1985/07/28 - 1985/09/04
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のんほさん
後半もハードな旅は続く。
当時の成都や西安は相当な田舎。上海だって今からは想像できないような街だった。
もちろんツアーや出張だったら、もう少し文明的な旅だったのだろうけど、当時は1元、2元の安さを競う貧乏旅行だった。
まるでお金をかけないことが、自分に課した一番の命題のようだった。
今考えると、何をそんなに…と思う。若かったから?
無理が祟ってか、西安では急性気管支炎でダウン。1泊の入院を余儀なくされた。
予定していた太極拳発祥の地・陳家溝詣ではあきらめ、西安から飛行機で上海へ。このころはまだ、のちに上海に留学するなんて思ってもいなかった。
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もともとは麗江から昆明に戻り、成昆鉄道で成都に向かう予定だった。
だが、麗江まで北に上れば、成都はかなり近くなっている。
一筆書きではないけれど、昆明まで戻るのはおもしろくない。
地図で見れば、バスで行けそうな距離に「金江」という支線の終点駅がある。しかし、ここはもちろん「未開放都市」だ。
見つかったらどうしようと、ちょっとドキドキしながら麗江で一緒だった日本人旅行者とバスに乗り込む。
途中にはなにかの鉱山(今、話題のレアアースか?)があり、トロッコが走っていた。約9時間のバスの旅で無事、金江着。 -
成都でホテルさがしに苦労して、行き着いた先がこの怪しい「黒珈琲ホテル」。1泊5元也。
聞いた話によると、中ソ対立時代に中国全土に掘られた防空施設を後に改造したものだとか。真偽のほどは定かでないが、アリの巣のように地下に広がる造りは信じるに足るものがある。 -
これが黒珈琲の内部。
階段を下りると、怪しげな喫茶店を抜け、バーのようなところを抜け、この廊下にたどり着く。
わたしが泊まっていたのは廊下の右側の4人部屋。この部屋は全員が日本人旅行者だった。夜になると廊下のベッドにも人が寝ていた。
青い痰壺。これも今となっては懐かしのアイテム。
本当にこんなところによく泊まっていたと思う。
途中で雨が降り、それでなくても湿っぽい室内の湿気がさらに上がり、暗い気分がいっそう滅入った。
わたしは3日で脱出した。ここに5日間泊まった旅行者と、その後西安行きの列車で再会したら、洗濯したGパンが5日経っても乾かなかったと話していた。 -
バタークリーム極彩色のデコレーションケーキ屋。
高級品で、一度買うと1週間かけて食べたそうだ。 -
成都の文殊院で。トランプに熱中しているおじさん。
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売り物と思われる青菜に鎮座する猫。
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街頭のジュース売り。おそらく西安で。
この色はまちがいなく果汁ゼロだろう。
あまりにまずそうなので写真を撮った。 -
このおばあちゃんも何か販売中。
白い中国式ブラウスに黒いパンツ、黒い布靴が古典的でかっこいい。
繁華街なのにどこかのどか。 -
西安の清真寺。大がかりな工事中だった。
修復中だったといったほうがいいのかもしれない。 -
昔はどこでも見られた貸し本屋。
三国志など武侠ものの連環画(紙芝居みたいに絵と説明が対になった、漫画と本の間のような冊子)がたくさんあった。
どうでもいいけど客のお兄さん脚がつるつる。 -
ビニール鞄に猫。
写真を撮るまでは、鞄から頭を出してきょろきょろしていた。
この手のビニール鞄がはやっていた。
特に「上海」の文字が入ったもの。
上海は流行の中心だったから。 -
兵馬俑前の土産物屋のおばちゃん、暑さに負けて一休み。
兵馬俑から戻るときの満員バス。不思議なもので、混んだバスの中でもごそごそという変な感触はわかるものだ。
ベルトポーチにふと目をやると、人民元の札束が半分のぞきかけていた。
何が何だかわからないままに、その札束をギュッと引っ張り戻すと、相手の手が引っ込んだ。手の主は、身動きもできないようなバスの中をスルスル移動して、あっという間に降りてしまった。
スリに力で勝ったってことか? -
乾燥した西安で埃にやられたのか、翌日から一緒に泊まっていた2人が順番にダウン。最後に自分もダウンした。
風邪でもめったに熱を出すことがないのに、中国では昆明に続き38度の発熱。西安医学院第二病院で気管支炎の診断を受ける。
直径5センチくらいの点滴と注射の間のようなものを打たれ、ほかにも注射を2本、揚げ句の果てに1日入院。
しかし、日本人の患者がめずらしかったのか、いろいろ心配してくれた。
看護師さんが近くの店に包子を買いに行ってくれたり、日本に留学していたという年配のレントゲン技師を呼んできてくれたり。
その日本語のできる技師に言われたのは「ヤク(薬)は飲みましたか?」
このころはまだこんな絵が普通に街頭にあったことを再発見。 -
入院は1日で済んだものの、もうひとつの大きな目的地である太極拳発祥の地・陳家溝に行く時間はなかった。仕方なく飛行機で上海へ。
日曜日の外灘(このころは確かまだ川沿いに公園があったはず)では武術教室が開かれていた。ふたりで推したり引いたりして鍛錬する「推手」のようす。迫力だった。 -
豫園のそばにある湖心亭では、二胡など伝統楽器の演奏をしていた。
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豫園のそばの露店で。
結婚式に向かう新郎新婦の乗る車に飾る人形。 -
こんなおばあちゃんの姿もいまは見られないだろう。
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パンダが自転車に乗ってみせる上海雑技団。
さすがにいまは絶滅危惧種に芸はさせていないだろう。
それにいまは海外の動物園に出稼ぎに行く方が稼げる。 -
和平飯店のジャズバンド。今も現役らしい。
バンドマンは歳を取っただけだろうが、ホテルをはじめ彼らを取り巻く環境は大きく変わったに違いない。 -
上海を経つ前日は雨だった。
外白渡橋(ゴールデンブリッジ)を渡って浦東飯店のドミトリーへ帰る。
数年後に留学して、自転車で自分がここを渡るとは思ってもいなかった。
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この旅行記へのコメント (3)
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- がおちんさん 2010/10/25 08:00:26
- 懐かしの数々
- のんほさん、おはようございます。
今回も懐かしの写真が沢山ですね。
黒珈琲! ここはジメッとして留置場のような場所でしたね。交通飯店が泊まれない時に私も利用しました。気分が暗くなる宿でした(笑)。
ギトギト甘いデコレーションケーキも懐かしい。これ、硬くって常温でも腐らないんですよね。しかし、よくこんな写真を撮っていましたね。
貸本屋、上海バッグ猫、サンダルで推手、のんほさんの着眼点は素晴らしいと思います。
西双版納編も楽しみにしております。
がおちん
- のんほさん からの返信 2010/10/26 00:21:46
- RE: 懐かしの数々
- がおちんさん:
こんにちは。
知る人ぞ知るですよね。
黒珈琲に泊まったことがあるのですか。
いったいいつごろまで存在したのでしょうね。
どこに行ってもそうですが、初めてのときしか
目に映らないものがあります。
ビギナーズラックというか、ビギナーズアイというか。
中国圏は、今行くともうだめですね。
なにも新鮮に感じない。
だからインドとかよかったんでしょう。
常に新鮮な目を持っていたいものです。
のんほ
- がおちんさん からの返信 2010/10/27 08:25:19
- RE: RE: 懐かしの数々
- のんほさん
黒珈琲には何度か泊まりました。91年頃までは営業していたと思いますが、ある日行ったら宿は閉業していました。入り口部分の喫茶店はしばらくやっていたようですが。
> 常に新鮮な目を持っていたいものです。
同感です。それこそが旅を面白くする基本ですね。
がおちん
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