2010/07/09 - 2010/07/09
13位(同エリア17件中)
まみさん
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2010/07/09金 クライペダ経由でニダ日帰り観光
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パランガからミニバス20分ほどでクライペダへ、そこからフェリーで対岸のスミルティネへ、そこから長距離バス1時間ほどでニダへ(片道4時間)
<主にサイクリングにて街中散策>
・海岸沿いと桟橋
・トーマス・マン博物館(外観のみ)
・民俗学的古墓地とルター派教会見学
・パルニデス砂丘(トーマス・マンが「北のサハラ」と呼んだ白い砂丘)散策
【パランガ泊:ホテル・プリエ・パルコ(Prie Parko)】
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トーマス・マンが「北のサハラ」と呼んだ、さらさらの白い砂丘。
世界遺産に登録されている動く砂丘。
サハラと世界遺産のキーワードが私を突き動かしました。
バルト3国旅行のプラン中に、カウナスからすぐにリガに行くのをやめ、カウナスの日程を縮めてまで海岸地方を日程に割り込ませたのも、その拠点として選んだパランガから片道4時間もかけてやってきたのも……!
ニダにはいくつも魅力があったとはいえ、やっぱり筆頭はこの白い砂丘を歩きたい!という思いでした。
いくらサハラにたとえられたからといって、1997年に一人で出かけたチュニジアのサハラ砂漠の追体験ができるとまでは思っていませんでした。
でも、あのときの記憶を少しでも蘇らせるようなプチ疑似体験はできるでしょう。
遊歩道だけでなく、砂丘の中も散策したいと思ったので、いつも旅行中は運動靴ですが、今日に限ってサンダルでやって来ました。
海沿いの白樺もある松林の奥に、いきなり壁のように立ちはだかる白い砂丘。
それが目的の砂丘です。
砂丘のてっぺんを歩いている、虫のように小さな人のシルエットを見上げて、あそこに行くんだ、とワクワクしました。
乗ってきた自転車は松林の途中で木にチェーンをくくりつけて駐輪しました。
同じように駐輪している2台の自転車があったので、まねをしたのです。
その自転車の主の夫婦がちょうど砂丘から戻ってきたところだったので、砂丘への道を尋ねたら、この先の道を行って、突き当たったところにある木の階段を登ればいいのだと教えてくれました。
遊歩道から外れて歩くと、見渡す限り真っ白な景色が見られるよ、とも。
女性が目をきらきらさせてそう説明してくれたので、ますます期待が高まりました。
遊歩道を上りきると、日時計がありました。
そこはいわば展望台のようになっていて、砂丘とクルシュ潟を見渡すことができました。
そこで満足して帰ってしまう人たちもいるようですが、私はぜひとも砂丘を歩きたくて、柵を越えて急勾配の斜面をずるずると滑り下りました。
足がもぐってしまってサンダルを履いていても役に立たなかったので途中で脱いでしまいました。
太陽にさらされた砂は熱かったですが、いうなれば、やけどしない程度に熱いお風呂の湯加減程度くらいで、我慢できない熱さではなかったです。
サハラ砂漠にたとえられるといっても、あちらは砂漠で、こらちはあくまで砂丘。
でもチュニジアで歩いたサハラ砂漠も、足場が固いところもあれば、ずるずると真っ直ぐ立っていられないくらい砂が深いところもありました。
一面真っ白で、全く草が生えていないところもあれば、ラクダのエサになるくらいの草やたきぎをする潅木くらいは生えているところもありました。
ニダの砂丘で散策できるところは、足が砂の中にもぐりこんでも、歩けないほど深くなかったです。
ぱっと見て無精ひげ程度に草が生えているところもありました。
見渡す限り真っ白な景色も見られましたが、すぐ崖下が真っ青な海というコントラストの方が強烈で面白かったです。
砂丘はニダ観光のハイライトだと思いますが、私が砂丘を歩いているときには他に歩いている人はほとんどいなくて、孤独な世界に浸れました。
すぐそばに集落や観光客がいることが分かっている、一時的で安全パイのある孤独。
砂がやわらかいので足跡はただのくぼみにしかなりませんでしたが、砂の上はまるで手編みのセーターのようにそのくぼみだらけでした。
でも、誰も足を踏み入れなかったか、あるいは踏み入れたけどクルシュ潟を吹く風が吹きならしたと思われる真っさらなところもあって、雪が降った翌朝に、真っ白な雪の上に最初に足跡をつけるようなワクワクした気持ちになりました。
戻るときは、小学生くらいの男の子をつれた母子が、ほとんど絶壁の砂壁をするすると登ってくるのに出会い、びっくりしてしまいました。
ロッククライミングの要領でしょうか。
でも、道具も何もなしです。だいたい砂丘なので、ハーケンを打ち込めません。
男の子は登ったあと、母親が見守る中で、楽しそうな叫び声を上げながら、するすると滑り下りてしまいました。
50メートル以上あるのに……!
砂丘散策は30分ほどでした。
それとあわせ、町中から砂丘への往復にかかったのは1時間くらいでした。
13時40分に借りた自転車を返却したのは16時50分となってしまいましたが、10分オーバーはおまけしてもらえました。
そして予定していたとおり、17時発のバスでニダを出発しました。
自転車でニダを回れたのは3時間で、もっともっとゆっくりしたい未練は残ったものの、とても満足できたニダ日帰り旅行でした。
2010年バルト3国旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2010年バルト3国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10481279/
詳細版「2010年バルト3国旅行の詳細旅程(写真付き)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/07/2010-ccbf.html
「砂丘(Parnidzio Kopa)
高さ60mにもなる“動く砂の山”。18世紀にかつてのニダの村(現在の場所から約2km南西にあった)を呑み込み、現在も少しずつ動いている。20世紀始めから植林などによって、その動きを抑制する努力が続けられている。
湖畔沿いの松林の小道を歩いていくと階段があるので、注意して登ってみよう。トーマス・マンが「北のサハラ」と呼んだ、荒涼とした景色が広がっている。現在は保護のため遊歩道が整備されているが、少しはずれて砂丘の上を歩くこともできる。でも崩れやすい砂丘斜面と、ロシアとの国境約1km手前から先は立入禁止。指示板の注意を守って、デリケートな自然を破壊しない心配りも大切に。」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)
クライペダからスミルティネへのフェリーの公式サイト(英語版)
http://www.keltas.lt/eng
同サイトの役立つURL集のあるページ
http://www.keltas.lt/eng/Useful-information
ニダのあるネリンガ(クルシュ砂州)の公式サイト(英語版)
http://www.visitneringa.com/en
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あれがニダの砂丘……!
海岸に面白いものがあったので、写真を撮っておきました。 -
えーと、この巨大な風船はなんでしょ?
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砂丘の手前に松林
地面がうっすら砂のじゅうたんとなっているので、自転車を走らせるのがだんだんと困難になってきました。
途中で2台の自転車がこの林の中に駐輪しているのを見かけたので、私も真似して、ここで自転車は置いていくことにしました。
そのときにちょうど、その自転車の主の夫婦が戻ってくるのと出会いました。 -
砂が深くなってきたので自転車を置いて歩く
このあたりを歩いているときには、自転車を置いてきてしまったことをちょっぴり後悔しました。
できればあと30分余りで町の中心に戻り、自転車をレンタル屋に戻したかったからです。
少しでも自転車で進む方が、時間が稼げますもの。 -
砂丘が近付くにつれて砂がますます深くなってきて
彼方に砂丘が見えてきました。
足元がこれでは、やっぱりこれは自転車では進めないなぁと思い直しました。
もっとも、帰りに、あの砂丘のすぐ下まで自転車でやって来たつわものたちとすれ違いました。 -
砂丘のすぐ近くに白樺林もあり
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砂丘の案内図
1番が現在位置という意味でしょう。
5番の日時計は砂丘の展望ポイントです。
緑の部分は松林です。 -
近付けば近付くほど砂丘の高さに圧倒される!
砂丘から戻ってくる人たちとすれ違いました。
「砂浜と林を南に歩くと1キロほどで木製の階段に行き着く。それを登るとリトアニアのサハラと呼ばれるネリンガで最も大きい52メートルの高さがあるウルバス砂丘の頂きに出る。ここには1999年にできた日時計があって、西にはバルト海が広がって見える。北には緑の森の中に1875年に建てられた1945年に再建されたという灯台が見える。そして、南は森や砂地が続き、その3キロ先がロシア連邦の飛び地のカリーニングラード州である。」
(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用) -
砂丘の状態や植生についての説明と写真
英文で簡単な補足がありますが、写真だけでも雄弁です。
「ネリンガ(Neringa)の由来
ユネスコの世界遺産にも登録されているクルシュ砂州の独特の風景は、どのように形成されたのか、人々の興味を引くようである。ここではふたつの説を挙げてみる。どちらの説を取るかは、もちろんみなさん次第!
・民間伝承
昔々、砂州がまだ島々の連なりだった頃、ある島にネリンガという女の子が生まれた。美しいネリンガは巨人に成長し、漁師たちの仕事を助けるのを常にしていた。しかしいつ頃か、海の波が荒くなり、1年以上漁に出られない日々が続いた。人々の窮状を見かねたネリンガはエプロンで砂を運び、島々の間を埋めていった。こうして砂州ができあがり、漁師たちは内海で安全に漁ができるようになった。
・科学的説明
氷河期の終わり、後退する氷河がモレーン(氷堆石)を残し、後に島々となって海上に現れた。そこに南から海岸の砂が風で運ばれ、島々の間を埋めていった。短い砂州ができ、さらに波と潮流が海岸沿いに砂を運び、砂州はどんどん北へと延びていった。現在の砂州ができあがったのは、約5000年ほど前である。」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より) -
砂丘の展望ポイントに上る階段
3分の1くらい上ったところで、おお、この行程の写真も撮っておかなくちゃ、と思い出しました。 -
階段の途中の踊場にはベンチあり
50メートルほど上るので、途中で休憩できるようにとの配慮ですね。 -
こちらからすぐに砂丘に出てもよかったけど
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歩きやすい方を選んで進む
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日時計のある展望ポイントはもうすぐ
あいにく日時計の写真は撮りませんでした。
砂丘に気を奪われていて、日時計のことにはほとんど注意を払っていなかったものですから(苦笑)。 -
日時計のある展望ポイントから港を望む
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展望ポイントから砂丘を見下ろす・その1
ゆるやかな勾配に見えますが、違うんです、かなり急勾配です。 -
展望ポイントから砂丘を見下ろす・その2
一応柵がありますが、まるで下りるための足場みたいにぽつぽつと木の杭が見えます。
繰り返しますが、結構な急勾配なのです。 -
展望台から眺めるだけでは物足りないので、やはり下りることにしました!
あの足場の柵を頼りに、ずりずりと滑り降りて行きました。
杭で足止めできたので、一気にずり落ちずにすみました@ -
ほぼ下りきったところから
砂丘と海のコントラストがすばらしいです。 -
サンダルを脱いで裸足になる@
本日はサンダルにしておいてよかったです。
運動靴に靴下だったら、気持ち悪くて仕方がなかったでしょう。
サンダルでも砂が入って入って、履いている気がしなかったので、脱いでしまいました。
砂は暑かったですが、裸足で我慢できないほどではありませんでした。
足が砂にもぐり込んでしまうので、展望台から下りる前にズボンのすそを少し折りたたみました。 -
白と青の世界に、緑が少しだけ混ざる@
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さっき下りてきたところ
ゆるやかな勾配に見えますが、そんなことはないです。ずるずる下りるとき、ちょっと怖かったです。 -
このあたりは平ら
あの草があるあたりに行ってみましょう。 -
砂丘に生えている植物に注目
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このあたりまで来ると足跡が少ない@
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今度は砂丘のはしっこ、海岸際に向かってみる
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たぶん、Phragmites australisかHolcus lanatus
ニダの砂丘の植生について書かれた看板を参考にしました。
詳しくは、こちらのハイライト旅行記にまとめました。
「2010年バルト3国旅行ハイライトその9:植物編<夏の野花>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10487694/ -
足が沈むぅ〜!
ずっと裸足で歩いていたら足の裏が熱くなってきたので、やっぱりサンダルを履くことにしました。 -
向こうからやってくる人たちの影と
歩いてきたところをふりかえって撮りました。
人の影との対比で砂丘の広さが分かりますでしょうか。 -
海岸際は杭があって、その間は少し歩きやすくなっているらしい
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くぼんだところをえっちらおっちら歩く@
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さっきまで自転車で走り回っていたニダの方角を望む
風向計の写真を撮るのに興じたり、トーマス・マン博物館の建物や古い墓地散策をしたりしたのは、あの船着場よりも向こうです。 -
港をズーム
あのあたりの松林は、自転車で進めないと思って歩いてきたところです。 -
足跡の少ない砂地を歩く
レンズは広角側に戻しました。 -
まるで雪の上に足跡を残すよう!?
雪ほどきれいな輪郭はできませんけどネ。 -
砂丘の切れ目はほとんど崖
覗き込むのはおっかないです。 -
まるで白い波のよう
崖のそばは危ないし怖いので、方向転換してこちらを進みます。
このあたりはたくさんの人が歩いたようです。 -
この柵から出ないようにしましょ@
海は柵より右手です。 -
砂丘のカラス
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崖をするする滑る子供
この男の子と母親が、この崖をするする登ってきたのでびっくりしてしまいました。
母親が見守る中、男の子は楽しそうに滑り降りていきました。。。
30分の砂丘散策ですれちがった人は、このときの母子と、さきほどのカップルの4人だけでした。
あとはあたり一面、誰も見かけることなく、ゆったりと孤独感に浸ることができました。 -
おそらく雨が造った芸術・その1
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おそらく雨が造った芸術・その2
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砂の道を振り返る
砂丘の展望ポイントに来るまでに上った木の階段のそばで撮影。
「この奇妙な形の砂州は、伝説によればネリンガという巨大な女神が、バルト海の嵐のような風から漁師を守り安全なクルシュイ潟を与えようと、エプロンで砂を運んで造った防波堤ということになっている。でも、本当の成り立ちは、氷河に押し出された礫や岩塊などの堆積物が、氷河が融けた後に点々と島状に残り、その島と島の間をバルト海の海底の強い流れで運ばれてきたカリーニングラード近辺の砂が埋めて土手状になったのだ。形成には氷河が消えた1万年前から5000年かかったというから、ほぼ5000年前にはいまの形にはなっていたことになる。
その砂州にやがて草や木が生え、3000年前にはプールシ人やクールシ人が住むようになり、やがて彼らが神聖視する菩提樹や松も繁るようになる。(つづく)」
(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用) -
砂だらけ@
「(つづき)だが、この森林はクライペダに侵攻してきたドイツ人が樹木を切り倒したのを手始めに、増加した住民が漁業のために伐採し、17世紀初頭からのスウェーデンとの繰り返された戦いでほとんどがなくなってしまう。樹木がなくなった砂州ではバルト海を常に吹く西からの風で砂は移動する。16世紀には砂の東への移動は年に20メートルにもなり村々が砂に埋もれていく。平坦であったところに一夜にして砂丘が出現し、家の戸が砂に押されて動かなくなる。村ごと10数回引っ越したりして14の村が消滅した。200年もこういった状態が続く。1768年にグダニスクの機関が森に戻す研究を始め、1825年には防砂林を設けるなどの対策が講じられた。個人の努力での植樹もなされる。こうした施策で20世紀初頭には効果がでるようになり、現在では全面積の12パーセントだけが砂丘という状態にまで回復して心配は薄らぎつつあるという。このネリンガは1991年にはほぼ全体が国立公園となった。そして、2000年にはユネスコの世界遺産に登録された。」
(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用) -
ニダの町を自転車で回ったルート
地球の歩き方の地図を編集しました。
インフォメーションの目の前のレンタル屋で自転車をレンタルしてから、可愛い風向計とクルシュ潟の撮影を楽しみながら、建物だけでも見るためにトーマス・マン博物館へ。
その際に、ネリンガ歴史博物館のある近郊をうろうろしましたが、結局、海沿いからでなくては見つけられませんでした。
その後、古い墓地で、独特な形の十字架とプロテスタント教会の写真を撮り、バスターミナルまで戻ってきて、船着場のところで再び海沿いに出ました。
民族博物館はすぐそばを通ったのに建物の写真すら撮らずにスルーしましたが、砂丘散策はゆっくりとできました。
そしてレンタルした自転車を返却し、予定どおり17時発のスミルティネ行きのバスに乗ることが出来ました。
翌日は、8時45分のパランガ発のバルト航空で、お隣のラトヴィアの首都リガへ飛びました。
そのフライト・レポートはこちらのハイライト旅行記にまとめました。
「2010年バルト3国旅行ハイライトその2:移動と市内交通編<ラトヴィア>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10483387/
リガ編につづく。
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