2010/10/21 - 2010/10/21
106位(同エリア923件中)
ハナママゴンさん
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その名に『ドナウ』が含まれていることから、ずっと気になっていた町『ドナウヴェルト』。
念願かなって初めてローテンブルクに行き一週間滞在した際、日帰りでドナウヴェルトに観光に出掛けました。シングルのバイエルン・チケット(20ユーロ)を使い、9:07発の列車で10:58着、6時間町をぶらぶら歩き、16:58の列車で18:48ローテンブルクに無事帰着。
天気予報では『曇時々晴』のはずが、ドナウヴェルトが近づくにつれ雲行きが怪しくなり、着いて間もなく、なんと小粒のアラレが降り出すではありませんか!
幸いアラレは小雨に変わり、その小雨も間もなく止み、昼過ぎからは日も差すようになってホーッ。午後は気持ちのよい秋晴れとなってくれました。 ・・・あのアラレは何だったんだ!?
*私の情報源は、主に
・インターネット
・『ドイツものしり紀行』(紅山雪夫氏著)
・『地球の歩き方 ロマンティック街道とミュンヘン』です。
英語やドイツ語から和訳した部分もありますが、訳にはあまり自信
がないので、軽く読み流す程度にしていただければ幸いで
す。・・・
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ロマンティック街道とドナウ河は、ここドナウヴェルトで交差します。支流のヴェルニッツ川がドナウ河に合流するのもここ。合流点の北岸には、ドナウ河を擬人化した Junge Donau (ドナウの乙女) の像があります。
この像は駅から思ったより離れていて、ウロウロと探してしまいました。これから町の中心に向かいます。 -
目抜き通りの Reichsstrasse (ライヒス通り=帝国通り)。この通りはかつて神聖ローマ帝国の街道の一部であり、ニュルンベルクとアウクスブルクというふたつの帝国自由都市を結ぶ交通の要路であったことからこう名づけられたそうです。パステル調の外壁と切妻屋根の立派な建物がずらりと並んだこの通りは、『南ドイツでもっとも美しい通りのひとつ』と言われています。
突き当たりの黄色い建物は Rathaus (市庁舎) です(後述)。 -
ライヒス通りのもっとも高い場所に建つ塔とその左下の建物は、Liebfrauenmuenster/Stadtpharrkirche (聖母教会/教区教会)。15世紀(1444-1467)の建立で、塔には218段の階段があり、4月から9月までは公開されているようです。(私が行ったのは10月だったので、昇ることができませんでした。残念。)
塔内に取り付けられた直径1.31m/約6.55tの鐘はシュヴァーベン地方で最大で、1512年の鋳造。 Pummerin (プンメリン=ふとっちょ娘)の愛称で呼ばれ、ウィーンのシュテファン大聖堂のプンメリン(同名)の『妹』ということになっているそうです。 -
内部に、やわらかい色合いのまるで絵画のような、素敵なステンドグラスを発見!
中央祭壇の後ろの、青を基調としたステンドグラスもすばらしかったです。 -
ライヒス通りの西北の端寄りにある、Reichsstadtbrunnen (帝国都市の泉)。かつてこの町が帝国自由都市であったことを記念するものです。ドナウヴェルト市民は1977年に、町の誕生1000周年を祝うため、寄付を募りました。名誉市民である作曲家のヴェルナー・エック氏 (Werner Egk, 1901-1983) は10万マルクを寄付したそうです。ミュンヘンの有名なハンス・ヴィマー氏 (Hans Wimmer, 1907-1992) によるこの泉は1979年に完成し、それを祝ってお祭りが催されました。
後方に見える塔は聖十字架教会、屋根に妙なギザギザのついた建物はフッガーハウス (Fuggerhaus) です(後述)。 -
壮麗なルネッサンス様式の切妻屋根をもつ Fuggerhaus (フッガーハウス) は、1539年にアウクスブルクの豪商フッガー家によって建てられ、迎賓館としても使われました。スウェーデン王(1632年)や皇帝カール?世(1711年)も滞在しています。現在は地方役場として使用されているため、内部の見学はできません。
ライヒス通りは、西北の突き当たりにあるこのフッガーハウスと南東の突き当たりにある市庁舎にはさまれるような格好で、約300mにわたって延びています。 -
イチオシ
ドナウヴェルトは1945年4月11日と19日の二度にわたって空爆を受け、バイエルン州ではヴュルツブルクに次いで二番目に大きな破壊を受けました。駅周辺も市中心部であるこのあたりもほぼ完全に破壊されましたが、1946年に原型に忠実なライヒス通りの再建が始まりました。
このライヒス通りはロマンティック街道の一部です。ロマンティック街道を走るヨーロッパバスは、上記の聖母教会前で発着します。町のど真中なので便利ですね。 -
ランチに入ったのは、ネットで目をつけていた Gasthof Goldener Hirsch (金鹿亭)。バス発着所の真向かいの、大きなクリーム色の建物です。このレストラン、メイン料理は小食な人のため klein (小) として、少なめに盛った同じ料理を2/3くらいの値段で提供してくれるのです。メニューにもちゃんと載っています。なんて良心的なサービス!
http://www.goldener-hirsch-donauwoerth.de/ -
私が選んだのは、"Jaegerbraten mit frischen Champignons in Rahmsauce, dazu hausgemachte Spaetzle und frischen Salaten der Saison" (猟師風?ローストポークのマッシュルーム・クリームソース、自家製パスタと新鮮な季節のサラダ付)。とぉーってもおいしかったです! "klein" で6.9ユーロ、アップルジュースは2ユーロ、合計で8.9ユーロでお腹いっぱいになりました。9ユーロで Stimmt so! (おつりはいりません)にしましたが、チップが少なくてちょっと申し訳なかったような・・・あ、でも最近は「料金にはサービス料が含まれているので、端数を切り上げて払うだけでよい」んでしたっけ?
(ところで、Jaeger って猟師ですよね。マッシュルームが一緒の料理によく Jaeger何とか、ってあるようですが、それってやはり、マッシュルーム→森→猟師という発想でしょうか?ここでは『猟師風』と勝手に訳しましたが、それでいいんでしょうか。ドイツ語に詳しい方に教えていただけると助かります。) -
腹ごなしにまず向かったのは、Invalidenkaserne、旧兵舎です。400名の兵士を収容するバラックとして1715−1716年に建てられました。1803年からは病人の住居として、1805年からは病院として使われました。現在は町の所有になっています。
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旧兵舎に沿って、以前この街をぐるっと取り囲んでいた市壁の名残りが残っています。ちょっと見にくいですが、市壁の名残りに家がくっついて建てられています。
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住んでいる人の生活が垣間見えるようです。外におもちゃがあると、(お子さんのいる家庭だろうな?)なんて。
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市壁の名残りの奥の方にあった塔。上から真二つに割られたような形をしていました。
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ドナウヴェルトで一番の有名人、Kaethe Kruse ケーテ・クルーゼ (1883-1968) の人形博物館に行きました。入場料2.5ユーロ。
ケーテは女優志望で17歳の時にはベルリンで舞台に立ち、ワルシャワやモスクワにも旅しました。ベルリン滞在中に有名な彫刻家 Max Kruse マックス・クルーゼと出会い、マックスはケーテより29歳も年長でしたが、恋に落ちます。
結婚し7人の子供に恵まれたケーテは、育児にいそしみます。お店で売られている人形に満足できなかったケーテとマックスは、「子供たちはいとおしみ、抱っこして歩き回ることのできる人形とともに成長するべき」と考えます。 -
そこでケーテは1905年に、子供たちのため人形作りを始めます。5年後にベルリンの展示会に自作の人形を出品したところ、アメリカから大きな注文が二つ入り、ケーテは Bad Koesen に人形工房を持ちます。ケーテのビジネスは発展しますが、第二次大戦後 Bad Koesen がソ連の支配下に入ったため、ケーテは操業をドナウヴェルトに移転します。
家庭生活を守りつつビジネスにも成功したケーテは、1951年に自伝を出版。70歳をとうに過ぎていた1956年にビジネスを子供たちに引き継がせて引退。1968年7月9日、85歳の誕生日の直前に永遠の眠りにつきました。
http://www.kaethekrusepuppe.de/ -
ケーテ・クルーゼ博物館から町の中心とは反対方向にさらに進み、右折して大きな病院を右手に通り過ぎると、丘のてっぺんに建つこの礼拝堂が目に飛び込んできます。ここは Kalvarienberg/Schellenberg (シェレンベルクの『キリスト磔刑の丘』)。
スペイン継承戦争の一部として、1704年にここシェレンベルクの丘で戦いがありました。戦後、町が破壊を免れたことに感謝した市議会と市民は、ここに『キリスト磔刑の丘』を建設することを誓います。キリストと弟子二人の磔刑像は1720年に建立され、次いで Maria-Hilf-Kapelle (マリア・ヒルフ礼拝堂)が加えられました。
磔刑像は写真では、礼拝堂の向かって右肩にあるのですが、見えますか? -
礼拝堂の向かって左手から上り、礼拝堂を過ぎ、磔刑像を見に行きました。途中に点々とある祠のようなものの内部には、それぞれ違う宗教画が飾られていました。キリストの生涯を辿ったものだったかもしれません。
こちらが磔刑像です。ドナウヴェルトの町の方を向いています。明るい晴れ空の下で見たからよかったけれど、どんより灰色空の下、冷たくそぼ降る雨の中で見たら、ちょっとコワかったかも・・・と、正直、思いました。 -
横棒が二本の変わり十字架がてっぺんに立つこの岩は、Mangoldfelsen (マンゴルトの岩)。10世紀にこの岩の上に Burg Mangoldstein (マンゴルトシュタイン城)が建てられました。1256年に夫ルートヴィヒ厳格王に不貞を疑われたマリア・フォン・ブラバント公夫人は、マンゴルトシュタイン城で、侍女とともに無実の罪で斬首されました。この悲劇的な史実は、今日でも定期的に芝居の題材に取り上げられるそうです。
城はドナウ河にかかる橋を見張る監視塔としても使用されましたが、1301年にオーストリアのアルブレヒト?世によって完全に破壊されました。その後城の残骸は、廃石材として利用するため徐々に運び去られ、1818年にすっかりなくなりました。 -
Promenade (プロメナーデ)と呼ばれるこの遊歩道は、市壁に沿って19世紀に整備されました。このあたりにも、今でも市壁が残っています。
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Zaubergeigenbrunnen (魔法のヴァイオリンの泉)。ドナウヴェルトの名誉市民である作曲家のヴェルナー・エック氏(1901-1983)の生誕90年を祝うため建造されました。『魔法のヴァイオリン』は、1935年にフランクフルトで初演されたエック氏の最初のオペラです。主人公は地の精霊から魔法のヴァイオリンを受け取りますが、ヴァイオリンが与えてくれる才能と富と権力と成功を保持するためには愛を受け入れてはならない・・・という内容のようです。
エック氏はナチ時代に、仕事を継続するためにやむなく帝国音楽院での仕事に就きました。彼の親しみやすい音楽がヒトラーやゲッペルスに賞賛されたこと、またヒトラーユーゲントの映画のための『ドイツ青年の行進曲』を作曲したことなどから、戦後のエック氏にはしばらくの間『ナチの協力者』というイメージがついてまわることになったそうです。が、やがてそれも、ナチ時代に作曲活動を継続するためにはやむを得なかったことと理解されるようになり、エック氏は『(戦後の)復興の作曲家』と呼ばれ、キャリアを重ねていきました。 -
ライヒス通りに戻るためプロメナーデを離れて右折すると、市壁の門だった Ochsentoerl (オクセントェール???訳せません、すみません)があります。
(Ochsentoerlは『雄牛門』でいいのでは?とBerg Heilさんからご教示いただきました。どうもありがとうございました。) -
ライヒス通りでもひときわ目を引く建物。これは Tanzhaus (タンツハウス)、英語だとダンス・ハウス。1400年頃に市立の商館兼ダンスホールとして建てられ、毎週日曜日には楽団がダンス音楽を奏でる中、市民は踊りを楽しんだそうです。タンツハウスは長い間ライヒス通りで最も重要な建物でした。『最後の騎士』と呼ばれる皇帝マクシミリアン?世(1517年没)も、愛するドナウヴェルトの町で市民とともにパーティーを開いて楽しんだそうです。中世におけるもっとも大きなお祝いごとは、1500年3月5日の、マクシミリアン?世の男の孫(後の皇帝チャールズ?世)の誕生でした。
この建物は1570年に穀倉へと改装され、スペイン継承戦争中だった1704年に火事で損傷を受け、1872年に元通りに復元されました。1945年の空爆で全壊。1973年から1975年にかけて再建され、今日のタンツハウスは600席ある劇場とレストランを擁し、三階は町の考古学博物館になっています。 -
このクリーム色の立派な建物は、Rathaus (市庁舎)。この写真は、リーダー門(後述)を背にして見た市庁舎の南西面です。写真ではちょっと見づらいですが、市庁舎のこちら側に Marienbrunnen (マリエン噴水、1854年)があります。ライヒス通りに面しているのは、建物の北西面にあたる写真の左側面です。ライヒス通りに左折せず左側面沿いに進むと、右側にインフォメーションの入口があり、フレンドリーで笑顔のすてきなお姉さんが、町の案内パンフをくれました。
<ここだけのハナシ> ローテンブルクのインフォメーションのお姉さんより、ずっと親切で感じ良かったです。
市庁舎のもっとも古い部分は1236年に建てられ、マンゴルトシュタイン城の廃石材を使って1308年に増築されました。14世紀に入って火事で二度損傷を受け、16世紀に三階が増築されました。ギザギザの胸壁飾りと小塔は、市庁舎が新ゴシック式に修復された1853年に取り付けられました。 -
1973年から1975年と1985年から1986年にかけて、市庁舎はみたび改修されました。また市庁舎の建立750周年を祝った1986年から、町には新たなアトラクションが加わりました。北西面の破風に取り付けられたグロッケンシュピール(カリヨン、組み鐘)が毎日11時と16時に、よく知られた民謡と『魔法のヴァイオリン』で使われた曲を奏でるようになったのです。(私もカフェ・エンゲル(後述)に座っている時、16時の演奏を聞くことができました。)
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市庁舎に入り込んで、窓の内側から撮らせてもらったライヒス通りの眺めです。
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リーダー門(後述)をくぐりぬけてすぐの橋からの眺め。北西に向かって市壁が残っています。ドナウヴェルトの町は、駅のあるあたりとライヒス通りのある中心地がヴェルニッツ川によってさえぎられています。ちょっとややこしくなりますが、そのヴェルニッツ川には中島があるので、駅から中心地まで歩くには橋を二度渡らなければなりません。この橋は中心地と中島の間を流れる細い方の流れ、『小ヴェルニッツ川』にかかったものです。
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左端の茶ピンク色の門が、中島に立って南西方向から見た Rieder Tor (リーダー門)。かつては市壁の一部でもあった、町に四つあった強固な門のうち唯一残ったものです。現在門の中は町の歴史博物館になっています(開館は土・日・祭日の14時から17時まで)。
リーダー門が現在の形になったのは1811年で、1913年に修復され、1945年に空爆によって破壊され、1946年に再建され、1983年から1986年にかけて修復されました。
Insel Ried (リート島)と呼ばれるこの中島は、町の起源。ゲルマン民族大移動の混乱期に、人々が難を逃れてこの中島に猟師や川の渡し守として住みつくようになったのが、この町の起こりです。町は12世紀頃からドナウ河の水運で栄え、交通の要路だったこともあって帝国自由都市にまで昇格しましたが、1714年にバイエルン大公国に併合されてしまいました。ヴェルニッツ川に取り囲まれたこの小さな島がリート島と呼ばれるようになったのは16世紀以降で、それ以前は "Woerth" (ヴェルト) と呼ばれていました。それが現在の町の名の由来です。かつてここに住んでいた猟師を記念して、1982年に『猟師の泉』が建立されました。写真真中のひょろ高いやつです。
門の隣に見えている家が足場を組んで改装工事中だったので、それを入れないよう写真を撮ったら、こんな構図になりました。 -
西から見たリーダー門。小ヴェルニッツ川は、水がよどんでいてあまりきれいではありませんでした。リーダー門の右に見えるのが、先ほど立って二枚前の写真を撮った橋です。
http://www.donauwoerth.de/html/user_en_Sehenswuerdigkeiten.html -
市壁に密着した家々が、まるで市壁に寄生?してしまっているようで面白いです。
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「色、濃すぎるよ!」と思わず言いたくなる色合いのこの建物は、中島にある、15世紀の猟師の館。現在は Heimatmuseum (郷土博物館) になっています。(10月の開館時間は火−日の14時から17時まで。)
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イチオシ
真中に見えるのは、Faerbertoerl (フェーバートェール???訳せません・・・)。かつて市壁に付随してあった38の塔のうちのひとつ。戦後再建され、現在は小さなアート・ギャラリーとして使用されています。町のアートクラブのメンバーが、ここで定期的に展示会を開きます。
ライヒス通りとヴェルニッツ川はほぼ平行して走っているので、この塔の下をくぐって北に進むと、まもなくライヒス通りに出ます。 -
下校途中と思われる子供たち。こんな素敵な町に住んで、毎日市壁の名残りに沿って帰宅できるなんて、うらやましいな〜。
≪2011年9月6日追記≫
「Toerl はドイツ南部の方言でTorの縮小形です。
Faerbertoerlは『染物屋の小門』と訳せるかと。」
と、近鉄バッファローズさんからご教示いただきました。
どうもありがとうございました! -
壁面にはりついて咲いていたかわいい花。なんて名だろう?
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かなり西まで歩いてきました。これは今来た道、つまり東の方向を振り返ったところ。
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右手、つまり北側に、大きな建物が現れました。Klosteranlage Heilig Kreuz (聖十字架修道院) です。塔はすぐ後ろに建つ付属教会 Heilig-Kreuz-Kirche (聖十字架教会) のもので、修道院も教会も、発祥を12世紀のベネディクト派の修道院と教会にさかのぼります。18世紀に入ってから、現在のような後期バロック様式に改築されました。
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修道院の巡礼教会である、聖十字架教会。ここにはキリストの十字架の破片を収めた聖体顕示台が保管されているそうです。この教会で変わっているのは、横棒が二本ある『変わり十字架』が使われていること。教会のあちこちで見られ、また教会の塔のてっぺんにあるのもこの十字架です。(そういえば、マンゴルトの岩のてっぺんにもありましたね。)
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教会内部の、中央祭壇。天井画も美しかったです。教会に入ってすぐのところ(後方)には、装飾を施した鉄柵に囲まれて、マリア・フォン・ブラバント公夫人のお墓があります。前述の、夫であるルートヴィヒ厳格王に不貞を疑われ、無実の罪で1256年にマンゴルトシュタイン城で斬首された悲運の女性です。
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ライヒス通りに戻ってきました。市庁舎に向かって歩いて行くと左側にあるこの建物は、1297年に建てられた、町で一番古い館です。現在は Konditorei-Cafe Engel (カフェ・エンゲル) になっています。一階が自家製ケーキやお菓子を売るお店、二階が広く落ち着いた雰囲気のカフェ・レストランです。
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お店部分のクローズアップ。おいしそうなケーキばかりで目移りして困りました。一階でケーキを選ぶとチケットを渡されます。二階に行ってチケットを渡しコーヒーを注文したら、ケーキとコーヒーを一緒に持ってきてくれました。
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私が選んだのはこれ、Frankfurter Kranz (フランクフルター・クランツ=フランクフルトの冠)。実は私、ユーハイムのフランクフルター・クランツが大好物なのです。ユーハイムのとは少し違ったけれど、こちらもおいしかったです。ケーキとコーヒーを味わっている間に、16時のグロッケンシュピールの音が聞こえてきました。
ケーキとコーヒー合わせて4.5ユーロだったので、5ユーロで Stimmt so! にしました。
(ついでながら・・・ランチ時にも登場したこのワンコは、私の旅のお供の『ミニ・ケイトー』です。ケイトーというのは、今年4月に16歳で逝ってしまった私の愛犬のボーダー・コリーの名。悲しみに沈んでしばらく何もする気になれなかったのですが、夏頃からようやく気力が回復し、気分を一新するため長年憧れていたローテンブルクを訪れることにした、という訳です。) -
16:58の列車をつかまえるため、ゆっくり駅に戻ります。これは『小』でない方のヴェルニッツ川にかかった橋からの眺め。
-
もうすぐ駅、というあたりに、こんな素敵な建物がありました。ドナウヴェルト、小さな町ですが、個人的にはゆっくり一日過ごすのに値すると思いました。
初めての旅行記を読んで下さった皆様、どうもありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- Berg Heilさん 2010/11/29 08:42:38
- ドナウヴェルト旅行記
- ドナウヴェルト旅行記、詳細な説明をじっくり拝読。実は次回、機会があれば、バイエルンのドナウ沿岸の街々を訪れたいと思っていますので大変参考になり、興味深く拝見しました。このくらいの説明がなされていますととても参考になります。それが現地観光パンフレットや歴史地理の本の引用であろうとも(小生もコメントにはなるべく各種参考書等からの引用を心がけています。特にネットの百科事典/Wikipediano独逸語版を参考にしています)
ところで「Ochsentoerl」の件、おそらく「雄牛門」だと思います。
Toerl=Tor Schleusentor=水門 (独和大辞典:小学館 2333頁 Torの3。
Toerl 同書2334頁 参照)
今後の旅行記楽しみにしています。
- ハナママゴンさん からの返信 2010/11/29 19:09:41
- RE: ドナウヴェルト旅行記
- > ドナウヴェルト旅行記、詳細な説明をじっくり拝読。実は次回、機会があれば、バイエルンのドナウ沿岸の街々を訪れたいと思っていますので大変参考になり、興味深く拝見しました。このくらいの説明がなされていますととても参考になります。それが現地観光パンフレットや歴史地理の本の引用であろうとも(小生もコメントにはなるべく各種参考書等からの引用を心がけています。特にネットの百科事典/Wikipediano独逸語版を参考にしています)
>
> ところで「Ochsentoerl」の件、おそらく「雄牛門」だと思います。
> Toerl=Tor Schleusentor=水門 (独和大辞典:小学館 2333頁 Torの3。
> Toerl 同書2334頁 参照)
>
> 今後の旅行記楽しみにしています。
Berg Heil様
感想と Ochsentoerlの和訳をいただき、どうもありがとうございました。Berg Heilさんは、それにしてもたくさんの旅行記をお書きになっているんですね!羨ましい限りです。私もドイツは大好きなのですが、バイエルン州をちょこちょこ訪ねただけで、他の地域へはまだほとんど行ったことがありません。家事と仕事に追われる毎日で・・・
私はイギリスの田舎町で、英国人夫と娘と三人で暮らしています。ロンドンから西へ車で2時間のこのあたり、例年なら東京と比べてもずっと寒いということはないのですが、今年は早くも先週から冷え込みが厳しくなり、現在(午前10時)の外気温は−3℃です。我家から見える草原も雪が降ったように霜で覆われ、おまけにうっすら霧がかかり、外は幻想的な世界です。この冬は、長く厳しい冬になるのかな。寒いのが苦手なので憂鬱です。寒いといえば、皆さんの旅行記を拝見すると、ドイツのクリスマス・マーケット、楽しそうですね。一度実際に見てみたいですが、「−10℃の戸外で飲むグリューワイン」などと読むと、うーん、その極寒、耐えられるか、自分?と躊躇してしまいます。
次はクレクリンゲンについての旅行記を書く予定ですが、それが済んだらHeil Bergさんの旅行記をゆっくり読ませていただきます。
初めての旅行記に初めてのコメントをいただき、本当にありがとうございました。
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