2010/04/17 - 2010/04/17
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五黄の寅さん
日本開国時の老中堀田正睦(まさよし)が実質整備した佐倉藩の佐倉城址と佐倉武家屋敷を散策しました。
先に武家屋敷に向かい、保存公開されている代表的な三軒の武家屋敷を見学して回りました。
ボランティアの方が建物の由緒を詳細に紹介してくださり大変ためになりました。
武家屋敷から1km程歩くと城址に着きます。
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武家屋敷に向かう途中に桜が咲いていました。葉桜になりかけていました。
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大手門跡。写真を見ると立派な門の様ですが取り壊された跡は面影をしのぶべくもありませんでした。
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佐倉藩の鎮守の麻賀多神社に参拝、何時ものように家内安全、健康長寿をお祈りしました。
http://www.makata.jp/ -
麻賀多神社の前を路地に入っていきます。突き当たり右前方に進むと武家屋敷街に着きます。
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くらやみ坂を手前から登って左右の鏑木小路が武家屋敷街になり、三軒の武家屋敷が保存されています。
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武家屋敷街を示す地図。右の地図の上方に佐倉城址が在ります。
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鏑木小路の様子です。右側に武家屋敷が建っています。
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旧河原家住宅。佐倉に残っている中で最も古い武家屋敷だそうです。
佐倉藩で定められた居住の制による分類で三百石以上の大屋敷になります。 -
ここは屋敷の中に上がれませんので外から眺める事になります。
土間から仲の間と次の間を見ます。主人の居間、座敷以外の部屋はこの写真のように縁の無い畳になっているそうです。 -
台所。竈がみえますが、珍しいことに引越し時に持ち運べる様に脚が付いています。
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庭の様子。
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庭の方から納戸を見学。廊下の右奥に厠が有り,その裏手に湯殿が有りました。
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庭の方から居間を眺めます。縁の有る畳でした。
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座敷の向こうが玄関になります。
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藁屋根の軒部分。三層構造になっていました。
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佐倉の武家屋敷は道路に面する部分に土塁と生垣を築いています。
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先程上がってきたくらやみ坂を上から眺めます。
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旧但馬家住宅の表門。この作りは腕木門で、居住の制で厳格に定められていた様です。
先程の分類でこの屋敷は百石以上の中住宅に当たっています。 -
ここは屋敷内に上がって見学出来ます。
刀掛け、脇息、鎧兜が展示されていました。 -
庭に椿の花が咲いていました。めったに咲かない珍しい種類だそうで、ボランティアの方に「運がいいですよ」と喜ばれました。
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竹やシュロ等の樹木が茂っています。
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旧武居家住宅の門と土塁の様子。
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門を正面から眺めます。この屋敷は小知(百石以下)の小住宅に相当します。
門の様式は木戸門になっています。 -
建坪は24坪内外と規定されていました。
防火上の規制で止む無く屋根をトタンで覆っているとのこと。
法律は無粋なことをするものです。 -
座敷の畳には縁が有りません。
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武家屋敷の斜向かいに 児玉源太郎 の住居跡の説明板が掲げられていました。
日露戦争の旅順の戦い(司馬遼太郎先生の 坂の上の雲 に出てきます。)を勝利に導いた名将が佐倉に一時住んでいたのですね。 -
説明板の拡大写真。ここには現在は個人宅が建っています。
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