2010/05/28 - 2010/05/28
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ベームさん
5月28日、4日目。
モンマルトル墓地に著名人の墓を払い、再びサン・ドニ大聖堂へ。今日はストは無いだろうと信じて。パリに戻りセーヌ川の左岸中世(旧クリュニイー)美術館に行く。
写真は中世美術館の至宝、タピスリー「貴婦人と1角獣」部分。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
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まずはモンマルトル墓地。
メトロ13号線プラス・ド・クリシーから10分ほど。
パリにはほかにペール・ラシェーズ墓地、モンパルナス墓地と3つの大きな墓地がある。東京の雑司が谷、青山、染井のようなもの。 -
モンマルトル墓地。
入口はラシェル通りの突き当たり。管理人の詰所があり墓地の地図が貰える。階段を数段下ったところにあり、頭の上をコーランクール通りが走っている。
日本の墓地では著名人の墓所にはその旨案内の表示があるがパリの墓地には無い。探すのにとても時間がかかる。 -
モンマルトル墓地。
ルイ・ジューヴェ。
サン・マルタン運河沿いの安ホテルを舞台にした映画「北ホテル」でのギョロ目が忘れられない。夫人も同じ墓に眠っている。 -
ルイ・ジューヴェ
戦前戦後を通じフランス演劇界の大立者。舞台だけでなくマルセル・カルネ、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督などの映画にも多く出演した。「北ホテル」、「舞踏会の手帳」、「旅路の果て」など。
1887~1951年。 -
モンマルトル墓地。
「椿姫」の作者アレクサンドル・デュマ・フィス。
「モンテクリスト伯」や「三銃士」の作者デュマ・ペールの息子。 -
アレクサンドル・デュマ・フィス。
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モンマルトル墓地。
アルフォンシーヌ・プレシス。
デュマ・フィスの椿姫ヴィオレッタのモデル。1824~1847年、佳人薄命。
デュマ・フィスと同じ墓地に葬られているのは偶然だろうか。今も花が手向けられている。 -
アルフォンシーヌ・プレシス。
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アルフォンシーヌ・プレシス。
”ここに眠る ALPHONSINE PLESSIS/アルフォンシーヌ・プレシス
1824年1月15日生まれ
1847年2月3日死去” -
モンマルトル墓地。
アルフレッド・ド・ヴィニー。
作家、詩人。 -
モンマルトル墓地。
ゴンクール兄弟。
エドモンとジュール・ゴンクール。作家。
兄弟の遺言と遺産をもとに1903年創設された文学賞・ゴンクール賞で有名。日本の芥川賞みたいなものでフランス文壇の登竜門として最も権威が高い。
著名な受賞者としては:
シャトーブリアン、マルセル・プルースト、ジョルジュ・デュアメル、アンドレ・マルロー、ボーヴォワール、マルグリット・デュラスなど後の錚々たる名がある。 -
モンマルトル墓地。
スタンダール。
ミラノを愛したスタンダール、墓碑にも”ミラノ人アンリ・ベイル”と彫ってある。アンリ・ベイルはスタンダールの本名。 -
モンマルトル墓地。
ドイツの詩人ハイネ。
母国ドイツを愛しつつドイツの政治体制を批判し続けた漂泊の詩人ハイネはフランスで亡くなりフランスで眠っているのだ。
後日記:2012年、リューネブルクにあるハイネがゲッティンゲン大学の学生時代に帰省したことのある両親の家を見てきた。そこでハイネはローレライの詩を作ったという。 -
モンマルトル墓地。
ベルリオーズ。 -
モンマルトル墓地。
エミール・ゾラ。 -
モンマルトル墓地。
大元帥アンヌ・ド・モンモランシー公。
フランソワ1世、アンリ2世の側近として16世紀ユグノー戦争のころ新教徒を弾圧。シャンティイ城の建設者。城には彼の騎馬像がある。
庶民の墓とは違いますね。 -
モンマルトル墓地。
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モンマルトル墓地。
他にオッフェンバッハ、ドガ、フランソワ・トリュフォー、ギュスターヴ・モロー、ダリダ、アンリ・ジョルジュ・クルーゾーなどの墓がある。 -
サン・ドニ大聖堂。
再びクリシー駅より13号線でサン・ドニへ。
3世紀中頃パリの最初の司教聖ドニ(サン・ドニ)がモンマルトルの丘で斬首されたが、自分の首を持ってこの地まで歩きついに倒れた。これによりこの地がサン・ドニと呼ばれ教会が建てられたのが大聖堂の始まりという。12世紀中頃の建設であるが現存の大部分は13世紀中頃のもの。フランスゴシックの原形と言われる。
駅からほんの5分ほど。 -
サン・ドニ大聖堂。
フランス王家の墓所といわれ、10世紀以降3人の王を除いてすべてのフランス王がここに埋葬されている。ルイ16世とマリー・アントワネットは最初はパリのマドレーヌ寺院の墓地(今の贖罪聖堂)に埋葬されたが1815年王政復古とともにルイ18世によりここに移葬された。 -
サン・ドニ大聖堂。
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サン・ドニ大聖堂。
タンパン。 -
サン・ドニ大聖堂。
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サン・ドニ大聖堂。
身廊。 -
サン・ドニ大聖堂。
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サン・ドニ大聖堂。
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サン・ドニ大聖堂。
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サン・ドニ大聖堂。
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サン・ドニ大聖堂。
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サン・ドニ大聖堂。
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サン・ドニ大聖堂。
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サン・ドニ大聖堂。
風貌からしてアンリ4世(在位1589?1610年)。
ルイ13世、14世以下と続くブルボン朝の祖。ナントの勅令でカトリックとプロテスタントの和解をなさしめた。名君と言われ今でもフランス国民に1番人気のある国王らしい。
先妻がカトリーヌ・ドゥ・メディシスの娘マルグリット・ド・ヴァロワ(悪女王妃マルゴと言われる)、後妻がマリー・ド・メディシス。その寵姫が水浴中の絵画で有名なかのガブリエル・デストレ。マリーとの間に生まれたのがルイ13世。
ここから先は墓所です。 -
サン・ドニ大聖堂。
シャルル・ド・ヴァロア。 -
サン・ドニ大聖堂。
ルイ17世の心臓。ルイ16世とマリー・アントワネットの子。王太子であったがフランス革命中タンプル塔に幽閉され病死。 -
サン・ドニ大聖堂。
墓所。先生に引率され歴史を学ぶ生徒たち。美術館、博物館、教会などフランスやドイツでは良く見かける光景。 -
サン・ドニ大聖堂。
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サン・ドニ大聖堂。
ちょっと不気味な雰囲気がある。歴代の王や王妃の魂が漂っているようだ。 -
サン・ドニ大聖堂。
アンリ2世(在位1547~1559)と王妃カトリーヌ・ド・メディシス。
その3人の男子もすべて国王になった。すなはちフランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世。
アンリ2世の愛妾がシュノンソーの城主だったディアーヌ・ド・ポワティエ。 -
サン・ドニ大聖堂。
アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシス。
ほとんど裸に近い生々しい肢体だ。王であろうと王妃であろうと死ねば裸の肉体に還るということだろうか。 -
サン・ドニ大聖堂。
ダゴベルト1世。メロヴィング朝フランク王国の王、630年頃。サン・ドニ修道院の創設者。 -
サン・ドニ大聖堂。
ルイ12世(在位1498~1515)と王妃アンヌ・ド・ブルターニュ。
先王シャルル8世の未亡人ブルターニュ女公アンヌ・ド・ブルターニュと結婚することによりブルターニュ公国をフランス王家のものとした。 -
サン・ドニ大聖堂。
フランソワ1世(在位1515〜1547)と王妃クロード・ド・フランス。
イタリアの文化をフランスに移入し、レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招聘した。シャンボール城、フォンテーヌブロー宮殿の建設者。
クロード・ド・フランスはルイ12世とアンヌ・ド・ブルターニュの娘。 -
サン・ドニ大聖堂。
ルイ16世とマリー・アントワネット像。 -
サン・ドニ大聖堂。
フランス革命時墓は暴徒により暴かれ骨はまとめて大きな穴に埋められた。もはや誰の骨か識別できず棺の中は空という。 -
サン・ドニ大聖堂。
床のいたるところに棺が置かれている感じ。 -
サン・ドニ大聖堂・
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サン・ドニ大聖堂。
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サン・ドニ大聖堂。
各棺には棺の住人の名が書かれたプレートがあったがとてもメモし切れなかった。いずれにしても王、王妃、王大子(皇太子)、王大子妃など。 -
サン・ドニ大聖堂。
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サン・ドニ大聖堂。
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サン・ドニ大聖堂。
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サン・ドニ大聖堂。
手前シャルル5世(在位1364〜1380)と王妃ジャンヌ・ド・ブルボン。
イギリスとの100年戦争(1339〜1453年)前半時の国王。パリに城壁・シャルル5世の城壁をつくった。 -
サン・ドニ大聖堂。
メロヴィング朝時代の棺。 -
サン・ドニ大聖堂。
左奥よりルイ18世(1755〜1824)、ルイ16世(1754〜1793)、ルイ7世(1120〜1180)。
右奥より不明、マリー・アントワネット(1755〜1793)、ルイーズ・ド・ロレーヌ(アンリ3世妃、1553〜1601))。 -
サン・ドニ大聖堂。
手前ルイ18世(在位1815〜1824)。
ルイ16世の弟、ナポレオン失脚後王政復古をなしとげる。 -
サン・ドニ大聖堂。
ルイ16世(在位1774〜1792)。 -
サン・ドニ大聖堂。
マリー・アントワネット。 -
陰鬱な聖堂を出ると外は陽光の元広場には市が建っていた。
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サン・ドニ市庁舎。
大聖堂と同じ広場に面している。 -
メトロシャトレ駅。
いろいろ感慨を胸に抱きながらサン・ドニを後にしパリに戻る。
メトロ13号線でサン・ラザール駅、14号線に乗換えシャトレ駅、さらに4号線に乗換えサン・ミシェル駅へ。 -
ソルティ/出口。
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中世(旧クリュニイー)美術館。
サン・ミシェル駅から歩いて中世(旧クリュニイー)美術館へ。
3世紀のローマ時代の浴場跡に建てられたクリュニー修道院長の館。有名なタピスリー「貴婦人と1角獣」のほか中世の貴重な美術品が収蔵されている。 -
中世(旧クリュニイー)美術館。
15世紀の建物。 -
中世(旧クリュニイー)美術館。
右奥に入り口がある。 -
お目当て貴婦人と一角獣のタピスリーを展示している部屋の入り口。
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中世(旧クリュニイー)美術館。
美術館の至宝、貴婦人と1角獣のタピスリー。
15世紀末にフランドルで織られた6枚の連作。ジョルジュ・サンドがその著作の中で賛美し有名になった。夫々人間の寓意を示している。 -
中世美術館。
その展示室。 -
中世(旧クリュニイー)美術館。
貴婦人と1角獣:味覚 -
中世(旧クリュニイー)美術館。
貴婦人と1角獣:左聴覚、右視覚。 -
中世(旧クリュニイー)美術館。
貴婦人と1角獣:嗅覚。 -
中世(旧クリュニイー)美術館。
貴婦人と1角獣:触覚。 -
中世(旧クリュニイー)美術館。
貴婦人と1角獣:我が唯一の望みに。 -
貴婦人と一角獣:味覚部分。
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中世(旧クリュニイー)美術館。
貴婦人と1角獣:視覚部分。 -
中世(旧クリュニイー)美術館。
貴婦人と1角獣:触覚部分。
織られている女性が美しい。 -
中世(旧クリュニイー)美術館。
貴婦人と1角獣:我が唯一の望みに部分。 -
中世(旧クリュニイー)美術館。
貴婦人と1角獣:我が唯一の望みに部分。
とにかく素晴らしいタピスリーでした。 -
我が唯一の望みに。
お土産に買った栞です。 -
味覚。
暗くて良い写真が撮れないのでWEBから借用します。 -
聴覚。
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視覚。
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我が唯一の望みに。
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中世(旧クリュニイー)美術館。
宗教美術品の数々。 -
中世(旧クリュニイー)美術館。
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中世(旧クリュニイー)美術館。
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中世(旧クリュニイー)美術館。
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中世美術館。
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中世(旧クリュニイー)美術館。
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中世(旧クリュニイー)美術館。
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中世(旧クリュニイー)美術館。
あちこちの教会から集めてきたステンドグラスの断片。 -
中世美術館。
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中世(旧クリュニイー)美術館。
サン・ドニ大聖堂にあったステンドグラス、1150年頃のものと思われる。 -
中世(旧クリュニイー)美術館。
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中世(旧クリュニイー)美術館。
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中世美術館。
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中世美術館。
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中世(旧クリュニイー)美術館。
もっと時間をかけてゆっくり見たかった。
さらにセーヌ川左岸を歩きます。
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