1986/03/05 - 1986/03/12
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覇王樹さん
昭和61年の3月、まだ雪深い北海道へと渡る。行きは上野発の急行八甲田。北海道周遊券を学割2割、さらに冬期割引2割引き、計4割引き近くという今では考えられない破格で当時は旅をすることができた。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- JR特急 JRローカル
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3月5日の急行八甲田に乗ると、翌日青函連絡船に乗り換え。今回の船は船体が青い摩周丸であった。
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函館からは山線経由の急行ニセコで。この時代、函館駅にはまだ架線柱は立っていない。
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急行利尻で稚内に降り立つと、一旦ノシャップ岬まで歩いて行き、帰りには急行天北で天北線経由。
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急行天北は利尻の折り返し運用。というわけで、寝台車もヒルネで使用される。
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音威子府で深名線に乗り換え。本日は大雪。
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雪との激闘の痕。朱鞠内で列車を乗り換え。
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鷹泊の駅にて。
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本日は標津線の旅。根室標津の近郊にて。並木道の踏切を渡る列車。
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中標津駅。これから厚床まで標津線別海支線に乗る。
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厚床駅へと出る。
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本日は遠軽から湧網線の旅。今はなきキハ82。
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中湧別の駅にて。ここで湧網線に乗り換え。
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佐呂間駅。
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札幌まで急行大雪で戻る。札幌地上駅の時代。
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本日は日高本線から襟裳岬をバスで抜け、広尾線の広尾へと出る。
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翌日は再び函館本線山線へ。倶知安駅で胆振線に乗るが、時間があるので、倶知安駅近郊まで函館本線の列車を撮りに行く。
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わずか4両+荷物車からなる急行ニセコ。
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函館本線41レ、有名だった日本最後の旧客夜行。
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胆振線の旅を終え、雪のない伊達紋別からはキハ82で函館へ出る。当時、まさか胆振線が廃止されるとは思ってもいなかったので、沿線の写真は一枚もなし。
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