2010/07/05 - 2010/07/05
70位(同エリア83件中)
まみさん
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2010/07/05月 ヴイリニュス(リトアニアの首都)観光&午後:トゥラカイ城ツアー
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・国立博物館前広場からカテドゥロス(大聖堂)広場を散策
・大聖堂見学
・ゲディミナスの塔と丘の上の城博物館見学
・ピリエス通り散策&琥珀ジュエリー・ショッピング
・聖ヨハネ教会(入れず)
・聖ミカエル教会(入れず)
・聖アンナ教会(入れず)&ベルナルディン教会見学
・Amber Gallery Museumでショッピング&地下のミュージーアム見学
午後:トゥラカイ城ツアー参加
・トゥラカイ城と城内博物館見学
・レストランKibinieで名物のキビナイを食べる
ヴィリニュスに戻り
・市庁舎広場から聖カジミエル教会(入れず)、夜明けの門通りを散策
・聖三位一体教会(中は改装中で何もなかった)
【ヴィリュニス泊:ホテル・パノラマ(Panorama)】
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ネットで探そうと思えば案外見つかるバルト3国旅行記を読んでみると、ヴィリニュスを訪れた人は、たいていエクスカーションでトゥラカイに出かけています。
そしてトゥラカイ城を、水上の城、おとぎの国の城のよう、とみんな褒め称えています。
でも、数年前に旅行したという職場の先輩は……。
「外側はましだけど、あんまりきれいなお城じゃないよ。なんにもなくてつまらなかった」
チュートン騎士団(ドイツ騎士団)の侵略の防御のために造られたという、中世の城トゥラカイ。
一度はソ連時代に完全に破壊されたけれど、20世紀になってから復元され、中は城にまつわる歴史博物館です。
褒め称えた人の言い分も先輩の言い分も、そういう両極端な感想が出るわけも、どれもなんとなく想像がつきました。
トゥラカイ城はチュートン騎士団の時代のお城なので、そのチュートン騎士団の本拠地であったポーランドのマルボルク城のような要塞城でしょう。
バロックやロココのきらきらしい宮殿ではありません。
城内の博物館も、きっと英語併記は少ないでしょう。
もっとも私は、城にまつわる歴史どころか、リトアニアの歴史にも詳しくないので、たとえ英語説明がたくさんあったとしても、読んで展示の意味を理解するのは困難でしょう。
展示された品々が語る歴史の1パーセントも理解できないに違いありません。
だから、ホテルで現地ツアーのパンフレットを見つけたときには飛びつきました。
なんといってもツアーなら、現地ガイドの詳しい説明が期待できます。
それに、自分で行くとしたら、バスターミナルから城まで相当歩くから、トゥラカイ行きだけで丸1日かかってしまうでしょう。
ツアーなら、専用バスで楽々アクセスできるから、効率よく半日で回れてしまいます。
ツアー人数は10数名ほどでした。
団体としては多すぎなくてちょうど良いです。
そして現地ガイドの女の子はとてもよく説明をしてくれて、勉強熱心な、理想のツアーガイドでした。
行きのバスではトゥラカイに限らずヴィリニュスやリトアニア全般について、知ってる限りのこと、私たちが興味もてそうなことをたくさん話してくれました。
帰りのバスでは、グループの人から話を聞いて自分の知識を増やしたり、英語圏の人から単語を確認したりしていました。
添乗員付きの団体ツアーなら、行く先々でそういうガイドが手配されるのは当たり前となっているでしょう。
あるいはガイドが多少言葉足らずであれば、添乗員が補足したりして、グループのテンションが下がり過ぎないように気を配るに違いありません。
でも、一人旅で、時々現地ツアーを利用する場合は、やはりガイドに当たり外れがあります。
プロフェッショナル意識の高いガイドにあたる方が多いとはいえ、英語が話せる学生アルバイトか、他に職をもっている人の副業では? と疑いたくなるようなガイドに当たってしまうことがないわけでもありません。
外国人観光客をよく理解しているガイドであるか、あるいは「なんでそんな当たり前のことを聞くんだ?」というような反応をしがちなガイドであるかどうかでも、ツアー全体の印象がガラッと変わります。
また、一人旅だと、見るのも全て、自分の中の乏しい知識から判断材料を引っ張りだして、脳内で黙々と情報処理する日々の積み重ねです。
自分の推測や想像が、当たらずとも遠からずなのか、あるいは全く見当違いか、誰も答えてくれません。
そんな中、たまにチャンスのある現地ガイドの豊富な情報の洪水は、とても新鮮で刺激的です。
おかげで、ヴィリニュス1日目の午後のトゥラカイ城エクスカーションは、とても効率が良く、有意義で、大変満足できました。
トゥラカイ城は、外観はもとより中庭も、中世の衣装の人たちが闊歩するのが目に浮かぶ、私の中世ヨーロッパの城のステレオタイプぴったりのヴィジュアルでした。
晴天のマジックもあるでしょう。
それから、おそらく先輩が旅行したときよりももっと復元が進んでいてさらに整備されていた可能性もあります。
また、トゥラカイはヴィリニュスの人々にとって、とても手軽な日帰りお出かけ先なので、7月の週末ともなれば混雑は免れないのですが、おそらく午後から出かけたので、その混雑も少しは緩和されていたのではないかと思います。
そんなわけでツアーはエッセンスをぎゅっと味わえますが、代わりに残念なのは、景色を楽しみながら絵になるシーンを自分で見つける素朴な(?)散策の時間がとりにくいこと。
それから、ハイライト以外の小さな見どころは割愛されてしまうこと。
短いフリータイムでは、トゥラカイ名物のキビナイを食べに行くのでせいいっぱいでした。
ほんとはもう少し、少数民族カライテ人の町としてのトゥラカイも味わいたかったです。
カライテ人の博物館も教会もバスで通り過ぎるだけ。
もっとも月曜日でしたので、博物館はお休みでした。
トゥラカイで食べたキビナイの写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/19837559/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/19837560/
キビナイ・レストランの写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/19837557/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/19837558/
関連の旅行記
「2010年バルト3国旅行ハイライトその6:食事とレストラン編<リトアニア>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10485243/
トゥラカイ城ツアーで撮った写真は2つの旅行記に分けました。
ヨーロッパ中世の映画の舞台になりそうな城の中庭の写真はこの前編、博物館の展示の写真は後編です。
この旅行記では、さらにおとぎの城のような水上の城のたたずまいと、道路沿いに窓が必ず3つあるというカライテ人の特徴的な家の写真を収めました。
2010年バルト3国旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2010年バルト3国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10481279/
詳細版「2010年バルト3国旅行の詳細旅程(写真付き)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/07/2010-ccbf.html
「ヴィリニュスに移る以前にリトアニアの首都が置かれていたトゥラカイは、赤レンガの古城が水面に映える美しい観光地。30以上の湖と森に囲まれ、自然公園として景観も保護されている。ヴィリニュスからの距離は約30km、アクセスの便もいいので、ぜひ足を延ばしてみたいところだ。
観光の中心となるのは、ふたつの湖に挟まれ、半島のように南北に延びるトゥラカイの最も古い地域。バスターミナルからはわかりやすい1本道、ヴィタウトVitauto通りとカライムKaraimu通りが延びている。この通り沿いにインフォメーションや教会、カライメの博物館や礼拝所(キエネサ)などが続き、右手に湖が見えはじめたところに湖上の島に築かれたトゥラカイ城(Traku Salos Pils)がある。(後略)」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)
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イチオシ
ツアーバスを下りて目の前に飛び込んできた、トトリシュキュウ湖
トゥラカイ城に背を向けている状態です。 -
イチオシ
ルコス湖とトゥラカイ城
美しい水上の城の写真がゲットできました。
これで悔いはない!? -
ボート遊びをする人々もたくさんの夏のトゥラカイと水際に並ぶおみやげ屋さん
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半島の城址
古い城跡があるだけのあちらは見学せずにスルーしました。 -
観光客を待ち構えていたストリート(?)・ミュージシャンたち
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ヴィータウタス大公の記念柱
木彫りです。
1994年はなんの年かしら。 -
きさほどまで歩いていた対岸
ずらっと並んだおみやげ屋さんでは立ち止まって覗きたくなりましたが、ツアーだと残念ながらそういうわけにはいきませんでした。 -
葦が生い茂る湖とボート
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道端のベリー売り
ガイドさんがあとでこっそりと、高い、と言っていました(苦笑)。
おそらく森で摘んできたもののはずなので、自分で摘めば安上がりですし、こういうところだから観光客向け値段なのでしょう。
ツアーメンバーの中で買う人はいませんでしたが、帰りに通りかかったときには、品物は減っていました。売れたのかな。 -
道端で、釣った魚も売っていた@
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城へ通じる木橋を渡る
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イチオシ
城と遊覧船
水面の映り込みも意識して撮っています。
だってこんなに天気がよくて、水面はとってもきれいな水鏡になっていたんですもの。 -
城のそばに停泊していたヨットと
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城の案内図
右上が城で、この内部の博物館をツアーガイドと一緒に見学しました。
左の長屋風のところは、城とは直接関係ない博物館エリアになっていて、ここはフリータイムに見学しました。
それら博物館で撮った写真は次の旅行記にて。
「2010年バルト3国旅行第2日目(5)トゥラカイ:中世映画のロケ地になりそうな中庭と城内博物館」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10507894 -
かつて衛兵や家臣たちが住んでいた棟
現在は城とは直接関係のない、昔の家具や陶器などのコレクションの展示室となっていました。
なかなか興味深かったです。 -
中庭から城へ向かう
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ポーランドのマルボルク城やトルンの城塞跡を思い出させる要塞城
関連の旅行記
「2005年夏のプラハ・ポーランド旅行20日間 その12 トルン」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10032323/
「2005年夏のプラハ・ポーランド旅行20日間 その14 マルボルク城とオリーバ」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10032507/ -
こちらの内部の展示はフリータイムに見学
ガイドさんはあまり重視していませんでしたが、私は気に入りました。
フリータイムは1時間しかなかったし、名物キビナイを食べに行きたかったので、あまりゆっくり回れませんでしたけど。 -
堂々たる城と処刑台
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かつて水があった堀を渡る途中
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城の塔と湖
お城は、オーソドックスな正面からの写真だけでなく、あちこちが絵になります。 -
イチオシ
城に暗雲たちこめる!?
城内博物館の見学を終えたあとに撮った写真です。
天気は幸い、少し曇っただけで、大きく崩れることはありませんでした。
夏のバルト3国は雨が降りやすいと覚悟していたのですが、約2週間半の行程を振り返ると、雨はほとんど降らず、雨のせいで観光や移動に支障が出たことはほとんどなかったといえます。ラッキーでした。 -
木立と湖と城
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湖とボートと城
フリータイム中にキビナイ・レストランに向かう途中。
キビナイ・レストランは少し離れたところにあるので、短いフリータイムに往復して、食べている時間があるか心配でした。
ツアーは便利だけど、慌しいのが欠点です。 -
通り沿いの3つの窓があるカライテ人の家
黄色だけでなく色とりどりな家があって、おかげで町全体がとてもカラフルで可愛かったです。
ツアーガイドいわく、3つの窓は、1つは神のため、1つは祖先が仕えたヴィータウタス大公のため、そしてもう1つは友人たちのためのものだそうです。
それから分かるとおり、カライテ人は混血は嫌ったものの、とても友好的な民族なのだそうです。
「(前略)またトゥラカイは、少数民族のカライメ(カライテとも呼ばれる)の故郷としても知られている。彼らは15世紀初めにヴィタウタス大公によってクリミアから傭兵として連れてこられたトルコ語系の人々で、ここトゥラカイを中心に200人ほどが民族性を守りながら暮らしている。通りに面して3つの窓が並ぶ彼らの伝統的住居が、今もいくつも見られる。(後略)」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より) -
キビナイ・レストランかと思ったら違った……(苦笑)
外にキビニュと書いてあるので、キビナイ・レストランかと思ったんです。
レストランではあったようです。
この建物も通り沿いに窓が3つあるので、カライテ人の家といえるでしょう。 -
湖沿いの家々
全体の雰囲気から、地元住民の家というより、別荘か、あるいは夏の間貸し出しているようなところではないかと思いました。 -
リトアニアの郵便ポストは黄色@
キビナイ・レストランで無事にキビナイを試食してきた帰りです。 -
これもきっとカライテ人の家
「カライ派は異端とされるユダヤ教徒である。500年にバビロニアでタルムードが刊行されて、ユダヤ人の律法と守るべき習慣についての百科事典的な手引きができたとき、カライ派はこのタルムードを認めず、モーセの五書である創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の聖書だけで行動が律せられるとしたユダヤ人である。
カライ派ユダヤ人は厳格で禁欲主義的なユダヤ教を求め、裕福な階級のユダヤ人たちから信奉されて広まった。当初はかなりの勢力をもち、タルムード派と正統争いを展開したが、争いに敗れて異端視されるようになった。聖書のヘブライ語版は10世紀にできているが、これはカライ派が旧くからヘブライ語の文法や聖書の写本の研究をしてきたからだと考えられている。カライとは「読む」ということで、聖書を読む人を意味している。なお、カライは単数で複数ではカライムとなる。(後略)」
(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用) -
緑の家もある@
「(前略)ここに住む人たちは8世紀末にメソポタミアからハザール帝国に伝道で渡った人たちの末裔といわれている。カライムの多くは8世紀から10世紀にかけてイェルサレムに移動し、イェルサレムからは1500年頃までにビザンティンに渡り、ビザンティンからクリミアへと流れている。彼らはその後、クリミア・ハンの支配下に入ってトルコ系社会に吸収されていく。彼らがリトアニアの地にやってきたのはかなり早く、ヴィータウタスが1398年にキプチャク遠征をしたときタタール人とともに捕虜として連れてこられたのだという。このときカライムはタタールの一員として400家族くらいがクリミアや北コーカサスから連行されてきていた。彼らはタタール人と同様に優れた兵力として防衛の任にあたり、チュートン騎士団との戦いに備えて城壁を築かされたりし、14世紀末にはリトアニアの国境沿いの城に配備されて警備の役目を担ったりする。こうして、彼らはグロドノ、スモレンスク、キエフなどリトアニア大公国の諸都市に住むようになる。その後もカライムの移住者は増え、その流れのなかで彼らはヴィリニュスやトゥラカイにも住むようになった。(後略)」
(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用) -
可愛いギフトショップ
うーん、これは通り沿いに窓が2つ?
ということはカライテ人の家ではなさそうです。
「(前略)カジミェシュ・ヤギェロンチクは1441年にカライムにマグデブルク都市法にしたがって都市住民としての権利をあたえたので、彼らはかなりの自由を享受でき、農業、製粉、手工業を生業とし、必要に応じて軍務につくという生活をした。1495年にリトアニアでユダヤ人追放令がでたとき、カライムはクリミアに避難し1503年には戻ってくるが、その後はユダヤ人から切り離されて別の集団として扱われるようになる。歴代の大公も彼らに特権をあたえて優遇した。カライムは16世紀や17世紀のリトアニア・ポーランドのクリミア・タタールやオスマン・トルコとの戦いでも大きな戦力となった。だが、そのために死傷者も多く人口は急激に減少していった。(中略)17世紀末のリトアニアでの人口は1000人だったという。(後略)」
(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用) -
ツアーバスの車窓から撮った、これもきっとカライテ人の家
それともこの家は通り沿いに窓が3つというより5つと勘定するべきかしら。
「(前略)ポーランド分割の1679年以降もカライムは通常のユダヤ人に課せられた制約からは免除されたので、定住地から他の地域への移動が可能だった。1897年の第一回全ロシアの国勢調査によるとポーランド地区を含めての全ロシア領内には1万2894人のカライム人が住んでいる。しかし、クリミアには1943年まで1万人がいたというから、大半はロシアそのものに住んでいたことになる。彼らのほぼ全員はナチスによって虐殺され、現在ではバフチサライに700人がいるだけだという。
現在、全世界でのカライム人口は1万人たらずで、イスラエルに7000人、ロシアに数千人、カリフォルニアに1500人、ポーランドに100人、イスタンブールに100人、そしてリトアニアではヴィリニュスに140人、ここトゥラカイがたったの65人である。1922年頃のトゥラカイには知識層や官吏が多く住んだことからカライム共同体の中心地がここになったのだそうだ。彼らは他の民族との混交をきらう傾向があったので、人口は減少してしまった。このトゥラカイの人たちは小島の城と陸地をつなぐ橋の警備をしていた人たちの末裔だという。」
(「バルト三国歴史紀行 リトアニア」(原翔・著/彩流社)より引用) -
車窓から撮ったバスターミナル
バスターミナルから城までかなり距離があります。
ガイドブックの地図で見る限り、1.5kmくらいかな。 -
車窓から撮ったバスターミナル
「2010年バルト3国旅行第2日目(5)トゥラカイ:中世映画のロケ地になりそうな中庭と城内博物館」へとつづく。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10507894
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この旅行記へのコメント (2)
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- huberさん 2019/05/31 18:35:39
- 大変ごぶさたしております。
- 1年ぐらい前に、まみさんのブログを見てからいってみたいなあと思っていたルーマニア旅行、8ヶ月前に行ってきました。見所が多い素晴らしい旅行でした。しばらく私事多忙、まみに連絡できずにいましたが、またいつか行ってみないなあと写真を見ては思いを膨らませています。今年は8月にはバルト3国へ行く予定です。ツアー旅程ではTrakai城は外観を見るだけの写真ストップのみ。そのため、まみさんのブログで該当記事を拝見しました。その代わり、BauskaのRundale城見学が組み込まれています。こらから少しずつ、まみさんの感想を拝見していけば、こちらの地域への思いも膨らんでいくと思います。まみさんもモスクワ、ベラルーシへ旅がよい旅行になるようしっかり旅の計画を練ってくださいね。
- まみさん からの返信 2019/06/04 12:45:16
- RE: 大変ごぶさたしております。
- huberさん、こんにちは。お久しぶりです。コメントありがとうございます!
ルーマニアについに行かれたんですね!
現地ガイドと車に頼りましたが、郊外や田舎がすばらしいところでした。
もちろん同時に、過疎化や現代化といった住人にとってすばらしいだけではない話も聞いたものでした。
バルト3国はサイクリングが楽しかったところとしての思い出も強いです。
Turai城のことも久しぶりに思い出しました!
ベラルーシはリトアニアやポーランド統治下だった歴史があるのですが、オーストリア・ロシア・プロイセンによるポーランド解体のときに、ロシア領土に組み込まれて、以来、ずっとロシアの一部の被支配層としての歴史が長いようです。ざっくり言ってしまうと。
地理的にも地続きですが、そのためとてもロシアっぽいみたいです。
バルト3国もベラルーシも、行こうと思う前はほとんど知らない国でした。
旅行をきっかけに知るようになるのは、楽しいですね!
huberさんの旅行もステキなものになりますように。
私も、ココログの方で準備編の記事を準備中でしたが。。。いやなかなか〜。
でもまたぜひ見に来てください。
> 1年ぐらい前に、まみさんのブログを見てからいってみたいなあと思っていたルーマニア旅行、8ヶ月前に行ってきました。見所が多い素晴らしい旅行でした。しばらく私事多忙、まみに連絡できずにいましたが、またいつか行ってみないなあと写真を見ては思いを膨らませています。今年は8月にはバルト3国へ行く予定です。ツアー旅程ではTrakai城は外観を見るだけの写真ストップのみ。そのため、まみさんのブログで該当記事を拝見しました。その代わり、BauskaのRundale城見学が組み込まれています。こらから少しずつ、まみさんの感想を拝見していけば、こちらの地域への思いも膨らんでいくと思います。まみさんもモスクワ、ベラルーシへ旅がよい旅行になるようしっかり旅の計画を練ってくださいね。
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