2010/07/03 - 2010/07/03
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belleduneさん
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国宝の茶室は現在3棟で、この待庵と犬山の如庵、大徳寺の蜜庵です。
千利休による確かな茶室はこの待庵だけらしい。2009年の第140回直木賞を受賞した山本兼一の「利休にたずねよ」を最近になって読んでから、この待庵を訪ねてみたいと思っていました。
雨の日となってしまいましたが、その方がしっとりとして良かったかもしれません。
目指す茶室は、JRの山崎駅前にある妙喜庵にあり、ここは臨済宗東福寺派の末寺で室町時代、明応年間(1492?1501年)の創建。
当庵三世、功叔士紡の時に天下分け目の天王山の合戦があり、戦後秀吉が山崎を本拠地として、暫く屋敷を構えて住み、千利休を招いたそうです。
重要文化財の妙喜庵の書院は撮影できますが、待庵の内部は撮影できません。
雨で内部が暗かったため、小冊子を買ってきました。
薮蚊に相当刺されましたが、雨の待庵を静かに見学できて、大満足でした。
最近、「日本建築集中講義 藤森照信X山口晃」を読んだのですが、なかなか面白くて、笑ってしまいました。その中に、この待庵でのこと、山口晃さんが、茶室の戸を全て閉まると、狭くではなく、反対に広く感じられたそうです。明るさが落ちたことで、壁の粗い感じが見えなくなり、視線がその奥へと移り、物が消えて、空間が現れたということでした。これは興味深いことです。
- 交通手段
- 私鉄
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妙喜庵の書院(対月庵)は、開山春獄禅師の創建による室町時代の書院造り。柱、長押しなどの木材の細さに特徴があります。しかし、強度は十分にあり、猿頬天井、竹節欄間にその特徴が表れています。縁側の額は、室町時代、東福寺の南宋流の書道開祖のものとされています。
仏間正面に、聖観音、左に利休像が安置されています。 -
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書院の縁側から名月堂(書院)、待庵を見たところです。
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待庵への庭
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書院広縁前の庭園
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書院から
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書院広縁突き当たりに杉戸があり、松と鶴が描かれていた形跡が見えます。
裏には、狩野山雪による雪中古木に2羽の山鳥が描かれているそうです。 -
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ここから待庵内部へは入れません。一度庭へ出て、にじり口へ廻ります。
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奥に見えるのは、桃山時代後期の建造、書院名月堂で、山崎宗艦の旧居とされています。現在のものは、昭和後期に新築されたものです。
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これは、冊子の写真ですが、現在はこの三和土には簀の子があります。
この飛び石が利休の言う「渡りを六分に、景気を四分」です。
これに対して、古田織部は「渡りを四分に、景気を六分」としたと伝えられています。
古田織部は利休七哲の一人ですが、利休の死後、秀吉の命令により「数寄の和尚」として武家茶の確立に貢献したそうです。 -
利休の弟子、芝山監物の寄進の手水鉢。
もとの石は、四角だったようで、現在のものは、江戸時代に太閤石で作られたものだそうです。 -
待庵の路地は、表千家の覚々斎により手が加えられたことが知られています。
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三和土を覆っている簀の子から躙り口下部。
写真では見えないが、土庇部の脚元には、建物いっぱいに床下換気孔が竹の壁止めの下に設置されいます。 -
待庵の平面図です。
躙り口の間口は71,9cmとやや広くなっています。淀川の屋形船の入り口がヒントになっているそうです。 -
二畳畳敷で、壁は藁すさを壁の表面に出した荒壁仕上げが特徴となっています。上塗りをせず、中塗りのままにした理由は、暗い室内で、壁土は光を吸収しますが、藁すさは光が当たると、鈍く光るため、壁一面が装飾の役割を果たすというです。
天井の高さは、床の間の幅で決まり、床の幅と茶室の天井の回縁の下面の高さの比率は、1対√2(Porte d'Harmonie)となっています。これは、二つ折りにしても、四つ折りにしても縦横の比率が変わらないという利点から日本の紙の規格に用いられています。ギリシャの基本短径の一つで、調和の取れた比率だという。
入隅(隅は角張らせずに、丸く壁土を塗り回した手法)で、少しでも広く見せる工夫がなされています。
床の間の正面上部の回縁に竹を使っていて、客がにじり口を開けると、光に反射して鋭く光ることを狙っています。床の間の正面を引き立てるために、光り物として竹を使ったと考えられます。この竹の左右には光ることのない寂びた丸太(北山杉)が使われて、床の間以外は、空間としての主張を抑えています。床の間下部の床框は、寂び丸(桐)でこれも光らないものになっています。また床框には殆ど左右対称に大きな節が三つあります。
これは、天井回縁の竹の節と対比されています。竹の節が直線の節と框の円い節との対比が面白く、装飾の一つになっています。
床柱は、右側の面皮は、ほぼ直線的ですが、左側の面皮はうねうねとうねっています。これも、直線とうねりの対比となっています。
圧迫感を和らげるように化粧屋根裏の掛込天井となっていて、天井は高くなっています。にじり口で身を屈めている分だけより天井が高く感じられるように造られています。
天井の竹の棹縁が1本のものと細竹2本合わせのものが交互に入っていて、変化があり、見た目にもシャープで、モダンな印象を受けます。天井の割り付けも四種類に分かれています。
また、天井板は杉の野根板を使い清楚感を出しており、またその板幅は全て違えてあるそうです。天井伏としては、待庵は格調高い天井と言えます。 -
これも冊子の写真ですが、東側の竹骨を使用した障子窓です。
実際に見たかったですが、南側の窓から見ただけなので、内部はよく見えませんでした。
東側から入る明かりが茶道具の鑑賞に適していることから、この位置に客が座るよう設計されています。 -
ここは、次の間で、この一重棚は注意深く木目の向きを考えて造られているそうです。
この茶室が元になって、三畳台目や一畳半台目の茶室ができました。 -
屁のない待庵東側と西側の脚元には、巾木で床下換気孔はありません。
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傍にある松は、秀吉が通った時に、袖が触れたことから豊公袖摺松と呼ばれているそうです。
現在は親松から生えた三代目のもの。 -
柿葺きの切妻造りの屋根は、南側(躙り口)に深い土間庇があります。
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待庵東側から書院・明月堂に続いています。
竹の雨樋が良いですね。 -
名月堂は、連歌師・山崎宗艦の住居を移築したと言われています。
現在のものは、後世建て直したもの。
この書院の正面に男山があり、その端から上る月を眺められたため、名月堂と呼ばれたそうです。 -
宵毎に都を出ずる油売り ふけてのみ見る山崎の月 宗艦
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名月堂の御手洗い前の手水鉢辺りの景色です。
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