2010/05/28 - 2010/05/28
5290位(同エリア17021件中)
ベームさん
5月28日、4日目。
セーヌの左岸、中世(旧クリュニイー)美術館の次はパンテオンとカルチェ・ラタン、中世の城壁跡、セーヌ川右岸のマレ地区の一部を歩きました。
写真はスフロ通りから見たパンテオン。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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サン・ミシェルの泉。
セーヌ川の左岸、シテ島からサン・ミシェル橋を渡ったところ。ここからずっと南にローマ時代からの道路サン・ミシェル大通りが続く。待ち合わせの名所のようでさしずめ渋谷のハチ公前みたいなものだろう。
像は悪魔を踏みしだく大天使ミカエル(ミシェル)。 -
サン・セヴラン教会。
パンテオン方面に横道を入っていくと大きな教会に出くわした。中世(旧クリュニイー)美術館の近く。 -
サン・セヴラン教会。
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サン・セヴラン教会。
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サン・セヴラン教会。
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サン・セヴラン教会。
ステンドグラスが美しい。 -
サン・セヴラン教会。
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サン・セヴラン教会。
幾何学模様。 -
リュクサンブール宮殿。
シテ島からサン・ミッシェル橋を渡りサン・ミッシェル大通りをしばらく行くと右手にあります。左手スフロ通りの奥にはパンテオンのドームが聳えています。
17世紀初め、アンリ4世の妃マリー・ド・メディシスが夫の死後建てて住んだ。しかし息子ルイ13世と宰相リシュリューとの権力争いに敗れここに5年住んだだけで追放されてしまう。
現フランス議会上院。 -
リュクサンブール公園。
椅子やベンチが並び市民がゆったりと時を過ごしている。日本の都会の公園風景とかなり違う。日本では、例えば日比谷公園などベンチは勤め人で占領されている。 -
リュクサンブール公園:メディシスの泉。1603年。
公園の片隅にあり気が付きにくいが静かな一画。 -
サン・ジャック通りとソルボンヌ(パリ第4大学)。
ソルボンヌの起源は1253年に聖職者ロベール・ソルボンヌが貧しい学生のために設立したソルボンヌ学寮。 -
ソルボンヌ/パリ大学。
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ソルボンヌ教会。17世紀中頃。
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パンテオンにやって来ました。
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パンテオン。
ルイ15世の病気平癒記念に着工したが完成はその死後、皮肉にもフランス革命の年1789年だった。無宗派の教会汎神殿。ルソー、ヴォルテール、ユゴー、ゾラ、キュリー夫妻などフランスの偉人が眠っている。
日本にもこういった施設があってもよいと思う。ただし政治家、軍人は除いて。 -
パンテオン。
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パンテオン。
この場所はもとはパリの守護聖人・聖女ジュヌヴィエーヴが512年に埋葬されていた聖ペテロ・聖パウロ教会、後の聖ジュヌヴィエーヴ教会が有った所。この辺一帯を昔からサント・ジュヌヴィエーヴの丘と言い慣わしている。 -
パンテオン。
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パンテオン。
1849年フーコーがここで行った振り子装置があると聞いていたが見損なった。 -
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パンテオン。
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パンテオン。
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パンテオン。
丸い輪はフーコーの振り子装置。見損なったと思ったが写真に写っているではないか。上ばっかり見上げていたので気が付かなかったのだ。 -
パンテオン。
ドームを見上げる。 -
ヴォルテール。1694~1778年。
哲学者、啓蒙主義者。
作に「オイディプス」、「カンディード」。 -
パンテオン。
ヴォルテールの棺。 -
ヴィクトール・ユゴー。1802〜1885年。
詩人、小説家。
「エルナニ」、「ノートルダム・ド・パリ」、「レ・ミゼラブル」。 -
エミール・ゾラ。1840〜1902年。
小説家。
「ジェルミナール」、「居酒屋」、「ナナ」、「テレーズ・ラカン」、ドレフュス事件に関し「我弾劾す」。 -
アレクサンドル・デュマ・ペール。1802?1870年。
小説家。
「モンテ・クリスト伯」、「三銃士」、「王妃マルゴ」。
息子と同名のためデュマ・ペール/父デュマと言われ、息子(「椿姫」の作者)はデュマ・フィス/息子デュマと言われる。息子の墓はたしかモンマルトル墓地にあったと思います。 -
ユゴーとデュマ。
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ゾラ。
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アンドレ・マルロー。1901〜1976年。
作家、政治家。
「人間の条件」、「王道」。第2次世界大戦下のフランスでレジスタンス活動に参加。ド・ゴール政権下で文化相。
奥の猫の左の棺。 -
ジャン・ジャック・ルソー。1712〜1778年。
哲学者。
「人間不平等起源論」、「ヌーベル・エロイーズ」、「エミール」、「社会契約論」。 -
ジャン・ジャック・ルソー。
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ジャン・ジョーレス。1859〜1914年。
平和・社会主義者。戦争に反対し第1次世界大戦開戦前夜、熱狂的愛国主義者により暗殺された。その時の様子はマルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」に劇的に描かれている。社会主義者がパンテオンに埋葬されているとは、さすがフランス。
ひるがえって「山宣一人孤塁を守る」と叫んで右翼に暗殺されたやませんこと山本宣治は今どこに眠っているのだろう。 -
上マリー・キュリー。1867〜1934年。
ポーランド出身の物理学者。1903年放射線の研究でノーベル物理学賞、1911年ラジウムの発見でノーベル化学賞受賞。
下ピエール・キュリー。1859〜1906年。
物理学者。1903年夫人と共にノーベル賞受賞。1906年交通事故で不慮の死。 -
パンテオンより、スフロ通りと前方緑はリュクサンブール公園。エッフェル塔が見える。
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サン・テチエンヌ・デュ・モン教会。
パンテオンの東、ジェヌヴィエーヴの丘に立つ。パリの守護聖人聖ジュヌヴィエーヴを祀る。パスカル、ラシーヌ、デカルトの墓がある。 -
サン・テチエンヌ・デュ・モン教会。
内陣正面の橋のような仕切りが珍しい。 -
サン・テチエンヌ・デュ・モン教会。
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サン・テチエンヌ・デュ・モン教会。
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サン・テチエンヌ・デュ・モン教会。
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サン・テチエンヌ・デュ・モン教会。
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サン・テチエンヌ・デュ・モン教会。
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サン・テチエンヌ・デュ・モン教会。
聖ジュヌヴィエーヴの聖遺物容れ。 -
サン・テチエンヌ・デュ・モン教会。
パスカルかラシーヌかデカルトか。 -
リセ・アンリ4世校。日本の高等学校にあたる。
シモーヌ・ヴェイユ、アンドレ・ジード、ルノアール、ミュッセ、サント・ブーヴ、サルトルなどが学んだ名門校。この近くにはロマン・ロラン、シャルル・ペギー、クローデル、マルタン・デュ・ガールなど文学者を輩出した高等師範学校エコール・ノルマル・シュペリゥールもあり、まさにカルチェ・ラタンのど真ん中。
奥の鐘楼はクロヴィスの鐘楼と言われているが疑わしいらしい。 -
クロヴィス通り。
サン・テチエンヌ・デュ・モン教会とアンリ4世校の間の通り。この先にフィリップ・オーギュストの城壁がある。クロヴィスとは486年ゲルマン諸族を統一しフランク王国を創設した王、パリを首都と定めシテ島の今のコンシェルジュリーの所にあった王宮に住んだ。 -
クロヴィス通りのフィリップ・オーギュストの城壁。
パリ防衛の為フィリップ2世(尊厳王フィリップ・オーギュスト)が1190年より1220年にかけて造らせた城壁の一部。全周8キロ、当時のパリは小さかった。この時城壁の外に同時に造られたのがルーブルの城塞で、セーヌ川を遡ってくる敵に備えた。すなはちルーヴルといえども当時はパリの市外だったのだ。 -
フィリップ・オーギュストの城壁のプレート。
”フィリップ・オーギュストの城壁の遺跡。12世紀”。 -
円形競技場アレーヌの入口。
2世紀頃、ガロ・ローマ時代の遺跡。フィリップ・オーギュストの城壁の東、メトロカルディナル・ルモワーヌ駅の近く、モンジュ通りにある。 -
円形競技場。
その昔剣闘士たちが戦ったのだろうか。 -
円形競技場。
今は老人たちがベンチに腰掛け子供たちが遊ぶ運動場みたいだ。 -
メトロモンジュ広場駅から7号線でセーヌ川を渡り右岸のポン・マリー駅へ。
サンス館:当時パリ司教区を管轄していたサンス大司教の館。マレ地区で最も古い、1507年。16世紀新・旧キリスト教の対立が激しかった頃旧教同盟リーグの本拠地だった。現在フォルネー図書館。 -
サンス館。
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リセ・シャルルマーニュ校の校庭と奥にサン・ポール・サン・ルイ教会。
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リセ・シャルルマーニュ校にあるフィリップ・オーギュストの城壁。
ボール遊びをする少年たちはそういう歴史を知るや知らずや。なにしろ無防備で学校の運動場の塀になっているのだ。 -
フィリップ・オーギュストの城壁。
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パリ:シャルルマーニュ校側のサン・ポール・サン・ルイ教会。
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パリ:サン・ポール・サン・ルイ教会。
マレ地区。1627年ルイ13世により建築、1796年再建。ドラクロワの「オリーヴ園のキリスト」の絵がある。
ルーヴルからバスティーユ広場に続くリヴォリ通りに面している。直ぐ近くにヴォージュ広場。 -
サン・ポール・サン・ルイ教会。
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パリ:サン・ポール・サン・ルイ教会。
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サン・ポール・サン・ルイ教会。
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パリ:サン・ポール・サン・ルイ教会。
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パリ:サン・ポール・サン・ルイ教会。
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サン・ポール・サン・ルイ教会。
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サン・ポール・サン・ルイ教会。
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パリ:サン・ポール・サン・ルイ教会。
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パリ:サン・ポール・サン・ルイ教会。
ドラクロワ「オリーヴ園のキリスト」。 -
パリ:サン・ポール・サン・ルイ教会。
ドラクロワ「オリーヴ園のキリスト」。 -
ヴォージュ広場の入口。ユゴー記念館辺り。
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パリ:ヴォージュ広場。
1612年アンリ4世の時造られたパリ最古の広場、当初ロワイヤル広場と呼ばれた。周りを17世紀の貴族の館が取り囲んでいる。その1つにヴィクトル・ユゴーが住みヴィクトル・ユゴー記念館となっている。ヴォージュはフランス北東部の県の名前。 -
バスティーユ広場の近く、サン・タントワーヌ通りに建つボーマルシェ像。
劇作家で「セビリアの理髪師」、「フィガロの結婚」の作者。1732〜1799年。 -
パリ:バスティーユ広場。
1830年7月革命記念柱(1789年のフランス革命ではない)とオペラ・バスティーユ。
革命の跡は何も残っていないがオペラ・バスティーユは1989年フランス革命200年記念としてミッテラン大統領により造られた。前からあるいわゆるオペラ座、オペラ・ガルニエはもっぱらバレエが上演され、歌劇はここで上演されるようになった。 -
パリ:リヨン駅。
バスティーユ広場から歩いて20分ほど。ブルゴーニュ、リヨン、マルセイユ方面の列車が発着。駅舎内のレストラン「トラン・ブルー」が有名。 -
リヴォリ通りを西に歩きパリ市庁舎の裏にあるのがサン・ジェルベ・サン・プロテ教会。ここにはパリ最古といわれるクープランが弾いたオルガンがある。
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サン・ジェルベ・サン・プロテ教会。
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サン・ジェルベ・サン・プロテ教会。
お勤めをしているようで恐る恐る写真を撮った。 -
サン・ジェルベ・サン・プロテ教会。
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サン・ジェルベ・サン・プロテ教会。
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サン・ジェルベ・サン・プロテ教会。
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サン・ジェルベ・サン・プロテ教会。
クープランのオルガン?。
今日はまだまだ続きます。夜はシティラマ社のツアーで夜のモンマルトルへ。
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