2007/02/23 - 2007/03/08
3777位(同エリア4547件中)
フィジさん
※写真はフランス植民地時代の名残りを思わせる教会。
2/23バンコクin、3/8バンコクoutのチケットのみを持って宿の予約もせずに出発。2週間という短期間で、
タイ(バンコク)→カンボジア(シェムリアップとプノンペン)→ベトナム(ホーチミンとフエ)→ラオス(サワンナケート)→タイ(バンコク)
の予定で現地へ向かった。ここでは、ラオス編。
早朝、フエのビンジュオンホテルを出発し、約12時間かけてラオスのサワンナケートに到着する。
ここまでの旅が順調だっただけに、最後に油断をしてしまいました。所持金のほぼ全てを盗まれ、タイに戻るお金もない状態に。財布の中身を見たときは、状況がすぐに理解できませんでした。
幸いにも、パスポートと帰りの航空券は無事だったので、サワンナケートで旅行者の集まるバス停留所まで行き、日本人の方々に20ドル借りることができ(後で郵送でお返ししました)、タイ・バンコクまで無事帰ることができました。あのときの方々には本当に感謝。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- タイ国際航空
-
いよいよラオスに入国。国境の街デーンサワン。この国境からバス乗り場まで、炎天下の中ずいぶんと歩かされました。
-
サワンナケートに向かう途中、小さな村々をいくつか通りました。
-
途中、バスを乗り換えるため休憩。
-
ラオスから乗り換えるバスは、ベトナムから入国したバスとは打って変わってボロボロのバス。ハングル文字が書かれていたことから、韓国製のお古?
-
バス内が乗客で満席になるまで出発しないのがラオス流。写真の状態からさらに乗客が乗ってきて、真ん中の通路にもぎっしりと座席が並べられ、乗客が座ったところで出発。1時間足らずで満席になりました。
-
バスの窓の外から手をふる子供たち
-
何もない道が続く。
-
バスでサワンナケートに到着したのは、日が暮れてあたりが暗くなり始めたころ。ベトナムと違い、リキシャーの運転手たちの数も少なく、ガツガツもしていなかったのが印象的。
-
その夜は、フエでも同じドミトリーに宿泊していた、日本人3人と同じドミトリーに宿泊。これが悪夢の始まり。夕食は彼らと共にしたのだが、レストランで注文した、強いお酒ラオラオをやたらと勧めてきたこと、夜寝るときにドミトリーの部屋は施錠していたこと、腰にまいていた財布のお金がすべて盗まれていたことなどを考えると、彼らによる犯行は否定できない。
※写真は翌朝その彼らとドミトリーの前で撮影したもの。このときはまだお金がなくなっていることに気づいていませんでした。 -
ラオス版、トゥクトゥクで移動。
-
-
途中、運ちゃんの子供を乗せて学校に向かう。
-
このまったりした空気がいい。
-
地元の高校生?バイク通勤中。
-
-
人の良さそうな運ちゃんでした。
-
サワンナケート市内を少し観光。フランス植民地時代の名残りの建物が目立つ。写真は聖テレサ教会。
-
-
今となっては何の建物か忘れました。
-
-
メコン川を挟んで対岸に見えるのはタイの都市ムクダーハーン。この川沿いに並ぶ屋台を食べるため、腰に巻いていた財布を取り出したとき、初めてお金がないことに気づく。時すでに遅し。このときは対岸がものすごく遠く感じた。
-
その川沿いで楽しそうにおしゃべりをしている地元の高校生。
-
この後、タイ行き、ビエンチャン行きのバスターミナルまで行けば何とかなると思い、ターヘ通り、マカサワン通りを歩いてバスターミナルへ。
ベトナム・ホーチミンからバスが一緒だった日本人を偶然にも発見し、何とかお金を20ドルを援助してもらう。ホント、間一髪。命を救われました。
まずはラオスを出国することを優先に考え、タイ・ムクダーハーン行きのバスに乗る。写真はラオス出国のとき。このときにはすでにメコン川を渡る橋ができていて、バスで出国できました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
フィジさんの関連旅行記
ラオス の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
23