2010/05/21 - 2010/05/24
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kazuuzooさん
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2010年5月21日:ブリュッセル‐サラエボ
2010年5月22日:サラエボ
2010年5月23日:サラエボ‐モスタル‐ドブロブニク
2010年5月24日:ドブロブニク‐ブリュッセル
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
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スルジ山から下りてきて宿でちょっとゆっくり。
そしたらお腹がへってきました…
晩飯を食べるのを兼ねて旧市街を散策することにしました。ピレ門から早速旧市街散策開始です! -
実は今はこんなに有名なドブロブニクですがここも内戦時は戦闘が繰り広げられていました。
今は修繕されてますが、たくさんの場所が弾丸を受けたりして傷ついていたそうです。 -
まずは門を超えた目の前にあるプラツァ通りをず〜っと進んで港まで来ました。
だいぶ日は陰ってきましたが人は結構たくさんいました。 -
聖イグナチオ教会にやってきました。1725年に完成した教会でローマのイグナシオ教会をモデルに作られたそうです。
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旧市街をブラブラしていたらちょうどドブロブニクの街並みとその向こうにさっき登ったスルジ山がきれいに見えるところ発見!
早速写真撮りました。
日が暮れてきて街にも明かりが灯り始めました。 -
プラツァ通りに帰ってきました。かなりお腹がすいてきたのでここで適当にレストランに入ることに。
さすが海に面したドブロブニクのレストラン。魚介がおいしかったです! -
レストランを出るともう周りは真っ暗。ちょっと夜景も撮ってみました。前の写真とほぼ同じ位置プラツァ通りをパチリ
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さっき、周ったところを再び周って見ることにしました。まずは港の夜景をパチリ。
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ドブロブニクの詩人、イヴァン グンドリチの像です。この周りにはレストランがたくさん。あっ、この辺で晩御飯食べても良かったなぁ…って思いました。
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この像のそばにクロアチアの国旗発見!
ということで特にその他に意味はないのですが… -
さっきスルジ山が見えた場所です。
さすがに山は見えません…がこの場所、夜景は夜景でちょっと違った趣があります。 -
オノフリオ大噴水です1436年、上水道が敷設された際に作られたものだそうで、オノフリオ・デ・ラ・カヴァが作ったことからこの名前がついたそうです。
当時噴水は水が豊かにあったことを示すものでドブロブニクが発達した豊かな街であったことを示しているのだそうです。噴水といっても上に上がる噴水ではなく、壁面の顔から水が流れ出てきます。
夜の散策はこのくらいにして今日は宿に戻ります。 -
宿について…やっぱりこれ。
クロアチアビールです。
ご飯も食べて、ビールも飲んで、おやすみなさい…zzz -
翌朝、ちょっと早めに朝食食べてドブロブニク旧市街に再び向かいます。
ドブロブニクの旧市街はもちろん今も人がフツ−に住んでます。ちょっと路地に入ると洗濯物を干してあったり… -
聖ウラボ教会です。聖ウラボはドブロブニクの守護聖人で毎年2月3日には聖ウラボの祭りがおこなわれるそうです。
その前にあるのがオルランドの柱。
1358年ドブロブニクが初めて国家として登録されると1808年に共和制廃止の宣言まで自由都市として存在し続けてきました。このオルランドの柱は独立して手に入れた自由を祈念するものだそうです。 -
聖ウラボ教会の向かいにあるスポンザ宮殿。
1516年、当時自由都市として海上貿易で繁栄していたドブロブニクの税関として建てられたそうです。
ドブロブニクは1667年に地震に襲われ、壊滅的なダメージを受けたのですがこの建物は倒壊を免れ、現在はそこに残っていた貴重な歴史史料などを保管する古文書保管場所として使用されているそうです。 -
聖ヴラボ教会、スポンザ宮殿が面したルジャ広場にあるオノフリオの小噴水です。
大噴水、小噴水の2つをオノフリオは作ったそうです。
大噴水とは全く雰囲気が違いますね。 -
夜更け、夜、3度目の港です。ドブロブニクは最盛期には人口の8人に1人がドブロブニクの海運関連の仕事をしていたそうです。海運と言っても船を運航するだけでなく、そのころのドブロブニクは造船技術も素晴らしいものがあったそうです。
最盛期にはきっとこの港、すご〜くにぎやかだったんでしょうね。 -
港の海の水です。素晴らしく澄んでいて小さい魚がたくさん泳いでいました。
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港をブラブラしてたらドブロブニクのボートツアーがあるのを発見!いろいろなタイプがあるみたいですがとりあえずオーソドックスなやつに参加することに。
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聖イヴァン要塞を超えて城壁の外に出てきました。こんな城壁をまじかで見たら昔の人も攻撃したくてもやっぱりちょっと引いちゃいますよね。
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船は城壁沿いに進みボカル要塞の沖にやってきました。こうやって見るとドブロブニクが城壁に囲まれた街というのが良く分かります。ちなみにこの城壁長さ1940m一番高い所で壁の高さ23m、壁の厚さも最大で5.5mあるそうです。
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船はこの後ドブロブニクの沖にあるロクロム島のそばを通って港正面の沖へ。
ここには大きな船が停泊してます。
さすがに旧市街の港には接岸できないので、沖合に停泊してここから小さいボートでドブロブニクに向かうのだそうです。ちなみに昨日到着したドブロブニクのバスターミナルの横にも大きな港があります。 -
ドブロブニクの街が近づいてきました。
最盛期にはどのくらいの船がここを通ったんでしょう… -
港に入ってきました。大体45分位だったでしょうか??潮風にあたってのんびりとドブロブニクを海から見学できました^^
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船を降りてブラブラ。壁に弾丸の跡??がある建物を発見!!ユーゴ紛争の跡でしょうか??
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この後、城壁をブラブラ歩けるということでいざ城壁の上に向かいました。ちょっと人が多くて歩きずらいですが景色は最高です!!
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ドミニコ会修道院の脇を抜けると城壁への入り口があります。早速城壁をブラブラ。まずはドミニコ会修道院の塔&港です。
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城壁は反時計回りの一方通行。ドミニコ会修道院からミンチェタ要塞の方に向かいます。
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ミンチェタ要塞はドブロブニクの旧市街で一番高いところにあります。ということは…まずは上り坂です。だんだん苦しくなってきたころなんと売店が!!
でも値段が高い!!
旧市街内と比べるとなんと倍。 -
この坂を上ってきました。登ってきた甲斐があります。眺めがすばらしい〜
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そして…ミンチェタ要塞の上までやってきました!!
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ミンチェタ要塞の監視台からの眺めです。
水平線の向こうから敵が来てもこれならわかりますね。 -
ちょっと風にあたってゆっくりした後ボカル要塞方面、写真の正面に向かいます。
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ボガル要塞の対岸にはロヴィリェナツ要塞があります。海面からの高さ37m、昔は軍事施設だったり、監獄だったりもしたそうです。
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ボガル要塞に行く途中、昨日初めてドブロブニクの旧市街に入ってきたときにくぐったピレ門を裏からパチリ。
ピレ門の前にはバスがたくさん停まってます。
さすが観光地、ドブロブニクです。 -
ピレ門の反対側、ブラツァ通りです。
やっぱりたくさんの人がこの街を訪れてます。 -
ボガル要塞からミンチェッタ要塞方面です。スルジ山に向かって街並みもだんだん高くなっているのが分かります。
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ドブロブニクの街はすべて建物が建ってるわけではないんですね。こんな感じで廃墟のようになっている部分ももあります。
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海沿いに出てきました!!
ボガル要塞方面の写真です。 -
反対側聖イヴァン要塞方面をパチリ。
ちょっとギリシャっぽい?? -
こんな大砲もありました。
海から敵が攻めてきたときは狙い撃ちにしていたんでしょうね。 -
ドブロブニクの城壁ツアー、個人的にはこの場所からの景色がなんか一番いい気がします。
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小道をふとみたら、なんと植木鉢から建物の高さもある木を発見!!この細い道にひょろっと生えているこの木、なんかドブロブニクっぽいです。
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聖イヴァン要塞を超えて港に戻って来ました。
沖にはさっき見たクルーズ船が。
あのクルーズ船からこの港へは写真真ん中くらいにあるオレンジのボートで来るようで、オレンジのボートは何度も港と船の間を行ったり来たりしてました。 -
城壁も1周し終わりました。ちょっと疲れたので昼食兼ねて一休みして空港へのバス出発までもう少し旧市街を散策することにしました。
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大聖堂です。
中には宝物殿がドブロブニクが貿易都市として栄えた時のお宝が保存されているそうです。 -
旧総督官邸です。ここはラグーサ共和国の総督住居、そして、会議場などの政治機関も兼ねていたそうです。
ラグーサ共和国は7世紀にこのドブロブニクに移住した人たちが名付けた名前。ドブロブニクの昔の名前です。(東京と江戸みたいなもの??)
このラグーサ共和国はアドリア海の国々とうまく付き合い時には上納金を納めたりして自国の存在を1000年以上保ち続けましたが、1667年の地震をきっかけに衰退していったと言われているそうです。
ちなみにドブロブニクに来るときの10kmたらずのボスニア通過はイスラム勢力がドブロブニクに攻めてきたときの和解案の名残だそうです。 -
ドブロブニクがうまく周りと付き合っていた名残はこんなところにも!?
14世紀〜16世紀にかけて受け入れたユダヤ人、もともとはイベリア半島からの難民のようですが、ユダヤ教徒には特例を与えてました。
もともとカトリックのドブロブニク、夕方、鐘が鳴るとそれ以降異教徒は城壁の外に出なければならなかったそうですが、ユダヤ教徒は例外として夜も城壁内にとどまることができたそうです。そしてシナゴークも。
ドブロブニクのシナゴークはヨーロッパで2番目の位置づけだそうです。 -
ドブロブニクもやはり旧ユーゴということで城壁の中にはキリスト教、ユダヤ教以外にももちろんイスラム教のモスク、そしてセルビア正教会もあります。ということでまずはドブロブニクのモスクをパチリ。
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そしてセルビア正教会です。シナゴーク、モスクが建物の1室だったのにたいしてセルビア正教会は1つの建物として教会が存在してました。
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ピレ門に戻ってきましたが若干時間があったので目の前にあるフランシスコ会修道院に行くことにしました。
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フランシスコ会修道院には薬の博物館があります。ちょっと面白そうなのでそこに行くことにしました。
ドブロブニクは非常に発達した街だったということを象徴する1つがここにある薬局。1391年に開業したヨーロッパで3番目の古さの薬局があります。
1391年って日本はまだ室町時代です。。。 -
薬の博物館は修道院の中庭の周りの建物に展示がされてます。
薬の壺などが展示されてました。 -
博物館の中にあった昔のドブロブニクの街の絵です。
城壁の外は何もありませんが、この描かれた城壁都市は今と変わらない感じです。 -
そろそろ出発しなければならない時間です。最後にピレ門のそばの像でパチリ。そして空港へのリムジンバスが出発するバスターミナルへ。
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ドブロブニク空港に向かうバスです。
モスタルから来たバスの到着したバスターミナルから出発!
空港までは30分位でした。 -
残念ながらちょっとモヤってますが、最後に飛行機から見たドブロブニクの街並みです。城壁都市の旧市街は右側にあります。
旧ユーゴはいろいろな文化が入り混じったいい街々でした。
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