2010/07/09 - 2010/07/09
11位(同エリア17件中)
まみさん
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2010/07/09金 クライペダ経由でニダ日帰り観光
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パランガからミニバス20分ほどでクライペダへ、そこからフェリーで対岸のスミルティネへ、そこから長距離バス1時間ほどでニダへ(片道4時間)
<主にサイクリングにて街中散策>
・海岸沿いと桟橋
・トーマス・マン博物館(外観のみ)
・民俗学的古墓地とルター派教会見学
・パルニデス砂丘(トーマス・マンが「北のサハラ」と呼んだ白い砂丘)散策
【パランガ泊:ホテル・プリエ・パルコ(Prie Parko)】
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ニダに13時40分頃に到着したとき、片道4時間かかったことを考えたら、ニダ発17時のバスで帰らなければならないと思いました。
行き同様、帰りのバスも1時間に1本。
もっと遅い時間のバスもありますが、その先のスミルティネからクライペダに戻るフェリーや、さらにはクライペダからパランガに戻るバスが最終ぎりぎりというのは、何かあったときのことを考えたら、危険です。
それに翌日は8時45分のフライトでお隣の国ラトヴィアの首都リガへ飛ぶので、朝が早いです。
なので、自転車をレンタルして町中を散策できるのは3時間だと決断するしかありませんでした。
3時間の時間配分は、ニダの1番の目的である白い砂丘と町中散策で半々にするつもりでした。
でも、すいすいと自転車で町を走っているうちに、徒歩だったらなかなか行けそうにない少し離れたところにあるトーマス・マンの博物館まで、中を見学しなくても建物だけは見に行きたいと思ってしまいました。
それに、行く前に公式サイトやネットの旅行記で知ってぜひ写真に撮りたいと思ったのは、可愛いカラフルな風向計だけではありませんでした。
クリクシュタイ(Krikstai)と呼ばれる、とても独特な形をした木の墓標もそうなのです。
リトアニアは十字架作りが無形世界遺産に登録されていて、独特な十字架が立つ田舎風景があるそうですが、それがこれまでの移動のバスの車窓から全く見られなかったものですから、その代わりとして。
墓標と十字架とでは同じではないのですが、欧米のクリスチャンの墓標は十字架が多いですから。
木でできたというところは共通項です。
※リトアニアの独特の木の十字架がある田舎風景(国立博物館でもらったリーフレットの写真から)
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/20903514/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/20903515/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/20903516/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/20903517/
関連の旅行記
「2010年バルト3国旅行第3日目(2)ヴィリニュス:昨日回れなかったところを中心に旧市街散策」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10526585/
その独特な墓標のある古い墓地も、トーマス・マンの博物館も、どちらも見つけにくかったです。
トーマス・マンの博物館は思ったより市街より離れていて、住宅地側からでは道が分かりませんでした。
博物館となっている家は海を見下ろせる絶壁となった高台にあり、海側に下りる階段がありました。
その海側のコースを走っているときに、観光客に説明する英語ガイドの拡声器からの音が聞えてきたおかげで、見つけることができました。
拡声器でのガイドなんて、景観を乱すようで、ふつうなら迷惑ものですが、このときは助かりました。
古い墓地の方も、すぐに見つからなくてあきらめかけました。
道に迷う時間のロスは許されなかったからです。
ここで時間を食えば食うだけ、ハイライトの白い砂丘を散策する時間がなくなってしまいます。
でも、10人ほどのドイツ人観光客が、ちょっとクラシカルなレンガの門をぞろぞろと越えていくのを見かけました。
何か見どころがあるんだろうか、ここで逃しては何かがすたる! あとで後悔するに違いない!───と思って時間を気にしつつもくっついて行ったら、古い墓地とルター派教会を見つけることができました。
というわけで、撮りたいと思っていた被写体はどれも見つけられて万々歳!
ただ、残り1時間で大急ぎで砂丘に向かったところ。
中を見学できないまでも建物だけは確認しておきたかった昔の漁師の家を使った郷土博物館を、チラッと目にしたのに神経がそちらに行き届かなくて、無視してしまいました(泣)。
丸い茅葺屋根のその建物は、観光客向けの無料休憩所か何かと思ってしまったのです。
あれが博物館だったと後から気付いて悔しくなりました。
2010年バルト3国旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2010年バルト3国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10481279/
詳細版「2010年バルト3国旅行の詳細旅程(写真付き)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/07/2010-ccbf.html
クライペダからスミルティネへのフェリーの公式サイト(英語版)
http://www.keltas.lt/eng
同サイトの役立つURL集のあるページ
http://www.keltas.lt/eng/Useful-information
ニダのあるクルシュ砂州(国立公園)の公式サイト
http://www.nerija.lt/
※ただし、2010年7月の旅行プラン時には英語ページもあったのですが、2010年12月現在、もう一度調べたら見当たりませんでした。
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トーマス・マン博物館への案内看板
海岸沿いを走っているときに、拡声器でなにやら説明している声が響いてきたので、もしやと思って自転車を停めたら、この看板を見つけました。
リトアニア語でしか書かれていないので全部は読めませんが、THOMO MANNOというのはトーマス・マンで、MEMORIALIMIS MUZIEJUSというのは記念博物館というのは分かりました。そこまで読めれば十分@
「トーマス・マン博物館
ドイツの作家トーマス・マンが1930年から2年間の夏を過ごした別荘。内海を望む高台にあり、室内には彼の草稿や写真などが展示されている。彼はネリンガの風景から多大なインスピレーションを受けたとのことだ。」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より) -
トーマス・マン博物館の目の前のクルシュ潟
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高台へ上る木製の階段あり
トーマス・マン博物館らしき建物も松林の間からちらりと見えました。 -
階段を上りながらクルシュ潟を見下ろす
確かにすばらしい景色です。 -
階段を上った先にあったトーマス・マン博物館
茅葺の屋根で青い窓枠のある、ニダの独特な家そのもの@
「ニダから1キロほど北に戻るとクシュイ潟側の丘の上に数軒の家がある。かつてエリート階級が別荘をもち、ソ連時代には共産党の幹部が夏をすごしたという避暑地である。その一隅に屋根と窓枠を青と白に塗った一軒の焦げ茶色の2階建てがある。この家が『魔の山』や『ヴェニスに死す』で有名なドイツのノーベル文学賞作家トーマス・マンがかつて別荘として使った屋敷でいまは彼の博物館である。窓からのクルシュイ潟の眺めがすばらしい。すべてがドイツ語ばかりの説明資料で詳細は分からないが、トーマス・マンは『ヨセフとその兄弟』をこの別荘で書いたという。トーマス・マンは北ドイツのリューベックで生まれた代々、穀物商を営むユダヤ系の豪商の息子だが、父親の死んだ16歳のときにリューベックを離れている。彼はアメリカなどにも住んだが、ここにも足跡を残していた。」
(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用) -
トーマス・マン博物館の建物の回りをぐるっと回ってみる
こちら側は海に面していない、さっきと反対側です。
屋根のせいで建物の印象が変わるのが面白いです。 -
トーマス・マン博物館を門から見たところ
こちらから見てもまた建物の印象が変わります。
ゆったりとした前庭がありました。 -
屋根が可愛い、かつてトーマス・マンの別荘だった博物館
自転車が停まっているのは、きっとここを見学しに来た個人観光客のものだと思います。
海側からあの木の階段を上らず、町の方から正面ゲートにアクセスできるルートは、私が見つけられなかっただけで、もちろんありましたから。 -
なにやら奥に教会でもありそうなゲート
気になったけれど、一度は無視しようとしました。
自転車をレンタルして1時間半になるので、そろそろ砂丘の方に向かいたかったからです。
でも、ドイツ人観光客10人ほどが入って行くのを見て、ひょっとしたら私が探している「古い墓地」があるかもしれないと思い、行ってみることにしました。 -
木々の向こうに教会が
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見つけた! きっとこれが「古い墓地」@
ゲートの上に書かれている文字は、ドイツ語とリトアニア語です。
ドイツ領だった時期が長かったからでしょうね。
「古い墓地
14世紀から使われている古い墓地。ネリンガに住んだプロテスタントのリトアニア人特有の木彫りの墓標(Krikstai)が数多く見られる。(後略)」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より) -
誰か有名人の墓かな
墓地の中のすぐ目立つところにありました。
墓標の台座のところにS. MIKELIS 2006とあります。2006年になくなったミケリスさんのお墓?
この墓標はそれほど珍しいとは思わなかったけれど、ドイツ人観光客のガイドが説明していたので、一応撮影。 -
奇妙の形をした墓標
これぞ、私が探していたクリクシュタイでしょう!
左の墓標は、上の方は、十字架を両脇から鳥が突付いている図柄に見えます。
「民族学的な墓地とクリクシュタイ(ニダ)
ニダの福音ルター教会の近くに、19〜20世紀の民族学的墓地があります。クリクシュタイと呼ばれる、クルシュ潟において典型的な、独特な形をした木の墓標が、いまでもこの民族学的墓地に残されています。リトアニアにおける最も古い形の墓碑であるクリクシュタイは、装飾が施された、がっしりした板でできていました。そのシルエットは、両脇に鳥が彫られた木の形を思わせます。(つづく)」
(ネリンガ(クルシュ砂州)ツーリストインフォメーション公式サイトより私訳)
http://www.visitneringa.com/en/main/places?id=43483 -
面白い形の墓標がぞくぞく!
左のタイプの墓標はやや多く見られた気がします。
どちらも、これが墓標と言われなければ、違うものかと勘違いしそうなくらい、ユニークな形をしています@
「(つづき)クリクシュタイの役割は、死者が誰か特定するためだけでなく、非常に幅広いです。クリクシュタイは神話上の世界の木の象徴であり、宇宙の全ての部分とつながっていると考えられています。宗教上では、これらは死者の霊であり、あるいは天国への祈りの道であり、天の王国です。男性用のクリクシュタイを造るには、雄の木とされるオーク、西洋トネリコ、樺が、女性用には雌の木とされるモミ、アスペンまたはライムが使われました。(つづく)」
(ネリンガ(クルシュ砂州)ツーリストインフォメーション公式サイトより私訳)
http://www.visitneringa.com/en/main/places?id=43483 -
十字架タイプと面白い墓標2つ
「(つづき)男性のクリクシュタイには、馬の頭、植物や鳥の形に彫られ、女性のクリクシュタイには鳥の他に植物やハートのモチーフが使われました。小リトアニアの人々は、「最後の審判の日に墓から出るのを手助けするために」クリクシュタイを常に死者の足下に立てます。クリクシュタイ復活計画の立案者は、Eduardas Jonusasです。新しく作られたクリクシュタイは墓地の一番奥にあります。」
(ネリンガ(クルシュ砂州)ツーリストインフォメーション公式サイトより私訳)
http://www.visitneringa.com/en/main/places?id=43483 -
墓標がある方が死者の足元
日本のお墓は遺灰を入れた骨壷を納めるので、キリスト教徒の墓地を散策していても、墓石が頭側とか足元とかあまり考えたことはありませんでした。 -
十字架に光背があるような墓標と花が植えられた墓地
2007年にルーマニアを旅行した当時は、こういう墓は棺桶がなくて、死者が直接土の中に埋められているのかと勘違いしていました。
実は棺桶の上に土が被せられている、と気付いたのは、翌年のブルガリア旅行のときの現地ガイドの言葉がきっかけだったかしら。
ハリウッド映画やアメリカのドラマなどでも確かに棺桶の上にみんなして土を被せますが、そのままこんもりと土が盛り上がったままだったり、こんな風にそこに花が植えられたりした墓は見かけませんでしたから。
墓標の下の石は、墓参りに来たことを死者に知らせるためにおかれたものだと思います。
日本でもそんな習慣はありましたよね。なかったかな。
あちこちの旅行先でそういうのを見かけた覚えがありますが、最初に見て1番印象に残ったのは1998年のイスラエル旅行中です。
エルサレムの新市街のみどころを回るツアーでケネディ・メモリアルに行ったときです。
旅行記をひっくり返してみたら、ちゃんと写真コメントに書かれてありました@
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/10623793/
関連の旅行記
「1998年秋のイスラエル旅行11日間(8日目:エルサレム新市街地ツアーの一日)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10046602/ -
まだ真新しい墓標たち
こちらは現代復活版でしょう。
ハートの形とか、馬とか、なんとなく分かる気がします。 -
まるで道しるべのような十字架タイプの墓標
すんぐりと背が低くて可愛らしかったです。 -
とりわけ複雑に見えたクリクシュタイ
真ん中の墓碑がハート型なので、女性の墓ということが分かります。
もっとも、それ以前に墓碑のエマという名前で、死者は女性だろうと見当つきますけどネ。
「クリクシュタイ(Krikstai)
クリクシュタイとは、1枚の板による木製の墓標です。史料によると、16世紀初頭から登場しています。17世紀まで、この種の墓標は小リトアニアだけでなく、西サモギティア地方でも普及しました。後に、この伝統の地区は狭まり、20世紀初頭までには海岸付近のみ、すなわちネムナス洲、ティルゼ近郊、そしてクルシュ潟だけでしか使われなくなりました。
クリクシュタイの形と装飾は地方によって異なります。ただし、クルシュ潟では、伝統そのものは20世紀中頃まで変化しませんでした。カトリックの伝統と異なり、クリクシュタイは足元に立てられます。板は墓の底まで届かなければなりません。十字架のそういった構造は、彼らの宗教によると、時満ちたときに死者が立ち上がる際の手助けになると信じられていました。(つづく)」
(クルシュ砂州(国立公園)の公式サイト(2010年7月の旅行プラン時にはアクセスできた英語ページ)より私訳)
http://www.nerija.lt/eng -
3つのタイプの墓標
真ん中の碑はなんでしょう。
紋章が2つ刻まれていて、なかなかステキです。
両脇の墓は男女のもので、夫婦だったかもしれませんが、じっくり確認している余裕はありませんでした。
「(つづき)男性用と女性用とでは違う種類の木が使われました。男性用には、雄の木(オーク、西洋トネリコ、樺など)が、そして雌の木(シナノキユ、ポプラ、トウヒ)が女性用に使われました。塗料の色と装飾も、性別によって異なりました。17世紀、男性の墓標には馬の頭、女性の墓標には鳥が彫られました。17世紀末までには、男性用の装飾は女性用のものと混ざり(植物と鳥)、女性のクリクシュタイにはハートや花のモチーフが見られるようになりました。」
(クルシュ砂州(国立公園)の公式サイト(2010年7月の旅行プラン時にはアクセスできた英語ページ)より私訳)
http://www.nerija.lt/eng -
次に、せっかくなのでルター教会も見学しましょう!
ドイツ人観光客たちはこの中に入って行きました。
この際、これも、見逃すのがもったいなくなりました。
時間は気になるけど、大丈夫、まだ砂丘へ行く余裕はあります。
自転車を3時間レンタルして残り1時間を砂丘に向かうのに残すことにしましょう。
どうしてもそれで足りなくなったら、いざとなったらニダを去るのを一時間遅らせても構いません。
「ニダの福音ルター教会
ニダの教会は1888年10月10日に献堂されました。教会の古い建物は朽ち果ててしまったため、当時のルター派司祭Gustav Echternachがこの教会の建立に取り組みました。ニダの福音ルター教会の美しいゴシック様式の赤レンガの建物は、戦後の荒廃期を乗り越えて生き残りました。1966年から1988年において、ニダの教会の建物はクルシュ潟歴史博物館として機能していました。オルガンは1984年に組み立てられました。1988年末以来、教会で再び礼拝が行われるようになりました。木製の天井、ステンドグラスの窓、そしてE. Molenhauerの絵「沈むのを恐れた使徒ペテロに手をさしのべるキリスト」は、教会の内装に親密さを与えています。カリーニングラードのゲバウワー社によるすばらしいオルガンと皇后ヴィクトリアの贈り物のオルガン、そして3つのシャンデリア(現在、教会にあるのは、戦後も残ったオリジナルに従って造られた複製です。)も教会の自慢です。」
(ネリンガ(クルシュ砂州)ツーリストインフォメーション公式サイトより私訳)
http://www.visitneringa.com/en/main/know/architecture/churches/nidasevangelic -
教会のすぐ前の道で見つけたキリスト磔像
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ユダヤ教のシナゴーグのような教会!?
シナゴーグにはこのように両脇に女性信者席があるのがふつうだから。
イスラエル旅行した1998年はキリスト教会ばかり回っていてシナゴーグに入った覚えがないのですが、逆に東欧旅行では時々見学する機会がありました。
こちらのブカレストにある豪華なシナゴーグの構造などを連想したわけです。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13944086/
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第19日目(1):通算6日目のブカレストの教会とシナゴーグめぐり」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10245093/ -
教会の中にもあの風向計が@
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ピアノの向こうの壁に、古い墓地のクリクシュタイの頭の部分が!
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ガリラヤ湖の上を歩くイエスの奇跡の絵がある主祭壇
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美しい幾何学模様のステンドグラス
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クリクシュタイと絵
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ニダのかつての漁師の家?
左手前に描かれているものは井戸かしら。柵かしら。 -
イチオシ
美しいステンドグラスとシャンデリア
今回のバルト3国旅行の教会めぐりでは、こうやってシャンデリアのシルエットとステンドグラスを組み合わせて撮るのがツボにはまってしまいました@ -
入口側にあるパイプオルガンと2階の手すり
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主祭壇を背に、主廊の様子と木の天井
団体客の大半がいなくなったので撮りやすくなりました。 -
イチオシ
主祭壇とシャンデリア
団体客がいなくなったので、もう一度主祭壇を中心に撮りました。
教会の豪華さをざっくり比べると、たいてい正教会が1番豪華で、カトリック教会が真ん中、プロテスタントが1番シンプル……と思っています。
ここはプロテスタント教会で確かにシンプルでしたが美しい教会でした。
スルーせずに、ざっとでも見学しておいて良かったです。 -
町の中心に戻ってきて
琥珀博物館を見つけました。
その前に面白い像がありました。 -
イチオシ
オレンジの瓦屋根とカラフルで可愛い風向計
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オレンジの瓦屋根と琥珀博物館の看板とカラフルで可愛い風向計
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青空に映える風向計
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これもなかなか可愛いと思った看板
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風向計にちょうど小鳥がとまったところ・その1
この写真だとちょっとわかりにくいですが、1番高いところに停まっています。 -
イチオシ
風向計にちょうど小鳥がとまったところ・その2
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砂丘に向かう途中に見えてきたボートと船着場
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イチオシ
風向計がぎっしり@
実はこのすぐ左に、郷土博物館があったんでした。
藁葺きのとんがり屋根で、ちらっと見て、休憩所か何かと勘違いして、スルーしてしまいました。
いくら先を急いでいたからといって、写真の一枚くらい、撮る時間がなかったわけでもなかったのに(泣)。 -
彼方に砂丘は……まだ見えない?
いや、ちょっぴり白いこんもりが……!?
「2010年バルト3国旅行第6日目(4)ニダ:トーマス・マンが「北のサハラ」と呼んだ世界遺産の白い砂丘」へとつづく。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10532028
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