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2010年夏、小京都・萩。<br /><br />萩という町は近世以降、大きな火事や空襲もなく、また、江戸時代には長州の中心であったにもかかわらず、明治以降は県庁を山口市に移されたために、開発も急激なものではなく、そのため江戸時代の遺構や建築が数多く残っています。<br /><br />そして、吉田松陰や高杉晋作、伊藤博文など幕末の志士から明治の元勲のゆかりの地も多く、まるで町全体が博物館のようです。<br /><br />宿泊したのは芳和荘という、かつては遊廓であった築100年の旅館。歴史ある町には、歴史ある旅館が一番。<br /><br />2泊3日、萩の夏旅1日目。<br />

萩の夏旅~元遊郭・芳和荘に泊まる 1日目

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2010/08/07 - 2010/08/09

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harihari

harihariさん

2010年夏、小京都・萩。

萩という町は近世以降、大きな火事や空襲もなく、また、江戸時代には長州の中心であったにもかかわらず、明治以降は県庁を山口市に移されたために、開発も急激なものではなく、そのため江戸時代の遺構や建築が数多く残っています。

そして、吉田松陰や高杉晋作、伊藤博文など幕末の志士から明治の元勲のゆかりの地も多く、まるで町全体が博物館のようです。

宿泊したのは芳和荘という、かつては遊廓であった築100年の旅館。歴史ある町には、歴史ある旅館が一番。

2泊3日、萩の夏旅1日目。

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス タクシー 新幹線
旅行の手配内容
個別手配
  • 前日の夜、21時半に難波を出発した高速バスは、朝の6時頃に岩国、そして徳山、防府、山口を通過して9時半に萩に到着。<br />12時間のバス旅は、今回初めて使った空気枕のおかげで快適に睡眠ができました。<br />

    前日の夜、21時半に難波を出発した高速バスは、朝の6時頃に岩国、そして徳山、防府、山口を通過して9時半に萩に到着。
    12時間のバス旅は、今回初めて使った空気枕のおかげで快適に睡眠ができました。

  • 最初に目についたのが萩マンホール。<br />デザインは、武家屋敷通りの土壁と夏みかん。<br />

    最初に目についたのが萩マンホール。
    デザインは、武家屋敷通りの土壁と夏みかん。

  • 15分くらい歩いて、今日泊まる旅館・芳和荘にやってきました。<br />歴史ある萩の町にして、築100年の木造旅館とあっては泊まらずにはいられない。<br />

    15分くらい歩いて、今日泊まる旅館・芳和荘にやってきました。
    歴史ある萩の町にして、築100年の木造旅館とあっては泊まらずにはいられない。

  • この芳和荘は、かつては遊郭として営まれていた建物です。<br />ロの字型に配された回廊が、他では味わえない往年の名残を漂わせていたり…<br />

    この芳和荘は、かつては遊郭として営まれていた建物です。
    ロの字型に配された回廊が、他では味わえない往年の名残を漂わせていたり…

  • 歴史を感じさせる、らせん状の階段。<br />まだ午前中にもかかわらず、芳和荘のご主人には、荷物を置かせてもらうどころか、チェックインまでさせていただきました。<br />とてもスマートで感じのいいご主人です。

    歴史を感じさせる、らせん状の階段。
    まだ午前中にもかかわらず、芳和荘のご主人には、荷物を置かせてもらうどころか、チェックインまでさせていただきました。
    とてもスマートで感じのいいご主人です。

  • 宿で一休みした後、早速レンタサイクルで萩の町に。<br />青空の下の自転車は気持ちがいい。ちょっと暑いけど。<br />

    宿で一休みした後、早速レンタサイクルで萩の町に。
    青空の下の自転車は気持ちがいい。ちょっと暑いけど。

  • 山陰本線の線路を横切って。<br />ローカル線はいいなあ。<br />

    山陰本線の線路を横切って。
    ローカル線はいいなあ。

  • 松下村塾。<br />歴史の教科書には必ず出てくる場所。<br />日本の歴史を知る上で、最も大切な場所の一つ。<br />

    松下村塾。
    歴史の教科書には必ず出てくる場所。
    日本の歴史を知る上で、最も大切な場所の一つ。

  • わずか8畳の狭くて粗末な教室。ですが、確かにこの場所で、高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文や山県有朋など松陰の教えを受けた長州藩の若者たちが、尊王攘夷の理想に燃えていたわけです。

    わずか8畳の狭くて粗末な教室。ですが、確かにこの場所で、高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文や山県有朋など松陰の教えを受けた長州藩の若者たちが、尊王攘夷の理想に燃えていたわけです。

  • その時、松陰は27歳。それからわずか2年あまりで松下村塾はなくなるのですが、松陰の掲げた尊王攘夷の理念は倒幕へと昇華し、やがては明治へと時代を動かす原動力になったことは間違いないこと。

    その時、松陰は27歳。それからわずか2年あまりで松下村塾はなくなるのですが、松陰の掲げた尊王攘夷の理念は倒幕へと昇華し、やがては明治へと時代を動かす原動力になったことは間違いないこと。

  • 松下村塾のすぐ隣にある、松陰の父・杉百合之助旧宅。

    松下村塾のすぐ隣にある、松陰の父・杉百合之助旧宅。

  • 禄のそれほど大きくない家柄のわりには、大きめの武家屋敷です。

    禄のそれほど大きくない家柄のわりには、大きめの武家屋敷です。

  • 黒船に衝撃を受けた松陰は、密航を企てて失敗したのち、罪人として萩に送り返されました。そして屋敷の中の、このわずか3畳半の部屋に幽閉されていたのです。松下村塾ができる2年前のこと。

    黒船に衝撃を受けた松陰は、密航を企てて失敗したのち、罪人として萩に送り返されました。そして屋敷の中の、このわずか3畳半の部屋に幽閉されていたのです。松下村塾ができる2年前のこと。

  • 松陰神社。松陰先生を御祭神として祀っています。<br />松陰の幽閉宅も松下村塾も、今では全部松陰神社の境内になっています。<br />

    松陰神社。松陰先生を御祭神として祀っています。
    松陰の幽閉宅も松下村塾も、今では全部松陰神社の境内になっています。

  • 「明治九年萩の変七烈士殉難之地」<br />何気に歩いているとこのような碑が立っていました。<br />萩の変というと、松陰門下の前原一誠を首領として起きた元士族の明治新政府に対する反乱の一つ。<br /><br />新しい時代の仇花として散っていった彼らも、最後のよりどころは師匠である吉田松陰だったのでしょうか。無性に心を打たれます。<br />

    「明治九年萩の変七烈士殉難之地」
    何気に歩いているとこのような碑が立っていました。
    萩の変というと、松陰門下の前原一誠を首領として起きた元士族の明治新政府に対する反乱の一つ。

    新しい時代の仇花として散っていった彼らも、最後のよりどころは師匠である吉田松陰だったのでしょうか。無性に心を打たれます。

  • 松陰神社から自転車を飛ばして、明倫小学校にやってきました。<br />今日は、明倫小学校の敷地内にある通常非公開の有備館が公開されるのです。<br />

    松陰神社から自転車を飛ばして、明倫小学校にやってきました。
    今日は、明倫小学校の敷地内にある通常非公開の有備館が公開されるのです。

  • 萩藩校明倫館を前身とする明倫小学校本館。昭和10年築。<br />国の登録有形文化財であり、今でも現役の学び舎です。<br />

    萩藩校明倫館を前身とする明倫小学校本館。昭和10年築。
    国の登録有形文化財であり、今でも現役の学び舎です。

  • 今では貴重になった木造校舎が、ここでは何棟も連なっています。<br />子どもたちの喧噪までもが聞こえてくる風景。<br />

    今では貴重になった木造校舎が、ここでは何棟も連なっています。
    子どもたちの喧噪までもが聞こえてくる風景。

  • 有備館。<br /><br />江戸末期の嘉永2年(1849年)に建築。<br />萩藩の他国修行者引請場として旧明倫館内に建てられたもの。<br />

    有備館。

    江戸末期の嘉永2年(1849年)に建築。
    萩藩の他国修行者引請場として旧明倫館内に建てられたもの。

  • 有備館の剣術場。<br /><br />今でも地元の子どもたちの、剣道の試合などで使われたりするとのこと。<br />同じ建物の中に、畳敷きの槍術場もあります。<br />幕末、武市半平太の使いで久坂玄瑞に会いにきた際、龍馬は萩に9日間滞在をしました。その時、この道場で試合や練習をしたと言われています。実際は、久坂玄瑞の取り計らいで、剣術修行者であれば有備館の宿泊施設を無料で使えるという制度を利用して、滞在費を浮かすために、一応体裁として剣術修行的なものもしておいた...といったところだそうで。<br />

    有備館の剣術場。

    今でも地元の子どもたちの、剣道の試合などで使われたりするとのこと。
    同じ建物の中に、畳敷きの槍術場もあります。
    幕末、武市半平太の使いで久坂玄瑞に会いにきた際、龍馬は萩に9日間滞在をしました。その時、この道場で試合や練習をしたと言われています。実際は、久坂玄瑞の取り計らいで、剣術修行者であれば有備館の宿泊施設を無料で使えるという制度を利用して、滞在費を浮かすために、一応体裁として剣術修行的なものもしておいた...といったところだそうで。

  • 有備館の窓から見た小学校舎。<br />校舎の建てられた昭和10年と、ほとんど変わりがないように思えます。<br />

    有備館の窓から見た小学校舎。
    校舎の建てられた昭和10年と、ほとんど変わりがないように思えます。

  • 有備館の屋根瓦には、長州藩毛利家の紋章がみえます。

    有備館の屋根瓦には、長州藩毛利家の紋章がみえます。

  • 明倫小学校を出て、再び自転車を走らせていると、吉田稔麿誕生地を発見。<br /><br />松門四天王の一人で、池田屋事件で討ち死にをした志士。<br />明治の後年、品川弥二郎に「もし稔麿が生きていれば、総理大臣になっただろう」とまで評される人物。<br />しばし、この場所で赤ん坊からすくすく育っていった吉田稔麿を想像。<br />

    明倫小学校を出て、再び自転車を走らせていると、吉田稔麿誕生地を発見。

    松門四天王の一人で、池田屋事件で討ち死にをした志士。
    明治の後年、品川弥二郎に「もし稔麿が生きていれば、総理大臣になっただろう」とまで評される人物。
    しばし、この場所で赤ん坊からすくすく育っていった吉田稔麿を想像。

  • 伊藤博文旧宅に到着。<br />14歳から28歳までを過ごした家です。<br />

    伊藤博文旧宅に到着。
    14歳から28歳までを過ごした家です。

  • 風呂場とトイレが屋外にある下級武士住宅の典型。<br />そのまま保存されているなんて、驚きです。<br />

    風呂場とトイレが屋外にある下級武士住宅の典型。
    そのまま保存されているなんて、驚きです。

  • 伊藤博文旧宅の隣にある、伊藤博文別邸。<br />明治40年に東京に建てられたものを、建物の一部のみここへ移築。<br />

    伊藤博文旧宅の隣にある、伊藤博文別邸。
    明治40年に東京に建てられたものを、建物の一部のみここへ移築。

  • 明治時代の宮大工伊藤万作に作らせたものです。

    明治時代の宮大工伊藤万作に作らせたものです。

  • 数寄屋造りの優れた意匠が散りばめられて、実に素晴らしい。

    数寄屋造りの優れた意匠が散りばめられて、実に素晴らしい。

  • どこにどんな意匠があしらわれているか、それを探すのも、邸宅を観るときの大きな楽しみ。

    どこにどんな意匠があしらわれているか、それを探すのも、邸宅を観るときの大きな楽しみ。

  • 例えばこんな引手とか。

    例えばこんな引手とか。

  • 節のある板ばかりを集めた、離れ座敷の節天井とか。

    節のある板ばかりを集めた、離れ座敷の節天井とか。

  • 隠れている部分も含めると、長さ10mを越える一枚板の鏡天井とか。<br /><br />先ほど見た質素な旧宅と比べると、伊藤博文の立場の変化ぶりが面白い。<br />江戸から明治へ。貧しい下級武士から、日本の最高権力者へ。<br />

    隠れている部分も含めると、長さ10mを越える一枚板の鏡天井とか。

    先ほど見た質素な旧宅と比べると、伊藤博文の立場の変化ぶりが面白い。
    江戸から明治へ。貧しい下級武士から、日本の最高権力者へ。

  • 2階から眺めた景色。<br /><br />遠くに蝉の声が聞こえる中、時折爽やかな風が吹くと、さわさわと稲穂が揺れるのが見えて…<br />萩の長閑な風景。<br />

    2階から眺めた景色。

    遠くに蝉の声が聞こえる中、時折爽やかな風が吹くと、さわさわと稲穂が揺れるのが見えて…
    萩の長閑な風景。

  • 自転車を漕いで、次にやってきたのが小川家長屋門。<br />幕末の3年間、萩の町奉行を勤めた小川家の全長27mにもなる表門。<br />

    自転車を漕いで、次にやってきたのが小川家長屋門。
    幕末の3年間、萩の町奉行を勤めた小川家の全長27mにもなる表門。

  • 観音開きの門をくぐると、その奥は珈琲専門店。<br />「CAFE TIKAL」

    観音開きの門をくぐると、その奥は珈琲専門店。
    「CAFE TIKAL」

  • ハニーコールドというアイスコーヒー。萩でとれた百花糖ハチミツ入り。<br />そしてケーキはいちじくのバターケーキ。<br />店内にはコーヒー豆の香りが漂って、旅先でふと足を止めるには最高の休息。<br />

    ハニーコールドというアイスコーヒー。萩でとれた百花糖ハチミツ入り。
    そしてケーキはいちじくのバターケーキ。
    店内にはコーヒー豆の香りが漂って、旅先でふと足を止めるには最高の休息。

  • 萩の名物。青空と、夏みかん。

    萩の名物。青空と、夏みかん。

  • 常念寺表門。国指定重要文化財。<br />元は京都聚楽第の裏門の移築とも伝えられています。<br />

    常念寺表門。国指定重要文化財。
    元は京都聚楽第の裏門の移築とも伝えられています。

  • 桃山様式を色濃く残す装飾は必見の価値あり。

    桃山様式を色濃く残す装飾は必見の価値あり。

  • 野山獄跡。<br />上牢として身分の高い者を収容する獄舎。<br />密航に失敗した吉田松陰が投獄されていたところ。<br />

    野山獄跡。
    上牢として身分の高い者を収容する獄舎。
    密航に失敗した吉田松陰が投獄されていたところ。

  • 岩倉獄舎。<br />庶民や身分の低い者を収容する獄舎。<br />吉田松陰の従者、金子重輔が投獄され、ここで絶命した場所。<br />

    岩倉獄舎。
    庶民や身分の低い者を収容する獄舎。
    吉田松陰の従者、金子重輔が投獄され、ここで絶命した場所。

  • 国史跡・旧萩藩御船倉。<br /><br />慶長13年(1608年)ごろの建築。<br />藩主の御座船を格納した場所で、江戸時代には川岸と直結していました。<br />江戸時代の船倉で、屋根が今も残っているのは全国でもここだけという貴重なものです。<br /><br />

    国史跡・旧萩藩御船倉。

    慶長13年(1608年)ごろの建築。
    藩主の御座船を格納した場所で、江戸時代には川岸と直結していました。
    江戸時代の船倉で、屋根が今も残っているのは全国でもここだけという貴重なものです。

  • 浜崎重要伝統的建造物群保存地区。<br />江戸時代から明治にかけての建造物も数多く残る、海の近くの町並み。<br />

    浜崎重要伝統的建造物群保存地区。
    江戸時代から明治にかけての建造物も数多く残る、海の近くの町並み。

  • 旧山村家住宅。<br />江戸時代後期に建てられた豪商の家屋。<br />

    旧山村家住宅。
    江戸時代後期に建てられた豪商の家屋。

  • 表屋造りという、江戸時代後期に京都や大坂で見られた様式の町屋建築。<br />山口から九州一体で、この様式が見られるのはこの山村家のみ。<br />

    表屋造りという、江戸時代後期に京都や大坂で見られた様式の町屋建築。
    山口から九州一体で、この様式が見られるのはこの山村家のみ。

  • 連子格子からは黄昏時の通りがよく見えます。

    連子格子からは黄昏時の通りがよく見えます。

  • 浜崎町は、日本海に面しているので廻船による物流や販売などによって賑わいました。<br />明治19年に刊行された「山口県豪商早見便覧」によると、山口県下の豪商43店舗のうち、この浜崎町だけで13店舗も存在していたほど。<br />

    浜崎町は、日本海に面しているので廻船による物流や販売などによって賑わいました。
    明治19年に刊行された「山口県豪商早見便覧」によると、山口県下の豪商43店舗のうち、この浜崎町だけで13店舗も存在していたほど。

  • 旧山中家住宅。

    旧山中家住宅。

  • 住吉神社。<br />海に暮らす浜崎町にとって、住吉神社は昔からの守り神。<br />8月に行われる住吉祭りは、今では浜崎だけでなく萩を代表するお祭りになっています。<br />

    住吉神社。
    海に暮らす浜崎町にとって、住吉神社は昔からの守り神。
    8月に行われる住吉祭りは、今では浜崎だけでなく萩を代表するお祭りになっています。

  • 子どもの頃は、こんな路地が近所にもあったような…<br />そんな記憶が呼び起こされる、懐かしい風景。<br />

    子どもの頃は、こんな路地が近所にもあったような…
    そんな記憶が呼び起こされる、懐かしい風景。

  • 日も傾きかけたので、今日はひとまず宿に帰ろうかと。

    日も傾きかけたので、今日はひとまず宿に帰ろうかと。

  • 芳和荘に戻って。<br />芳和荘は、萩市第6号の景観重要建造物に指定。<br />

    芳和荘に戻って。
    芳和荘は、萩市第6号の景観重要建造物に指定。

  • 欄干に透かし彫りされている平仮名が、夕陽を浴びて影となって回廊に写されて。

    欄干に透かし彫りされている平仮名が、夕陽を浴びて影となって回廊に写されて。

  • 少しの休憩後、海を見に港へ。<br />夕刻の漁港は、ひっそりと日が暮れるのを待つだけで…<br />

    少しの休憩後、海を見に港へ。
    夕刻の漁港は、ひっそりと日が暮れるのを待つだけで…

  • 沈む太陽を背に、一艘の船が沖を目がけて。<br />ディーゼルの音が物悲しくもあり。<br />

    沈む太陽を背に、一艘の船が沖を目がけて。
    ディーゼルの音が物悲しくもあり。

  • 港には魚がつきもの。魚には猫がつきもの。

    港には魚がつきもの。魚には猫がつきもの。

  • 晩ご飯を食べに、田町商店街に。<br />今日はたまたま地元のイベントで、賑やかな飾りつけと子どもたちの喜びそうな露天と。<br /><br />

    晩ご飯を食べに、田町商店街に。
    今日はたまたま地元のイベントで、賑やかな飾りつけと子どもたちの喜びそうな露天と。

  • 今日の晩ご飯はお寿司。<br />「すし喜」。<br />

    今日の晩ご飯はお寿司。
    「すし喜」。

  • まずは地酒を熱燗でいただきながら。

    まずは地酒を熱燗でいただきながら。

  • とり貝。<br />甘くて食感がよくて。大好物の一つ。<br />(写真がボケてるのが残念)<br />

    とり貝。
    甘くて食感がよくて。大好物の一つ。
    (写真がボケてるのが残念)

  • うに。<br />磯の香が広がって、食べた後も尾を引く甘さが日本酒をさらに美味しく感じさせる。<br />

    うに。
    磯の香が広がって、食べた後も尾を引く甘さが日本酒をさらに美味しく感じさせる。

  • アジ。<br />萩の瀬付きアジは今が旬。脂が乗ってとても味わい深い。<br />あと、イカとヒラソ、そしてイカの塩焼きをいただいて。<br />

    アジ。
    萩の瀬付きアジは今が旬。脂が乗ってとても味わい深い。
    あと、イカとヒラソ、そしてイカの塩焼きをいただいて。

  • 夜。<br />宿に帰って、お風呂に入って。<br />広い宿に僕たち二人だけの宿泊。<br />静寂の中、回廊を歩くと、ギシギシと鳴る廊下が木造旅館の雰囲気を醸し出します。<br /><br />さすが100年の歴史を持つ建物と感慨に浸りながら、PM11:00頃就寝。<br />

    夜。
    宿に帰って、お風呂に入って。
    広い宿に僕たち二人だけの宿泊。
    静寂の中、回廊を歩くと、ギシギシと鳴る廊下が木造旅館の雰囲気を醸し出します。

    さすが100年の歴史を持つ建物と感慨に浸りながら、PM11:00頃就寝。

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