2009/01/11 - 2009/02/10
299位(同エリア460件中)
ナームさん
25年ぶりのインドの旅となった。
1977年から4回行っているが、経済発展の著しいさに驚くと共に、何かつまらなさに襲われた。
なんだろう〜?インド人が紳士になったのかなあ…
日本人が滅びても、インド人はこの地球から消え去る事はないと思った程の、昔のあの強烈なバイタリィテイに溢れたインド人の面影が無くなった。
子供のバクシーシ(物乞い)も、恥ずかしそうに手を差し出し、NOと言うと直に諦める。昔は凄かった子供がリック、時計、服を引っぱり追いかけてきたものだ〜
写真はタージマハールの裏側から撮ったもの。ここから眺めるタージマハールが大好きなのだ。表の華やかさと違う静かなこの場所から、ムガール帝国時代に思いふける時間が〜
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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表から見たタージマハール
威厳と豪壮さは、民衆の畏怖を生み出していたに違いない。 -
アグラではインド料理三昧。
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カリー店をやっているのでカリーにはうるさいが、ここのカリーは美味かった。
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デリーで繁盛している「マサラドーサ」の店。
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バラナシのガンガー
4度目のガンガー。初回のあの強烈なカルチャーショックも消え失せ、ノンビリと周りの人々にとけ込む事が出来る思いがした。
インドは日本と全く違う価値観で動いている気がしたものだ〜
インドにはまると危ない!!ここには没頭したらヤバイことになる、と冷静さを失わないよう気をつけて旅をしてきた。 -
イチオシ
バラナシのガンガー
ガンガーのサドゥー。ヒンドゥー教の人生観が好きだ。
幼年期は勉学に励み、青年期は仕事に励み、老年期は子供に全財産を引き継ぎガンジス川の辺で修行に励み一生を終える。
そんな生き方は、凡人の自分には出来ないだろうが、冗談に「一千万位持ってサドゥーになる」なんて言っていたものだ〜 -
バラナシのガンガー
夕陽のガンガー -
1977年のバラナシのガンガー
1977年に初めて訪れたバラナシ。この時の強烈なショックは今でも覚えている。
火葬場で死体を焼き、川に流すのを食い入るように見つめていたものだ。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
ジャイプールからジョドプールまで一晩、そこからまた一晩汽車に乗り継ぎ、ジャイサルメールに着いた。
ここはもうパキスタンとの国境地帯。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
ジャイサルメールは、昔は盗賊の根城としていただけあって、街は強固な城壁で囲まれている。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
ジャイサルメールの街は壊れかかっている住宅もあるが、大勢の住民が住んでい。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
ジャイサルメールの街の洋服屋。
精細に彫り貫きされた飾りが残されている。日本なら需要文化財になりそう〜 -
1984年のインド ータール砂漠ー
ジャイサルメールの街は一部の地域はこのような見事な建物が保存されている。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
ジャイサルメールのヒンズー教のお墓らしい。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
ジャイサルメールのお墓の夕陽。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
ジャイサルメールの野菜市場。
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1984年のインド ータール砂漠ー
ジャイサルメールの野菜市場。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
何をするのでもなく、日陰でのんびりしている老婆。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
食器を洗っている女性。 -
イチオシ
1984年のインド ータール砂漠ー
風が砂漠にいろんな模様を描いている。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
風が砂漠にいろんな模様を描いている。 -
イチオシ
1984年のインド ータール砂漠ー
これからお世話になるラクダ。おとなしいと思ったが意外と気が荒い。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
ジャイサルメールから路線バスで小さな村に行き、そこから2泊3日のラクダツアーに出発。
午後に出発し、真っ赤な夕焼けの中を駆け、それから満点の星空を眺めて駆け続ける。そして、何時になったらオアシスのある部落に着くのだろうと不安になった頃、ようやく遥か先に灯りが灯りが見えてきた。
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1984年のインド ータール砂漠ー
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1984年のインド ータール砂漠ー
ラクダに乗るのは楽ではない。小走りに走ると腸ネンタイを起こしそうに苦しい。
そして、帰る頃には尻の皮が擦り剥けてヒリヒリ〜
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1984年のインド ータール砂漠ー
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1984年のインド ータール砂漠ー
集落の子供たち。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
着いた夜は真っ暗で、どんな所なのか皆目分からない。
翌朝、日の出とともに起きだし周りを眺める。8軒程の小さな部落だった。
泊まった家はラクダの糞で作られているようだ。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
ツアーが終わり路線バスでの帰り道、着飾った男が乗り込んできて一番前に座り、乗客に飴を配りだした。そして間もなく、着飾った女性が乗り込み一番後ろの席に座った。花婿花嫁の一行だったのだ。
すると、まだ少女らしき花嫁が「エーンエ〜ン」と大声で泣き出した。まさしく子供の泣き声で、夕焼けの砂漠に泣き声をまき散らしバスは突っ走る。
多分、まだ見た事もない男に嫁入りする不安で一杯だったのだろう。
この光景は今でも心に焼き付いている。自分の旅のなかで最も素晴らしい旅のひとつだ。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
野菜が主の簡単な食事。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
ここはどんな所なのだろうと、日の出とともに起きだし集落を見渡す。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
どうして、こんな僻地で生活しているのだろう?と思うぐらい〜 -
1984年のインド ータール砂漠ー
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1984年のインド ータール砂漠ー
家作り。枝木を利用して骨格を作っている。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
子供が多い村人。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
いつも幼い弟が後をついている。 -
1984年のインド ータール砂漠ー
なぜか年頃の女性は一軒の家に住んでいた。
話しかけていると、絵本の世界から飛び出してきたような老婆が腰をかがめて走り寄り、棒で「シーシー」と追い払われた。 -
イチオシ
1984年のインド ーケープコモリンー
最南端の岬ケープコモリンにはスリランカから入った。今回の旅は長かった。スリランカに3ヶ月、モルディブに2週間、インドに2ヶ月、ネパールに2ヶ月、そしてまたスリランカに帰り東南アジアと、1年ほどの夫婦の長旅だった。
ケープコモリンは、ご来光と月が同時に見られる所で、何日目かに見事な光景を見る事が出来た。 -
イチオシ
1984年のインド ーケープコモリンー
路上の絵描き。素人とは思えないチョークさばき。ひょっとしたら有名な画家かも知れないよ。
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1984年のインド ーケープコモリンー
路上の絵描き。
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1984年のインド ーケープコモリンー
二人の似顔絵を描いてもらう。
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1984年のインド ーケープコモリンー
帆立船漁。
ここの港近辺には毎日のように通った。漁師たちとも顔見知りになり、楽しい日々だつた。
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1984年のインド ーケープコモリンー
帆立船漁。
港に近づくと帆を少しずつ降ろしてやってくる。
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1984年のインド ーケープコモリンー
帆立船漁。 -
1984年のインド ーケープコモリンー
帆立船漁。 -
1984年のインド ーケープコモリンー
帆立船漁。 -
1984年のインド ーケープコモリンー
帆立船漁。
陸揚げには子供たちが手伝いにやってくる。 -
1984年のインド ーケープコモリンー
帆立船漁。
そして、船を浜辺に上げると船はバラされ、こんな形に〜
なぜなんだろう? -
1984年のインド ーケープコモリンー
帆立船漁。
今日の最大の獲物はサメ〜 -
1984年のインド ーケープコモリンー
帆立船漁。
獲物をぶら下げて市場へ。 -
1984年のインド ーケープコモリンー
帆立船漁。
獲物をぶら下げて市場へ。
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1984年のインド ーケープコモリンー
帆立船漁。
市場と言っても路上で客を待つだけの市場。 -
1984年のインド ーケープコモリンー
帆立船漁。
市場と言っても路上で客を待つだけの市場。 -
1984年のインド ーケープコモリンー
帆立船漁。
毎日のように喧嘩が絶えない。些細な事でも自己主張の強いインド人は、口角泡を飛ばし延々と口論になる。
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