2010/11/28 - 2010/11/28
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りょしゅうさん
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『記・紀』が語る壮大な出雲神話はしょせん作り話に過ぎないという考えが主流だった。
だが、近年、荒神谷遺跡で銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土。
さらに、加茂岩倉遺跡で39個の銅鐸が出て来た。
いずれも日本の考古学史上、例のない大量出土である。
とどめを刺すように、出雲市西谷において、全国でも最大級の四隅突出型墳丘墓が発見された。(これは3世紀に出現したと考えられている前方後円墳より約200年もさかのぼる)
こうなると途端に風向きも変わってくる。
「出雲神話」が俄かにクローズアップされ、高名な哲学者であり独特の歴史観を持つ梅原猛先生も、今までの自説を引っ込め「出雲王朝」の存在をその著書で認めるに至った。
今日は出雲のかたりべの第2回フィールドワークとして「出雲神話」にまつわる伝承地と「出雲王朝」の存在を証明しうる遺跡を見学した。
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「島根県立古代歴史博物館」を2台のマイクロバスで出発した。 -
「稲佐の浜」
出雲にとって歴史の分水嶺「国譲り」の舞台。
神在月の神迎祭(旧暦10月10日)もここで行われる。稲佐の浜 自然・景勝地
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浜から100m東にある「屏風岩」
行ってみると分かります、まるで民家の庭先にあります。 -
高天原(たかまがはら)から派遣された武甕槌神(たけみかづちのかみ)と、大国主命(おおくにぬしのみこと)との、国譲りについての談判が屏風岩の岩陰で行われたとされている。
武甕槌神は剣を逆さまに立て、その上に胡坐をかき「イエス(諾)かノー(否)か?」と国譲りを迫る。
『古事記伝』(本居宣長の註釈書)によるとこの「諾否(いなせ)」から「いなさ」の地名になった記されている。 -
その後、武甕槌神が祭られる・・・
「鹿島神社」へ。 -
国譲りを決意した大国主命はこの「多芸志の小浜」に宮殿を建て、「膳夫神(かしわでのかみ)に命じて武甕槌命を饗応なさいました。
「稲佐の小浜」が「国譲りの舞台」なら「多芸志の小浜」は「服属儀礼の舞台」なのです。 -
宮司さんは祭りでもないのに正装(?)で僕たち一行を迎えてくださいました。
高名な経済学者の故小汀利得(おばま・りとく)氏はこちらの一族です。 -
ひと通り神社の御由緒を聞いた後、お神酒を頂きます。
時代は変わりました。
今日は征服された側の子孫が接待をうけています(笑)
あのときの饗応のお返しでしょうか?
「1杯は縁起が悪いからもう1杯・・・」
本当に気さくな宮司さんでした。 -
「斐伊川」堤防
「出雲大川」と呼ばれていた典型的な天井川。
古代においては斐伊川が左に蛇行して神門(かんど)の水海へと注いでいました。
「多芸志の小浜」はちょうどこの付近。
(鹿島神社東方100m)
古代は、このすぐ近くが海岸線だったのです。 -
その後「御井神社」に(神域全景)
かっては1キロ四方の神域を持つ神社だったのが信じられない・・・。
祭神は「八上姫神」とそのお子「木俣(このまた)の神」で安産と水の守護神です。 -
大国主のお子を身篭られた八上姫神は、出雲には来たけれど正妻の須世理姫の嫉妬を恐れ大国主には会わず、お産のためこの地で三つの井戸(生井、福井、綱長井)を順次掘り、御子を産湯させてから木の俣に残し、母神のみ因幡へ帰られたそうである。
なんと人間くさいお話でしょうか・・・(笑)
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神社の境内の・・
色褪せたモミジの色が・・
八上姫の無念さを偲ばせます。 -
八上姫の執念からでしょうか・・三つの井戸は、
古代から今にいたっても水の涸れることがないという。
生井(生気ある神) 子安
病気平癒 -
福井 (栄久井、栄える井) 母子の発展
家運隆昌
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綱長井(つるべ綱の長い井) 母子の長寿
家内安全
三つの井戸は日本最古のもので宮中にも御分霊して祭られているそうです。 -
<神話の世界から考古学の世界へ>
「荒神谷博物館」
ここで30分ほど館長の藤岡大拙先生の講義を受けました。荒神谷博物館 美術館・博物館
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「荒神谷遺跡」は広域農道(出雲ロマン街道)建設のさい、田のあぜ道で一片の土器が拾われたことがきっかけで発見されたという。荒神谷遺跡 名所・史跡
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※ 出雲市周辺の遺跡や神話伝承地ではこのようなボランティア・ガイドさんが案内をしてくれます(詳しくは該当の観光協会で) -
埋納場所は、小さな谷間で南向きのこのような急斜面。
昭和59年、ようやく“二千年の眠り”から目覚めました。
左が銅剣。
7m離れて、
右が銅鐸・銅矛。 -
アップして見ると、このように整然と銅剣358本が埋められていました。
358本という本数は今まで全国で発見された総数300本余を大きく上回るもの。
それが1度に・・1箇所に・・・
考古学者を驚愕させたのは当然でしょう。 -
その数m右には銅鐸6個、銅矛16本がこのように・・・
そしてそれらは平成10年6月30日に一括して国宝に指定された。
現在は出雲大社に隣接する「島根古代歴史博物館」に展示されています。 -
現在遺跡は国の指定史跡。
それにしても何故このように大量に、1ヵ所に埋納されたのでしょうか?
時はあたかも日本各地の「王」が覇権を争った「倭国大乱」の少し前・・・
“なぞ”は深まるばかりです。 -
「神名火山」
『出雲風土記』にも記載され、遺跡の南西3km。
現在は仏教山という。
この山だけは太古の昔からこの地を見つめ続け、歴史の真実を知っているように思います。 -
「加茂岩倉遺跡」ガイダンスセンター
遺跡が展望でき弥生時代と現代を繋ぐ架け橋だそうな。加茂岩倉遺跡 名所・史跡
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「加茂岩倉遺跡」
「大黒山」の麓。
荒神谷遺跡の南東約3,3km。
ガイダンスセンターから、整備をされた道200mほど歩く。加茂岩倉遺跡 名所・史跡
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平成8年、農道の工事中に偶然発見、それが全国最多の39個の銅鐸。
これも日本の考古学史上、例のない大量出土だった。
銅鐸は一般的には祭器であるというのが通説。
現在でも似たようなものを祭礼に用いている神社もあるらしい。 -
このような状態で、大きなものと小さなものがセットになって埋められていた(入れ子状態)
これは2000年前に埋められた状態をそのままに復元したものです。 -
弥生時代中期から後期と思われる銅鐸。
重機で掘り出され、掘り起こしてから2日間は研究員が来るまでこのような状態で水田の畦に置かれたという。
それらが今ではすべて国宝。
「古代歴史博物館」に展示してあります。 -
青銅器が荒神谷や加茂岩倉にいっせいに埋納され、その文明に終止符がうたれる・・・
「いったい何があったのでしょうか?」
青銅器祭祀の終りは神話時代の終焉かもしれません。
やがて倭国は争乱の時代へと・・・。
※加茂岩倉の岩倉はこの巨岩があるから岩倉というようになったそうです。 -
「出雲弥生の森博物館」
弥生時代の出雲王に出会える「ガイダンス施設」として2010年4月29日オープンした。 -
館内には出雲の王墓の模型や葬儀の様子を大胆に復元した模型が・・・
見る人を弥生時代へ、出雲王の世界へ、と誘う。
1800年も昔、出雲王は吉備・北陸・北九州などと密接な交流をし、強大な権力を築き上げたたことが展示品からも伺えます。 -
隣接地の「西谷墳墓群」へ
「倭国大乱」の頃から「卑弥呼」の時代(3世紀)にかけての激動の時代に造られた墳墓群。
古墳ではなく墳墓というのは古墳時代に造られていないからだそうです
(オープンのときの渡辺館長のお話) -
日本各地の権力者の墓には強い地域性が現れ、競争するように豪華に、巨大に・・・いわば墓や葬礼が権力の象徴とでもいうように・・・
出雲でも青銅器との決別から出雲独特の「四隅突出型墳丘墓」をシンボルとする新たな文化の国造りが始まった。
そして弥生時代の終わりに全盛時代を迎えるのである。 -
「四隅突出型墳丘墓」である「西谷3号墓」
55mx40mの大きさで全国最大級の巨大王墓。
近くには60mx55mの9号墓があり四隅突出型として日本最大ですが、上部に三谷神社という社があり残念ながら発掘されていません。 -
突出部は墓に上がる道であるという説があるが、実際に上がってみると納得できます。 -
この説明板に埋葬の方法などが記してあり、このような埋葬儀礼を見ると当時の王の絶大な権力を推し量ることができます。 -
「2号墓」は中に入れるようになっています。
内部は墓が復元されています。 -
1800年前の古代出雲王はこのように埋葬されていたのでしょう。
朱を敷き詰めた二重構造の木管に入れられ、ガラス製の首飾り、勾玉、鉄剣なども共に出土。
・・・地方の時代は終わり、機内の勢力に統一され「古墳時代」に・・・
西谷の王たちの栄華も時の流れに葬られ、やがて人々も忘れ去ったのである。 -
・・・そして古墳時代・・・
「赤川」
斐伊川の支流、度重なる氾濫で流域の人々を苦しめた川である。
もともとこの川原に「神原神社」なる社があった。
昭和47年、川の拡幅工事のため南西に50m神社を移転。 -
案内板(拡大してご覧ください) -
「神原神社」
加茂岩倉遺跡の南東2km。
『雲陽誌』では別名「神宝明神」と記載されていて、人々の間でも昔から神様のお宝が眠っているところだとされていた。
この本殿真下には古墳があり、発掘調査をすると中から多数の鉄製品ともに「景初三年」の銘のある銅鏡が出土した。 -
景初三年は西暦239年。
邪馬台国の女王「卑弥呼」が魏に使者を派遣し銅鏡100枚を下賜されたとされる年である。 -
伝説の神宝、卑弥呼の鏡といわれる「三角縁神獣鏡」が出土した「神原神社古墳」
「三角縁神獣鏡」(国の重要文化財で国内に2枚しかない)は「古代歴史博物館」に展示してあります。 -
一辺が約30mの方墳。狭長(5.8m)の竪穴式石室を持つ
(灯りさえあれば中に入ることができる)
三世紀になると出雲は次第に機内勢力に取り込まれ、古墳時代に入ると完全に支配下されたのではないでしょうか? -
「斐伊川」
古事記で肥河(ひのかわ)として記述される斐伊川は、出雲の暴れ川として知られ、西に流れたり東に流れたりしながらも流域にさまざまな恵みをもたらしてくれた。
「出雲の古代ロマンは・・斐伊川を抜きには語れない!!」
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この旅行記へのコメント (2)
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- こんぱすさん 2010/12/13 15:19:06
- 貴重なブログです
- インターネットは世代や地域間格差がまだ大きいようです。 旅行以外に、その点にも興味を持って見ています。 4トラの会員は
30歳台が最も多く40%弱 60才以上 約4%?
また地域間格差も大きく 島根は何人いるのかな?
したがって、地域の者しか取れないブログは貴重です。
たとえ見る人が多くないとしても・・・
駅伝の応援団について写したアイデアには感心しました。
当方、先月ジョギング中に息苦しくなって・・・今は、特別に悪い所はなさそうですが・・・・今後の旅行はセーブした方がよさそうです。
旅行もブログもマイペースでやります。
- りょしゅうさん からの返信 2010/12/13 18:33:01
- RE: 貴重なブログです
- そうですね、ぼくの同級生でも日常的にパソコンに向かっているものは本当に少ないですね。ぼくなど変人に近い扱いです(笑)
僕の住む地域もようやく来年から光回線が通じるようなので早速申し込みました。現在のADSLよりどれくらい早いか楽しみです。
4トラのブログは年寄りが多いと思っていましたが、僕が見るブログがそのような方のブログが多いからかもしれませんね。
出雲駅伝は出雲大社をスタートしてゴールが出雲ドームなので見学するのに楽に行けます。レース自体はあっという間にスタートして通り過ぎてしまうので、TVで見るほうが何倍も面白いのですが、応援団だけは実際に行ってみないとその面白さは分かりません。
去年は広島の大学の応援団が「大シャモジ踊り」の応援演舞で楽しませてくれましたが、今年は東京農大の「大根踊り」が人気NO.1でした。
遠方の大学は、予選の関係で中々現役が出雲まで来ませんが、その代わりのOBの応援がユーモラスさが溢れていて・・・むしろこちらのほうに人気が集まります。
身体には気をつけてください。
若いときとちがい、年をとるとちょっとしたことで怪我とかがつきまとってしまいますね。
今年は、我が家のカミサンも家の中でちょっと転んだだけで入院してしまいました。
おかげで僕も計画していた旅行は行けなくなりましたが・・・。
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