2010/05/21 - 2010/05/24
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kazuuzooさん
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2010年5月21日:ブリュッセル‐サラエボ
2010年5月22日:サラエボ
2010年5月23日:サラエボ‐モスタル‐ドブロブニク
2010年5月24日:ドブロブニク‐ブリュッセル
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- クロアチア航空
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今回の旅は旧ユーゴです。紛争で難民になっちゃった人と知り合いですごくいいところだって言われて旅をすることにしました。サラエボの空港に到着した時は既に夜の11時。ほとんどの空港は空港名くらいはライトアップされてると思うのですが、サラエボ空港はそんな雰囲気全くありませんでした…
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ちなみにこれがボスニアヘルツェゴビナの入国スタンプです。
夜着ということでちょっと不安だったので空港から近いホテルに宿泊。 -
翌朝、なんと雨…でも街中を目指します。空港からはリムジンバスもあるようですが詳細が分からなかったのでトラムの駅を目指しました。
空港ターミナルを背にして空港の前を通っている道を左に曲がって大体20分位でしょうか!?
3号線のトラムの駅に到着です。いざ中心地へ出発! -
サラエボの街に到着。サラエボの街は山に囲まれてます。到着したものの旧市街バシチャルシァの東側の高台からサラエボの街を見たくて上ってきました。
天気があまり良くなくて残念… -
高台から街中に戻る途中、住宅街を通りました。
見難いですが銃弾の跡も… -
サラエボの街の奥まったところにある旧市庁舎です。
オーストリアハンガリー帝国だった1894年に建てられました。第二次世界大戦以後国立図書館として使われていましたが、内戦で建物はたくさんの銃弾を受け、所蔵されていた本も失ってしまいました。
今は足組みが組まれ修繕の気配があります。将来的には再度、市庁舎+図書館として使われる計画になっているそうです。 -
旧市庁舎の反対側に回ると…特に写真左下の部分にたくさんの銃弾を受けた跡があります。こちら側から見るとまだ修繕まで程遠い状態だという気がします。
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旧市庁舎から歩いて5分と掛らない場所にミリャツカ川に架かるラテン橋があります。サラエボと言えば…やっぱりサラエボ事件。そのサラエボ事件が起きたところとして有名な橋です。
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橋はそれほど大きなものではありません。車が2台すれ違えるかどうかの道幅。そして長さも50m位だと思います。
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ラテン橋が有名になってますが、実際にサラエボ事件が起きたのは橋のそばです。ちょうど現在サラエボ博物館のある前あたり写真中央のあたりだそうです。今のサラエボ博物館では事件のいきさつなどが分かるような展示されてます。
サラエボ事件は7人のセルビア人が当時のオーストリアハンガリー帝国の皇太子夫妻を暗殺した事件。
この事件、悲しい現実と偶然が引き起こしたものだったんですね。(いろいろと説はあるようですが…)
まずはオーストリアハンガリー帝国の皇太子。ちょうど事件の日は結婚記念日。皇太子夫人の家系の問題で祝福された結婚生活がおくれてなかったため夫婦でゆっくり過ごすためにサラエボを訪問。しかしながらこの日は偶然にもセルビア人にとっては民族意識を高める日。1389年、オスマントルコにセルビア王国が滅ぼされた日だったのです。
皇太子夫妻が列車で到着後、市庁舎までのパレード、その後旧市街の博物館に向かうことになっていたそうです。
パレードでは暗殺を計画した7人のセルビア人による暗殺は失敗しパレードの後ろの車を爆破できたのみ。皇太子は市庁舎で激怒、暗殺を行ったガブリロ・プリンチップも肩を落としてお茶していたのですが、この皇太子、爆破で怪我した人のお見舞いのためかどうか定かではありませんが病院に行くことに。運転手は病院に行くとは思わず博物館に向かって出発、ちょうど病院に行くか博物館に行くかの分かれ道にあるのがこのラテン橋で、間違えに気付きバックしようとした場所がこの写真の場所。そしてガブリロ・プリンチップがいたカフェの目の前だったのです。
皇太子夫妻を見つけたガブリロ・プリンチップはすかさず皇太子夫妻に向かっていき銃を発射したそうです。その後、この事件がきっかけで第一次世界大戦が勃発してしまいます。 -
サラエボ事件の散策が終わったところで旧市街を散策することに。
まずはバチシャルチャの入り口のセビリ。左の塔がチャルシイスカ・ジャミーヤというモスクです。 -
サラエボは非常に宗教的に複雑な街。
もともとイリシュア人の街、その後ローマ帝国、スラブ、その後オスマントルコに支配されていた背景もあり、現在住民の90%がイスラム教徒ですが、カトリック、セルビア正教徒、ユダヤ教徒といろいろな宗教が入り混じっています。
この写真、これは古いセルビア正教会、5−6世紀に出来たとか12-14世紀に出来たとか言われてますが、今の建物は1730年に出来たものだそうです。内部が残念ながら改修中でした。 -
ユダヤ博物館です。
なぜサラエボ=ユダヤかというと…1400年代に
スペインでキリスト教が国土回復運動(レコンキスタ)を完了すると、それまでイスラム支配のときは共存出来ていたユダヤ教徒がスペインから追い出されることとなります。その際に多くのユダヤ教徒がサラエボにやってきたそうです。
この建物は第2次世界大戦でユダヤ人収容所となったりした後、今はユダヤ博物館となっています。 -
続いて今度はハマムの跡です。
今はハマムの建物はお店になってます。
ただ裏側に新しい公衆浴場があるとかいう話をしてました。 -
続いてカトリックの大聖堂。
比較的新しい教会です。
サラエボではカトリックの関連施設は非常に少なく、旧市街には他には無い!?のではないでしょうか -
セルビア正教会です。その名もサボルナ教会というみたいです。
こちらも改修中でした。中も…改修中。
なんかそういう時期なんでしょうか!? -
ちょうどバスが通った時気がつきました。
JAPANの文字。見難いけど、日本の援助も内戦後のサラエボの復興に役立っています。
ちょっと嬉しい気分です。 -
この建物の下の部分に聖火があります。
ヴィエチュナ・ヴァトラというらしく第二次世界大戦でサラエボが解放された際、犠牲者をしのびこの聖火が出来たそうです。
内戦時も当初は火は灯っていたのですが残念ながら石油不足で一時期消えてしまっていたそうです。
内戦後、再び火は灯り始め今に至ります。 -
旧市街の中心地に戻ってきました。
ベジ・スタンとよばれる屋内ショッピングモール。
16世紀にはこの場所に現在の様なショッピングモールの原型があったそうです。 -
ベジ・スタンの横側です。現在修復しているようです。修復されたらどんな風になるのでしょうか??
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ベジ・スタンの反対側です。
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ベジ・スタンの隣にあったカフェです。
このカフェ、なんか日本っぽいんです…
テーブルがそうなのか??椅子がそうなのか??
考えても分からないんですがなぜか日本ぽいって感じました。 -
ガジ・フスレヴ・ベイモスクです。
バシチャルシャの中にはイスラムの施設がたくさんありますが、多分一番大きな施設だと思います。 -
ガジ・フスレヴ・ベイモスクの前にあったイスラムの施設です。詳細は忘れてしまいましたが…
それにしてもホント、バシチャルシャの中にはイスラムの施設が多いです。サラエボはヨーロッパなのになんか違う雰囲気。
バシチャルシャの散策はひとまずこれくらいにしました。というのもトンネル博物館ツアーに参加することにしたからです。
というわけでバシチャルシャを一度離れます。 -
バシチャルシャを出発して30分強、トンネル博物館に到着です。到着して建物の銃弾痕の数にびっくり!
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トンネルなんて何で必要??って思っていたのですが、この地図見て説明聞いてたら納得。
サラエボの街、実は内戦のときには陸の孤島だったんです。しかもその原因が空港。サラエボ空港は内戦のとき国連の監視下にあり、国連関連の人、飛行機、車両以外は通れませんでした。サラエボの街には国連軍からの援助物資があったそうですが、それだけでは足りず、電気、電話などのインフララインも孤立。そのためこのトンネルを計画。全長約800m、約4カ月かけてサラエボ市側そして空港の反対側から高さ1.6m、幅1mのトンネルを掘ったそうです。 -
この後、内戦時のビデオを見学。このビデオ、言葉は全く入っていなく視覚で訴えるものでした。
その隣にあったトンネル内の模型です。
トンネルにはレールが敷かれ、物資の運搬、そして傷ついた兵士の移送などに使われていました。
そしてもう1つ特徴的なのがトンネルの横にあるインフラライン。これによりサラエボ市内の電気、電話などのインフラが守られていたそうです。 -
いざ、本物のトンネルに向かいます。現在800mのうち25mを残してトンネルは埋め戻されました。この25mを歩くことができます。
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高さが160cmなので、腰を少し曲げないと歩けません。特に大きな人の大きいこの辺の人には大変だったでしょう。
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このお婆さん、さっきのビデオに出てきてました。トンネル掘る兵士に水をあげたりして陰で支えていたお婆さんです。
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と思っていたらなんとお婆さん本人が!!!
なんでも庭の様子を見に来たんだとか。このお婆さん現在89歳。内戦のときも危険なこの土地を離れずに住み続けたそうです。
ちなみに庭の先には空港、その先へとトンネルは続いていました。 -
トンネルの見学をこのくらいにしてサラエボに帰ってきました。
帰ってきてまずサラエボ駅へ。
ここでは明日行くモスタルへの切符を買いに来ました。 -
モスタルへの切符です。
すべて手書きでした。
切符を買って再度サラエボの中心に戻ることにしました。 -
サラエボの中心に帰る途中、国立博物館です。残念ながら中を見ることはできませんでした…
で、その前を通る大通り、スナイパー通りと呼ばれている通りです。もともとチトー将軍通りと呼ばれていましたが、内戦時、この大通りで動くものは通りに面する高層ビルからセルビア軍に狙い撃ちされたためこのような名前がついたそうです。このスナイパー通り、最初にトラムに乗った場所の先までず〜っと続いてます。 -
街の中心に向かう途中、国立劇場です。1899年に社会センターとしてオープン。
この建物はチェコの国立劇場やウイーンの株式市場の影響を受けて設計されたそうです。
1921年から国立劇場として使われるようになり、現在ではオペラなどが行われるそうです。 -
この建物、ボスニア政府に関連するものだと思うのですが…詳細分かりませんでした。ただ、1886年に出来た建物だということです。
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バシチャルシャからラテン橋を渡って反対側をちょっと散策。聖アントニー教会です。
エンジの建物が印象的ですが、詳細分かりませんでした。 -
聖アントニー教会の傍にあるこの建物、こちらもエンジが非常に印象的で教会の関連施設かと思いきや実はビール工場。ここにはパブも併設されてます。
ちょっと1杯といきたかったのですが、日暮れまでもう少し街中見て戻ってこようということに。
ひとまずこの場を離れます。 -
だいぶ日が傾いて辺りも暗くなってきました。
ちょっと暗くて見づらいかもしれませんが、エンペラーモスクです。なんでもサラエボで一番古いモスクだそうです。確かにサラエボで見た他のモスクより大きい気がします。 -
ほぼ日が暮れました。ちょうどラテン橋に差し掛かった時…橋がライトアップしてたのでパチリ。
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またまた昼間に一度来ましたが…セビリのライトアップです。
この後パブに戻ろうとしたのですが…足が疲れてなんか行くのがめんどくさくなっちゃいました。
ということで、宿に向かいました。 -
でもやっぱりサラエボビール、せっかくだから飲みたい!ということでサラエボビール、宿で飲みました!!!
翌日はモスタルに向かいます。
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