2010/05/04 - 2010/05/04
207位(同エリア93件中)
ぬいぬいさん
晴天に恵まれた今年のGW。
でもどこに行っても混んでるし、お金もかかるし、家の近所で楽しめる場所はないものか・・・
そうだ、馬込文士村を歩こう
そんなことで、都営浅草線に乗って終点の西馬込から馬込文士村の散策をスタートしました。
最近メタボに加速がかかり、先週久しぶりに走ったらひざにきてしまい、まずは歩いて体重を落とそうと思ってはいるのですが、なかなか実現できず、減量のウォーキングもかねての散歩です。
書家の熊谷恒子邸や日本画家の川端龍子記念館、少し足を伸ばして池上本門寺、そして大森山王を抜けて大森貝塚や徳富蘇峰の山王草堂記念館と盛りだくさんで、予想以上に楽しめました。
9時前に歩き出して5時間半、距離にして15キロ。普通に歩くと大変距離ですが歴史を感じながらの散歩は楽しいものですね。
お昼に飲んだ生ビールの味は格別でした。
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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地下鉄の西馬込から歩き出してJR京浜東北の大森駅に到着。
朝から随分歩きました。 -
もうお昼です。今日のランチは階段の上のこちらのお店。
デザート付きのポークジンジャープレートと生ビールで一息ついて午後の散策開始 -
大森駅前の天祖神社
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神社の社殿そのものは、ご覧のようにこじんまりとしたもの。
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天祖神社の石垣の正面にご覧のような文士村に住んでいた作家たちの顔のレリーフがあります。
石坂洋次郎、宇野千代、尾崎士郎、川端康成、川端龍子、北原白秋、子母沢寛、高見順、真船豊、三島由紀夫、三好達治、室井犀星、山本周五郎、山本有三、和辻哲郎・・・
そうそうたる名前が続きます。 -
八景坂と呼ばれる階段を登っていくと、右側の石垣には様々なプレートが付いています。
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こちらのレリーフは大正8年の頃の大森駅
当時の大森は、今で言うベイサイドの別荘地的な雰囲気を持ったエリアだったそうです。 -
以降プレートの説明書と文士村のホームページからの引用により説明します。
明治末期〜大正期(震災前)
文士村と呼ばれるほど賑やかになる以前、芸術家達の会合があちこちで開かれていました。山王の望翠楼ホテルでは、日夏耿之介、小林古径、川端龍子、伊藤深水、片山広子、真野紀太郎、長谷川潔らは「大森丘の会」を開いていました。 -
馬込村が住宅地として開発されていくのは関東大震災以後から昭和初期にかけて。この頃から尾崎士郎、宇野千代夫妻を草分けに、文士たちが馬込に移り住むようになり、いわゆる文士村が形成されていくことになります。
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関東大震災後、尾崎士郎の誘いで次々と馬込に文士たちが住むようになり、居住者相互にかなり親密な交流がみられました。
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馬込文士村として最盛期の時代で、酒、麻雀、ダンス、恋愛あるいは離婚とバラエティに富んだ生活を展開していた賑やかな時代です。
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間宮茂輔が次のようなユニークな馬込村民分類を行っています。
●酒飲まぬ麻雀、花ひきグループ:広津和郎、宇野千代、国木田虎雄、間宮茂輔
●酒飲み駄弁グループ:尾崎士郎、保高徳蔵、榊山潤、吉田甲子太郎、横山安夫
●酒飲みダンスグループ:萩原朔太郎、衣巻省三
●酒飲み孤高グループ:北原白秋、室生犀星
●酒もギャンブルもやらぬ超然組:川端康成
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昭和初期から戦前にかけ引き続き住む者も多く、尾崎士郎、室生犀星、倉田百三、村岡花子、吉田甲子太郎などは生涯をこの地で終えた人たちです。
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この時期新たに加わったのは稲垣足穂、小島政二郎、佐藤惣之助、竹村俊郎、山本周五郎などです。
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昭和6年山本周五郎ら馬込村居住の文士たちによって大森相撲協会が結成されました。文士(力士)には四股名を付け番付表を作り、土俵は池上本門寺の裏手にあった空屋敷の庭にこしらえ、相撲大会を開きました。中期の退廃的なムードから徐々に落ち着きを取り戻した時代です。
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詳しくはこちらをご覧ください
http://www.magome-bunshimura.jp/modules/press10/ -
山王の住宅街の空き地にムラサキハナナが大量に咲いています。
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アップしてみるとなかなか可憐な姿をしていますね。
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ここでちょっと文士村の散策ルートから外れて寄り道を
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NTTのビルの脇を入っていくと大森貝塚の発見者のアメリカ人の動物学者・エドワード・S・モースのプレートがあります。
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さらにその先には京浜東北線の線路に向いて大森貝墟碑が建っています。
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隣のマンションの敷地内に通路があってそれをさらに進むと今度は違った石碑が
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大森貝塚の発見は偶然によるものだったそうで、モースが1877年(明治10年)6月横浜から新橋へ向かう途中の大森駅を過ぎてから直ぐの崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見し、発掘調査を行ったそうです。
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モースらの発掘した貝殻、土器、土偶、石斧、石鏃、鹿・鯨の骨片、人骨片などの出土品により縄文時代の貝塚だったことがわかりました。
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この発掘は、日本の考古学・人類学の幕開けといわれ、昭和30年にに国の史跡に指定されました。
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「日本考古学発祥の地」モース像
ちなみに縄文時代の『縄文』はモースの出版した大森貝塚の本に初めて記載された言葉だとか。 -
大森貝塚を過ぎてさらに進んでいくとうっそうと生い茂る神社の森が見えてきました。
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ぶら下がった提灯には鹿島神社の名前が入っています。
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なかなか由緒遺書ある神社のようで、創建は古く平安朝の中頃まで遡るようです。
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茨城の鹿島神宮からの分社のようですね。
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最後の目的地山王草堂に向かう途中で見つけた古い洋館。 昭和初期の建築のようです。
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山王草堂記念館
日本で最初の総合雑誌”国民の友”を発刊、その後”国民新聞”を創刊し、ジャーナリズムの先駆者と言われる徳富蘇峰の旧宅跡。 -
記念館の入口は旧邸の玄関の部分が復元され、館内には蘇峰の書斎のあった2階部分が復元されています。
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『近世日本国民史』の原稿、弟の徳富蘆花の原稿、坪内逍遥や与謝野晶子などからの書簡、蘇峰愛用の文房具や印鑑の類などが展示されています。
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蘇峰は大正13年ここ山王に居宅を建てて山王草堂と称し、昭和18年に熱海へ転居するまで家族とともにここに住んで代表作の『近世日本国民史』などの執筆活動を行いました。
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昭和61年に大田区が旧邸を当時の所有者の静岡新聞社から譲り受け、蘇峰公園として整備するとともに、山王草堂の保存と公開を目的として大田区立山王草堂記念館建設し公開しています。
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区立の私設なので無料で公開していますが、結構楽しめます。
GWの一日を家の近所をぶらぶらでしたが、思いのほか楽しめた馬込文士村散歩でした。
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