2010/08/24 - 2010/08/26
551位(同エリア845件中)
sugaさん
8/21〜30(実際は31日に帰国)にバルト三国とデンマーク・コペンハーゲンに行ってきました。職場の人や今回の旅の途中に出会った人達からから、あえてなぜバルト三国を訪れたの?。あらためて問われるとはっきりした目的はないことに気づかされた。あえて言えば、昨夏訪れたポーランドのように旧社会主義の国々はどのようなところなのか興味があったとしかいえない。また、今回どこへ行くの?と聞かれたのでバルト三国と答えてもよほど地理的または歴史的知識がないと知らない人が多かった。今回は、タイ国際航空でバンコク乗り継ぎコペンハーゲンへ向かい、そこからスカンジナビア航空でリトアニア・ヴィリニュスからバルト三国へ入っていった。そのため行きは28時間を要した。約1週間で三国を周遊しなければならなかったので、ほとんどガイドブックに記載されていた所を訪れるだけになってしまいました。今年の日本の夏は記録的な猛暑続きですが、一足早く秋のような、時には初冬のような気候を体感してきました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- スカンジナビア航空 タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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8月25日、ダウカヴァ川沿いの1月11日通りを北に進み、世界遺産として登録されている「リーガ歴史地区」の中心部にあるラトヴィア・ルーテル教会のリーガ大聖堂(写真)を訪れた。入場料2ラッツ。1211年、アルベルト司教によってダウガヴァ川の近くに建築され、その後、いくどとなく増改築が行われた。その結果、建築様式は、ロマネスク建築、バロック建築などの建築様式が混在するようになった。現在の大聖堂の建築物は18世紀後半のものである。バルト3国における中世の大聖堂の中では最大規模のものだそうだ。
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大聖堂内部。墓碑銘や司祭やギルドの墓石などが数多く展示されていた。
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大聖堂内の見所のひとつとして、パイプオルガンがある。このパイプオルガンは6718本のパイプ,124本のストップを持つもので、1882年から1883年にかけて製作され、1884年1月31日に設置された。最も長いパイプは10mにも及び、パイプオルガンは建造当時、世界最大級のものだったそうだ。残念ながら、行ったときは修復中だったが、時間によっては生の演奏が聴かれるそうだ。
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次の見所として、聖堂北側側面にあるリーガの歴史を映した4枚のステンドグラス。写真は、「ステンドグラスの寄付者と聖母マリア」を描いたもの。
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これは、「アルベルト僧正による大聖堂の創設」を描いたもの。
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これは、「1525年、リーガ市長に信仰の自由の宣告書を渡すリヴォニア騎士団長プレッテンベルグ」を描いたもの。
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これは、「1621年、スウェーデン王クスタフ?アドルフを迎える大聖堂前のセレモニー」を描いたもの。ガイドブックによると、見所のひとつとして祭壇の右壁に、1709年の大洪水の際に達した水位がしるしてあるとあったが、何度探してもわからなかった。
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大聖堂南側には、以前の修道院の回廊(写真)があり、大砲や大聖堂を飾っていた装飾品等が展示されていた。
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大聖堂前に広がるドゥァマ広場。観光シーズンが終わったのか、まだ時間が早かったのか、閑散としていた。
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ドゥァマ広場からズィルグ通り方面を撮影したもの。写真左端の建物は、壁から突き出たようになっていて興味深い。
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ドゥァマ広場からビルス通りを北西に歩くと、左側に赤煉瓦でできた英国教会(写真)が見られる。この教会は、1857年に英国商人によって建てられ、リーガがソ連に占領されていた時代はディスコとして使われていたそうだ。
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さらに進むと、同じく左側に聖母受難教会(写真)に出る。
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聖母受難教会と通りを挟んであるのがリーガ城(写真)
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リーガ城からマザーピルス通り(写真)を進んだ。
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写真は、一般住宅としてはリーガでは最も古い三人兄弟の建物。右側から長男、次男、三男の順に並んでおり、土地問題の関係で年代順に小さくなっている反面、窓税の関係で窓が有効に使われている。
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マザーピルス通りをさらに進み、イェーカバ通りにぶつかったら左に折れると鋭く先が尖った尖塔をを持つ聖ヤコプ教会(写真)を見ることができる。
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聖ヤコブ教会の北隣にラトヴィア国会(写真)があった。
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さらに北隣にアーセナル展示ホール(写真)がある。
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国会前からトゥルァクシュニュ通り(写真)を進んだ。いかにも中世の通りらしく石畳の道で、長い間歩いていると足に負担がかかる。
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50mほど進むと、左側にリーガに唯一残るかっての城門スウェーデン門(写真)がある。この門にも悲しい伝説が残されている。
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スウェーデン門を過ぎてすぐ左側に、以前リーガ旧市街を取り囲んでいた城壁(写真)のうち、現存しているものが見られる。
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城壁に沿って進むとT字路にぶっかった所を右に曲がり、道なりに直進するとスミルシュ通りにぶつかる。それを左折すると火薬塔(写真。現在は軍事博物館)が見られる。外壁には、17〜18世紀にロシア軍よって打ち込まれた砲弾が7つ埋め込まれているそうだ。
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火薬塔からメイスタル通りを歩いていると、左側に黄色い建物が見えてくる。屋根を見上げると2匹の猫が伸びをしている像が見える。いわゆる猫の家(写真)である。
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猫の家の猫の像。
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さらに直進すると大きな広場に出る。リーヴ広場である。ここはかってリーガの街の由来となったリーゼネ川が流れていたところだったそうだ。この広場には、多くのカフェや絵画を売る店が出店しており、そのうちの一軒で旧市街の夕景を描いた水彩画を一枚、自分のお土産として購入した。
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リーヴ広場周辺の建物。ちょうど訪れたとき、広場周辺を多くの警察官が警備しており、人だかりができていた。どうやらどこかの国の偉い人が来ていたようだ。
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旧市街の数多くあるリーガの通りそれぞれに典型的な特徴があるとガイドブックに記載されていたので、通り巡りをすることにした。最初にリーヴ広場から西方向につながっているアマトゥ通り。
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4番地の建物(写真)は、ガイドブックによると昼夜を問わず屋根に座って難しい本に取り組んでいる住人の姿が見えるとあるが、本当かどうかは確認できなかった。
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写真の建物は、ギルドの会館だったそうで、現在はコンサートホールとして使用されているそうだ。
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次にスミルシュ通りを散策した。ここには、ユーゲントシュティールの一風変わった建物が数多く見られる。
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ユーゲンシュティールの建物その①
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ユーゲンシュティールの建物その②。特徴のひとつとして、建物の壁面に写真のように生物の彫刻が装飾されいる。
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ユーゲンシュティールの建物その③。もう少し本格的に見るならば、本来旧市街北東にあるアルベルタ通りやエリザペテス通りを訪れたほうがよいのだが、また歩き過ぎると足を痛めてしまい、この後の日程に影響すると思い無理しないことにした。
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ユーゲンシュティールの建物その④。写真のように、通りを歩いていると何か建物上部からの視線を感じてしまう。
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これで、旧市街の北側半分を散策したので、一度ホテルに戻り休憩することにした。ホテル前に戻ってみると何かの撮影をしており、カメラが動いているときは通行ができず、ホテルに入ることさえできなかった。確かにホテル前の建物に、早朝から多くの人が集まり、何か準備していたのは知っていたがまさか撮影だとは思わなかった。ちなみに写真の緑色のセーターを着ている人が有名な女優かモデルのようです。
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リーガ旧市街散策の後半は、南側半分を廻ることにした。少々雲行きが怪しくなってきたが、明日の午後はタリン(エストニア)への移動になるので、無理してでも行くしかない。アルクスナー通りとヴァッツピルセータス通りを歩いた。
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これらの通りには、写真のようなクレーンを備えた古い倉庫がいくつか残っている。
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ヴァッツビルセータス通り。
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ここにもクレーンを備えた倉庫が見られた。
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ヴァツピルセータス通りからアウデーユ通りを左折して、少し歩くと聖ペテロ教会(写真。入館料0.5ラッツ)と聖ヨハネ教会に出る。
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聖ペテロ教会近くには「ブレーメンの音楽隊」の像(写真)がある。これはリーガの姉妹都市となっているドイツのブレーメンから送られたものだそうだ。
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聖ペテロ教会の塔は、リーガ旧市街で最も背の高い建物で、高さは、約124mある。また72mまでエレベータ(2ラッツ)で登れる展望台があり、リーガを一望できる。入り口入ってすぐ右側にチケット売り場があり、塔にあがる場合、階段で3階まで上がり、そこから10〜15分おきに稼働しているエレベーターで行く。聖ペテロ教会の尖塔は火災などで何度も建て直されているようなのですが、完成時には塔の先端でワインを飲み干し、グラスを地面に投げつけるという儀式が行われるそうです。
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聖ペテロ教会内部。
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塔の上から南西方向の眺め。中央市場が見られる。
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塔の上から北西方向の眺め。大聖堂の尖塔とドゥァマ広場が見られる。
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塔の上から北方向の眺め。火薬塔、大ギルドコンサートホールや猫の家の黄色の建物が見られる。
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塔の上から西方向の眺め。ダウガヴァ川にかかるアクメンス橋が見られる。
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塔の上から眺めた自由祈念碑。
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戦後直後の聖ペテロ教会と聖ヨハネ教会の写真。エレベーターホールに上がる階段の登り口付近で、現在の聖ペテロ教会まで修復されるまでのようすが写真で展示されていた。
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聖ペテロ教会隣にある聖ヨハネ教会(写真)。聖ヨハネ教会が最初に建立されたのが1297年である。その後16世紀に再建され、ゴシック様式の美しい教会となった。階段状のペディメントはリーガで最も秀逸なものとされている。
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教会内部。閉館時間(18時)ぎりぎりだったのであまりゆっくり見学できなかった。
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聖ヨハネ教会の外壁には、写真のような十字架型の穴がある。ガイドブックによれば、「中世には生きた人間を壁に塗り込めば災いから建物を守ることができるという信仰があり、この教会でもふたりの修道士が志願して壁の中に入ることになった。壁には外から穴が開けられていて、通りかかる人から施しを受けられるようにしてあったが、彼らの生命は長くは続かなかった。しかし、当時の法王はこの行為を利己的と非難し、彼らを聖人とは認めなかったため、穴はふさがれ彼らの行いは人々の記憶から消えていった。19世紀半ばの教会修理の際、この話を覚えていた人が壁を叩いて探してみると空間が見つかり、彼らの屍が実際に発見されている。この穴は、後に彼らを記念して造られたものだ。
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また、外壁には写真のように口を開いた顔が見られる。これは、かつてこの裏側に修道士の小部屋があり、ここから外部に聞かせるための説教が行われていたそうだ。
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教会前の路地をを入ると写真のようなヤーニスの中庭に出る。ここは、かつての城壁の一部で、17世紀当時のままの敷石が残っている。
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聖ペテロ教会前の路地を少し東に進むと、市庁舎広場に出る。中世には市場が立ち、祭りや公開の魔女の火炙りの処刑なども行われるまさにリーガの中心地であった。ここには、ブラックヘッドの会館があり、真向かいに市庁舎の建物がある。
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イチオシ
聖ローランドの像とブラックヘッドの会館。15世紀から、1941年にドイツ空軍の爆撃で破壊されるまで、数100年の時間をかけ建築。ブラックヘッド開館の正面にある丸い時計の下には、4大ハンザ都市、すなわちリーガ、ハンブルグ、リューベック、ブレーメンの紋章が浮き彫りにされており、その下にそれぞれギリシャ神話にでてくる神々が置かれている。
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ブラックヘッド会館側から撮影した市庁舎。ヨーロッパでは、市庁舎は広場がある町の中心に高い塔を建て、その下に市役所を設置するのが一般的であったそうだ。
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これで旧市街のほとんどの散策を終えたので、来たときの道(スカールニュ通り)を戻りながら、夕食用の食料を調達のためにスーパーマーケットへ向かった。
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ハンザ同盟の街並みが残る美しいスカールニュ通り。
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ヨーロッパの国々を訪れたとき、レストランで食事をするのは苦手である。行った国々の料理を食することには人一倍興味があり、レストランに入れば最も簡単に体験できるのだが。ヨーロッパに行ったことのある方は、ご存じだと思うが、テーブルがキャンドルの灯りで照らされ、それを囲んで若いカップルやご夫婦が座って食事を楽しんでいる雰囲気の中、一人で食事する気になれない。そのため、どうしてもスーパーで少しでも地元の人達がよく食べているようなものを購入して、ホテルで食べることが多くなってしまう。しかし、時にはへたなレストランで食事するより、安く、おいしいものに巡り会うときもある。その点、アジアの国々では屋台等があちこちにあって一人旅でも食事に困ることはない。写真は、トンカツとトマト、タマネキ等をを一緒に煮て、卵とじにしたようなもの。
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これは、豚肉のミンチを団子状にしたものをギョウザの皮のようなもので包み、油で揚げたもの。もちろんラトヴィア産のビールを何本も飲みながらこれらのものを食したのは言うまでもない。
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