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2010年の3月に北関東に行く機会があり、(旧)葛生町の嘉多山公園へ行ってきました。ここは桜の名所なのですが、桜にはまだ早い時期で、ほんの数本の木が咲き始めたところでした。<br /><br />今回は、見頃になる前の、桜の名所”嘉多山(かたやま)公園”です。<br /><br />旧葛生町は、石灰産業の町として貴重な産業遺産が残っているのですが、佐野市のHPを見てもそのような紹介はされていないようです。とても勿体ないと思いました。

嘉多山公園(栃木県佐野市、旧葛生町)

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2010/03/26 - 2010/03/26

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minaMicaze

minaMicazeさん

2010年の3月に北関東に行く機会があり、(旧)葛生町の嘉多山公園へ行ってきました。ここは桜の名所なのですが、桜にはまだ早い時期で、ほんの数本の木が咲き始めたところでした。

今回は、見頃になる前の、桜の名所”嘉多山(かたやま)公園”です。

旧葛生町は、石灰産業の町として貴重な産業遺産が残っているのですが、佐野市のHPを見てもそのような紹介はされていないようです。とても勿体ないと思いました。

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満

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  • 嘉多山公園の正面階段の途中から、旧葛生町方面の眺望です。<br />中央の道路は、街中から嘉多山公園へ至る観光道路で「原人ロード」と名付けられています。<br /><br />原人とは葛生町の観光の目玉「葛生原人」のことで、春の「桜まつり」や夏の「原人まつり」には、とても賑わうとのことです。

    嘉多山公園の正面階段の途中から、旧葛生町方面の眺望です。
    中央の道路は、街中から嘉多山公園へ至る観光道路で「原人ロード」と名付けられています。

    原人とは葛生町の観光の目玉「葛生原人」のことで、春の「桜まつり」や夏の「原人まつり」には、とても賑わうとのことです。

  • 上の写真の位置から振り返ると、嘉多山公園の案内図があります。<br /><br />此の場所の右手方向が駐車場、右上に見える階段を上がると中央広場です。<br />中央広場には「原人ステージ」があります。

    上の写真の位置から振り返ると、嘉多山公園の案内図があります。

    此の場所の右手方向が駐車場、右上に見える階段を上がると中央広場です。
    中央広場には「原人ステージ」があります。

  • 上の写真の看板から左方向へ行くと、児童遊園地があり、2基のすべり台の奥にSLがあります。<br />SLの上に見えるのはローラースライダーで、云わば大きな滑り台です。SLのすぐ横に滑り降りてきます。

    上の写真の看板から左方向へ行くと、児童遊園地があり、2基のすべり台の奥にSLがあります。
    SLの上に見えるのはローラースライダーで、云わば大きな滑り台です。SLのすぐ横に滑り降りてきます。

  • このSLは、かつて東武鉄道佐野線を走っていましたが、昭和41年の佐野線電化に伴って引退した、とあります。

    このSLは、かつて東武鉄道佐野線を走っていましたが、昭和41年の佐野線電化に伴って引退した、とあります。

  • 大正4年に英国ベーヤピーコック社で作られた、四輪連結テンダー型機関車だそうです。

    大正4年に英国ベーヤピーコック社で作られた、四輪連結テンダー型機関車だそうです。

  • ローラースライダーに沿って遊歩道を登っていくと、昭和37年に佐野市指定天然記念物に指定された、和白檀叢林があります。<br />天然記念物に指定された頃は、葛生町指定天然記念物だったのでしょう。

    ローラースライダーに沿って遊歩道を登っていくと、昭和37年に佐野市指定天然記念物に指定された、和白檀叢林があります。
    天然記念物に指定された頃は、葛生町指定天然記念物だったのでしょう。

  • この和白檀は、吉澤兵左氏によって移植されたとあります。

    この和白檀は、吉澤兵左氏によって移植されたとあります。

  • さらに遊歩道を登ると、このような岩が露出しています。<br />此のあたりの山々を形成している石灰岩なのだと思いますが、そのような説明は見当たりませんでした。

    さらに遊歩道を登ると、このような岩が露出しています。
    此のあたりの山々を形成している石灰岩なのだと思いますが、そのような説明は見当たりませんでした。

  • もう少し登ると「吉沢石灰工業発祥の地」の碑があります。

    もう少し登ると「吉沢石灰工業発祥の地」の碑があります。

  • その横には、吉沢石灰工業を興した方の像がありました。<br /><br />右にあるのが、このとき花が最も開いていた桜の木です。

    その横には、吉沢石灰工業を興した方の像がありました。

    右にあるのが、このとき花が最も開いていた桜の木です。

  • 和白檀叢林から左方向への遊歩道です。

    和白檀叢林から左方向への遊歩道です。

  • 遊歩道をしばらく登ると、神社がありました。

    遊歩道をしばらく登ると、神社がありました。

  • 案内板には「山神社」とありました。

    案内板には「山神社」とありました。

  • ”山神社”遷宮の碑です。<br /><br />寛政7年に山菅北山地内に鎮座し、昭和10年に長坂山の山腹に遷座され、昭和61年に此の地に遷宮されたとあります。

    ”山神社”遷宮の碑です。

    寛政7年に山菅北山地内に鎮座し、昭和10年に長坂山の山腹に遷座され、昭和61年に此の地に遷宮されたとあります。

  • 山神社の前の広場からの、旧葛生町の眺望です。

    山神社の前の広場からの、旧葛生町の眺望です。

  • 上の写真の右方向の眺望です。

    上の写真の右方向の眺望です。

  • 中央広場にある「原人ステージ」です。<br /><br />後に見える崖の上に展望台があります。

    中央広場にある「原人ステージ」です。

    後に見える崖の上に展望台があります。

  • 中央広場の東の外れに、展望台へ続く遊歩道の登り口があります。

    中央広場の東の外れに、展望台へ続く遊歩道の登り口があります。

  • このような石畳の遊歩道を登ります。

    このような石畳の遊歩道を登ります。

  • 展望台につきました。<br /><br />ここから振り返ると………

    展望台につきました。

    ここから振り返ると………

  • 神社がありました。<br /><br />案内図には「嘉多山稲荷」とありました。

    神社がありました。

    案内図には「嘉多山稲荷」とありました。

  • 展望台からの、旧葛生町の眺望です。

    展望台からの、旧葛生町の眺望です。

  • 同じく、上の写真の右方向です。

    同じく、上の写真の右方向です。

  • ”七輪窯跡”の説明です。<br /><br />七輪窯とは、石灰を製造するために石灰石を焼いた窯です。<br />明治から大正にかけて使用された、とあります。

    ”七輪窯跡”の説明です。

    七輪窯とは、石灰を製造するために石灰石を焼いた窯です。
    明治から大正にかけて使用された、とあります。

  • ”七輪窯跡”のほぼ全景です。

    ”七輪窯跡”のほぼ全景です。

  • 上の写真の左側の窯跡です。

    上の写真の左側の窯跡です。

  • 咲き始めた桜です。

    咲き始めた桜です。

  • 駐車場へ登る道端に咲いていた花です。

    駐車場へ登る道端に咲いていた花です。

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