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**********************<br />2010/07/05月 ヴイリニュス(リトアニアの首都)観光&午後:トゥラカイ城ツアー<br />**********************<br />・国立博物館前広場からカテドゥロス(大聖堂)広場を散策<br />・大聖堂見学<br />・ゲディミナスの塔と丘の上の城博物館見学<br />・ピリエス通り散策&琥珀ジュエリー・ショッピング<br />・聖ヨハネ教会(入れず)<br />・聖ミカエル教会(入れず)<br />・聖アンナ教会(入れず)&ベルナルディン教会見学<br />・Amber Gallery Museumでショッピング&地下のミュージーアム見学<br />午後:トゥラカイ城ツアー参加<br />・トゥラカイ城と城内博物館見学<br />・レストランKibinieで名物のキビナイを食べる<br />ヴィリニュスに戻り<br />・市庁舎広場から聖カジミエル教会(入れず)、夜明けの門通りを散策<br />・聖三位一体教会(中は改装中で何もなかった)<br />【ヴィリュニス泊:ホテル・パノラマ(Panorama)】<br />**********************<br /><br />○○と○○○は高いところが好き!<br />私はこれに「観光客」を当てはめてもよいと思います@<br /><br />ヴィリニュス旧市街を見下ろす眺望ポイントはいくつかあり、どれか1つは行こうと思っていました。<br />大聖堂は見学したいので、その付属の鐘楼から旧市街を見下ろすつもりでしたが、大聖堂を見学し終えてもまだ9時半すぎ。<br />鐘楼が開く10時まで待てなかったので、近くのゲディミナスの丘に行くことにしました。<br /><br />「‘09〜’10年版 地球の歩き方」によると、大聖堂の裏にあるという徒歩で上る道は工事中らしいです。<br />実際、国立博物館前広場から大聖堂まで歩くときに工事中のエリアがありました。<br />なので、リフトで上ることにしました。<br />もともと上りは乗り物でラクしようと思っていたし、リフトに乗ること自体、観光になりますから。<br />ところが、「歩き方」をよく読んでみると、リフト乗り場は国立博物館の隣の考古学博物館の中庭とあるではないですか。<br />来た道を戻ることになりました。<br /><br />リフトの運賃は3.00リトアニア・リタスでした。<br />(旅行前に調べた2010年6月30日現在の換算レート:1.00リトアニア・リタス(Lt)=31.32円)<br /><br />ゲディミナスの丘を上って、まずは眺望を眺めながらあたりをぶらぶらしました。<br />といっても、ゲディミナスの丘の上で歩き回れるところはそう広くありません。<br />城壁の塔と眺望以外は、これといって見どころはありません。<br />城跡のようなものはあったのですが、保護のためにトタン屋根があり、現地のティーンエージャーたちが何人かたむろしていたので、ただの壊れた建物跡かと思ってスルーしてしまいました。<br />もっとも、私は説明がないと考古学的廃墟の見方が分からないので、気づいていたとしてもほとんどスルーすることになったと思います。<br /><br />せっかくゲディミナスの丘に上ったので、かつての城壁の塔を利用した城博物館を見学することにしました。<br />こちらも10時開館でしたので20分くらい待ちましたが、10分、さらにあたりをもう一度ふらふらし、それから残り10分はそれまで撮った写真のメモを旅日記に書き付けていたら、20分くらいすぐにたってしまいました。<br /><br />丘の上の城博物館の入場料は5.00リトアニア・リタスでした。<br /><br />眺望は、やはりゲディミナスの丘に上ったからには、城博物館の中からアクセスできる塔の頂上の展望台から眺めるべきでしょう。ずっと見晴らしが良いです。開館時間まで待った甲斐はありました。<br />また、城博物館の中の展示では、かつての城の模型、それからバルト3国のソ連からの独立のきっかけとなった「人間の鎖」の写真がありました。<br />1989年8月23日、リトアニアの首都ヴィリニュスからラトヴィアの首都リガ、そしてエストニアの首都タリンまで600キロ以上の距離を、人と人が手をつなぐ「人間の鎖」で結んだ、という、この独立と平和へデモンストレーションのことは、恥ずかしながら、今回バルト旅行に行くことに決めたほんの3ヶ月前からのにわか勉強で初めて知りました。<br />しかも、それは文字情報だけの、あくまで旅行を彩る机上の知識の一つにすぎなかったのですが、写真は机上の知識にはないインパクトがありました。<br /><br />独立と平和への希求は誰しも同じでしょうが、人は頭の中でいろんなことをめまぐるしく考えているので、その思いが同じ瞬間に一つになることはめったにないはずです。<br />でも、手と手をつないだその瞬間は、200万人以上の人々の心がまさに一つになったことでしょう。<br />そして隣人の手のぬくもりを通じて、何百キロも先の遥か彼方の人のぬくもりも感じられたことでしょう。すばらしいです。<br />同じようなデモンストレーションを、独立を達成したバルト3国も協力しつつも別の道を歩み始めた今、もう一度実現することはとてもむずかしかろうと思います。<br />虐げられ、共通の敵がいるからこそ心が一つになるという哀しい皮肉は、何もバルト3国だけに限りません。<br /><br />ゲディミナスの丘を歩いて上ってくる人がいたので、帰りはリフトでなく徒歩で下りることにしたら、大聖堂の裏に出ました。<br />「歩き方」に工事中とあった徒歩の整備はとっくに終わっていたようです。<br /><br />つづく。<br /><br />2010年バルト3国旅行の旅程一覧はこちら。<br />簡易版「2010年バルト3国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10481279/<br />詳細版「2010年バルト3国旅行の詳細旅程(写真付き)」<br />http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/07/2010-ccbf.html<br /><br />「ゲディミナス城<br /> ある日トゥラカイ城から狩に出かけたゲディミナス大公は、ふたつの川に挟まれた丘の近くに野営を張った。その夜、彼は不思議な夢を見た。それは丘の上に立ち、大きく吠える鉄の鎧を着けたオオカミの夢だった。祭司のリジェイカはその夢を神の信託と判断し、喜んだ大公はその丘に城を築くことにした……。人々の間で語り継がれてきたヴィリニュス創設の伝説である。<br /> 13世紀から建設が始まったゲディミナス城は、まず初めに丘の上の城が築かれ、その後16世紀頃までに下の城もほぼ完成した。大聖堂や、現在博物館に使われている武器庫などもこの頃の城を構成していた建築だ。城の大部分は19世紀初めにロシアによって破壊されたが、現在大聖堂裏手にあった王宮の再建が進められている。<br /> 丘の上でリトアニアの国旗を掲げているゲディミナス塔は、かつての城壁の塔。現在は博物館と展望台になっており、ヴィリニュスの歴史とパノラマが同時に楽しめる。(後略)」<br />(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)<br />

2010年バルト3国旅行第2日目(2)ヴィリニュス:旧市街散策(2)ゲディミナスの丘

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2010/07/05 - 2010/07/05

570位(同エリア726件中)

2

31

まみ

まみさん

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2010/07/05月 ヴイリニュス(リトアニアの首都)観光&午後:トゥラカイ城ツアー
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・国立博物館前広場からカテドゥロス(大聖堂)広場を散策
・大聖堂見学
・ゲディミナスの塔と丘の上の城博物館見学
・ピリエス通り散策&琥珀ジュエリー・ショッピング
・聖ヨハネ教会(入れず)
・聖ミカエル教会(入れず)
・聖アンナ教会(入れず)&ベルナルディン教会見学
・Amber Gallery Museumでショッピング&地下のミュージーアム見学
午後:トゥラカイ城ツアー参加
・トゥラカイ城と城内博物館見学
・レストランKibinieで名物のキビナイを食べる
ヴィリニュスに戻り
・市庁舎広場から聖カジミエル教会(入れず)、夜明けの門通りを散策
・聖三位一体教会(中は改装中で何もなかった)
【ヴィリュニス泊:ホテル・パノラマ(Panorama)】
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○○と○○○は高いところが好き!
私はこれに「観光客」を当てはめてもよいと思います@

ヴィリニュス旧市街を見下ろす眺望ポイントはいくつかあり、どれか1つは行こうと思っていました。
大聖堂は見学したいので、その付属の鐘楼から旧市街を見下ろすつもりでしたが、大聖堂を見学し終えてもまだ9時半すぎ。
鐘楼が開く10時まで待てなかったので、近くのゲディミナスの丘に行くことにしました。

「‘09〜’10年版 地球の歩き方」によると、大聖堂の裏にあるという徒歩で上る道は工事中らしいです。
実際、国立博物館前広場から大聖堂まで歩くときに工事中のエリアがありました。
なので、リフトで上ることにしました。
もともと上りは乗り物でラクしようと思っていたし、リフトに乗ること自体、観光になりますから。
ところが、「歩き方」をよく読んでみると、リフト乗り場は国立博物館の隣の考古学博物館の中庭とあるではないですか。
来た道を戻ることになりました。

リフトの運賃は3.00リトアニア・リタスでした。
(旅行前に調べた2010年6月30日現在の換算レート:1.00リトアニア・リタス(Lt)=31.32円)

ゲディミナスの丘を上って、まずは眺望を眺めながらあたりをぶらぶらしました。
といっても、ゲディミナスの丘の上で歩き回れるところはそう広くありません。
城壁の塔と眺望以外は、これといって見どころはありません。
城跡のようなものはあったのですが、保護のためにトタン屋根があり、現地のティーンエージャーたちが何人かたむろしていたので、ただの壊れた建物跡かと思ってスルーしてしまいました。
もっとも、私は説明がないと考古学的廃墟の見方が分からないので、気づいていたとしてもほとんどスルーすることになったと思います。

せっかくゲディミナスの丘に上ったので、かつての城壁の塔を利用した城博物館を見学することにしました。
こちらも10時開館でしたので20分くらい待ちましたが、10分、さらにあたりをもう一度ふらふらし、それから残り10分はそれまで撮った写真のメモを旅日記に書き付けていたら、20分くらいすぐにたってしまいました。

丘の上の城博物館の入場料は5.00リトアニア・リタスでした。

眺望は、やはりゲディミナスの丘に上ったからには、城博物館の中からアクセスできる塔の頂上の展望台から眺めるべきでしょう。ずっと見晴らしが良いです。開館時間まで待った甲斐はありました。
また、城博物館の中の展示では、かつての城の模型、それからバルト3国のソ連からの独立のきっかけとなった「人間の鎖」の写真がありました。
1989年8月23日、リトアニアの首都ヴィリニュスからラトヴィアの首都リガ、そしてエストニアの首都タリンまで600キロ以上の距離を、人と人が手をつなぐ「人間の鎖」で結んだ、という、この独立と平和へデモンストレーションのことは、恥ずかしながら、今回バルト旅行に行くことに決めたほんの3ヶ月前からのにわか勉強で初めて知りました。
しかも、それは文字情報だけの、あくまで旅行を彩る机上の知識の一つにすぎなかったのですが、写真は机上の知識にはないインパクトがありました。

独立と平和への希求は誰しも同じでしょうが、人は頭の中でいろんなことをめまぐるしく考えているので、その思いが同じ瞬間に一つになることはめったにないはずです。
でも、手と手をつないだその瞬間は、200万人以上の人々の心がまさに一つになったことでしょう。
そして隣人の手のぬくもりを通じて、何百キロも先の遥か彼方の人のぬくもりも感じられたことでしょう。すばらしいです。
同じようなデモンストレーションを、独立を達成したバルト3国も協力しつつも別の道を歩み始めた今、もう一度実現することはとてもむずかしかろうと思います。
虐げられ、共通の敵がいるからこそ心が一つになるという哀しい皮肉は、何もバルト3国だけに限りません。

ゲディミナスの丘を歩いて上ってくる人がいたので、帰りはリフトでなく徒歩で下りることにしたら、大聖堂の裏に出ました。
「歩き方」に工事中とあった徒歩の整備はとっくに終わっていたようです。

つづく。

2010年バルト3国旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2010年バルト3国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10481279/
詳細版「2010年バルト3国旅行の詳細旅程(写真付き)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/07/2010-ccbf.html

「ゲディミナス城
 ある日トゥラカイ城から狩に出かけたゲディミナス大公は、ふたつの川に挟まれた丘の近くに野営を張った。その夜、彼は不思議な夢を見た。それは丘の上に立ち、大きく吠える鉄の鎧を着けたオオカミの夢だった。祭司のリジェイカはその夢を神の信託と判断し、喜んだ大公はその丘に城を築くことにした……。人々の間で語り継がれてきたヴィリニュス創設の伝説である。
 13世紀から建設が始まったゲディミナス城は、まず初めに丘の上の城が築かれ、その後16世紀頃までに下の城もほぼ完成した。大聖堂や、現在博物館に使われている武器庫などもこの頃の城を構成していた建築だ。城の大部分は19世紀初めにロシアによって破壊されたが、現在大聖堂裏手にあった王宮の再建が進められている。
 丘の上でリトアニアの国旗を掲げているゲディミナス塔は、かつての城壁の塔。現在は博物館と展望台になっており、ヴィリニュスの歴史とパノラマが同時に楽しめる。(後略)」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

  • 考古学博物館の中庭から見上げたゲディミナスの塔

    考古学博物館の中庭から見上げたゲディミナスの塔

  • ゲディミナスの丘に行くリフトの駅<br /><br />運賃は3.00リトアニア・リタスでした。<br />

    ゲディミナスの丘に行くリフトの駅

    運賃は3.00リトアニア・リタスでした。

  • リフトの中から目的地の丘の上を見上げて撮影

    リフトの中から目的地の丘の上を見上げて撮影

  • リフトの中から見下ろして撮影

    リフトの中から見下ろして撮影

  • 青空に映えるゲディミナスの塔

    青空に映えるゲディミナスの塔

  • 熱心に撮影中のおじさんと<br /><br />ゲディミナスの塔のヨコ写真も撮ろうと思ったのですが、おじさん、撮影にじっくり時間をかけていてなかなか移動しそうになかったので、いっそおじさんごと撮ってしまうことにしました。<br />黄色いシャツ、青空に映えていいじゃないですか@<br />

    イチオシ

    熱心に撮影中のおじさんと

    ゲディミナスの塔のヨコ写真も撮ろうと思ったのですが、おじさん、撮影にじっくり時間をかけていてなかなか移動しそうになかったので、いっそおじさんごと撮ってしまうことにしました。
    黄色いシャツ、青空に映えていいじゃないですか@

  • ゲディミナスの丘から旧市街を見下ろす・その1<br /><br />ヴィリニュス大学などがある方角だと思いますが、いまひとつ確信がもてません。<br />

    ゲディミナスの丘から旧市街を見下ろす・その1

    ヴィリニュス大学などがある方角だと思いますが、いまひとつ確信がもてません。

  • ゲディミナスの丘から旧市街を見下ろす・その2<br /><br />真ん中の建物はおそらく聖カジミエル教会。<br />左には聖アンナ教会とベルナルディン教会が見えています。聖アンナ教会は正面ファサードが独特ですから分かりやすいです。<br />

    ゲディミナスの丘から旧市街を見下ろす・その2

    真ん中の建物はおそらく聖カジミエル教会。
    左には聖アンナ教会とベルナルディン教会が見えています。聖アンナ教会は正面ファサードが独特ですから分かりやすいです。

  • ゲディミナスの丘から旧市街を見下ろす・その3<br /><br />聖アンナ教会とベルナルディン教会あたりをズーム!<br />彼方のドームは地図からすると聖霊教会あたりでしょうか。<br />

    ゲディミナスの丘から旧市街を見下ろす・その3

    聖アンナ教会とベルナルディン教会あたりをズーム!
    彼方のドームは地図からすると聖霊教会あたりでしょうか。

  • ゲディミナスの丘からネリス川と新市街を見下ろす・その1<br /><br />旧市街を背に向かって左側。<br />国立美術館などがある方面だと思いますが、あるかな〜?<br />

    ゲディミナスの丘からネリス川と新市街を見下ろす・その1

    旧市街を背に向かって左側。
    国立美術館などがある方面だと思いますが、あるかな〜?

  • ゲディミナスの丘からネリス川と新市街を見下ろす・その2<br /><br />旧市街を背に向かって右側。<br />

    ゲディミナスの丘からネリス川と新市街を見下ろす・その2

    旧市街を背に向かって右側。

  • 丘の上の城博物館の入口<br /><br />開館時間の10時まであと20分ほど。<br />せっかくなので待ちましょう。<br />

    丘の上の城博物館の入口

    開館時間の10時まであと20分ほど。
    せっかくなので待ちましょう。

  • かつての城と大聖堂あたりの模型<br /><br />確か2階の展示。<br />ゲディミナスの丘は塔以外なぁんにもないんだなぁと思いましたが、かつてはこうなっていたのですね!<br />大聖堂は往時の面影をいまも残しています。<br />そしてなるほど、手前の市壁のようになっている建物が、現在国立博物館なのですね。これも現在も面影を残しています。<br /><br />「ゲディミナス城<br /> 城の期限は13世紀までさかのぼり、ヴィリニュス大火の後、1419年にヴィータウタス大公によって建築されました。1610年に城は支配階級のための牢獄として使用され、1655年から1661年のロシア占領時代には塔と要塞はほぼ完全に破壊されました。再建は1930年代のはじめにやっと一部のみ行われました。塔の内部には、14世紀と18世紀当時の城の模型のほか、城の歴史に関するさまざまな資料や品々、打たれたへこみのある騎士の鎧が展示されています。最上階までは、そこからの景観だけでも訪れる価値があるので、多くの人にとって魅力的な場所です。(後略)」<br />(「In Your Pocket VILINUS June &#8211;July 2010」より私訳)<br />

    かつての城と大聖堂あたりの模型

    確か2階の展示。
    ゲディミナスの丘は塔以外なぁんにもないんだなぁと思いましたが、かつてはこうなっていたのですね!
    大聖堂は往時の面影をいまも残しています。
    そしてなるほど、手前の市壁のようになっている建物が、現在国立博物館なのですね。これも現在も面影を残しています。

    「ゲディミナス城
     城の期限は13世紀までさかのぼり、ヴィリニュス大火の後、1419年にヴィータウタス大公によって建築されました。1610年に城は支配階級のための牢獄として使用され、1655年から1661年のロシア占領時代には塔と要塞はほぼ完全に破壊されました。再建は1930年代のはじめにやっと一部のみ行われました。塔の内部には、14世紀と18世紀当時の城の模型のほか、城の歴史に関するさまざまな資料や品々、打たれたへこみのある騎士の鎧が展示されています。最上階までは、そこからの景観だけでも訪れる価値があるので、多くの人にとって魅力的な場所です。(後略)」
    (「In Your Pocket VILINUS June –July 2010」より私訳)

  • ヴィリニュス・リガ・タリンの間を結んだ「人間の鎖」の解説<br /><br />確か3階の展示。<br />ビデオも流されていましたが、たぶんあれは、歌と踊りの祭典だったと思います。<br /><br />「人間の鎖」の解説は、ウィキペディアフリー百科事典から引用します。<br /><br />「人間の鎖は別名「バルトの道」といわれ、1989年8月23日当時ソビエト連邦支配下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の独立運動の一環として行われたデモ活動。<br />およそ200万人が参加して手をつなぎ、3カ国を結び、600キロ以上の人間の鎖を形成した。このデモンストレーションは、バルト三国のソ連併合を認めた独ソ不可侵条約秘密議定書締結50周年を期して行われ、3国が共通の歴史的運命を共有していることを、国際社会に訴えるために行われた。<br /><背景><br /> 旧ソ連ではゴルバチョフ政権のもとでペレストロイカ、グラスノスチが進められ、街頭デモが急増し、市民の支持も集めていた。<br /> 1986年、3国のそれぞれの首都で、一握りの人々が集まり抗議行動を行ったが、直ちに警察により解散させられた。1987年には大規模集会が3国の首都で行われたが、当局者に非難され、逮捕者が出て終わった。<br />一年後、大規模抗議行動が初めて当局の認可を得て、平和裏に行われた。<br /> この「人間の鎖」の一週間前にはソ連政府も秘密議定書の存在を認めたが、バルト3国が自主的にソビエト連邦に加盟したという点については譲らなかった。<br /> 集会の数日前、リトアニアの独立運動組織サユディスの委員会の170人のメンバーが、「ソビエト連邦の政治的、文化的、行政的支配を受けない」独立のリトアニア国家をめざすことを議決した。<br /><抗議><br />「人間の鎖」は地元の共産党当局によって認可され、鎖が切れないよう、周到に計画された。例えば、各都市や町には担当の場所が割り当てられ、他の交通手段を持たない参加者には無料バスを提供するよう指示された。参加者は、現地時間午後7時から15分間手をつないだ。この集会を調整するため、特別のラジオ放送も行われた。<br /> その後、各地で多くの集会や抗議行動が行われるようになった。ヴィリニュスでは大聖堂前で数千人が、ろうそくを持って国歌をはじめとする民族の歌を歌った。他の場所では神父がミサを行い、教会の鐘を鳴らした。エストニアとラトビアの国民戦線は2国の国境で集会を開き、巨大な黒い十字架に火がともされ、象徴的な葬儀が営まれた。 抗議行動はまったく平和裏に行われたが、参加者は報復や制裁がなされることを恐れた。実際、ドイツ民主共和国のエーリッヒ・ホーネッカー国家評議会議長や、ルーマニア社会主義共和国のニコラエ・チャウシェスク大統領はデモの鎮圧のためにソビエト連邦軍の出動を要請していた。<br /> 人間の鎖にどれだけの人が参加したかは報道によって異なる。翌日のロイター通信によれば、エストニア人70万人、ラトビア人50万人、リトアニア人100万人が参加したと報じている。」<br />(ウィキペディアフリー百科事典より引用)<br />

    ヴィリニュス・リガ・タリンの間を結んだ「人間の鎖」の解説

    確か3階の展示。
    ビデオも流されていましたが、たぶんあれは、歌と踊りの祭典だったと思います。

    「人間の鎖」の解説は、ウィキペディアフリー百科事典から引用します。

    「人間の鎖は別名「バルトの道」といわれ、1989年8月23日当時ソビエト連邦支配下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の独立運動の一環として行われたデモ活動。
    およそ200万人が参加して手をつなぎ、3カ国を結び、600キロ以上の人間の鎖を形成した。このデモンストレーションは、バルト三国のソ連併合を認めた独ソ不可侵条約秘密議定書締結50周年を期して行われ、3国が共通の歴史的運命を共有していることを、国際社会に訴えるために行われた。
    <背景>
     旧ソ連ではゴルバチョフ政権のもとでペレストロイカ、グラスノスチが進められ、街頭デモが急増し、市民の支持も集めていた。
     1986年、3国のそれぞれの首都で、一握りの人々が集まり抗議行動を行ったが、直ちに警察により解散させられた。1987年には大規模集会が3国の首都で行われたが、当局者に非難され、逮捕者が出て終わった。
    一年後、大規模抗議行動が初めて当局の認可を得て、平和裏に行われた。
     この「人間の鎖」の一週間前にはソ連政府も秘密議定書の存在を認めたが、バルト3国が自主的にソビエト連邦に加盟したという点については譲らなかった。
     集会の数日前、リトアニアの独立運動組織サユディスの委員会の170人のメンバーが、「ソビエト連邦の政治的、文化的、行政的支配を受けない」独立のリトアニア国家をめざすことを議決した。
    <抗議>
    「人間の鎖」は地元の共産党当局によって認可され、鎖が切れないよう、周到に計画された。例えば、各都市や町には担当の場所が割り当てられ、他の交通手段を持たない参加者には無料バスを提供するよう指示された。参加者は、現地時間午後7時から15分間手をつないだ。この集会を調整するため、特別のラジオ放送も行われた。
     その後、各地で多くの集会や抗議行動が行われるようになった。ヴィリニュスでは大聖堂前で数千人が、ろうそくを持って国歌をはじめとする民族の歌を歌った。他の場所では神父がミサを行い、教会の鐘を鳴らした。エストニアとラトビアの国民戦線は2国の国境で集会を開き、巨大な黒い十字架に火がともされ、象徴的な葬儀が営まれた。 抗議行動はまったく平和裏に行われたが、参加者は報復や制裁がなされることを恐れた。実際、ドイツ民主共和国のエーリッヒ・ホーネッカー国家評議会議長や、ルーマニア社会主義共和国のニコラエ・チャウシェスク大統領はデモの鎮圧のためにソビエト連邦軍の出動を要請していた。
     人間の鎖にどれだけの人が参加したかは報道によって異なる。翌日のロイター通信によれば、エストニア人70万人、ラトビア人50万人、リトアニア人100万人が参加したと報じている。」
    (ウィキペディアフリー百科事典より引用)

  • 人間の鎖の写真・その1<br /><br />翌日、国立博物館でもらったリーフレットからの写真です。<br />同じ写真が丘の上博物館に展示されていて、写真の写真を撮ったのですが、パネルのガラスの映り込みのせいで上手く撮れなかったので。<br />やはり視覚に訴えるものは大きいです。<br />

    人間の鎖の写真・その1

    翌日、国立博物館でもらったリーフレットからの写真です。
    同じ写真が丘の上博物館に展示されていて、写真の写真を撮ったのですが、パネルのガラスの映り込みのせいで上手く撮れなかったので。
    やはり視覚に訴えるものは大きいです。

  • 人間の鎖の写真・その2<br /><br />民族衣装を着ている人たちもいます。<br />買い物帰りと思われるおばさんがふつうに歩いている姿があるのが面白いです。<br />このおばさんは参加しなかったのでしょうか。<br />

    人間の鎖の写真・その2

    民族衣装を着ている人たちもいます。
    買い物帰りと思われるおばさんがふつうに歩いている姿があるのが面白いです。
    このおばさんは参加しなかったのでしょうか。

  • 人間の鎖の写真・その3<br /><br />ゲディミナスの塔の前です。<br />

    人間の鎖の写真・その3

    ゲディミナスの塔の前です。

  • 屋上に行きます!

    屋上に行きます!

  • ゲディミナスの塔から旧市街を見下ろす・その1<br /><br />開館時間を待って城博物館に入ってよかったです@<br />目の前の白い建物は大聖堂だと思います。<br />ゲディミナスの塔のすぐ下。<br />

    ゲディミナスの塔から旧市街を見下ろす・その1

    開館時間を待って城博物館に入ってよかったです@
    目の前の白い建物は大聖堂だと思います。
    ゲディミナスの塔のすぐ下。

  • ゲディミナスの塔からネリス川沿いを見下ろす<br /><br />手前のオレンジの屋根は、昔は城壁の一部で、現在国立博物館です。<br />

    ゲディミナスの塔からネリス川沿いを見下ろす

    手前のオレンジの屋根は、昔は城壁の一部で、現在国立博物館です。

  • ゲディミナスの塔から遥かテレビ塔を見渡す<br /><br />残念ながら今回はテレビ塔の方まで行けませんでした。<br />これに限らず、今回のバルト3国旅行では、ソ連からの独立までの悲痛な過去の歴史に触れるチャンスはあまりありませんでした。<br />限られた日程の中で、それ以外の楽しみを優先させてしまったせいです。<br /><br />「テレビ塔<br /> 町の中心から約5km、カロリニシュケス(Karoliniskes)という地域にある約326.47mのテレビ塔。165mのところに展望台とカフェがあり、ヴィリニュスのパノラマを楽しめる。<br /> 1991年の「血の日曜日」事件の際に最も多く犠牲者を出したのがこの場所だった。塔の入口近くには彼らを追悼した十字架が並び、あるものは犠牲者全員の写真が埋め込まれ、またあるものには追悼と懺悔の言葉が書き記されている。唯一の女性の犠牲者となった当時24歳のLoreta Asanavicuteは、装甲車を停めようとして自らを盾にした。<br /> 1階はこの事件の展示室があり、当時の雰囲気がいかに切迫していたものだったか、感じることができる。」<br />(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)<br />

    ゲディミナスの塔から遥かテレビ塔を見渡す

    残念ながら今回はテレビ塔の方まで行けませんでした。
    これに限らず、今回のバルト3国旅行では、ソ連からの独立までの悲痛な過去の歴史に触れるチャンスはあまりありませんでした。
    限られた日程の中で、それ以外の楽しみを優先させてしまったせいです。

    「テレビ塔
     町の中心から約5km、カロリニシュケス(Karoliniskes)という地域にある約326.47mのテレビ塔。165mのところに展望台とカフェがあり、ヴィリニュスのパノラマを楽しめる。
     1991年の「血の日曜日」事件の際に最も多く犠牲者を出したのがこの場所だった。塔の入口近くには彼らを追悼した十字架が並び、あるものは犠牲者全員の写真が埋め込まれ、またあるものには追悼と懺悔の言葉が書き記されている。唯一の女性の犠牲者となった当時24歳のLoreta Asanavicuteは、装甲車を停めようとして自らを盾にした。
     1階はこの事件の展示室があり、当時の雰囲気がいかに切迫していたものだったか、感じることができる。」
    (「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

  • ゲディミナスの塔からネリス川沿いのオリンピエチュウ通りの建物を見下ろす<br /><br />競技場でしょうか。<br />

    ゲディミナスの塔からネリス川沿いのオリンピエチュウ通りの建物を見下ろす

    競技場でしょうか。

  • ゲディミナスの塔から3つの十字架の丘を見渡す<br /><br />行く予定はないのでここからこうやって見るだけ〜。<br /><br />「3つの十字架の丘<br /> 伝説によると、この丘の上で7人のフランシスコ派の僧侶が殺され、そのうち3人がここで磔にされたという。彼らを記念して17世紀ぐらいから十字架が建てられていたらしい。後に3つの十字架が建てられたが、ソ連占領の初期に破壊された。独立運動の高まりと共に再建され、1989年6月14日(スターリンによる流刑が始まった記念日)に除幕式が行われて、再び市街を見下ろす丘にその姿を現した。<br /> 丘の上からは、旧市街のパノラマを一望することができる。」<br />(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)<br />

    ゲディミナスの塔から3つの十字架の丘を見渡す

    行く予定はないのでここからこうやって見るだけ〜。

    「3つの十字架の丘
     伝説によると、この丘の上で7人のフランシスコ派の僧侶が殺され、そのうち3人がここで磔にされたという。彼らを記念して17世紀ぐらいから十字架が建てられていたらしい。後に3つの十字架が建てられたが、ソ連占領の初期に破壊された。独立運動の高まりと共に再建され、1989年6月14日(スターリンによる流刑が始まった記念日)に除幕式が行われて、再び市街を見下ろす丘にその姿を現した。
     丘の上からは、旧市街のパノラマを一望することができる。」
    (「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

  • ゲディミナスの塔から旧市街を見下ろす・その2<br /><br />オレンジ屋根の旧市街。ドイツやチェコを思い出します。<br />

    イチオシ

    ゲディミナスの塔から旧市街を見下ろす・その2

    オレンジ屋根の旧市街。ドイツやチェコを思い出します。

  • ゲディミナスの塔から下りていくリフトを見下ろす<br /><br />リフト……。<br />まさにエレベーターの箱そのものが上り下りしていました@<br />

    ゲディミナスの塔から下りていくリフトを見下ろす

    リフト……。
    まさにエレベーターの箱そのものが上り下りしていました@

  • ゲディミナスの塔と観光案内情報板<br /><br />「上の城<br /> この城は、ゲディミナス城としても知られており、ヴィリニュスのシンボルとされています。14世紀初頭に建築され、初期の木造のものは建て替えられ、十字軍による攻撃も持ちこたえました。15世紀初頭に建て直され、強化され、下の城にそって強固な防御施設も増築されました。最終的には城はその重要性を失いました。1655年のモスクワとの戦いによって損傷した後、建て直されることはありませんでした。第二次世界大戦後、最も保存状態の良かった塔は復元され、現在は博物館となっています。見学者はその展望台からすばらしいパノラマを眺めることができます。塔の東には大公の宮殿の遺跡があります。」<br />(看板の英語版の説明の私訳)<br />

    イチオシ

    ゲディミナスの塔と観光案内情報板

    「上の城
     この城は、ゲディミナス城としても知られており、ヴィリニュスのシンボルとされています。14世紀初頭に建築され、初期の木造のものは建て替えられ、十字軍による攻撃も持ちこたえました。15世紀初頭に建て直され、強化され、下の城にそって強固な防御施設も増築されました。最終的には城はその重要性を失いました。1655年のモスクワとの戦いによって損傷した後、建て直されることはありませんでした。第二次世界大戦後、最も保存状態の良かった塔は復元され、現在は博物館となっています。見学者はその展望台からすばらしいパノラマを眺めることができます。塔の東には大公の宮殿の遺跡があります。」
    (看板の英語版の説明の私訳)

  • ゲディミナスの丘を徒歩で下りる途中<br /><br />塔の上から眺めていてこの石畳の道に気づきました。<br />なので今度は徒歩で下りてみることにしました。<br />丘をヘビのようにくねくねと曲がりながら下る道で、リフトが見えたところでシャッターを切りました。<br />

    ゲディミナスの丘を徒歩で下りる途中

    塔の上から眺めていてこの石畳の道に気づきました。
    なので今度は徒歩で下りてみることにしました。
    丘をヘビのようにくねくねと曲がりながら下る道で、リフトが見えたところでシャッターを切りました。

  • ゲディミナスの丘を徒歩で下りる石畳の道はなかなかの急勾配

    ゲディミナスの丘を徒歩で下りる石畳の道はなかなかの急勾配

  • ますます急勾配に@<br /><br />上りはリフトにして正解!?<br />

    ますます急勾配に@

    上りはリフトにして正解!?

  • 発掘跡と建物

    発掘跡と建物

  • 発掘跡の脇の階段<br /><br /><ゲディミナスの丘にちなんで、ゲディミナスについて><br /><br />原翔さんの「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(彩流社)によると、ゲディミナスはリトアニアの小冊子で「リトアニアを東欧で最強の国にした。武力だけでなく外交面でも長けていて、ロシアの広大な地を剣でなく子供たちによってリトアニアに結びつけた。国の繁栄のために商人、職人、農民を誘致した」とうたわれている人物だそうです。<br />リトアニアの支配者となったのは兄ヴィーターニスが1315年に亡くなってから。<br />「ロシアの広大な地を剣でなく子供たちによってリトアニアに結びつけた」というあたりでは、婚姻政策で大帝国の礎を築いたハプスブルク家のマクシミリアン1世を連想させます。<br />以下は原翔さんの「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(彩流社)からかいつまんだ内容です。<br />ゲディミナスの時代にはまだキリスト教化していなかったリトアニアは、十字軍の攻撃を受けていますが、ゲディミナスが優勢だったようです。<br />ゲディミナスがキリスト教への改宗を教皇に申し出ると、リトアニアを攻撃する大義名分がなくなってしまうチュートン騎士団(ポーランドのマルボルク城を拠点に騎士団国家を築いたドイツ騎士団のこと)が反対するなど、バルト3国の中世史をひもとくと、日本で習う西欧やキリスト教から見た歴史と全く反対の側面がうかがえます。<br />ゲディミナスはドイツ(プロイセン)やポーランドと対立しつつ、子供たちの婚姻を通じてモスクワ公国との結びつきを強めます。<br />当時のモスクワ公国はキプチャク・ハン国としのぎを削っていた時代ですが、ゲディミナスは婚姻を通じて子供たちをトゥベーリ公国、モスクワ公国、ウラジーミル公国、ノブゴロド公国の公やその妃として送り込んでいます。その際には子供たちにはロシア正教に改宗させています。<br />そうやってローマ教皇とコンスタンティノープルの総主教との間で自国の安定を図ったわけです。<br />そして、現在ロシアからウクライナやベラルーシ、ポーランドにわたる広大な領土(ポロツク公国、ミンスク公国、ヴィテプスク公国、ピンスク・トゥーロフ公国、ヴォルイニ・ガリーチ公国の北半分)まで領土を拡大しました。<br />これらの諸公国はロシア語圏でありロシア正教会の勢力圏だったため、リトアニアの歴史はこれ以降、ロシアと一体化していくことになります。<br />ゲディミナス自身はキリスト教化に反対する側近に毒殺されました。<br /><br />「2010年バルト3国旅行第2日目(3)ヴィリニュス:旧市街散策(3)ピリエス通り〜ベルナルディン教会」へとつづく。<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10502263<br />

    発掘跡の脇の階段

    <ゲディミナスの丘にちなんで、ゲディミナスについて>

    原翔さんの「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(彩流社)によると、ゲディミナスはリトアニアの小冊子で「リトアニアを東欧で最強の国にした。武力だけでなく外交面でも長けていて、ロシアの広大な地を剣でなく子供たちによってリトアニアに結びつけた。国の繁栄のために商人、職人、農民を誘致した」とうたわれている人物だそうです。
    リトアニアの支配者となったのは兄ヴィーターニスが1315年に亡くなってから。
    「ロシアの広大な地を剣でなく子供たちによってリトアニアに結びつけた」というあたりでは、婚姻政策で大帝国の礎を築いたハプスブルク家のマクシミリアン1世を連想させます。
    以下は原翔さんの「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(彩流社)からかいつまんだ内容です。
    ゲディミナスの時代にはまだキリスト教化していなかったリトアニアは、十字軍の攻撃を受けていますが、ゲディミナスが優勢だったようです。
    ゲディミナスがキリスト教への改宗を教皇に申し出ると、リトアニアを攻撃する大義名分がなくなってしまうチュートン騎士団(ポーランドのマルボルク城を拠点に騎士団国家を築いたドイツ騎士団のこと)が反対するなど、バルト3国の中世史をひもとくと、日本で習う西欧やキリスト教から見た歴史と全く反対の側面がうかがえます。
    ゲディミナスはドイツ(プロイセン)やポーランドと対立しつつ、子供たちの婚姻を通じてモスクワ公国との結びつきを強めます。
    当時のモスクワ公国はキプチャク・ハン国としのぎを削っていた時代ですが、ゲディミナスは婚姻を通じて子供たちをトゥベーリ公国、モスクワ公国、ウラジーミル公国、ノブゴロド公国の公やその妃として送り込んでいます。その際には子供たちにはロシア正教に改宗させています。
    そうやってローマ教皇とコンスタンティノープルの総主教との間で自国の安定を図ったわけです。
    そして、現在ロシアからウクライナやベラルーシ、ポーランドにわたる広大な領土(ポロツク公国、ミンスク公国、ヴィテプスク公国、ピンスク・トゥーロフ公国、ヴォルイニ・ガリーチ公国の北半分)まで領土を拡大しました。
    これらの諸公国はロシア語圏でありロシア正教会の勢力圏だったため、リトアニアの歴史はこれ以降、ロシアと一体化していくことになります。
    ゲディミナス自身はキリスト教化に反対する側近に毒殺されました。

    「2010年バルト3国旅行第2日目(3)ヴィリニュス:旧市街散策(3)ピリエス通り〜ベルナルディン教会」へとつづく。
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10502263

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この旅行記へのコメント (2)

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  • sunnyさん 2010/11/16 17:24:55
    リトアニアー
    まみさん

    こんにちはー。渡航前、じっくりお邪魔しようと思ってたのですが、気がつくと数時間後にリトアニア入り。
    ウィーン空港より、最後の下調べ中です。

    先月ベラルーシビザだけ取って安心しきってました。

    ゲディミナスの塔からの眺め、すばらしいですね。
    天気予報によると、曇なんです。それに冬ですし、こんな景色は期待できそうにないです。

    とりあえず、トラカイでキビナイ食べて、ヴィリニュスで旧市街散策&ピアノリサイタル聞いて。。

    現地最高気温7度、寒くて乗り気がしなかったのですが、こちらの写真をみて気分盛げてきますw

    sunny

    まみ

    まみさん からの返信 2010/11/17 01:50:12
    RE: リトアニアー
    sunnyさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

    真夏のリトアニア旅行記、まだ進んでなくて失礼!
    日本も寒くて、なんだかあの暑かった夏がうそのようです。
    バルト三国は冬が厳しいんですよね。
    幸いヴイリニュスでは一日目は天気に恵まれましたが、二日目はどんより曇りなんですよー。雨にも降られました。
    まあ、夏なんで、雨が降っても曇っても暑かったでけすけど。
    ウジュピス地区も散策したんですが、私はこの地区の面白さが分かりませんでした。もしよかったらsunnyさんはいかが?
    寒さにめげずに観光を楽しんできてくださいね@

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