1985/07/28 - 1985/09/04
190位(同エリア1019件中)
のんほさん
気がついたら中国との出会いから、今年2010年で丸25年になっていた。
そのきっかけがこの旅行だった。
前の年に2か月のヨーロッパ旅行から帰ってきて、バイト先のインド屋で「どこが一番おもしろかった?」と聞かれ、思わず「シンガポールの中華街」と答えてしまったわたし。トランジットで2泊しかしていないのに……。
補足するなら、当時のシンガポールは今みたいにキレイキレイじゃなくて、南方独特のけだるい雰囲気を醸した混沌とした街だった。その怪しさが魅力だったんだと思う。東ヨーロッパも十分怪しげだったけど、やっぱりアジアの魅力かしら。
もう1回シンガポールの中華街に行きたい。でも中華街に行くくらいなら、本場中国の方が近いし安いし。ということで、翌年は中国へ行くことにした。
友人も途中まで一緒にということになり、ラジオで中国語会話をちょっとばかり勉強したり、旅のしおりを作ったりと、行く前から気分は大いに盛り上がった。
当時出版された『雲南少数民族の天地 中国の秘境を行く』(NHK出版)を読んで、一番の目的地は雲南にした。中国に行くのに、最初から中国っぽくないところを選んでいるのが、今考えると可笑しい。
東ヨーロッパとはちがって行く先々で日本人旅行者に会った。みんなおもしろい人たちだった。
写真を見てると、すべてが昨日のことのように思い出される。それくらい印象深い旅だったんだと思う。
ほとんど、自分と当時を知る友人との記録みたいなものだけど、よろしければご一緒にどうぞ。
-
旅行前にノートにかいたルートマップ。
地図はトレースしたもよう。
どれだけ暇だったんだか! -
旅行の始まりは香港。当時の中国旅行は香港から国境まで行き、列車を乗り換えて広州に入るのが一番ポピュラーだった(安かったといったほうがいいのか?)。
ノートに事前に書いた香港の旅の目的
・飲茶と南国果実を満喫する
・暑さに対する抵抗力を培う
・タイガーバウム・ガーデンで豹にまたがって写真を撮る
どれも実現しなかった気がする。 -
広州で訪ねた家族。
女の子は英語が結構話せた。
男の子は数年後に南米に移住したらしい。
半年後にもまた訪ねた。
今はどうしているのかな? -
広州動物園の展示動物。どう見ても猫、普通の猫にしか見えない。なぜいたのかは不明。
この日の日記に「Hello ダカンケンを2回もして充実した日だった」とある(苦笑)。それが「充実」の基準かい! 当時の旅行事情を知る人だけ笑ってやってください。 -
昆明到着。ここからは一人。
日記には「昆明は涼しい。運動会の頃の気候だ。空気が透き通っている」
ようやく泊まれた昆明飯店旧館からの東風東路の眺め。
向かい側は病院で、ほどなく風邪を引いてお世話になることに。
旧館は4人か5人のドミトリーだった。
新館の最上階は超大部屋で、ワンフロアすべてにベッドが並んでいた。
「僕ここ長いから、なんでも聞いて」と言った日本人旅行者。
貴重品のバッグを置き引きされて、ここで足止めをくらっていた。
そのバッグはのちに、開けかけのタバコまでそのままで戻ってきたそうだ。
そして彼はいま、広州までわたしと一緒に旅行していた友人のダンナだ。 -
下関で会った中国人のご夫婦に誘われて、一緒に観音堂に行った。観音堂は修復中だった。
今見返すと、修復中の建物の写真が目につく。特に寺関係が多い。当時はまだ、文革の爪あとを消す作業中だったのかもしれない。 -
その夫婦に撮ってもらった写真。
ノートリミングですよ。 -
大理で泊まったのはもちろん第二招待所。
当時はそこしか泊まるところがなかった。
第一招待所というのはどこかにあったのだろうかという疑問が残る。
招待所の写真がないのは残念。
四合院風の建物で中庭で絵葉書を書いたのを覚えている。
招待所の入り口にはベンチがあり、いつも日本人旅行者がいた。
そのようすを「サナトリウムのよう」と表現した人がいた。なんかわかる気がする。
これは招待所の向かいにあった映画館ならぬビデオ館?
暗い中でみんながテレビを観ていたようだ。 -
第二招待所の隣にあった貸し自転車屋。
こうして見るとなかなか趣のある建物だ。 -
母さんは魚の頭のほうが好きなんだろ。
ぼくは小さいときから知ってるよ。
大理の文化宮にあった掲示物。
なにか言いたいのか、ちょっとよくわからない。
「親の心子知らず」ってことか? -
壁の毛沢東語録に見守られ(たぶん賭け)トランプをする中国人民。
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火把節(フオパージエ)のお祭りの日、周城に入った。
みんな民族衣装で着飾っている。
火把節は、雲南、四川で旧暦の6月24、25日に行われる祭り。
もともとはイ族の祭りのようだが、大理周辺の白族も祝っていた。
旅行前に調べたところによると、この日は北斗七星の柄が真上を指す「星回期」でもあるそうだ。星を眺める余裕はなかったけど。 -
この手のものは初めて見ると感動する。
白族の衣装は比較的あっさりしているが、赤ん坊のものとなると力が入る。
今もこんな手仕事が続いているのだろうか。 -
悪そーな子ども。
この子らももう30歳は過ぎているだろう。
今、席を並べている同僚と同じくらいの歳と思うと感慨深い。 -
いよいよ祭りの始まり。
これは、あとからわかるが、松明に挿す飾り。 -
大きな松明に人が乗り音頭を取りながら、立ち上げていく。
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夜になって、村の野外舞台のようなところで踊りが始まった。
京劇風の激しいメイクも目を引くが、奥に構えるカメラマンの二眼レフと黒ぶち眼鏡にも注目を。 -
舞台を眺める人々もみんな民族衣装。
このころは観光客も少なかった。
でも左下の男の人は旅行者っぽいな。 -
祭りのクライマックス、松明に火が灯される。
この松明の周りを回って無病息災を祈る。
残念ながら雨が降り出したため、火の勢いが弱い。
この日、アールハイではペーロンが行われた。第二招待所に泊まっていた日本人の多くはこちらに行ったようだが、あとから話を聞いたら、周城の催しのほうがおもしろかったようだ。
この翌日、沙坪の月曜マーケットに行った。
雲に手が届きそうな真っ青な空の下に極彩色の民族衣装!
でも、フィルム切れで写真が1枚もない。 -
のどかな道を歩いて三塔寺へ。
近くに大理石の加工をする場所があり、子どもが大理石の白い粉まみれで飛び出してきたのを覚えている。 -
大理のお店屋さんシリーズ。
当時のメーンストリートにはこんな店が並んでいた。
日差しの強さがわかる。 -
コカコーラ食堂。
外国人向けと思われるが、コカコーラはあくまで名前だけ。
このころここでは手に入らなかっただろう。 -
歯医者。
このショーウインドーの中はサンプル?
友人には「抜牙」がこわいといわれた。 -
電髪屋。
このころのパーマ屋はどこも激しかったが、天井から下がっているこの器具は特にこわい。感電しそう。
看板がいい味を出している。 -
大理をあとにして下関経由で麗江へ。
麗江はこの年、1985年に外国人に開放されたばかり。
1997年の大地震前、そして観光地化がされる前、旧市街はこんな街並みだった。
外国人の泊まれる招待所は1か所しかなく、にわかづくりな感じだった。
「4元の独房の独房のような部屋に落ち着く。ウトウトしながら、久しぶりに(というよりははじめて)一人部屋になったせいか、次々と部屋に人が増える夢など見る」と日記にある。 -
子豚の散歩。
民族衣装も現役だった。 -
人民服、おさげ髪も現役。
-
ふとんの打ち直し屋さん。
-
招待所で一緒になった日本人4人で、貸し自転車を駆って玉鋒寺へ向かう。約1時間でふもとの村に着く。
これは村の小学校。日干しレンガでできている。
中は涼しかった。 -
夏休み前のの授業は国語だったようだ。
次の語句を並びかえて文章を造りなさい。
これならわたしでも解けそうだ。 -
村であったおばちゃん。
「写真撮りなさいよ」のポーズか? -
村の民家。
麦わら、薪といろいろなものがストックされている。 -
民家の台所。
薪で煮たきをしてたようだ。
こんな風にずけずけ民家に入れたのは、中国語に堪能な日本人留学生が一緒だったからだ。
その流暢な中国語と中国人へのスマートな対応は、一気にわたしの留学へのあこがれをふくらませた。
もともとの素材がちがうというのは、ずっとあとになってわかったこと。 -
ガタガタ道を自転車で2時間、さらに丘を1時間登って、玉鋒寺に着く。
樹齢何百年といわれる椿の大樹。
外国人への開放直後ということもあり、珍しかったのか歓待してくれた。
お茶を出してくれて、貴重そうなタンカを見せてくれた(そのあと別の偉そうな人に怒られていたけど)。
今はすっかり観光地なんだろうな。 -
ナシ族の民族衣装。
丸いワッペンのようなものは北斗七星を表すそうだ。
この中国式の上着とエプロンはおみやげに買った(このミノみたいな上着はさすがに買わなかった)。
上着は15元、エプロンは5元だった。 -
家の前で刺繍をするおばちゃん。
生活感がにじむ。
当時、麗江は普通に地元の人が暮らす街だった。
数年前、再訪すると、まるっきり違う街になっていた。
旧市街の入り口には、江沢民の「世界遺産 麗江古城」の文字が躍る。
確かに大地震のあとも、街並みはかなりうまく復元されたと思う。
でも、住んでいるのは外から来た人間ばかり、旧市街はすべて観光客向けの土産物屋や食べ物屋、ミニホテルになってしまった。
元の住民はというと、住んでいたところを高く貸して、郊外の「ナシ族民家風住宅」に移り住んだようだ。
だれが、この変化をとがめられようか。
エアコンも水洗トイレもある生活を送っている自分には権利なしと思う。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- Halonさん 2012/10/20 10:01:48
- コカコーラ食堂!
- のんほさん、はじめて書き込み致します。
貴重なお写真を見せていただき、感激いたしました!
特にコカコーラ食堂と第二招待所!
当時85年にこの二ヶ所にはお世話になりながら、写真を撮っていなかったのでほとんど画像が記憶になかったのですが、今よみがえりました。
コカコーラ食堂の木造の窓が懐かしいです。
手書きのルートマップもいいですね。
僕も旅行前はNHKの中国語硬座を聞いたり、図書館で現地の気象を調べたり、今のようにネットで簡単にはいかないから、僅かな情報も大事に準備を進めたものでした。
Halon
- Halonさん からの返信 2012/10/20 10:20:04
- 訂正および追記
- > 特にコカコーラ食堂と第二招待所!
第二招待所じたいの写真ではありせんでしたね。失礼!
電髪屋の器具を当時みなかったのは残念です。
それにしても怪しげですね。なんか自白をさせられそうな、、、
ハローダカンケンを1日二回もしたことはありません(笑
きっとあとのほうがレートが良かったのかな?
- のんほさん からの返信 2012/10/21 23:43:01
- RE: コカコーラ食堂!
- Halonさん
ご来訪ありがとうございます。
先日、青海省のブログを拝見してから気になっていました。
> 貴重なお写真を見せていただき、感激いたしました!
> 特にコカコーラ食堂と第二招待所!
> 当時85年にこの二ヶ所にはお世話になりながら、写真を撮っていなかったのでほとんど画像が記憶になかったのですが、今よみがえりました。
> コカコーラ食堂の木造の窓が懐かしいです。
実はコカコーラ食堂では食べていないのです。
第二招待所は、本当にお世話になっていながら、写真を撮っていないのが残念です。
でも、少しでも昔の記憶を呼び覚ましていただけてよかったです。
> 僕も旅行前はNHKの中国語硬座を聞いたり、図書館で現地の気象を調べたり、今のようにネットで簡単にはいかないから、僅かな情報も大事に準備を進めたものでした。
当時、大理に来ている日本人を評して「ここに来るまでにふるいにかけられているから、おもしろい人ばかり」と言った人がいました。
情報が少ない中で、自分で調べたり、口コミで聞いたりでたどり着いた人。自分もそうなので、納得です。
「みんなが知っているところには行きたくない」と思うと、今のような情報の溢れた時代は住みづらいかもしれません。
時間がある学生時代に、情報の溢れた時代でなかったことを幸運に思いたいとですね。
-
- きっちーさん 2011/09/04 13:26:37
- 先輩!!
- のんほ先輩すみません!!!!
麓江は、とっくに行かれてたんですね。
お恥ずかしい。
素敵なお写真で眼福でしたv
また、お邪魔しまっす!
- のんほさん からの返信 2011/09/04 23:38:46
- RE: 先輩!!
- きっちーさん:
いえいえ、無駄に年をとっているだけです。
長く生きていると、古いものもいろいろ見ているわけで。
麗江も地震(90年代の)以降、成都と同じように立て直したクチでしょう。
でも、新しくなって観光地化しても、麗江や大理はちょっと他とはちがった感じがありますよね。
- きっちーさん からの返信 2011/09/06 08:56:10
- おはようございますー!
- のんほさん、お早うございます。
大理は行った事ないんですよ。
そんなに素敵なところなら、いつか行ってみたいです☆
ありがとうございます。
-
- がおちんさん 2010/10/17 21:30:29
- 待ってました!
- のんほさん、こんばんは。
ようやく85年の中国をアップされましたね!
もう圧巻です。大理も麗江も正しい有りかたをしています!
ノートリミングの写真、大理の小売部、コカコーラ、トランプ老人、電髪屋の看板、周城の廟での踊り、そして観客。
すべてに細かくコメントしたいのですが、くどくなりそうなので少しだけ。
まず、ノートリミングの写真は、正に中国らしさ爆発ですね(笑)。
大理水果副食商店は、二招の左斜め前の店でしょうか。
コカコーラレストランは、まだペンキが塗り替えてなくて、開業したてなんでしょうね。89年の頃はステーキでは人気ナンバーワンでした。
トランプ老人に電髪屋の写真は、そのまま文化遺産です。
そして、なにより私が感動したのは周城の祭りの様子。特に観客の写真は、もう五朵金花の世界そのままです。今夜は酒が進んでしまいました。
これは貴重です。いいものを見せていただきました。感謝!
がおちん
- のんほさん からの返信 2010/10/17 23:58:16
- RE: 待ってました!
- がおちんさん:
さっそくのコメントありがとうございます。
カメラはもとより写真の腕も被写体も、撮ったときはどうってことないものだったのですが、時間が経つと意味を増すものですね。
中国人夫婦に撮ってもらった写真は、上がってきたときちょっとギョっとしました。他意はなかったと思うのですが。
大理は開放してしばらく経っていましたが、バックパッカー向けの店はまだ発展途上で、特に旅行者がたまる店はなかったように記憶しています。
大理で会った日本人旅行者は特に印象的でした。
当時は昆明から12時間ガタガタ道を行くようだったので「それでも来るような人だからおもしろい」と、そんな旅行者の一人がいってました。
後半は成都、西安、上海です。
こちらも大した写真はないのですが、今はもう見られないだろうなーというものが結構あります。道路番をするおばあちゃんとかね。
そのあとはまたしつこく1986年春の西双版納旅行などがあります。
徐々に整理していきたいと思います。
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