2010/08/26 - 2010/08/28
1024位(同エリア1579件中)
sugaさん
バルト三国駆け足の旅もいよいよ最終訪問国エストニアに入った。北に向かうほど気温が下がってきたように思う。さすがにタリンでは、長袖のシャツとジャケットを着用するほどであり、ひと足早く初冬の気候を体験した。タリンはヘルシンキ(フィンランド)から近くということもあり、これまでの二国とは違い日本人観光客を見かけるようになった。また駆け足になってしまうが、ここでも旧市街の散策と通り巡りをしようと思う。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- スカンジナビア航空 タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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8月26日(木)今日は、12時30分発のユーロバスでタリン(エストニア)に向かうので、朝食後中央市場(写真)へ行くことにした。この建物は、20世紀初頭に建てられ、建材は形からおわかりのようにドイツのツェペリン型飛行船の格納庫を解体したものが使われているそうだ。
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写真のように、中央市場の屋外にも果物、野菜、花を販売する店が出店していた。
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ジャガイモ販売。ジャガイモにもたくさんの種類があることをはじめて知りました。お客さんによっては大きなバケツ1杯購入した人もいました。
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中央市場の屋内。バルト三国滞在中、ほぼ毎日のように食した黒パン。大きく、ずっしり重く、少し酸味がある。食べ慣れていない人は、少し抵抗感があるかもしれないが、その酸味がいろいろな料理の味をひきたてている。
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肉・ハム類、チーズ、衣料品など販売する物の種類によって建物が違っている。
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12時30分リーガコーチステーション発ユーロラインバス(24ユーロ)でタリン(エストニア)へ向かった。ほぼ満席状態であった。
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ラドヴィア・エストニアの国境付近。今回は、特にパスポートチェックもなくスムーズに通過することができた。
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ほぼ定刻の16時30分にタリンコーチステーション(写真)に到着した。市内中心部から南東に1.5kmほど離れており、トラムかバスを利用して中心部へ向かう。トラム乗り場は、写真右横の出口から直進して、一番はじめの大通りにあります。2番又は4番のトラムに乗る。
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バスターミナル内の両替所で、ユーロと残ったリタスをエストニアクローネ(EKK)に両替し、キオスクでトラムの切符(写真)を購入した。料金は、15EEK。次の停留所の車内放送と掲示板があるが、現地語のみなのでわからない。窓外の風景をよく見て、大きなビルの横を過ぎたあたりの停留所で降りれば、そこが旧市街であることにほぼ間違いありません。
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タリン滞在中宿泊したメトロポルホテル(写真)。昨年、ワルシャワに滞在したときも宿泊した。ガイドブックの地図上では、メレ大通り沿いにあるように見えるが、ひとつ裏通りにあるのでわかりずらかった。目安は、メレ大通りを北に進み、左側にカヌティ広場が見えてきたら、右側に短いトンネルのような入り口が見えてくる。そこをくぐると右側にある。2泊で72ユーロ、3つ星です。
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ホテルのロビー。噴水があり、その奥に見えるのが朝食場所になるレストラン。
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ホテルの室内。ツインルーム一人使用。大きな一人用のソファーがあってたいへん便利。
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この日は、いつも通りスーパーマーケット探し、そこで物価とお土産となる物を物色した後、夕食用の惣菜とビールを購入してホテルへ戻った。写真は、鶏肉とにんじん、カリフラワー、豆などの野菜を炒めたような物。鶏肉が硬く、あまりおいしくはなかった。
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イタリア風のサラダ。
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8月27日(金)。室内が禁煙のため、起床してすぐにホテルの入り口でたばこを吸っていたところ、自動車の急ブレーキの音、そして激突した音がしたので交差点方向を見ると信号機に激突していた(写真)。どうやらスピード落とさずに交差点に進入したらしく、曲がりきれなかったようだ。運転していた人はケガもなく、すぐに携帯電話でどこかに連絡していた。しばらくして警察官が来た。一服後、ビュッフェ形式の朝食をしっかり取った後、旧市街散策に出かけた。
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旧市街の北側にあるエストニア号のモニュメントから下町を中心に散策した。このモニュメントは、1994年(平成6年)9月28日スウェーデン船籍フェリー「エストニア号」(21794t)がバルト海で荒天下に転覆、沈没し、死亡した852人の慰霊のためにつくられた。
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ふとっちょマルガレータとスールランナ門。タリンの出入りを守るために1529年につくられた監視塔で、その直径は24m、壁の厚さは4.7mもあるそうだ。ふちっちょのいわれだが、この円筒要塞が監獄として使われていたとき、囚人の食事を作り提供していたおかみさんが、囚人等から尊敬と畏敬の念をもってそう呼ばれていたという。その食事係の女性の名がマルガレータであったことから「ふとっちょマルガレータ」と言われるようになった。
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三人姉妹。15世紀に建てられた住宅の集合体で、上部にクレーンが備え付けられ、屋根裏の倉庫に物品を引き上げられるようになっている。
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聖オレフ教会。高さ124mの尖塔を持ち、旧市街で持つとも高い建物とされている。ノルウェイのオラフ王(聖オラフ;995-1030年)に捧げられたものであり、教会に関する最初の文書による記録は1267年にさかのぼるが、14世紀に大幅に拡張して建て直された。
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教会内部。
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伝説では、この教会を建てたオラフという名の人物は、完成後、塔のてっぺんから墜落して死んだとされている。彼の体が地面に落下したときには、その口から蛇とヒキガエルが這い出してきたと言われ、ピック通りに面した外壁に彼の石像(写真)が横たわっている。
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ライ通りを南に歩くと三人兄弟(写真)の建物が見られる。写真奥正面は、オレフ教会。
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ライ通りは、職人たちの通りで、15世紀の住宅がよく残っている。その中で29番地の住宅(写真)は、昔、唯一樹木を植えるのを許された家で、2本の菩提樹が植えられている。これは、旧市街の下町では樹木を植えるのを禁じられていたが、ロシアのピョートル大帝の命によるものだそうだ。また、この家は15世紀の修道僧の幽霊が出ることでも有名らしい。
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別名幽霊通り。
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この通りのある家で、オランダ商人が妻を殺し、その幽霊が出るそうだ。気のせいかもしれないが、昼間でも何となく薄暗く、寒気を感じる通りだった。
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ヴァイム通りを直進すると、ピック通りにぶつかる。この通りは、かっては賑やかな商人たちの通りで、港から旧市街の中心までつながっている。この通りを南に進んでいくと、26番地にブラックヘッドの会館(写真)が見られる。
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この会館のカラフルなドア(写真)は、17世紀のもので、守護聖人が彫られている。
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さらに進むと、25番地に「のぞき見トムの家」(写真)が見られる。
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トム(写真)は、実在した人物で、いつも隣の娘たちの動向に目を光らせていたそうだ。
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さらに進むと、20番地に聖カンタスのギルドの建物が見られる。写真中央に、ルター牧師と聖カンタスの彫像が外壁に見られる。
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ピック通りとピュハバイム通りの合流するところに大ギルド会館(写真)がある。1410年に建てられ、大ギルドやパーティー、結婚式に使われてきた建物。
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大ギルト会館の扉のライオン・ドアノッカー。1430年に鋳造職人メルテン・セイフェルトによってつくられ、現在でもドアノッカーとして使われている。
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大キルド会館向かいにある精霊教会。
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精霊教会のピック通り沿いの外壁にある大時計。1864年制で、タリンで最初に取り付けられた公衆時計だそうだ。
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教会内部。入場料15EEK。
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桟敷に描かれた新旧聖書の絵画は、「貧者の聖書」と呼ばれ、文字の読めない人々の教化に使われたそうで、57枚あった。
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15世紀ベルント・ノケ作の祭壇は、「精霊の降誕」が彩色された木彫りの彫像で再現されている。
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大ギルド会館前の路地を直進すると急に視界が開け、ラエコヤ広場(写真)に出る。正面に見える高い尖塔を持つ建物が旧市庁舎。ラエコヤ広場は、エストニアがデンマークに占領される前から市民市場として使われていた「広場」である。市場としての広場はリーガの市庁舎前広場同様、各種商品の売買、結婚式の行進、罪人の処刑なども行われていたそうだ。
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ラエコヤ広場周辺の建物(写真)は、15世紀に建てられたものが多い。
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ラコエヤ広場周辺の建物②
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ラコエヤ広場には、写真のようにレストランやカフェのテラスが並び、ちょうど訪れたときは昼食時だったので、各店の店員の呼び込みが活発に行われていた。
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ラコエヤ広場の北側にある市議会薬局の看板。この近くに罪人のさらし台があったそうだがいくら探しても見つからなかった。
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ラコエヤ広場には、写真のような丸い御影石があり、昔の井戸の跡だそうだ。
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方位が描かれた丸い石があり、ここから旧市庁舎、精霊教会、大聖堂、聖ニコラス教会、聖オレフ教会の5つの尖塔が見える。
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ラエコヤ広場からドゥンクリ通りを進んだ。
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ドゥンクリ通りの街並み。
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ドゥンクリ通りとラタスカエヴ通りとの交差点にある通称 猫の井戸(写真)。ガイドブックによると、以前ここには魔物が住み、生け贄としてよく猫を投げ込んだという話があるらしい。
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猫の井戸の前にある建物(写真)で、悪魔が結婚式を挙げたという話が伝えられている。
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ラタスカエヴ通りを南に進むと、リュートゥリ通りにつながる。
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リュートゥリ通りから見た聖ニコラス教会。入場料50EEK。
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教会内部の見所のひとつとしてベルント・ナトケによって15世紀に描かれた「死のダンス」。撮影が許されないところ密かに撮影したもの。皇帝、皇女がいやいやながら死とダンスを繰り広げているようすが描かれている。さすがにタリンに来ると、ヘルシンキ(フィンランド)から近いこともあり、日本人観光客をよく見かけるようになった。
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リュートゥリ通りの街並み。ここは、13世紀初頭、帯剣騎士団によって招かれたドイツ商人の居住区であった。
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リュートゥリ通り16番地は、かつて町の死刑執行人の住居だった。この周辺を散策中、ツアーでバルト三国を旅行中の中年夫婦と出会った。午後からの自由時間を利用して市内散策をしていたようで、城壁の入り口を探し歩いていたので、自分もそこに行くつもりであったので、とりあえずある程度の場所を教えて、後で合流することにした。
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イチオシ
リュートゥリ通り、ラタスカエヴ通りを北に向けて歩いていると、エウロ・ホステル前あたりで先ほどのご夫婦に追いついた。地図を頼りにヌンネ通りを進み、インペリアルホテル前に来たところで、後で考えるとなぜ間違えたかわからないが、右折するところを左側の城壁の階段を上ってしまった。おかげで写真のように美しい旧市街を一望できる展望台へ行くことができたのだが。
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展望台からおりてきて、ようやく城壁の入り口(写真)へたどり着いた。写真左下の入り口で入場料20EEKを支払い、うす暗く、狭い階段を上っていくと城壁の上へ行く。
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城壁の上のようす。
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城壁から撮影した街のようす。苦労して探し歩いて、入場料を支払ってまで訪れる価値があったか疑問である。
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城壁に沿って通るラボラトーリウミ通り。
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ラポラトーリウミ通りとライ通りが交差するあたりにある粉挽き小屋。有事の際に使用されたらしい。
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旧市街北西にある塔の広場からの城壁の眺め。ここからの眺めた城壁が最も美しかったように思う。とりあえずここまでで休憩を取るため、一度ホテルに戻り、その後トームペア地区に行くことにした。
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