2010/10/10 - 2010/10/10
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熱帯魚さん
今日は台湾では「双十節」、国慶節です。
1911年10月10日に起きた武昌起義の成功をきっかけに、
1912年中華民国が成立します。
台湾では民国という年号を使うことが多いのですが、
武昌起義の起きた年を民国1年と考えており、
来年は民国100年にあたります。
上海で過ごす休日、以前から興味のあった復興島に、
蒋介石が上海最後の夜を過ごした場所がある、
とネットで見て、興味があったので行ってきました。
蒋介石は上海を離れた後、中国各地を経由し、
台湾へ向かったのでした…
復興島もそのあとに歩いた黄浦江沿いの楊浦区も
開発から取り残された場所、といった雰囲気漂う場所で
あまり女性のひとり歩きには向かないような感じでしたが
ある意味、手つかずの弄堂が残る場所でそれはそれで
興味深かったです。
★★ 復興島について ★★★
復興島はもともとは黄浦江の浅瀬。しかしながら、このあたりは河幅が広く水流が分散した上に、干潮と満潮の水流の方向が異なることから、浅瀬がどんどん大きくなっていった。そして1906年には今の島の基礎ができあがったという。その後1926年から土砂などが投入され、現在のような人工の島となった。
1927年1月、上海市浚浦局が国民政府から島を買い上げ開発、年末には定海橋を建設し、陸と島間の往来が出来るようになった。
1937年日中戦争が始まると、復興島は日本軍に占領され、軍用機械倉庫となり、部外者立ち入り禁止となる。
1945年戦争が終わると、1947年7月に再び浚浦局に戻されるまで、国民党海軍司令部駐上海事務所と警衛営営部が復興島に置かれた。
1949年4月26日、蒋介石が浙江省の象山港から軍艦に乗って上海入り。しかし上海が人民解放軍に包囲されると、5月7日蒋介石はこの島を離れる。
新中国成立後、復興島は燃料、石油、倉庫、工場などが密集するようになった。1951年2月、上海市は浚浦局の海外職員用クラブだった場所を整備し、その跡地に復興公園を作っている。
現在の復興島は古い工場、古い倉庫などが面積の大半を占めている。
(以上、中国語の資料を参考に作成)
★★ 10月10日のお散歩記 ★★
復興島へ!蒋介石が上海最後の夜を過ごした「白廬」を訪ねる
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10509105/
北外灘ぶらり散歩〜高層ビルと弄堂の対比が面白い「長治路」
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10509674/
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
本当は家のすぐ近くからバスでここまで来られるようでしたが、バスが待てど暮らせど来ないので、結局地下鉄を乗り継いでここまで来ました。
地下鉄だと、8号線の黄興路駅で下車。1号口から出ると、目の前が控江路。控江路を東に歩いていきます。道端で野菜を売っていたり、鳥を売っていたりして、かなりローカル。 -
楊浦公園を過ぎて、隆昌路との交差点にきたら、道を渡らずに左に曲がります。
するとバス停があるので、復興島行きの577路バスに乗ります。(2元) -
バスは隆昌路を抜け、定海橋を渡り、復興島を進んでいきました。
橋を渡ったところにあったボード…復興島「軍」民…
あまり変な写真は撮らないように気をつけようとこのとき思ったのでした。 -
さてバスに乗ってから15分ほどで復興島公園に到着。復興島公園のバス停から歩いてすぐのところに入り口があります。ちゃんとサインが出ているので、よく道に迷う私も迷いようがなかったです…笑
-
…とここで、復興島って一体ドコ?と思われる方もいらっしゃると思うので、地図を。手書きで失礼します…
復興島は、こんな感じに浦東と浦西(楊浦区)の間にある島です。公園は島のちょうど中央あたりに位置しています。 -
復興島公園の入り口。
とてもシンプルな作り… -
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公園内に「白廬」があるはずなのですが、入り口にあるはずの公園案内図が取り外されていて、公園のどこに位置しているのかわかりませんでした。
とりあえず公園を散歩して、探してみることに。 -
園内にはお花も結構咲いていました。
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結構カラフル★
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全然人が居ませんが、公園は綺麗に整備されていました。
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ベンチも新しそうですし…座ろうかな?と思ったのですが、蚊が沢山いて、たっているだけでかなり刺されてしまったので、ベンチに座るのはやめました。
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お!白い建物発見!もしかしてこれかな〜?でも説明書きがないからわかりません…
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建物周りはこんな感じに白い枠(柵?)で囲まれていて、あまり近づくことが出来ません。
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1階建てのこじんまりしたおうちです。
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やっぱりこれかな〜?うーん???
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やじるしを見ると…ん?
右が白廬、左が出口。
ということは、 -
こっちが出口で、
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もう一度さっきの白い建物のところに戻っていったら、脇に入り口があって白廬とちゃんと書いてありました!
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隙間から…
やっぱりこれが白廬だったんですね…フムフム。
ここが蒋介石が上海最後の夜をすごしたという…もし蒋介石が台湾まで到着しなかったらどうなっていたのかな、なんて考えてみちゃったりします。 -
園内は本当に人がいなくて静かです。
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最近は家から出ると、きんもくせいのいい香りがします。公園内にもきんもくせいの花が咲いていました。
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ミツバチ発見。
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この小道を抜けると
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蓮池がありました。
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蓮池のそばには和風の涼亭が。先客がいました。
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公園内には以前、和風建築があり、日本統治時代にはそこに犠牲者の遺骨が一時安置されていたそうです。しかしその建物はもうありません。
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復興島公園の出口から出て、来た方向と逆方向に歩いていきました。すると、ツタに覆われた建物が。
これまた古そうな建物でした。さあ、今度はバスで来た道(共青路)を歩いて戻ります。 -
軍事施設が多いようだったので、あまり写真を撮っていません。
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建物はツタに覆われているものが多く、ホテルもありましたが営業していませんでした。
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船で浦東から来られるようです。地図で調べてみたら、浦東側は金橋路渡口でした。金橋は、浦東では別荘などが集まるエリアで、素敵なレストランやバーなどがあります。そこに戻っていっても良かったのですが、まだまだ見たいものがあったので、このまま歩き続けます。
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楊樹浦路までたどり着いたら、今度は楊樹浦路を西へ歩いていきます。この地点からはまだ見えませんが、楊浦大橋のある方向にどんどん歩いていきました。
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優秀建築のプレートがあったのでそれを写そうとしたら、なぜか「不行!(ダメ)」と言われました。上海市が建てたプレートなのになぜ…???
○ 楊樹浦発電工場
所在地:楊樹浦路2800号
1913年、イギリス人商人の投資で建てられた。初期の装機容量は10400千Wであったが、1924年までに12.1万千Wに達し、遠東地区最大の火力発電工場となった。
1929年、イギリス租界工部局が企業全体をアメリカ国際電気債権有限公司に売却、発電所は上海電力局の管轄下に置かれた。1949年までに工場全体の装機容量は、上海の76.46%、中国全体の10.73%にも達した。
楊樹浦発電工場は現在でも華東電力システムの主力発電所のひとつ。 -
右側はこういう建物がずーっと続いていました。左(黄浦江沿い)は工場が多かったです。
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またまた保護建築を発見。
○ 楊樹浦路ガス工場事務所&高級幹部住宅
所在地:楊樹浦路2524号
上海では1864年にガスの使用がスタート。西蔵路橋に大英自来火房が設立する。大英自来火房は1901年、上海煤気公司に改名、1934年に楊樹浦路に新しくガス工場を設立した。 -
その隣の建物も古そうでしたが、近づけなかったのが残念。多分、こちらが高級幹部住宅の方かな?
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道には靴が山積みされていました。これ、どうやら売り物らしいです。
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この建物も古そうです。以前は何に使われていたのでしょうか。
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楊浦大橋の近くまで来ました。そろそろバスに乗ることに。
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楊浦大橋の手前に見える、建物が気になります。古そうな建物です。今度時間があるときに何の建物か調べてみようと思います。
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次の目的地、長治路行きのバスを発見!ラッキーでした。
次の旅行記に続きます。
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