2010/09/10 - 2010/09/10
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belleduneさん
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たった2泊だったシャモニー・モンブランの町を夕方歩いてみました。
新田次郎の「アルプスの谷 アルプスの村」によると、当時ドイツ、スイスと廻った後で、フランスにやって来ると、今まで整然としていた草原や町の花壇などが汚れた感じがしたそうです。
その当時は、ゴミが落ちていたり、そこに住んでいる人達の様子が国民性の違いと言えばそれまでだけれど、全体に薄汚い感じがしたそうです。
私は、自由気侭なフランス人の国から一人旅を長年して来たので、そんなもんだと思って、今まで接してきましたが、確かにスイス人の気質とは違うでしょうね。
たった一度10日間だけ旅行しただけなので、あまりよくは分かりませんが。
今後、スイスを何回か旅行していくと、段々と分かってくるかと思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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レティシュ鉄道の踏切です。エギーユ・ディ・ミディのロープウェイを降りて、町の中心へ行く途中にあります。単線なので、所々ですれ違うためにどちらかの列車は止まって待ちます。
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パカール通り (Rue du Dr.Paccard) に出ます。9月に入ると、人通りもそれ程多くなくて、歩き易いです。
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ビルの壁面に、1821年開設の”プロのガイド”の事務所が描いてありました。
スイスで ”ガイド” という職業は、とても地位の高いもので、資格を得るのは大変難しいのです。 -
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ジャック・バルマの記念碑がありました。
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夕暮れ前のボソン氷河ははっきりと見えていました。
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Mont Blanc に関する人たちのことが色々と説明してありました。
モン・ブランより32m高い、ヨーロッパ最高峰の エルブルース山 ( Mont Elbrouz 5643m ) は、ロシアのコーカサス山脈にある休火山です。当時、エルブルースの意味は、白い山、つまりモン・ブランと言う訳で...
Francois Devouassaud (1832 - 1905) 彼は、コーカサス、ノールウェイ、トルコ、シッキム(ヒマラヤ)、アフリカへイギリス人の遠征隊に同行したシャモニー初めてのガイドでした。1868年7月31日、エブルース山の北西の山頂(5593m)に登頂した初めての外国人となった。1874年には南東の山頂(5642m)に、イギリスの遠征隊のガイドPeter Krubel と共に登頂した。 -
モン・ブランのガイド達:Joseph-Marie Douttet (1792 - 1877)
Edouard Cupelin (1840 - 1906)
Rene Claret-Tournier (1918 - )
Sylviane Tavernier -
1820年8月16日にモン・ブラン最初の悲劇が起こりました。
最悪の天候にも拘らず、ロシアのアレキサンダー1世の顧問をしていたHamel は、モン・ブランの高度測量のため、どうしても登頂したかった。12人のガイドやポーター達は中止して下山したかったが、無理矢理登山を続けさせられた結果、雪崩に遭い、多数のガイドが犠牲になった。この悲劇の後、登山において決定権を持つのは、ガイドか依頼者かが議論され、1821年シャモニー・ガイド会社が地元のガイド達によって設立された。パカール通りにあった壁画は、当時のガイド会社のあったところでしょう。 -
モンブランの勇敢な女性達:1808年以来、女性のモンブラン初登頂から女性の登山の服装が実際にはあまり快適、実用的ではなかった。20世紀初頭まで女性登山家は公然とズボンを履けなかった。止む終えず、途中の避難テントで洋服を着替えて上り下りしていた。
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モンブランの勇敢な女性達:Marguette Bouvier (1908 - )
1929年2月5日 彼女は、モンブランで女性初のスキー滑降を成し遂げた。彼女は、ジャーナリスト、英術評論家、戦争のレポーター、スキーチャンピオン、スケートチャンピオン等の多種に渡る才能を持ち、Farmann402 という自身の飛行機も持っていた。 -
モンブランの勇敢な女性達:Isabella Charlet-Straton (1838 -
1876年1月31日、このイギリス人アルピニスト、Isabella Straton は、モンブラン (4810m) の冬季初登頂に38才で挑戦し、成功した。夏季初登頂から90年の年月が経っていた。その数ヶ月後、その時のガイドで、アルジェンティエールの旧家の出身である Jean Charlet と結婚した。1875年、彼らが登頂した山を彼女の名に因んで、" la pointe Isabella " と名付けられた。
1878年に Jean は、Petit Dru (3733m) を制覇した。 -
モンブランの果敢な女性達:Henriette D'Angeville
1838年9月3日モンブランの登頂に成功した2人目の女性登山家。 -
モンブランの果敢な女性達:Henriette D'Angeville
彼女は、フランス革命の時、スイスへ亡命したフランス貴族の家系で、1794年ジェノアで生まれた。登山家に熱中し、43才でモンブラン登頂を決心したのは、Maire Paradis が初登頂してから30年の年月が経っていた。
彼女は、スカートに見せかけたパンタロンを仕立てさせ、万全の準備をして登頂に臨んだ。ガイド達に「もし、私が登頂前に死ぬようなことがあったなら、私の遺体を頂上に埋めて欲しい」と言った彼女に、かの有名ガイド、Joseph-Marie Couttet は、「落ち着いて、貴女は死にたいのですか、生きていたいのですか?」と答えたという。モンブランのすべてを熟知しているこのガイドに支えられ、無事成功した。この後、彼女は70才までアルピニストとして活躍していく。 -
モンブランの果敢な女性達:Marie Paradis
1808年7月14日彼女は女性として、7回目でモンブランの初登頂を成し遂げた。
彼女は、Les Houches (レ・ズーシュ)の農家 ” Paradisa " の出身。
Jacques Balmat et le Mont Blanc (ジャック・バルマとモンブラン )
1786年8月8日 ミッシェル・ガブリエル・パカールと初登頂
1787年7月7日 ガイド、ジャン・ミッシェル・カシャ、アレクシス・トゥルニエ と2回目の登頂
1787年8月3日 ソシュール ( Horace-Benedict de Saussure ) と3回目の登頂
4回目には参加せず、登頂は、イギリス人のMarc Beaufey に譲った。
1788年8月5日 イギリス人Woodley と5回目の登頂
1802年8月11日 ラトヴィア出身の男爵 Dorthesen と6回目の登頂
1808年8月14日 Marie Paradis と7回目の登頂 -
モンブランの避難小屋
19世紀に、モンブランの標高3000mと4000mに、避難小屋、観測所を建設した。
人やラバで材木を担ぎ上げたり、建設するのは、短い夏の時期だけであった。 -
モンブランの4つの異なる斜面
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芸術家達がモンブランを1周する ( Les artistes font le tour du Mt.Blanc ):
モンブランの周りのサヴォア地方(フランス東部、アルプス山脈西部)の人達やアオスタ渓谷( モンブラントンネルの南、イタリア側にに広がる渓谷)周辺の人々、ヴァレー州 ( スイスのォ南西部)の人々がフランス語を話すと言うのは、よく知られていることです。
モンブランがまるで数々の谷を切り離す白い大きな丸天井が、メインマストが天空のテントのワイヤーロープを張っているように見える。
車が通れる広さのある道を通って、シャモニーからクールマイヨールへと南へ下って、モンブランの麓に至るには、モントゥの峠に続く谷をたどり、ヴァルス州のマティニー ( Martigny )まで下りて、グランド・サン・ベルナール ( Grand-St.Bernard )の峠へ行き、そこからアオスタ峡谷をクールマイヨール ( Courmayeur )まで登って行かなければならない。 -
a pied, a cheval, en voiture ( 歩いて、馬で、車で ):
当時、シャモニーに到達するには、Chedde や Servoz の峡道や Pelissier の登り、急流を渡り、池を渡るという苦難の道程でした。1860年皇帝のシャモニー訪問までサヴォア地方からフランスへ続くルートの建設は叶わなかった。 -
19世紀にサランシュ(サボア地方アヌシーの東方にあるアルヴ川沿いの町)から見たモンブラン( Le Mt.Blanc vu de Sallanches au XIXeme siecle ):
著名な作家や旅行家のゲーテからデュマ、ヴィクトル・ユーゴからトプラーに至るまで、彼らの一致した意見は、「アルヴの谷を通ってモンブランへ来るべきだ」と。
サランシュの町がモンブランを見る最初の場所なのです。目の眩むような、見る者を圧倒するモンブランの姿をここで初めて目にするのです。アルヴの谷を埋め尽くす氷魂、吃立した針峰、断崖に沿って続く道、氷河から流れ落ちる滝を一度に。 -
Marc-Theodore Bourrit, L'exalte du Mt.Blanc ( マルク−テオドール・ブーリ、モンブランの狂信者 ):
マルク−テオドール・ブーリ( 1739 - 1819 ) は、七宝の絵付け師、カテドラルの唱歌隊員、挿絵画家、作家、旅行家等多岐に亘る才能を持っていたが、モンブランの登頂を果たせなかったので、バルマとパカールに嫉妬し、二人が不仲になるようなデマ ( zizanie )を飛ばした。かなり後になってから、このデマに関する真実が明らかになった。
いつの世にも、こういうことはあるものですね。 -
Le mecene du Mt.Blanc ( モンブランの後援者 ):
1787年8月3日、ソシュールはついにモンブランの登頂にバルマと共に成功した。
「アスプスの旅」( 全4巻 )の著者である彼は、1760年に初めてシャモニーを訪れて以来、モンブランに登頂した人に懸賞を出すことにした。ソシュールの本業は、科学者で湿度計などの研究をしていた。 -
ソシュール広場 ( Place de Saussure ) のジャック・バルマ ( Jacques Balmat )とソシュール の像。
モンブラン初登頂したバルマとジュネーブの科学者ソシュールを記念して建てられました。 -
バルマが指差す方を見ると、ボソン氷河が見えました。
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バルマの像から少し歩いたところに、ジャック・バルマと共に1786年8月8日にモンブランに登頂したミッシェル.ガブリエル・パカールの像がありました。
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シャモニーの写真ギャラリー。夜見ると綺麗です。
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横はモノクロ写真でした。
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駅の方へ歩いて行きました。
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駅前のカフェは賑やかでした。
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歩道橋を渡って、モンタンヴェールへ行く登山電車駅へ行ってみます。
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こちらは国鉄駅です。駅にはまだ照明が点いていました。
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正面に見えるのは、登山電車の駅です。
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モンタンヴェール登山鉄道駅 (Chemin de fer du Montenvers )
夜見ると凄くロマンティックですね。 -
駅の横に展示してある当時の蒸気機関車。
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こちらはもう発着がないので、LEDランプ?だけが点いていました。
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1914年から1918年に亡くなったシャモニーの子供達の死を悼んで建てられた記念碑。その後、1939年から1945年に第一次世界大戦で戦死した方もここに祀られています。
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