2010/06/24 - 2010/07/02
346位(同エリア2526件中)
クッキーさん
ツアーも後半に入りました。
今日は2つの世界遺産を巡ります。午前中はベルリン観光でベルガモン博物館を訪れ、午後には、ポツダムに向かいます。歴史の検証の一日でもあります。
ツアーの一人参加ということで、どんな人達と一緒だろうと心配していたのですが、杞憂に終わりました。みなさん旅慣れているらしく、とてもフレンドリーで、和気あいあいとおしゃべりを楽しみ、なおかつ、程よい距離感を持ち
終始なごやかな旅でした。こういう雰囲気は特に食事のときにありがたいものでした。
また、カップル・ウォッチングも面白かったですよ。友達同士の方が4組、姉妹の方が2組、ご夫婦の方が10組、一人参加が4名というツアーでした。私も、数年後には、おそらくリタイアしているだろう夫と旅行を楽しむつもりでいるのですが、それだけに、ご夫婦カップルの醸し出す雰囲気が興味深く思われました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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かつてのベルリンの壁が一部残されています。
イーストサイドギャラリーといって、各国のアーティストによって描かれています。 -
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この壁の向こうにはシュプレー川が流れており、こちら側が、旧東ベルリンでした。
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誰が見ても「日本」ですが、これを壁に描く意図がわからない。
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この街路の左側のビルが壁博物館になっているそうです。
街路に交差する、左右にのびる道路に壁が築かれていました。手前が旧東ベルリンです。 -
壁の跡を示すプレート。歩道上にありました。
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道路の上のプレート。
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国境検問所チェックポイント・チャーリーの跡。
ベルリンの壁の歴史①。
戦後、ベルリンは、米英仏とソ連による共同統治下にありました。
1948年6月、ソ連は、米英仏による西ベルリンの統治を断念させようと、陸上交通を封鎖する「ベルリン封鎖」を行います。これに対して、西側は大型空輸機を総動員して燃料、食糧、生活物資などの空輸「ベルリン大空輸」を展開します。
ソ連側は執拗な妨害を続けますが、空輸作戦は絶え間なく行われました。
この時、急遽建設されたのがテーゲル空港です。
1949年5月、空輸作戦の成功が明白となり、封鎖の失敗を認めたソ連は封鎖を解除、9月には空輸作戦が終了します。この間の飛行距離は、地球から太陽までの距離に匹敵するくらいでした。
まだ生まれていなかった私にとって、初めて知った歴史です。 -
国境検問所チェックポイント・チャーリーの跡。ここは、西側連合国側の検問所。東西ベルリンを行き来する軍人の管理が主な業務。なお 「チャーリー」とは、アルファベットの「C」を表すコード名で、当然チェックポイントA(アルファ)やB(ブラヴォー)と呼ばれた検問所も存在。
ベルリンの壁の歴史②
その後、冷戦体制の中(ケネディとフルシチョフ)、ソ連は1961年8月13日午前0:00、西ベルリンの周囲全域で鉄条網などによる封鎖を開始。その後徐々に石やコンクリート部材を使った壁を作り、陸上交通を規制します。
資本主義のもと、経済的な発展を遂げ、自由を謳歌する西ベルリンに対し、社会主義的な統治下にあった東ベルリンでは、労働者への締め付けが厳しくなり、また生活水準の格差のゆえに、東から西への人口移動が激しくなります。60年までの間、亡命者の数は、東ドイツの人口の4分の1にあたる250万人に達し、その多くは若年労働者でした。これを阻止しようと、壁の建設を始めたのです。
壁は西ベルリンを取り囲み、総延長は155kmに及びました。
補足; 翌1962年10月15日から キューバ危機。「13デイズ」。
中学でおおざっぱに習った歴史。 -
監視する東ドイツ兵のパネルです。
壁の監視システムには、監視塔や、バリケード、歩哨、軍用犬などさまざまなものがあったそうです。スパイ映画などでよく見ますよね。
ベルリンの壁の歴史③
壁の建設後の西ベルリンの交通事情
鉄道; 西ドイツ本土と西ベルリンの間を通っている。ただし、東ドイツ領内で降りることはできず、ノンストップ。3本の鉄道。
道路; 西ドイツ本土との間のアウトバーンの通行は可能。ただし東ドイツ領内は通過するだけ。3本のアウトバーン。
飛行機; 西ベルリンは建前上、米英仏の統治下にあったので、ルフトハンザ航空など西ドイツの航空会社は乗り入れることはできず、米英仏の航空会社のみ運航。 -
道路上に、壁の存在を示す跡が残されています。
ベルリンの壁の歴史④
壁の建設後の、西ベルリンの交通事情
鉄道; 西ドイツ本土と西ベルリンの間に3本の鉄道。ただし、東ドイツ領内で降りることはできず、ノンストップ。
道路; 西ドイツ本土との間の3本のアウトバーンの通行は可能。ただし東ドイツ領内は通過するだけ。
飛行機; 西ベルリンは建前上、米英仏の統治下にあったので、ルフトハンザ空港などの西ドイツの航空会社は乗り入れることができず、米英仏の航空会社のみ運航。
なんとなくベルリンの壁について知っているつもりでいましたが、実はそこでの生活はどんなものだったのか、ずっと気になっていました。
旅行してみて初めて、本気で調べてみることにしました。
今まで刺さっていた小骨が取れたような気がします。ほんの一部ではあっても、実際の壁を見ることで本気で知りたいという気になるのですから、まさに 「百聞は一見にしかず」 です。
補足; 西ベルリンは西ドイツの領土ではないので、徴兵制はありませんでした。そのため、西ドイツから西ベルリンへ移住する人もいたそうです。なるほど。 -
ベルリンの壁というとひどく頑丈なものを思い浮かべますが、こんなに薄い壁もあったんですね。
わずかこれだけの薄さが、多くの悲劇を生んだんですね。 -
ブランデンブルク門。
東ベルリン側です。
門の向こう側には、壁が築かれていました。
ほかの壁には近づくことも不可能だったのに対し、ブランデンブルク門が、ドイツの象徴ということで、多くの東ドイツの観光客が訪れますが、ここでは、記念撮影なども許されていたそうです。 -
4頭立ての馬車に乗る勝利の女神像。
1806年、プロイセン軍に勝利したナポレオンによって、パリに持ち帰られましたが、ナポレオンの死後、1814年に返還されました。
戦後、復元されたもの。 -
温暖化防止のキャンペーンをしていました。
ブランデンブルク門の近くにある、ドイツ連邦議会議事堂は、きっとお勧めです。私たちは横を通っただけですが、たくさんの行列ができていました。屋上にあるガラス張りの中央ドームの中を見学できるそうです。無料です。
開館; 8:00〜24:00 -
ブランデンブルク門を反対側から。
こちら側に、壁が築かれていましたが、西ベルリン側からもよく見えるようにと、ほかの壁よりずっと低かったということです。 -
壮大なドームをもつベルリン大聖堂。
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3つ目の世界遺産、博物館の島にあるベルガモン博物館です。
日本語の解説が入ったオーディオガイドの無料貸し出しがあります。とても丁寧でわかりやすいものでした。 -
古代ギリシャのベルガモン(現トルコ、ベルガマ)で発掘された「ゼウスの大祭壇」。
部屋の全部が大祭壇なので写真を撮ろうにも、どう撮っていいかわからない。
これは、端のごく一部です。 -
「ミレトスの市場門」。ローマ建築物。
1100年前に地震によって破壊されていたが、20世紀初頭ドイツ発掘隊によって発掘され、ベルリンに持ち出される。
A.D.120年頃の構造物で、古代ローマの南市場の入り口にあった。
高さ28.92mの2階建て大理石造り。
ここも、一部屋の壁面全部が市場門になっています。
博物館のイメージを覆すような迫力です。とにかく圧倒されます。
展示物を見るというより、現地で、遺跡に対峙しているという思いです。 -
バビロニアの「イシュタール門」。
色鮮やかな彩釉レンガで復元されている。
ライオン、牛、ドラゴンの文様。
バビロンの遺跡はバクダッドから南へ約130kmの所にある。20世紀初頭にドイツ人によって発掘される。
B.C.7〜A.D.6世紀頃栄えた新バビロニア王国の遺跡。
やはりその大きさに圧倒されます。独特の鮮やかな濃い青色に目を奪われます。 -
「イシュタール門」に続く「行列通り」
高さ12.5m、幅8m、総延長30m。
スケールの大きさ、美しい彩色、その感動にいつまでも浸っていたいのですが、そろそろ時間が気になり始めます。
オーディオガイドのゆっくりした丁寧な説明を待ってはいられません。 -
古代アッシリア「ニムルドの門」。
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シリア、小アジアの部屋にあった(と思われる)城壁(?)。
ちゃんとオーディオガイドで説明をきいたのですが、すっかり忘れています。でも、これも迫力満点です。 -
アテネ神殿。
ベルガモン博物館の由来を調べてみると、19世紀後半から20世紀にかけて、各地で発掘されたものが展示されたという。大英博物館と同様、ドイツでも19世紀後半のドイツ帝国の成立が、こういう遺跡の収集につながるのだろうと、妙に納得。
現在、トルコのベルガモン遺跡には、3本の松だけが・・・
さらにバビロニアの遺跡にはイシュタール門などのレプリカが復元されているという。
ゆっくり鑑賞する余裕もなく、バスに戻ったのは、just on time. 私が最後でした。 -
午後訪れたのは4つ目の世界遺産、ツェツィリエンホフ宮殿です。
1945年に、ここでポツダム会談が開かれました。 -
どう見ても、宮殿というより英国の館です。
ドイツ帝国最後の皇太子の妃、ツェツィーリアが英国出身であり、彼女の希望でこの館が建てられたそうです。 -
広大な庭園が広がります。(そうは見えませんが)
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連合軍はこの地で会談をするために、ポツダムを爆撃しなかったそうです。いろいろ歴史の裏事情というのがあるんですね。
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どうみても、英国風。
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湖に面した側の中庭です。
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建物内から見た庭。庭の向こうに湖が広がります。
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こちらから見える部屋のどこかにチャーチルやトルーマン、スターリンが泊ったそうです。
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サンスーシ宮殿の前に広がる庭園。みごとなシンメトリーです。
広大すぎます。時間があればゆっくり散策したい庭です。 -
ロココ様式の華麗なサンスーシ宮殿。
予定外の観光だったので、ぐるっと一周して、カメラに収めて終わりです。 -
プロイセン王フリードリヒ2世が夏の居城として建てた宮殿。
いたく気に入り、ほとんどこの宮殿で暮らしたそうですが、それにしてはこじんまりとした宮殿です。 -
中庭から見ると、カーブしています。
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サンスーシ宮殿の西側にある風車。
この風車についてはなにか逸話があるようですが、真偽のほどはわかりません。 -
ポツダムのブランデンブルク門。車窓から。
車窓からほんの少し垣間見ただけですが、ポツダムは川や湖や森に囲まれた美しい都市です。水遊びに興じる人々も見かけました。 -
ベルリンに戻って夕食の前に免税店でのショッピングタイムがありました。そこで、また抜け出して、カイザー・ヴィルヘルム記念教会へ。
19世紀末に建てられたネオロマネスク様式の教会。
1943年の空襲で破壊された後、戦争の悲惨さを伝えるモニュメントとして崩れたままの姿で保存されています。
広島の原爆ドームのようなものですね。 -
内部の壁画です。
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なにか心に迫るものがあります。
補足; 買い物事情
免税店で買い物をした人も、そうでない人も、スーパーマーケットでの買い物を希望する人が多かったので、添乗員さん引率のもと、大型スーパーへくりだしました。NHトレプトゥというホテルで一応4つ星。シュプレー川のすぐ南側にあります。このホテルから約300m位のところのスーパーです。
旅慣れた人達なので、お目当ての品をネットで検索したりして、リーズナブルなお値段で、次々商品をゲット。私もその極意を教わりました。
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