアで暮らすのが夢だったが、20年経ってやっとその出発点に辿り着いたのだ。
 この年から1984年まで、毎年3〜6ヶ月程は旅に出、シンガポール、マレーシア、ビルマ(ミヤンマー)なども含め歩き廻る。
 その中でも、タイとスリランカが好きになり、友達も沢山でき、彼らに逢いたくなり「友達が呼んでいる!」なんて言って出かけたものだ。
 そなかでもタイは、NGOを作りボランティア活動もしタイ語も覚え、田舎を歩き廻ったり、暮らしたりして好きな国になった。
 その後も、タイを基点としてベトナム、カンボジア、ラオスなど周辺国に足を伸ばした。

旅行の満足度
5.0
グルメ
5.0
交通手段
高速・路線バス
旅行の手配内容
個別手配

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  • 2009年4月13日<br /><br /> タイに数十回行ってるが、ソンクラ〜ン(タイの新年ー通称水掛祭り)に出会うのは初めて。<br /> これから雨期を迎え、水の恵みと豊作を祈って水を掛け合う。陽気なタイ人がいつも以上にはしゃいで、水を掛け合うのだから面白い面白い!

    2009年4月13日

     タイに数十回行ってるが、ソンクラ〜ン(タイの新年ー通称水掛祭り)に出会うのは初めて。
     これから雨期を迎え、水の恵みと豊作を祈って水を掛け合う。陽気なタイ人がいつも以上にはしゃいで、水を掛け合うのだから面白い面白い!

  • 2009年4月13日<br /><br /> これは「水をかけられるより、かける方が面白いそう!」とばかり、トラックに乗り込みラム缶に満杯の石灰水をかけまくる。<br /> やあ〜爽快、爽快〜<br /> タイでは色水の使用が禁止されているので、簡単に洗い流せるのが良い。<br /> 1984年にインドのカルカッタ(コルカタ)で出くわしたが、ここは酷かった。タクシーを止めドアを開け、正装している婦人にバケツの色水をバサッと掛けるにだから〜。<br /> 自分の服も赤、青、緑とメチャクチャになり、いくら洗っても綺麗にはならなかった。

    2009年4月13日

     これは「水をかけられるより、かける方が面白いそう!」とばかり、トラックに乗り込みラム缶に満杯の石灰水をかけまくる。
     やあ〜爽快、爽快〜
     タイでは色水の使用が禁止されているので、簡単に洗い流せるのが良い。
     1984年にインドのカルカッタ(コルカタ)で出くわしたが、ここは酷かった。タクシーを止めドアを開け、正装している婦人にバケツの色水をバサッと掛けるにだから〜。
     自分の服も赤、青、緑とメチャクチャになり、いくら洗っても綺麗にはならなかった。

  • 2009年4月13日<br /><br /> 数時間も続く水掛に疲れ果て、「もうやめた!」とまたビールを飲み始めた。<br /> ここはバンコクから一番近い「バーンセーン」の海。地元の人が来る海で綺麗な海ではないが、道路沿いに屋台がズラーと並んでおり、ビールのつまみには事欠かないのが嬉しい。<br /> 同じような海に「チャーム」があるがこちら方が好きだ。<br /> こことと違いご用聞きが来て、ビーチで座っていてもビール、食べ物を運んでくれるから〜。<br /> 

    2009年4月13日

     数時間も続く水掛に疲れ果て、「もうやめた!」とまたビールを飲み始めた。
     ここはバンコクから一番近い「バーンセーン」の海。地元の人が来る海で綺麗な海ではないが、道路沿いに屋台がズラーと並んでおり、ビールのつまみには事欠かないのが嬉しい。
     同じような海に「チャーム」があるがこちら方が好きだ。
     こことと違いご用聞きが来て、ビーチで座っていてもビール、食べ物を運んでくれるから〜。
     

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー<br /><br />朝5時頃のバンコク中央駅。<br />さすがに人影もなく閑散としているが、夜行列車の到着を待ち構えている屋台が毎日出ている。

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー

    朝5時頃のバンコク中央駅。
    さすがに人影もなく閑散としているが、夜行列車の到着を待ち構えている屋台が毎日出ている。

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー<br /> <br /> この広場に初めて足を踏み入れたのは1977年。当時、白人ヒッピ−の溜まり場として世界に名をはせた、「マレ−シアホテル」が肌に合わず、「ステ−ションホテル(集成旅社)」に投宿したのが始まり。駅横の運河一本越えたヤワラ−ト(中華街)には、日本人放浪者の溜まり場だった、かの有名な「楽宮旅社」があったが、駅の真ん前という地の利が気に入り、1995年頃までここを根城にし、駅周辺やソムタム屋の写真を撮り続けた。<br /> 

    イチオシ

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー
     
     この広場に初めて足を踏み入れたのは1977年。当時、白人ヒッピ−の溜まり場として世界に名をはせた、「マレ−シアホテル」が肌に合わず、「ステ−ションホテル(集成旅社)」に投宿したのが始まり。駅横の運河一本越えたヤワラ−ト(中華街)には、日本人放浪者の溜まり場だった、かの有名な「楽宮旅社」があったが、駅の真ん前という地の利が気に入り、1995年頃までここを根城にし、駅周辺やソムタム屋の写真を撮り続けた。
     

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー<br /><br />午前3時頃。閑散とする時間帯だが、まだ商いをやめる事はない。

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー

    午前3時頃。閑散とする時間帯だが、まだ商いをやめる事はない。

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー<br /><br />主の居ないソムタム屋の天秤が〜

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー

    主の居ないソムタム屋の天秤が〜

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー<br /><br />朝夕の時間帯は込み合うが、日中は閑散としている。<br />早朝は、東北タイから出稼ぎに来る人々でごったがえす。<br />それを狙って労働斡旋屋が群がってくる。私も出稼ぎ人と間違われ声をかけられた事があった。

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー

    朝夕の時間帯は込み合うが、日中は閑散としている。
    早朝は、東北タイから出稼ぎに来る人々でごったがえす。
    それを狙って労働斡旋屋が群がってくる。私も出稼ぎ人と間違われ声をかけられた事があった。

  • 1980年代後半になると、着飾ったOLが通勤してくる様になった。<br /><br /> 1985年のプラザ合意で、1$235円が1年後には150円台になり、日本企業の進出などもあり飛躍的な経済発展をなした。1977年は1バーツ10円だった〜<br /> この頃から、ネクタイ姿のビジネスマンや着飾ったOLの姿が目立ち始めた。<br />インド帰りの自分の服装に周りの目を気にするような時代となる〜<br /> <br /> <br /><br />

    1980年代後半になると、着飾ったOLが通勤してくる様になった。

     1985年のプラザ合意で、1$235円が1年後には150円台になり、日本企業の進出などもあり飛躍的な経済発展をなした。1977年は1バーツ10円だった〜
     この頃から、ネクタイ姿のビジネスマンや着飾ったOLの姿が目立ち始めた。
    インド帰りの自分の服装に周りの目を気にするような時代となる〜
     
     

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー<br /><br />午後2時頃からソムタム屋などの屋台が姿を現す。

    イチオシ

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー

    午後2時頃からソムタム屋などの屋台が姿を現す。

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー <br /><br /> 最初に知り合ったのはノーイ。ロィエットのラムコーン村の出身で、離婚して田舎には3人の子供がいる。おばさんだから、話しやすいかな思いゴザに座ったのが始まり〜<br /> そのうち、私が行くと「一緒に田舎に帰ろう〜」毎回姪のレオなど一緒に帰るようになった。<br /> 1996年頃であろうか、ノーイはミヤノーイになってこの場から姿を消した。それからノーイ2度と逢うことはなかった。<br /> ミヤは妻のことで、ノーイは小さいの意味。「小さい妻」つまり「お妾さん」になってしまったのだ。

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー 

     最初に知り合ったのはノーイ。ロィエットのラムコーン村の出身で、離婚して田舎には3人の子供がいる。おばさんだから、話しやすいかな思いゴザに座ったのが始まり〜
     そのうち、私が行くと「一緒に田舎に帰ろう〜」毎回姪のレオなど一緒に帰るようになった。
     1996年頃であろうか、ノーイはミヤノーイになってこの場から姿を消した。それからノーイ2度と逢うことはなかった。
     ミヤは妻のことで、ノーイは小さいの意味。「小さい妻」つまり「お妾さん」になってしまったのだ。

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー <br /><br /> ノーイにソムタム作りを習う。<br /> それから、青いパパイヤ、ブリックキーヌ、バラウーなどを持ち帰り、ソムタムやタイ料理に凝り始めた。

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー 

     ノーイにソムタム作りを習う。
     それから、青いパパイヤ、ブリックキーヌ、バラウーなどを持ち帰り、ソムタムやタイ料理に凝り始めた。

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー<br /><br /> 客を待つソムタム屋。

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー

     客を待つソムタム屋。

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー<br /><br />客は東北出の若い男が多いので、若い娘のゴザが繁盛している。

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー

    客は東北出の若い男が多いので、若い娘のゴザが繁盛している。

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー <br /><br /> バンコク中央駅広場には夕暮れ時から、何処からともなく「ソムタム屋」が姿を現す。<br /> その頃から駅前広場は俄然活気つく。眠ったような気だるい広場が、若い娘たちのお色気と安っぽい香り、そして、若い男たちのムンムンする臭い、ドブ臭いにおい、ガイヤ−ン(焼き鳥)の匂いが混じり合う。<br /> この清濁合わせ飲んだ匂いが、別のひとつの匂いとなり、広場を埋め尽くすのだ。<br /> しかし、その姿はもう見ることができない。1998年頃から違法屋台の取り締まりが厳しくなり、駅前広場から道路際で細々やっていたが、2000年頃には完全に姿を消した。

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー 

     バンコク中央駅広場には夕暮れ時から、何処からともなく「ソムタム屋」が姿を現す。
     その頃から駅前広場は俄然活気つく。眠ったような気だるい広場が、若い娘たちのお色気と安っぽい香り、そして、若い男たちのムンムンする臭い、ドブ臭いにおい、ガイヤ−ン(焼き鳥)の匂いが混じり合う。
     この清濁合わせ飲んだ匂いが、別のひとつの匂いとなり、広場を埋め尽くすのだ。
     しかし、その姿はもう見ることができない。1998年頃から違法屋台の取り締まりが厳しくなり、駅前広場から道路際で細々やっていたが、2000年頃には完全に姿を消した。

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー <br /><br /> ソムタム屋はイサ−ン(東北タイ)からやって来る出稼ぎ女性。<br /> 小学校を出たての子、独り身の若い子、子持ちの人妻、離婚して田舎に子を残してきた主婦、と様々なことを背負って商いをしている。<br /> 夕暮れの中で、厚化粧の若い子が客引きする姿は不気味だ。ここに一人で座るには勇気がいる。

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー 

     ソムタム屋はイサ−ン(東北タイ)からやって来る出稼ぎ女性。
     小学校を出たての子、独り身の若い子、子持ちの人妻、離婚して田舎に子を残してきた主婦、と様々なことを背負って商いをしている。
     夕暮れの中で、厚化粧の若い子が客引きする姿は不気味だ。ここに一人で座るには勇気がいる。

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー <br /><br /> 一番最初にノーイを頼って田舎から出てきたのは、小学校を出たての姪子レオ。<br /> 出てきた頃は都会が珍しいのか仕事する気もなく、タクシーの若い男にチヤホヤされ遊んでばかりだったけれど、1年もすると一人前になった。<br /> その後、タクシーの運転手と結婚しバンコクで暮らしている。<br />

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー 

     一番最初にノーイを頼って田舎から出てきたのは、小学校を出たての姪子レオ。
     出てきた頃は都会が珍しいのか仕事する気もなく、タクシーの若い男にチヤホヤされ遊んでばかりだったけれど、1年もすると一人前になった。
     その後、タクシーの運転手と結婚しバンコクで暮らしている。

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー<br /><br /> ここは違法屋台なので、このように時々警官が廻ってくる。するとソムタム屋は天秤を担いで逃げ出し、客だけが残り食べ続けている。<br /> まあ、形式的に来るだけで裏で話がついているようだ。<br /> ある日、ノーイと話し込んでいると、天秤棒を揺らす奴がいる。何だあ〜と見上げると警察だった。周りを見渡すと皆逃げて誰もいない。<br /> ノーイは「チュアイ、チュアイ(助けて!助けて!)マサミ!」と私に目ですがりつく。これはもう金しかないと、500バーツ(1,500円)握らせ、商売道具の天秤を預かり帰りを待つ。<br /> 道路脇の薄暗いところで『帰って来れるかなあ〜』と心配していると、3時間後には、嬉しそうな顔をしてノーイが戻ってきた。<br /><br /> 

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー

     ここは違法屋台なので、このように時々警官が廻ってくる。するとソムタム屋は天秤を担いで逃げ出し、客だけが残り食べ続けている。
     まあ、形式的に来るだけで裏で話がついているようだ。
     ある日、ノーイと話し込んでいると、天秤棒を揺らす奴がいる。何だあ〜と見上げると警察だった。周りを見渡すと皆逃げて誰もいない。
     ノーイは「チュアイ、チュアイ(助けて!助けて!)マサミ!」と私に目ですがりつく。これはもう金しかないと、500バーツ(1,500円)握らせ、商売道具の天秤を預かり帰りを待つ。
     道路脇の薄暗いところで『帰って来れるかなあ〜』と心配していると、3時間後には、嬉しそうな顔をしてノーイが戻ってきた。

     

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー<br /><br /> 警察から帰され、妻と3人で商売道具を持ち『やあ〜、うまくいったなあ!』と大笑いしながらノーイの家路につく。<br /> こんな時から数年後、取り締まりが厳しくなりトラックで乗り付け、容赦なく天秤を没収し始めた。そして、間もなく広場から完全に姿を消した。<br /> 

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー

     警察から帰され、妻と3人で商売道具を持ち『やあ〜、うまくいったなあ!』と大笑いしながらノーイの家路につく。
     こんな時から数年後、取り締まりが厳しくなりトラックで乗り付け、容赦なく天秤を没収し始めた。そして、間もなく広場から完全に姿を消した。
     

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー<br /><br /> ソムタムはイサーンの名物料理。<br /> 熟していない青いパパイヤが主材料で、それにニンニク、唐辛子、トマト、ピーナッツ、バロウ(魚を発酵させた臭いペースト)時には沢ガニを加えて、ナンプラーで和えた物。<br /> 今でこそ、バンコク市内で「イサーン料理」がブームになっているが、当時はバンコク人は軽蔑してイサーン料理など口にしなかった。

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー

     ソムタムはイサーンの名物料理。
     熟していない青いパパイヤが主材料で、それにニンニク、唐辛子、トマト、ピーナッツ、バロウ(魚を発酵させた臭いペースト)時には沢ガニを加えて、ナンプラーで和えた物。
     今でこそ、バンコク市内で「イサーン料理」がブームになっているが、当時はバンコク人は軽蔑してイサーン料理など口にしなかった。

  • 1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー<br /><br />次にに田舎から出てきたのは、レオの姉の子連れのレン。そして最後には母親が出てきた。<br /> それから数年後彼女の一家は姿を消したので、ひとりで「ラムコーン村」を訪ねた。すると、母親は村一番の雑貨屋を手に入れ、レーンは実家の向かいに家を建て暮らしていた。<br /> ソムタム屋で稼ぎ成功したのだ。さっそく町まで食材を買いに行き、その夜は村の男性陣と飲み明かした。<br />(後ろの建物がステーションホテル。内部を改装し現在も営業している。)<br />

    1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー

    次にに田舎から出てきたのは、レオの姉の子連れのレン。そして最後には母親が出てきた。
     それから数年後彼女の一家は姿を消したので、ひとりで「ラムコーン村」を訪ねた。すると、母親は村一番の雑貨屋を手に入れ、レーンは実家の向かいに家を建て暮らしていた。
     ソムタム屋で稼ぎ成功したのだ。さっそく町まで食材を買いに行き、その夜は村の男性陣と飲み明かした。
    (後ろの建物がステーションホテル。内部を改装し現在も営業している。)

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