2009/04/02 - 2009/04/26
473位(同エリア854件中)
ナームさん
1977年、初めて「ひとり旅」に出発。まず、パキスタン航空でタイに渡り、ここで航空チケットを買いネパール〜インド〜スリランカ〜タイと廻るコース。目的地はスリランカ!
高校時代からアジアで暮らすのが夢だったが、20年経ってやっとその出発点に辿り着いたのだ。
この年から1984年まで、毎年3〜6ヶ月程は旅に出、シンガポール、マレーシア、ビルマ(ミヤンマー)なども含め歩き廻る。
その中でも、タイとスリランカが好きになり、友達も沢山でき、彼らに逢いたくなり「友達が呼んでいる!」なんて言って出かけたものだ。
そなかでもタイは、NGOを作りボランティア活動もしタイ語も覚え、田舎を歩き廻ったり、暮らしたりして好きな国になった。
その後も、タイを基点としてベトナム、カンボジア、ラオスなど周辺国に足を伸ばした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2009年4月13日
タイに数十回行ってるが、ソンクラ〜ン(タイの新年ー通称水掛祭り)に出会うのは初めて。
これから雨期を迎え、水の恵みと豊作を祈って水を掛け合う。陽気なタイ人がいつも以上にはしゃいで、水を掛け合うのだから面白い面白い! -
2009年4月13日
これは「水をかけられるより、かける方が面白いそう!」とばかり、トラックに乗り込みラム缶に満杯の石灰水をかけまくる。
やあ〜爽快、爽快〜
タイでは色水の使用が禁止されているので、簡単に洗い流せるのが良い。
1984年にインドのカルカッタ(コルカタ)で出くわしたが、ここは酷かった。タクシーを止めドアを開け、正装している婦人にバケツの色水をバサッと掛けるにだから〜。
自分の服も赤、青、緑とメチャクチャになり、いくら洗っても綺麗にはならなかった。 -
2009年4月13日
数時間も続く水掛に疲れ果て、「もうやめた!」とまたビールを飲み始めた。
ここはバンコクから一番近い「バーンセーン」の海。地元の人が来る海で綺麗な海ではないが、道路沿いに屋台がズラーと並んでおり、ビールのつまみには事欠かないのが嬉しい。
同じような海に「チャーム」があるがこちら方が好きだ。
こことと違いご用聞きが来て、ビーチで座っていてもビール、食べ物を運んでくれるから〜。
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1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー
朝5時頃のバンコク中央駅。
さすがに人影もなく閑散としているが、夜行列車の到着を待ち構えている屋台が毎日出ている。 -
イチオシ
1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー
この広場に初めて足を踏み入れたのは1977年。当時、白人ヒッピ−の溜まり場として世界に名をはせた、「マレ−シアホテル」が肌に合わず、「ステ−ションホテル(集成旅社)」に投宿したのが始まり。駅横の運河一本越えたヤワラ−ト(中華街)には、日本人放浪者の溜まり場だった、かの有名な「楽宮旅社」があったが、駅の真ん前という地の利が気に入り、1995年頃までここを根城にし、駅周辺やソムタム屋の写真を撮り続けた。
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1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー
午前3時頃。閑散とする時間帯だが、まだ商いをやめる事はない。 -
1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー
主の居ないソムタム屋の天秤が〜 -
1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー
朝夕の時間帯は込み合うが、日中は閑散としている。
早朝は、東北タイから出稼ぎに来る人々でごったがえす。
それを狙って労働斡旋屋が群がってくる。私も出稼ぎ人と間違われ声をかけられた事があった。 -
1980年代後半になると、着飾ったOLが通勤してくる様になった。
1985年のプラザ合意で、1$235円が1年後には150円台になり、日本企業の進出などもあり飛躍的な経済発展をなした。1977年は1バーツ10円だった〜
この頃から、ネクタイ姿のビジネスマンや着飾ったOLの姿が目立ち始めた。
インド帰りの自分の服装に周りの目を気にするような時代となる〜
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イチオシ
1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー
午後2時頃からソムタム屋などの屋台が姿を現す。 -
1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー
最初に知り合ったのはノーイ。ロィエットのラムコーン村の出身で、離婚して田舎には3人の子供がいる。おばさんだから、話しやすいかな思いゴザに座ったのが始まり〜
そのうち、私が行くと「一緒に田舎に帰ろう〜」毎回姪のレオなど一緒に帰るようになった。
1996年頃であろうか、ノーイはミヤノーイになってこの場から姿を消した。それからノーイ2度と逢うことはなかった。
ミヤは妻のことで、ノーイは小さいの意味。「小さい妻」つまり「お妾さん」になってしまったのだ。 -
1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー
ノーイにソムタム作りを習う。
それから、青いパパイヤ、ブリックキーヌ、バラウーなどを持ち帰り、ソムタムやタイ料理に凝り始めた。 -
1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー
客を待つソムタム屋。 -
1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー
客は東北出の若い男が多いので、若い娘のゴザが繁盛している。 -
1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅ー
バンコク中央駅広場には夕暮れ時から、何処からともなく「ソムタム屋」が姿を現す。
その頃から駅前広場は俄然活気つく。眠ったような気だるい広場が、若い娘たちのお色気と安っぽい香り、そして、若い男たちのムンムンする臭い、ドブ臭いにおい、ガイヤ−ン(焼き鳥)の匂いが混じり合う。
この清濁合わせ飲んだ匂いが、別のひとつの匂いとなり、広場を埋め尽くすのだ。
しかし、その姿はもう見ることができない。1998年頃から違法屋台の取り締まりが厳しくなり、駅前広場から道路際で細々やっていたが、2000年頃には完全に姿を消した。 -
1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー
ソムタム屋はイサ−ン(東北タイ)からやって来る出稼ぎ女性。
小学校を出たての子、独り身の若い子、子持ちの人妻、離婚して田舎に子を残してきた主婦、と様々なことを背負って商いをしている。
夕暮れの中で、厚化粧の若い子が客引きする姿は不気味だ。ここに一人で座るには勇気がいる。 -
1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー
一番最初にノーイを頼って田舎から出てきたのは、小学校を出たての姪子レオ。
出てきた頃は都会が珍しいのか仕事する気もなく、タクシーの若い男にチヤホヤされ遊んでばかりだったけれど、1年もすると一人前になった。
その後、タクシーの運転手と結婚しバンコクで暮らしている。 -
1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー
ここは違法屋台なので、このように時々警官が廻ってくる。するとソムタム屋は天秤を担いで逃げ出し、客だけが残り食べ続けている。
まあ、形式的に来るだけで裏で話がついているようだ。
ある日、ノーイと話し込んでいると、天秤棒を揺らす奴がいる。何だあ〜と見上げると警察だった。周りを見渡すと皆逃げて誰もいない。
ノーイは「チュアイ、チュアイ(助けて!助けて!)マサミ!」と私に目ですがりつく。これはもう金しかないと、500バーツ(1,500円)握らせ、商売道具の天秤を預かり帰りを待つ。
道路脇の薄暗いところで『帰って来れるかなあ〜』と心配していると、3時間後には、嬉しそうな顔をしてノーイが戻ってきた。
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1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー
警察から帰され、妻と3人で商売道具を持ち『やあ〜、うまくいったなあ!』と大笑いしながらノーイの家路につく。
こんな時から数年後、取り締まりが厳しくなりトラックで乗り付け、容赦なく天秤を没収し始めた。そして、間もなく広場から完全に姿を消した。
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1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー
ソムタムはイサーンの名物料理。
熟していない青いパパイヤが主材料で、それにニンニク、唐辛子、トマト、ピーナッツ、バロウ(魚を発酵させた臭いペースト)時には沢ガニを加えて、ナンプラーで和えた物。
今でこそ、バンコク市内で「イサーン料理」がブームになっているが、当時はバンコク人は軽蔑してイサーン料理など口にしなかった。 -
1980年代ー古き良き時代のバンコク中央駅のソムタム屋ー
次にに田舎から出てきたのは、レオの姉の子連れのレン。そして最後には母親が出てきた。
それから数年後彼女の一家は姿を消したので、ひとりで「ラムコーン村」を訪ねた。すると、母親は村一番の雑貨屋を手に入れ、レーンは実家の向かいに家を建て暮らしていた。
ソムタム屋で稼ぎ成功したのだ。さっそく町まで食材を買いに行き、その夜は村の男性陣と飲み明かした。
(後ろの建物がステーションホテル。内部を改装し現在も営業している。)
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